大N市企画短編

サムトー

月の光、太陽を超えて/導きのアルフェッカ




この作品は、ダブルクロスセッション「導きのアルフェッカ」のアフターストーリーです。

読み進める前に、当該ログを読了することを強くお勧めします。











大N市郊外、住宅街の一角にある小さな屋敷。

神城グループの重鎮、藤峰一族の邸宅は、その肩書に比較すると質素なものだ。


しかしあくまで、その評価は相対的なもの。

現在の主、まだ14歳になったばかりの少年、藤峰春人。

その執事である影山夏月。

たった二人の人間で管理しきるにはその敷地は広大にすぎる。


故に当然この屋敷の管理の為、二人は使用人の手を借りている。

今、影山夏月の目の前で緊張した面持ちで佇んでいる少女も、その1人であった。


「影山、夏月さん」


沈みかけた太陽が、空と屋敷の庭を紅く染め上げる。

長い沈黙を破り、少女が語りかける。 その小さな手を震わせながら。


「貴方が……好きです!」


微かに紅潮した頬と真剣な眼差しは、言葉以上に彼女の心をはっきりと表していた。






「(……年頃の女性からの呼び出し。 まさかとは、思っていたが)」


複雑な内心を表情に出さぬよう注意しながら、夏月は目の前の少女について考える。

十倉沙織、年齢は確かこの間、15歳を迎えたばかり。

藤峰家の運営する孤児院の出身であり、半年ほど前からこの屋敷の使用人として働いている。


夏月もその境遇に自分と似たものを感じ、いくらか世話を焼いた覚えはあった。

幸い彼女自身の素直な人柄もあって、早々に家に馴染んでくれたようで安心していたのだが。


「………………」


明るい栗色の、肩まで伸ばされた髪。

少し垂れ気味のブラウンの瞳が、不安そうに揺れる。

小柄な体躯と柔らかい容貌は年齢以上にその印象を幼くさせる。


客観的に見て、魅力的な女性だろうと思う。

女性に率直な悪友なら、ノータイムで「顔の良い女」の箱に入れるだろう、と想像するぐらいには。

……最近の彼はそういった言動の後バツの悪そうな顔をするか、ローキックを喰らうわけだが。

夏月としても好感は抱いているし、悪い気はしない。しかし――


「十倉沙織さん」

「………………」


名前を呼ぶと沙織は小さく俯き、意を決したように夏月を見上げる。

……何かを覚悟するように。




「私には、心に決めた女性が居ます。 だから」

「貴女の思いには、応えられません」

「……っ!」




答えを受け取って、沙織は一瞬その顔を悲しそうに歪ませ――


「……ごめん、なさい。 聞いてくれて、ありがとうございました」


あまりにも無理のある笑顔を浮かべて、そう口にした。

彼女の言葉に応えることもなく、背を向けてその場を後にする。

気配をいくつか感じる。おそらくは他の使用人、彼女の友人達。

後のことは、彼女たちに任せるべきだろう――それに。


「(いつまでも俺がこの場に居たら、泣くこともできないだろうから)」


すすり泣く声が聞こえる前に、夏月は足を早めた。









藤峰邸、影山夏月の私室には、本棚が多い。

少年漫画がチラホラと、幼い頃から好んで集めている騎士物語や英雄譚が占めるスペース。

しかし最も多く並べられているのは、教材である。


執事として出仕するようになってから、夏月は資格や技能の習得に精を出した。

年齢で侮られるのなら、せめて形の伴った評価で挽回しなければ――

――今思えば幼い功名心だが、当時の夏月は本気でそう思っていたのだ。

結局大した成果は上げられず、見事に空回りした訳だが。


そんな痛々しい過去を思い出して苦笑しながら、夏月は机に向かっている。

広げられているのは、新たな教材だ。

功名心や反抗心ではなく、必要に駆られて取り寄せた。

少なくとも夏月自身はそう思っている。


黙々と読み進めていると、静かな室内にノックの音が響いた。

時計を確認する。 もうすぐ日付が変わる頃合い。

この時間に部屋を訪ねてくる人物は1人しか居ない。

声をかけて確認することもなく、鍵を開けて招き入れる。


「よっ。 悪いな、まだ起きてたか?」


見慣れたツリ目の少年――藤峰春人は、特に悪びれる様子もなくそう口にする。


「お前より早く床に就くほど子供じゃあないな」

「主人に対して不敬な奴だな。 そういう物言い、執事として減点じゃないか?」

「そっちこそ、敬意を持たれたいならもう少し威厳ってやつを身に着けろよ」


軽口を叩きあいながらも夏月は麦茶のポットを傾け、春人はベッドに腰掛ける。

私的な場では余計な遠慮はなし。 それが二人の間のルールだった。


「まだそれやってたのかよ。 熱心だな、最近」


机の上にちらと視線を向けて、呆れたように春人がつぶやく。


「まあな。 特に試験とかあるわけじゃないし、それほど急ぐことはないんだが」

「ふーん……」

「それより、今日はどうした? また漫画でも借りに来たか?」


椅子に腰掛けノートを閉じながらそう聞くと、春人は目を逸らす。

長い付き合いの夏月から見ても珍しい反応だった。

他人に対してはともかく、身内に対して口ごもるような事は少ないのだが。


「十倉のことで、ちょっとさ」

「……ああ、なるほど」


合点がいく。 その手の話題は、確かに切り出しづらいだろう。


「彼女の友人からでも聞いたか? それとも、慰められてる様子でも見かけた?」


麦茶の入ったカップを差し出しながら問えば、

 

