三話 出会い
だが、お客さん発言に戸惑った俺のことは無視して、彼女は「リサちゃん呼ぶから待っててね」と白いワンピースをはためかせながら飛び出してしまった。
ドタドタした音とリサちゃんという言葉が遠くから聞こえる。しばらくすると『リサちゃん』がやってきた。
「目、覚めてよかったぁ……うわぁ、ほんとうに起きてる……」
なんとなく間延びした声を出しながら『リサちゃん』は入ってきた。
半開きの目から先ほどまで寝ていたことが推測できる。容姿は先ほどの少女に似ていたが髪の色が違った。さっきの女の子は夜のとばりのような真っ黒だったが、彼女は赤みを帯びている。
見たところの年齢からは姉のように思う。ただ、それよりも重要なことがあった。
——この人酒臭っ!
塩辛く、どこか清廉な雰囲気すらあったこの部屋があっという間に俗世臭くなる。
彼女の表情から察するに相当な量を呑んでいるのは間違いない。そのくせに確かな足取りでこちらへ来るのだから酒豪なのだろう。
ベッドに腰をかけてこちらへ向く。じーっと音が聞こえそうなほど強くこっちを見てきた。なにかを話そうとしたがその真剣な瞳にけおされて咄嗟の言葉が出なかった。
ここはどこなのだろうか? あなたたちはなんなのか? というか今の状況全部説明しろ。
「ねーねー。君はどこから来たのー?」
ふっと彼女の形の良い唇が形を変えて、アルコールの匂いと共にそんな言葉を放った。昔に馴染んでいたアルコールと比べると随分と蠱惑な香りだった。
「そのまえに……えっと……。こ、ここはどこ……なんすか?」
一応年上のようなので敬語を使おうと努力したが、緊張でどもりながらになってしまった。しかも微妙に砕けた口調の上に、質問に質問を返してしまった。
「んー? ここは『塔』だよー」
「ええと、『塔』?」
『塔』? どうやら固有名詞のようだ。塔……塔……固有名詞ではないはずの塔がなぜ固有名詞として使われているのかわからないが、確かに固有名詞として正しい気がする。不思議な感覚だ。
「で、君は?」
「俺は……確か浜辺で、ええと、■……っ!」
がりがりがりと頭から何かを削る音が聞こえた。金属ヤスリを頭蓋骨の内側から外に当てて縦横無尽にかき回すとこういう音が鳴りそうだ。目玉の奥がチカチカし、激痛に顔を顰める。
「うわっ大丈夫⁉」
初めに部屋へ来た少女が慌てながら心配をする。どうやらはたから見ても酷い反応だったようだ。実際、激痛のせいで数センチ飛び上がった。
「あー言いたくない? それとも思い出せない?」
そういわれてゆっくりと自分のことを思い出そうとした。
俺は■■■。■■高校に通っている。今は■■に住んでいるが、もともとは■■に生まれた。その後にきっかけがあり、■■■に移住。それからもう一度引っ越しをして、今の住む■■に来たのだ。好きな食べ物はたこ焼きで、嫌いなものはトマト。先日、■■がたこ焼きを買っていたのでお裾分けしてもらった。
「すいません……よく思い出せないです。なんか靄がかかるような感じで……」
「へー」
思いのほか簡単に流されてしまった。思考にノイズがかかるという結構深刻な問題を軽く流されて拍子抜けをする。
「じゃー、
「司?」
「そう、司くん」
「男性……です、よね?」
「うん。男。なんか不機嫌そうなわりに優しい感じのー。けっこう前にここを飛び出して行っちゃったんだけどさぁ」
「ええと……家出ですか」
「んー家出かな? 広義の家出」
飛び出すという言葉が胸に引っかかったが、司という男にあったことがあるかを考えてみた。だが、自分の名前さえ思い出せない状況で、固有名詞があてになるわけもなく何も思い出せなかった。
「すいません……無理そうです」
「そっかー。『外』から来た人ならワンチャンあると思ったんだけどなー」
——外?
