最期の愛鷹

きまぐれヒコーキ

第1話 最期の愛鷹

「膵臓ガン、ステージ4です。もって3ヶ月でしょう」


 向かいに座る白衣の男は告げる。


「はは、そうですか。俺の命も遂に潮時ですか」

 不思議なもんだ、焦りも悲しみもねェ。

 死ぬってのはこんなもんなんだな。


「弱気になってはなりません。治療に励み、余命を越え生きる方は沢山居られます」

「いや、別に弱気じゃねェですし、治療は要りません。思い残す事は殆どねェんで」

「近年は抗がん剤による苦痛は大幅に軽減されていますし、末期がん治癒ケースもあります。我々としては抗がん剤治療を強くお勧めいたします」

「偉いですな兄ちゃん。だが独り身の隠居ジジイ、それだけやって生き延びる意義もねェんですわ」

「…どうしても治療しないんですね、クギリさん…」


 俺の名ははクギリ。かつては鷹匠の端くれをやってた。

 弟子も家族も作らず好き勝手やってたら、天涯孤独になっちまったバカ爺だ。

 結局このまま独り死ぬらしいが、背負うものが無いってのは、ある意味気楽だ。


「ああ、俺は良いから、他の患者さんの世話をやっとくれ。俺は最期に、この地に来れただけで十分ですわ」

「そこまで言われたなら仕方が有りません。それもまた、病気との向き合い方の一つです。残された時間、この島の自然と動物、アニマルガールとの時間をお楽しみください」


 医者はしぶしぶ俺の生き方を受け入れたのか、優し気な声で言った。


「ようこそ、ジャパリパークへ」




「流石、世界一の動物園は違うな」


 俺はジャパリパークの鳥が多く生息するエリアを調べ、ゆっくりと廻った。

 しかし、本当にここは凄まじい場所だ。猛禽は大体分かるが、それ以外は俺でさえ見たことねェヤツばかりだった。天然記念物さえ腐るほど居やがる。そして何より_


「おじいさま、旅のようですね。このリョコウバトがご案内致しましょうか?」

「アニマルガール、フレンズか…しかも絶滅した動物の」


 初めて見るフレンズは、少女の可愛らしさと動物の美しさを身にまとっていた。

 もし自分に孫が居たらこれくらいの少女だろうか。


「いや、案内は要らんよ。なんせ目的地がねェからな」

「あら、それは楽しそうな旅ですね」

「ああ、最高だ。この年になってこんなに知らねェモンに囲まれるたァ思わんかった」

「フフっそうでしょう。道案内はできなくとも、道中のお話相手兼ガイドもできますよ」

「はっはっは、そうか。じゃあお願いしようかな」


 目の前のフレンズ、リョコウバトとやらはパーク各地を飛び回っているようで、場所の説明だけでなくフレンズ達の面白話も語った。孫の学校での出来事の話を聞く爺さんってのは、こんな気持ちなのだろうか。