「いや、その場で見てたし僕も皆と一緒に慰めた」


予想外の回答に思わず手元が狂いそうになり、なんとかこらえる。


「お前なあ……」

「悪かったとは思ってるよ。 でも気になってさ、相談もされてたことだし」

「彼女、お前にまで話したのか? ……思ったより大胆というか」


夏月の知る十倉沙織は、控えめで真面目な少女だった。

いくら年が近いとは言え、雇い主に恋の相談などするようには見えなかったが。


「それだけ真剣だった、か。 ……あの後、どんな様子だった?」

「流石に落ち込んでたよ、かなり泣いてたし。ただ」

「ただ?」

「本人、覚悟してたらしい。 フられるってさ」


寝台に背中を預けながら、春人が言葉を続ける。


「答えが分かってても、どうしても伝えたかったんだと。 健気なもんだよな」

「……そうか」

「使用人総出で慰めてたし、仕事に大きな支障は出ないだろ。最悪何日か休ませる」

「悪いな、面倒かける」


相槌を返しながらも、夏月は返事を待つ沙織の顔を思い出していた。

彼女の目に不安でも期待でもなく、諦観が見えた事に得心がいく。


「早めに吹っ切れてくれりゃいんだけどな、お前のことなんか忘れてさ」

「なんか、で悪いな。 まあ彼女ならきっと大丈夫だ。 ちゃんと立ち直れるし、いずれ俺より良い相手を見つけるよ」

「なんだそれ、気休め?」

「まさか。 本気で言ってるし、ちゃんと根拠もある」


怪訝そうにこちらを見ながら、春人は飲み終えたカップを差し出す。

カップに二杯目を注ぐ音が、静かな部屋に小さく響いた。


「彼女、泣かなかっただろ。 俺が見えなくなるまで」

「……ああ」


好意を持っている異性に、泣き顔を見られたくなかった。

そういった見栄も、ないわけではないだろう――だが。


「俺を困らせないよう、気を遣ったんだ。 優しくて強い子だよ、本当に」


夏月の目にはそう映った。 ……そう見たかっただけかもしれないが。


「いくら世の男が馬鹿でも、あんな良い子を放っておくほどじゃない。 それだけの話だ」

「その良い子をフったお前が言うかよ」

「……それは」


口ごもりながら差し出されたカップに口をつけ、春人は一つ嘆息する。


「兄ちゃん、あれ本当だろ。 好きな女が居るって」

「………………」


少し驚いて夏月は目を見開く。

遠からず打ち明けるつもりではあったが、気づかれているとは思わなかった。


「まあ、な。 どうしてそう思った?」

「単に断りたいだけなら、他にいくらでも理由は作れる。 わざわざ他の女の話をしたのは、事実だからだ」

「諦めさせたくて、口からデマカセかも」

「本気で告白してきた相手に嘘付けるほど、器用じゃないだろ」


スラスラと根拠を述べる春人の姿に、夏月は頼もしさと寂しさを覚える。

どうやら弟は、気づかない内に随分と成長していたらしい。


「早く話しておけば良かったな。 悪い、隠すつもりもなかったんだが」

「そりゃそうだろうよ。 あれで隠してるつもりなら、モノホンの馬鹿だ」

「何?」


驚く夏月に対し、春人は机上の教材を指差す。


「『友達』と遊んできた日から、突然始めた点字の勉強」

「う゛」

「放心状態で帰ってきて自室で奇声上げてから、それまでやってた簿記2級を中断してまで方針変えて」

「……勘弁してくれ、自分の迂闊さはよく分かった」


弟の呆れたような視線に耐えかね、頭を抱える。


「お前と十倉さんはともかく、他の使用人は」

「半分以上は勘付いてたな。気づいてなかった連中も、最近変わったとは思ってたって」

「マジかー……」


――弟の成長より感じるべきは、自分の安直さであったらしい。

明日から使用人達とどんな顔で接すれば良いか分からず、天を見上げる。

生ぬるい空気の漂う部屋に、しばらく時計の針の音だけが響いた。


「目、見えないのか。 その人」

「……ああ」