外とはいったいなんだ。なにかがおかしい気がしたのだ。
「あの、俺はどうしてここにいるんですか?」
「ええと、ごめん。私が拾ったから? ……かなぁ?」
俺とリサさんの会話におずおずと割り込んできた。怒られることでもしたのかを確認するような自信のない声だった。
というか拾うってなんだよ。俺は犬か猫か。
「
違和感。
それでまとめれば早い。そもそもの前提が違う。宗教が違う人と神様の話をするような、外国の人と文化の話をするような、馬の合わないやつに冗談をとばしたような、異世界の住人と会話するような。
相手のことを一定数受け入れないと会話が成り立たない場合において、受け入れられてない時のような違和感。
「そうかな? うん。そうだよね。こうやって目をさましてくれたし!」
「いえーい。遥、さいこー。散歩とかいう役に立たない趣味がようやく役に立ったよねー」
――ズレてる。
根元がずれている。歯車が噛み合っていない。このままならば平行線のままだ。
「リサちゃんだってずっと『お酒』を呑んでばっかりじゃない。役に立たないでしょう!」
「役に立ちますー。心身の健康のためには必要ですー」
「健康なんて塔が管理してくれるでしょ!」
「物理的健康じゃなくて文化的健康よ! 文明が滅びても文化を忘れる野蛮人にはなりたくないー」
「散歩だって十分文化的でしょ!」
ズレとは何なのだろうか?
……わからない。というか、考え事をしている間にも新しい情報が出てきていた。塔が体調を管理するってどういう事だよ。散歩と飲酒のどっちが文化的かと、どうでもいいことを言い争う姉妹を眺めながら途方に暮れていた。
そこで、遥がこっちを向く。どうやら俺の現状を整理できないアホ面を、自分たちにあきれているのだと勘違いしたようだ。
「こほん……ええと、話はこれぐらいにして場所を変えない? きっとおなかもすいてるよね?」
恥ずかしそうに頬を染める女の子はかわいいが俺の疑問は解消されない。
しかし空腹なのも事実だし、場所を変えるというならばついていこうと思った。二人は俺に手招きをしてこちらに来るように言ってくる。
俺はベットから降りた。多少の違和感はあったものの支障なく歩ける。俺は二人を追いかけた。
そして遥がドアを開けた。
――かちゃり。
その音は扉の開く音だった。
しかし、それだけでは無かった。彼らと俺の歯車が噛み合った音でもあった。
この時、扉を開かせなければ歯車は一生噛み合うことなく、俺は彼らとの平行線として生きられたかもしれない。
後から思えばそうであろう。しかしその時の俺は露ほどにも、そのようなことは考えていなかった。
だから何気なく――。
――とん。と、足を踏み出した。
結局のところ俺は自らの手で平行線を捻じ曲げたのだ。そこに俺の意志が有ろうと無かろうとさして問題ではない。
前の足が地面に付き、つんのめる。
身体の重みに引きずられる。
後ろの足が投げ出される。
外へ飛び出す。
後ろの足が地面に付く。
視界が開けた。
「はは、は」
乾いた呼吸が漏れた。俺の意志で発されたかは怪しいが、第三者目線では声に該当するだろう。そしてそれは笑い声にも聞こえた。
俺は冗談でないほどに高い所にいた。どれほどのところにいるのだろうか? 最低でも二百メートル以上あると思う。
冷たい潮風が吹き、どれほど高いのかを暗示していた。
――――俺の世界を破壊するモノは青い所から降ってきた。
四方を囲む。青。青。青。青。
どこまでも続く水平線。雲一つない晴天。
まさに青天の霹靂。
ありえないことだ。ありえないことだが理解してしまった。理論がそれを即座に否定するが直感が肯定する。
……なるほど。ついさっきまで俺は別の世界の住人と会話していたのか。話が通じないのも当然だ。
ああ。ああ、そうだ。
ここは。ここは未来の地球だ。
ほかにも選択肢はあっただろう。例えば違う星だ、とか、パラレルワールドだ、とか、それこそ異世界だ、とか。だが直観的に未来の地球だと思った。
理解してしまったのだ。
そしてあとから分かるのだが、やはり、実際にここは未来の地球だった。
——よかったね。
どこかから声が聞こえた。
何が面白いのかあざけるような声だ。その声を聴いた俺は逃げ場のない水平線の中で、なぜか安心して泣きそうになってしまった。
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