「で…ハクビシンさんとニホンオオカミさんが…あれ、ここは…」

「ん、鳥小屋が有るな。リョコウバトさん、ここは一体…」

「ええ、ここはペットショップですね。でも、ちょっと怖い鳥さんが多くて…」

「怖い鳥…もしかして」


 もう手を引いたってのに、心の高鳴りが止まらない。これは断じて老いの動悸ではない。

 鳥小屋の中には立派な止まり木、ファルコンブロック、落下防止のマット、遊び道具。

 どれも腐るほど見慣れたものだった。

 そしてリョコウバトの「怖い鳥」という言葉。

 気づいたときには自動ドアの検知範囲に足を進めていた。


「リョコウバトさん、じゃあここが目的地ってことで。怖かったら案内終了でええ」

「あっはい、恐れ入りますが、それではこの辺で…」


 リョコウバトはそそくさと姿を消した。

 そりゃあ怖かろう。ここには生ける戦闘機が山ほど居るだろうからな。

 次に目に飛び込んできたのは、店内の様々な飼育用品とそれに囲まれた中年店主であった。

「いらっしゃいませ! 猛禽専門店ジャパラプタへようこそ!」


 動物園の中でこんな店が有ることに感心していると、店主が次第に目を見開く。


「…えっと、あの、もしかして鷹匠のクギリさんですか?」

「ん、ああ、そうだが」

「やはり! 写真でお見受けした姿そのものだ! 孤高の鷹匠様が引退してからここに来られようとは」

「いや、別に大したこたァしてねェよ。好きにやってただけだ」

「その純粋さをもって、数々の斬新な手法を取り入れられたのですね」


 確かにラジコン飛行機や加速度センサ、ジャイロセンサ、最近はGPSやドローンとかいうオモチャをバンバン試してたが、昔ながらのお堅い爺さん共は怪訝な顔をしてたな。しかし、たまにこう言ってくれるヤツが居るのは、悪い気はしない。


「いやぁ、ここジャパリパークってのは素晴らしい所でしてね、いっくらでも猛禽が居るんですよ。それに本土とは違って、どこで飛ばしてあげても良いんでね。うちの子達もそこら中飛び回れて幸せそうなんですよ」

「ああ、だろうな。そこのオナガハヤブサ、野生並に張りのある翼をしてやがる。飼育でそうそうできるもんじゃねェ」

「まぁ、ここは一帯が動物園なんで鷹狩はできないんですがね。それでも余りある環境ですよ。しかも今日は先生までお越しくださるとは! どうです、どの子かお迎えになられますか?」

「先生って、だから弟子は取ってねェっての。しかし、もう鳥を迎える気にはなんねェな。俺自身、この年になって天からのお迎えが近いもんで」

「はっは、そうですか」


 やっぱ鷹を飼ってるだけあって、話が合う。ちょいと話し込んでも良いか。

 

 そう思った時だった。店主の肩越しに見える孵卵器(鳥の卵を温めて孵す装置)が目に入ったのは。


「その孵卵器、稼働中か。何の鳥だ」

「ああ、これですね。実は…わからないんですよ」

「分からないって、そんなこと有るか? アンタ猛禽専門店店主だろ」

「いやー、これ、アフリカのブリーダーから貰ったんですけども…ソイツの言葉の訛りが強すぎて…何の鳥か分かんなかったんですよ」

「そうか、まあ、育てりゃ分かるだろう」


 どうも正体不明の卵に、自然と体が引き寄せられていく。


「大きさは、オオタカかハリスか…」

「ええ、でも」

「何か違うな? こりゃあ分からん」

「ですよねぇ…」


 食い入るように見てみたが、その卵が結局何か分からなかった。それも仕方がない。アフリカには山ほど猛禽が居て、その内鷹狩で使われないヤツだっていくらでも居る。


 その時だった。

 堅い殻に亀裂が入る音が響き、卵に亀裂が走る。


「あっ! 孵るぞ!」

「うわ、本当だ! よっしゃ!」


 いい年して俺と店主は声を挙げて喜ぶ。

 雛はゆっくり、ゆっくりと殻を破り、外の世界を目指す。

 時折顔が覗くのを見逃さぬよう、瞬きもできる限り我慢した。

 やがて顔が覗くころ、日はすっかり傾き赤く染まり、俺たちの目も瞬きのこらえ過ぎで赤くなっていた。

 ついには殻が完全に真っ二つになり、可愛らしい毛玉が転げ落ちる。


「おお、ついに生まれたか!」

「いやー、よく頑張ったなぁ!」


 ピィピィと鳴く新たな命。

 こんなもん見せられちゃあ、血が騒いで仕方がねェ。


「こんなもん見たら、また育てたくなっちまうな」

「へっへっへ、じゃあ飼っちゃいませんか? 実はうちの設備は満員でして、この子を育てるのは難しいんですよ。パークの飼育員さんに渡そうと思ってたんですが、先生なら信頼できますので」