「多分、僕は会ったことないよな。……UGNの人?」


春人の問う声に躊躇するような間を感じ、夏月は首を傾げる。


「そうだけど。 問題でもあるのか? 神城本社からお見合いの話でも?」

「そういう訳じゃない。 ……ただ」


否定する言葉にも力はなく、迷うように視線を逸らす。

二人しか居ない部屋を沈黙が支配する。


「なあ、影山」


放たれた言葉に夏月は驚き、姿勢を正す。

春人がその呼称で夏月を呼ぶ、ということは。

ここからは即ち、藤峰家当主として言葉を発する、ということだ。


「もしお前が本当に、その女性のことを大事に思ってるなら」

「出向じゃなく正式に、UGNに行ってもいいんだぞ」


――あまりにも予想外な提案に、心中を混乱が支配した。

困惑をどうにかおさめ、最初に覚えた感情を自覚、そして。


「余計なお世話だ、馬鹿野郎」


握りしめた拳を振り下ろす。 鈍い音が響いた。


「~~っ痛ってぇ! 何すんだよ馬鹿兄貴!」

「こっちの台詞だ。 そんなこと言って俺が怒らないと思ったのか、お前」

「……だって。 僕達のせいで、夏月に負担かけてるのは事実だし」


下を向いてバツが悪そうに呟く弟を見て、夏月は小さくため息をつく。

優しく育ってくれたのは良いことだが、まだまだ人心の掌握は甘いようだ。


「確かに、大変じゃないと言えば嘘になるよ。 執事とエージェントの両立はな」


執事業に関しては春人が考慮してくれるとはいえ、エージェントとしてはそうも行かない。

過酷さのあまり高校の出席率も進級ギリギリなのが現実だ。

……お陰で「低確率出現のレアモンスター」などと揶揄されているというのは、最近知ったことだが。


「だったら、やっぱり」

「それでも、だ」


春人の言葉を遮るように言葉を続ける。


「それでも、これは俺が選んだことで、俺の為の行動だ」

「……それは」


『自分の為』。 その言葉は、二人の間では何より重い言葉だった。


「楽とは言えないし、きついと思うことはある。 それでも」

「お前と、荘司様と、皆を置いてなんて……できるわけないだろ」

「家族を捨てた、なんて罪悪感持ちながら一生を過ごすなんて、死んでも御免だ」


夏月にとってそれは本心で、正直な気持ちだった。

例えどれだけ身が軽くなるとしても。

その選択で自分が幸せになれるとは、どうしても思えないのだ。


「お前は……そうかもしれないけど。 僕達だって」

「僕だって、お前の足かせになるのは嫌だ」

「お前、重荷に思ってるんじゃないのか。 僕達のことも……」


堰を切ったように放たれていた春人の言葉が、また止まる。

目に見える程の逡巡の末、意を決したように口にした、その一言は。


「契約の、ことも」

「……っ」


夏月の心を確かに揺らし、返答を詰らせる。

思わず握りしめた拳が、ギシリと響く。

『契約』。

藤峰春人と影山夏月にとって、その言葉が意味するものは一つしかない。


「分かってたよ。 お前が本当は、ずっと悩んでたことぐらい」


春人がぽつりぽつりと言葉を重ねる様は、あまりにも小さく頼りなく見えた。


「お前はずっと、父さんに憧れてた。 ……今だって」


まるで大罪人が、自らの罪を告白するように。



「僕だって……本当は、ずっと」

「父さんみたいになりたいって、思ってたから」



それはずっと二人が抱え続け、決して口にしてはならないと、ひた隠しにしてきた思いだった。

日付の変更を告げる時計の間抜けな音が、いやに冷たく聞こえた。


「なあ、春人」


夏月が重い沈黙を破ると、春人はキッと視線を向けてくる。

その目には覚えがあった。 つい先刻、十倉沙織に向けられた視線。

諦観と、覚悟が混じったもの。


「確かに俺は荘司様に憧れてるよ。 今でもな」


あっさりと認めた夏月に、春人は目を見開いた。

『父のようにはならない』。

誰かを守る闘いの果てに傷つき倒れた荘司の姿に、二人が出した結論だった。