「そうだったか。成程ねェ…」

「もしもこの子の方が先生より長生きしたならば、パークの方がしっかり引き受けてくれましょう」

「ハッ、言ってくれやがるな。分かった。コイツを俺の最後の鷹にしてやるか」

「へい! 一羽お買い上げありがとうございます!」


 あーあ、やっちまった。

 先長くない身で、命預かっちまった。

 だが、こんなに楽しい帰路は久しぶりだ。しょうがねェ、こうなったら_


「はい、こちらジャパリパーク医療センターです」

「昼間診療を受けたクギリというモンです。担当医に代わって頂けねェですか」

「あっはい、只今…もしもし、代わりました」

「おう、昼間の兄ちゃん。実はその、少し長生きせざるを得なくなったってか…」




 懸命の子育てにより、雛はスクスクと育った。

 やがて翼も揃い、かつて育てた相棒達を想起させる大きさになっていった。

 小屋の中での飛ぶ訓練、重りを持ち上げる等のトレーニングを経て、空を翔ける体が徐々に出来上がってゆく。


「そろそろ、大空飛びてェよな」


 俺は、遂に体が出来上がった鳥を広場に連れ出した。

 小屋の外、遥か高き蒼天の下で、重りやロープの束縛もない鳥は、真っ直ぐに空を見つめ、指示を待っている。


 結局、ある程度育ててもこの鳥の種類は分からなかった。

 俺自身、扱ったこともない鳥だった。だが生え変わりの時期に手に入れた羽根をパーク飼育員に渡した所、一日でDNA鑑定で答えを出しやがった。流石、変なロボット作ってる団体だけある。

 飼育員いわくその鳥の性質は素晴らしいらしいが、そこは腐っても鷹匠。

 百貫の鷹も放さねば知れぬ。

 鳥の本質は、飛ばしてみなきゃあ分かんねェ。


「見せてみろ。サハラの空の韋駄天、シロハラクマタカとやらの翼をよ!」


 鳥を載せた腕を前へ押し出す。

 その腕の加速を、鳥はしっかりと受け止めて自身の重心に伝える。

 互いの無意識のうちに、鷹匠の投げる力、鳥の飛ぶ力が絶え間なく最適に調整され、鳥の体は一瞬のうちに「速度」という高空へ翔け上がるためのパスポートを手に入れる。

 理想的な”羽合わせ”だ。


 腕が伸び切る時、既に鳥は青空に輝く黒い星と化していた。


「上々だ。力強いし、迅い」


 そう言いながらパーク職員に貰っている人工肉を高く放り投げる。


「本当は本物の肉がいいんだが、動物園で他の動物を食らって貰っちゃ困るからな」


 青空の下、狙いやすい位置に人工肉が舞う。


 全ては一瞬のうちに起こった。

 やがて黒い星は翼を畳み、真っ逆さまに落ちる。

 その姿は、地球上最速の翼、ハヤブサに迫り得るものだった。

 羽毛を纏う戦闘機の爪は、狂いなく人工肉を捉える。


 が、屈強な握力に人工肉の一部が千切れ、弾け飛ぶ。

 まずい、アレを追っちゃあ地面激突コースだ。


「やめろ、追うな!」


 それでも鳥は右足で肉片を掴みながら、もう片方の肉片を執拗に追う。

 やがて左足でその肉片を捉える。

 が、もはや地面は目前。絶体絶命だった。


 もうダメだ、コイツを一人前にする事が、俺の最後の仕事だったってのに。


 しかし次の瞬間、畳まれた翼が急展開される。

 先ほどまでハヤブサのようだった鋭い翼は、風切羽を目一杯広げ、機動力重視のオオタカの様相を呈する。

 風が翼にぶつかる鋭い音と共に、鳥の軌道は墜落コースを紙一重で外れる。

 電光石火で雑草を薙ぎ払いながら、再び体が浮かび上がる。

 その先には、今度は複数本の木々。

 しかし鳥はひるまず、減速もせず林に突っ込む。

 迫りくる幹を旋回でかわし、枝の隙間を軽い身のこなしですり抜ける。

 やがて林の木々を超える高さへと再び舞い上がり、悠々として凱旋を始める。

 その両足に、しっかりと肉を掴んだままで。


 シロハラクマタカ。

 ハヤブサに迫る急降下速度とオオタカの機動力、力強さを併せ持った、アフリカ大陸最小にして最速の熊鷹。


「分かった。よく分かった。お前はまごうことなきシロハラクマタカだ」


 ぐうの音も出ないフライトだった。

 俺は相棒が降りていく場所を向き、小走りで向かった。

 鳥は勝ち取った肉を食べ始める。約束通り、名を付けさせて頂こう。

シロハラクマタカ、その英名から。


「アイレス、それがお前の名だ。つまりはこれからもどうかよろしくな」


 名がついてからというもの、アイレスとの絆は更に堅くなった。

 俺はアイレスが他の鳥を狩らないよう、ドローンを用いて訓練した。

 最初のうちはいい勝負だったが、すぐに歯が立たなくなった。

 ドローンと空中戦をする鷹の噂はやがて知る人ぞ知る存在となり、世界中から腕に覚えのある操縦者が挑戦に来た。

 しかしそんな挑戦を受けるごとにアイレスは益々進化し、ラジコン飛行機やドローンのスクラップができるだけであった。正直申し訳ねェが、機材の無事は保証しねェとは言っておいたからな。

 だが強くなってもアイレスは俺の言いつけを護り、他の鳥や人を傷つけることは一切なかった。

 そんな日々を送ってると、1年と言われた余命何のその、気づけば3年も経っていた。


「医者をやっていると稀にこのような患者さんに出会うのですが、まあ奇跡でしょうね」


 検診を終えた医者が告げる。


「ガンの進行が遅い、投薬を考慮しても奇跡的です。あなたの生きたいという意思によるものとしか考えられません」

「まあ、愛鳥一羽置いて逝くのも嫌なんでね」


 アイレスを授かってすぐ投薬を決めたのが効いたか。

 あるいは本当に気持ちの問題か、まあどっちでもいいか。


 しかし現実もそう甘くはない。


「ただ、申し上げにくいのですが、進行が遅れたと言えど余命の3倍の時間が経っております。もはや今、余命は…ありません。今この瞬間、多臓器不全になっても何もおかしくありません」

「だろうな。手足の感覚も狂ってやがるし、激痛が走る。もうコイツなしじゃあショック死してるだろうよ」


 俺はポケットから震える手で取り出した注射器に目をやる。

 フェンタニル…末期がん患者に使用される最強の鎮痛剤。

 モルヒネの100倍、ヘロインの10倍の鎮痛効果を持つ、巷のドラッグも真っ青の代物だ。


「何度も言いますが、1本打ったら最低6時間はあけて下さい。それを守らなかった場合、命の保障はできかねます」

「ああ、分かってら。だが最近の医学ってのは凄ェな。死にぞこないのこの体で、まだ鷹を投げられんだからよ」

「…恐れ入りますが、そろそろペットの方をどうするか、考える必要が有ると思います」

「…ああ、だがアイツは餌を貰えば食べるし、ヒトや機械を怖がらねぇし、他の動物を襲うこともねェ。ここジャパリパークでなら、しっかり生きていけるさ」

「それなら良かったです。ただ、最後に飼い主としてペットにどう接するか、どう別れるか、決めておいでですか?」

「鳥ってのは、飛べば野生を思い出す。いつも通り腕から放って、後は呼び戻さなきゃあそれでお終いよ」

「…鷹匠のあなたが言うなら、そうなのでしょうね…」


 医者は、ボタンのついた手のひらに収まる大きさの棒をくれる。

「あ、何だこれは」

「遠隔救護要請システムです。簡単にいえば“どこでもナースコール”、みたいなものでしょうか。このボタンを押せばGPSデータがここに転送され、いつでもどこでも迅速に救急車両が向かいます」