だからこそ、二人はずっと父への憧れに蓋をしていた。

……決して消えないと分かっていながら、目をそらし続けていたのだ。


「荘司様への憧れは、きっと消えない。 それでも俺は、あの人のようにはならない」

「……そうなってはいけないって、契約だからか?」

「いいや」


春人の推測は間違っていない。

夏月にとって確かに、契約は重荷であり枷でもあった。

だが、重荷を背負うと決めた理由は、義務感などでは決してなく──


「そうありたいって、願いだからさ。 俺達のな」


その言葉は、とある少女の受け売りではあったが。

この生意気で優しい弟を驚かせるには、十分なものであったらしい。


「ある人が言ってたんだ。 俺たちの契約は、祝福だって」

「……祝福?」

「ああ。 ……そう思いたいだけかもって、彼女はそう言ってたけど」


──瞳を閉じて思い出す。 自分が見た光を。

傷だらけになりながら、聖剣を輝かせる男の姿。

自らの血で染まりながら、闘い続ける少女の姿。

鮮明に焼き付いて離れないその姿に、何よりも強く感じたのは憧れでなく──




「『誰かの為に傷つく人を、俺達は見過ごさない』」


───その光を、輝きを守りたい。 それが自分にとって、一番大事な願いだと。


「今は心からそうしたい、そうありたいって……思えるんだ」


あの日、彼女の瞳を背中に感じながら、確信を得た答えだった。




目を開けると、春人は呆然と口を開けていた。


「春人。 俺達は、荘司様にならないってだけじゃない」

「自分を犠牲にすることなく人を救う。 それは、あの方にもできなかったことだ」

「分かるか? 俺達は二人で、荘司様を……」


返答を待たず、夏月は口にする。  ──新たな誓いを。


「二人で親父を、超えるんだ」


それは、かつての夏月には決して口にできない言葉だった。

憧れることはできても、決して届くことはないと諦めていた男には。


「父さんを、超える……は、はは」


しばらく呆気にとられていた春人の口が、震えながら言葉を漏らす。


「とんでもなくハードル高いなあ……でも」

「無茶言ってるのは分かってるさ。でも」

『格好良いじゃん、それ』


異口同音に口に出し、春人はニヤリと笑う。

釣られて夏月も笑っていた。


「そろそろ寝るよ。 遅くに悪かったな」

「ああ、おやすみ。 明日は起こせないから、寝坊すんなよ」

「ガキ扱いすんなっての。 おやすみ」


立ち上がり、部屋を出ていく春人の足取りは軽い。

その背中は、昨日までよりほんの少し大きく見えた。


「さて、と」


明日は早朝から任務が入っている。 今日は早めに眠るとしよう。

机の上を片付け、部屋の灯りを消す。

ベッドに横になる前に、窓を開けて空を見上げる。

雲一つない空に、星と月が美しく輝いていた。


幼い頃、大人たちを困らせたことがある。

月なんて名前は嫌いだ。 あんなもの唯の石ころだ。

そう言ってぐずる自分を諭してくれたのは、養父だった。

月は陽の光を反射して、太陽の輝きの届かない夜を照らしているのだ、と。


今の自分がもしも、光を放つことができているのなら。

その光は父という太陽と、側に居てくれる弟や仲間たちから貰ったもの。

そして──


「いつか必ず、届けます。 貴女にも」


誰よりも美しい輝きをくれた星へ、誓いの言葉を口にする。

契約というには一方的な、子供じみた約束。

それでも夏月にとっては、大切な願いだった。









翌日。

そういえばもう告白はしたのか、と弟は問うた。

していないし今はする予定もない、と兄は答えた。

その日一日、自身の執事を執拗に蹴りつける藤峰家当主の姿があったが……

それは些末な余談であろう。

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