「そりゃあ頼もしいこった。最悪でも即身仏にはならずに済みそうだな」

「可能な限りお命をお助けしたいのですが…」


 医師との会話を済ませ、医療センターを後にする。

 痛みを薬物で騙し続けた手足を動かし、真っ直ぐにアイレスのいる小屋へと歩く。

 いつものようにアイレスを腕に乗せ、散歩したり、飛ばしたり。

 末期がんに侵されながらも、不思議とアイレスの乗る腕の感覚だけは、不思議と衰えなかった。


 心なしか、アイレスの止まる位置が近い気がした。


「アイレス、今までありがとうな」


 別れの言葉を告げる。

 アイレスは、分かるはずのない人間の言葉を、澄んだ瞳で聞く。


「お前が居たから、人生最後のいい思い出ができた。これからはパークの皆と、幸せになれよ」


 そういってアイレスの乗る腕を振るう。

 幾本かの羽根が舞い、風と共に鳥は空へ翔け上がる。

 …最後まで美しい鷹だ。


「…じゃあな」


 俺はもう使うことのない呼び戻し用の笛をポケットの奥にしまい、いつもアイレスを飛ばしていた人気のない広場を後にする。



 視線を感じる。

 それが何者か分かり切っているが、振り返る。

 はるか遠くの木にとまった、一羽のシロハラクマタカがこちらを見ている。

 頭上に広がる大空を飛ぶことをやめ、自由になったはずの翼を畳み。

 笛を吹かない主の背を、ヒトの数倍鋭いと言われる瞳で見つめ続ける


「何でだ。バカヤロウ」


 俺は振り向くのをやめ、再び歩き出す。

 もう二度と振り返らない。

 次振り返ったら、笛を吹いてしまう。

 そしてそれは、アイツのためにもならない。


 やがて、アイレスが居た小屋の前にたどり着く。

 俺はポケットに入れていた笛を地面に落とし、踏みつぶす。

 その二度と相棒を呼べなくなった笛を、地面に埋める。

 こうでもしないと、吹いてしまいそうだった。

 何なんだ、俺は。

 背負うものが何も無いんじゃなかったのか。

 ずっと一人好きに生きて、好きに死ぬ、バカ爺じゃなかったのか。

 この期に及んで、何が悲しいんだ。クソが。




 それから1週間。

 あの別れた地へと赴いた。

 といっても、笛も餌も持たない俺の腕に、アイレスが返ってくることはない。

 アイツがきちんと定着したことを確かめ、帰る。それだけだ。


「これが、本当に最後の仕事かもな」


 愛鷹を失った体は、急速に衰えていた。

 こうして少し歩いただけで、動機と息切れが襲う。

 ガンと投薬により常に痺れている右腕は、愛鳥ではなく杖を握っていた。

 今までアイレスを連れて動けたのは、抗がん剤だけによるものではなかったってか。

 だが、アイツの無事だけでも確認しねェと…地獄にも行けねェ。


 その時、風とは違う梢の音が聞こえる。


「…鳥か?」


 木々の間をすり抜け、高速で接近する影が一つ。


 アイレス、笛も吹いてねェんだぞ…いい加減親離れをしてくれよ…


 …羽音がねェ。


 何だ…これ…鳥じゃねェ。


 やがて眼の前に姿を現したのは_

 色鮮やかに彩られ、身の丈ほどある原始的な体と腕を持ち、

 不気味な目をぎらつかせ、

 翼も持たず浮遊する化け物だった。


「なっ、セ、セルリアンだと!!?」


 俺はその化け物の存在を知っていた。医療センターのヤツらに教わっていたのだ。

 それはフレンズと対を為すもの。

 それは全く未知の物理によって活動していること。

 そして、生身の人間や動物はもちろん、現代兵器でも太刀打ちが難しいこと。


 目の前のセルリアンはどうやら考え無しに暴れているらしかった。

 鞭のような腕で当たりの木々を痛めつけながら、セルリアンは俺に迫る。


 やがてその凶悪な腕が、こちらへ伸びる。

「終わった」

 思わず目をつむる。

 森林に、鋭い打撃音が響く。


「…ッ」


 体には、痛み一つなかった。

 恐る恐る目を開けると、そこには_

 弾き飛ばされたセルリアンの腕と_

 かつての頼もしい相棒の羽根が舞っていた


「なッ!?」


 アイレスは急襲の勢いを全く失うことなく、今度はセルリアン本体に照準を合わせる。


「やめろアイレス! ソイツにゃ関わっちゃならんといつも言ってんだろうが!!!」


 それはアイレスが主の言いつけを破った、最初で最後のことだった。

 高速の翼はセルリアンへと迫り、

 やがて必殺の一撃が_


 アイレスの腹を横から薙いだ。


 今まで聞いたこともないような悲鳴を発し、アイレスは近くの木に叩きつけられる。

 それはもはや鳥の鳴き声ではなく、

 物が壊れる音といったほうが近かった。


「アイレス!!!!!」


 何ということだ。

 ぐったりと横たわるアイレスへと、化け物はゆっくり、ゆっくりと迫る。

 目障りなハエを確実に殺すためであろうか。

 ふざけんな。

 その鳥は、壊れかけの俺とは違うんだぞ。

 未来が、まだ全うすべき時間が、有り余ってんだぞ。


「テンメェ…やめやがれェェェ!!」


 腕に医者に貰ったフェンタニルを注ぎ込む。

 一時的に、ありとあらゆる苦痛が抜け落ちる。

 無我夢中で駆け寄り、最後の力を振り絞って持っていた杖でセルリアンの腕を薙ぎ払う。


「クソが! こんな体、もう壊れちまっても惜しくねェんだよ!!」


 そう言い捨てながら、空になった注射器を投げ捨てた。

 セルリアンの腕が弾かれている刹那の間に、横たわるアイレスの体を見た。

 アイレスは俺の方向へ、息も絶え絶えに顔を向ける。


「…脳は無事か。だが…」


 攻撃が当たった部分のアイレスの羽根はボロボロになり、血がにじんでいた。

 アイレスの呼吸は不規則で荒々しく、異様な掠れ音も混じっていた。

 そして傷から下半身側が、まるで飾り物のように全く動いていなかった。


「脊椎、肺、やられたか…」


 それは、鳥の未来が奪われたこととほぼ同じ意味だった。

 唖然としていると、怒り狂ったセルリアンの目が睨みつけていた。

 逆上したセルリアンの腕は左肩を強打する。

 痛ってェ。

 フェンタニルですら止められぬ激痛が走る左腕に、もはや力を入れることもままならなかった。

 もう何をやっても無駄だ。あきらめよう。


 そう思っただろう。

 俺がもしまだ若かったら、病に侵されていなかったなら…!!


 なってやろうじゃねェか。

 ゾンビでも修羅にでも。

 今なら。


「だからよォ、壊れちまっても惜しくねェ体っつっただろうがよ」


 肩が砕け、力なくぶら下がる左腕に注射器を刺す。

 それも5本。

 致死量を超えた、薬物乱用の域だ。

 生憎、お縄にかかる前に三途の川の向こうへ逃げきれそうだがな。


 壊れかけのおもちゃみてェな動きしかできねェまま、セルリアンに駆け寄る。

 そんな体の片腕での反撃にセルリアンがひるむはずもない。

 さらにセルリアンの攻撃なんざ防げるわけもなく体に叩きこまれる。


 しかし俺にはフェンタニルがある。

 今なら骨格が砕け、臓器が裂けることも、何も怖くない。


「うちの可愛い子に手ェ出しやがって…俺は地獄に落ちてやる、テメェを道連れになァ!!」


 とにかく、コイツの注意を引く。

 サンドバックだろうが何だろうが構わねェ。

 ジャパリパークの医療技術なら、トドメさえ刺されなければ、もしかしたらアイレスは。

 後遺症が残っても、ここの飼育員なら信用できる。

 さあセルリアン、俺は痛み苦しみじゃあ止まらねェ。よってショック死もしねェ。

 心臓止めるか、完全にバラバラにでもしてみやがれ。


 しかし、やがて足は体重を支えられなくなり、体は地面に付す。

 視界はちらつき、下に茂る草が紅く染まる。


 薄れゆく意識の中で、俺は確かに見た。


 瀕死の愛鳥が横たわっていた場所から、眩い七色の光が溢れるのを。


 記憶が途切れる瞬間聴いた音は、鷹のような、少女のような叫び声だった。




 どれだけの時間がたっただろうか。

 目をゆっくりと開ける。

 体には千切れた草がまとわりつき、辺りには自分の血糊が散らばっている。

 首から下は血だるまで関節という間接があらぬ方向を向いており、感覚は全くなく、生首になった気分だった。

 しかし、首で脈打つ血潮だけは、異様にはっきりと感じた。

「ハハ…まだ生きてやがったか…」


 辺りは先ほどまでの騒動が嘘のように静まり返っていた。


 セルリアンは、アイレスは、


 そう、思った時だった。

 背後から羽音が聞こえてきた。

 タカの力強さ、ハヤブサの鋭さ、それらを兼ね備えた頼もしい羽音。

 それは紛れもなくシロハラクマタカ、アイレスだ。

 その羽音は後頭部のすぐそばまで迫り、背後に降り立つ。


「ゴメンよ…ゴメンよ…相棒…」


 それは、少女の声だった。

 何だ、何事だ。

 ボロボロの体を無理やり転がして後ろを見る。

 そのスラっとした少女の黒と白に彩られた服と立ち姿は、

 凛としながらも愛情の籠った瞳は、

 少し低くも透き通った声は、

 どことなく愛鳥の面影を。


「オメェ、喋って…そうか、フレンズ…オメェ、とうとうなっちまったか、ハッハッハ…」


 先短い鷹匠に、サンドスターは最後の奇跡をささげたのか。

 力なく笑う俺を、アイレスは今にも泣きそうな眼差しで見守る。


「相棒、キミは僕が失敗した時も、ふてくされた時も、いつも穏やかに受け入れてくれたよね。この前置き去りにされた時、キミが呼ぶのをずっと待ってた。あの時は悲しかったよ。でも、また来てくれて、本当に嬉しくて。でも、そんな君がアイツらに襲われて、関わっちゃダメだって分かってたけど、体が勝手に…ゴメンね、ボクのせいで、キミはこんなにボロボロに…」


 そうか。

 言葉は通じなくとも、育ててた時の気持ちだけはおおよそ伝わってたか。

 ってか、何謝ってやがる。

 お前の未来を奪いかけたのは、勝手に襲われて成仏すりゃ良かった筈のこの俺だ。


「気にすんな。むしろ謝んのは勝手にセルリアンに襲われたこのクソジジイだ」

「心配で来てくれたんだろう、相棒は何も悪くないよ。さあ、早く怪我を治そう。さっきのアイツは倒したよ。これからはアイツらが相手でもキミを守れる。また一緒に暮らそうよ」


 本当に、本当に、この鳥ってヤツは。

 ずっと一人で好き勝手生きてきた俺に、何でそんなことを言ってくれるんだ。

 疲れてんのに飛ばしやがって、とか。

 ドローンなんかと戦わせやがって、とか。

 憎まれ口叩いていいんだぞ。

 そんなこと、言われたら、


 まだ、生きたくなっちゃうじゃないか。。。


 でも。


「アイレス、残念だが、そりゃ無理だ」

「え…どうしてだい? こうしてまた会えたのに…この姿は気に入らないのかい…?」


アイレスは俺のやせ細った腕を握る。

その瞬間、アイレスは何かに気付いたような表情を浮かべた。


「いいか、アイレス。俺、いや、生き物ってのは皆いつか死ぬんだ。動くことも、話す事もできなくなる、絶対のお別れってのがあんだよ」


アイレスは目に悲しみを溜めながらも、死にかけの俺の声に耳を傾ける。


「そして、俺にその時が来た。オメェが生まれた時から、俺の死が近いことは分かってたんだ。アイレス、オメェはこれから俺の手から離れて生きなきゃなんねェ。一人で生きる力は、今までに俺が叩き込んでやった。なぁに、オメェは優しくて、賢い子だ。フレンズになれたってんなら、友達100人間違いなしだ」


 アイレスは口を固く閉ざしたままだ。その凛とした視線はこの世を去り行く俺を見つめ、腕を握る力は強くなる。


「…アイレス、理解できねェよな、こんな事急に言われてもな。もっと早く、お前と話せていれば…」


「…やっぱり、そうだったんだね」


 アイレスが口を開く。その透き通った瞳から、大粒の露がこぼれ落ちる。


「キミの腕、握るとき、いつも、感じてた。トクン、トクンって、脈打つ感じ。でも、最近、どんどん弱、なって…今なんて、今にも、消え…しまいそうで、キミは…」


 凛として落ちついていたアイレスの声は上ずり、嗚咽が言葉を遮る。

 それでもアイレスは口を動かした。


「キミは、居なくなってしまうんだろう? だからボ、ボクは、本当にこれから、一人で生きなきゃ、いけないんだろう? だからキミは、ボクを置いていったんだね…?」


 アイレスは知っていた。

 ヒトの腕に、脈動があることも。

 俺のそれが最近どんどん弱くなっていることも。

 そしてそれが止まった時、俺が消えるかもしれない事を。

 逞しくも精密な猛禽の足は、グローブの上からでも生命力の変化を繊細に感じ取っていたというのか。


「ハッ、ペットが飼い主の死期を悟るなんてこと、本当に有んだな…」


 ホント、世の中デタラメだ。良い意味で。

 ここまで来たら、遺言残しとくか。


「空よ、ジャパリパークよ、聞いてくれ」

「俺の最期の鷹がよ、天下無双の逸物だった。俺は最高の幸せ者だ」

「アイレスを、頼む」


 最期の力を振り絞り、涙に濡れたアイレスの顔へと体を向けた。


「お察しの通り、オメェのこの先の人生にゃ俺はいねェ。ただの冷たい肉になっちまった俺を、どうか見ねェでくれ」


 いい大人のくせに、涙が止まらない。

 ポケットに入っていたナースコールをかろうじて取り出し、強く握った。

 力強い作動バイブレーションがクギリの手を振るわせる。


「これで、死んだ後の俺は医者の奴らが何とかしてくれる」

「アイレス、最期の指示だ。俺の方を二度と振り返ることなく、好きに生きろ」


 アイレスは俯き、奥歯を噛みしめる。


 その時だった。


 首を脈打つ血潮が止まった。


 たちまち視界が薄らぎ始める。


 俺の腕を握るアイレスの最後に見た顔は、驚きと悲しみで満たされていた。


 残り少ない感覚が崩れ落ちていく中、アイレスの足音が自分から遠のくのを感じる。


 ゆっくりと、ゆっくりと、距離は開く。

 そうだ、それでいい。

 そう思った時だった。


「嫌だ! 嫌だああああああああああああああああああ!」


 突然、アイレスの叫びがこだまする。


「キミがいない世界なんて…考えられる訳ないよ!!」


 その声は、俺に背を向け放っている響き方だった。


「キミの腕はフラつかずいつも安心して乗っていられて、おいしい物をくれて…何か上手くできた時は自分の事のように喜んで褒めてくれて、失敗しても優しく慰めてくれて…」


「キミの笑顔があったから頑張って来れたんだ!! 何でキミが死ななきゃいけないんだ!! せっかく…せっかくキミを護れる力を手に入れたのに…!!」


 それは、アイレスが俺に告げる、最初で最後の本音だった。


「相棒…いや、クギリ…」

「今まで…ありがとう…!!」


 アイレスの飛び去る音は、動物だったころよりも更に速い速度で、風と共に森林の影に消えていった。


 最近の若ェのは、一言、多いんだよ、バカ。


 もう、何の音も聞こえない。



 誰かさんが、振り返った、ような、視線も、感じ、ない。




 あ あ  、   よ    か     っ

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