キールブルク防衛戦④
魔法陣を描こうとして、シャロンはその途中で止めた。
転移術で脱出したまではよかった。ベルティも無事だったし、ヴァイマーも港に控えていた救護部隊に預けられた。
そうして今度こそヴィレッサの援護へ向かおうとした矢先だ。
巨大な波とともに軍艦が迫ってきた。
いったい、何が起こっているのか? 魔人は倒したのではなかったのか?
もう一人のアレは、まだ戦いは続いて、ともかくもあの子を助けに―――。
困惑に囚われかかったシャロンだが、立ち尽くせば命を失うだけだと承知していた。
「全員、身を守りなさい!」
大声で告げると同時に、シャロンは複雑な魔法陣を空中に描き出す。
身を守るための防護術式、ではない。
さすがに軍艦の突撃を押し留めるのは難しいと判断した。それよりは、正反対の攻撃術式、徹底的な破壊で迎え撃つ方が幾分か楽に思えた。
シャロンはひとつ息を吐く。多重構造の術式に膨大な魔力を注ぎ込んでいく。
「―――神腕の如く、貫き砕け! 暴嵐破城槌
ストゥルム・バルム
!」
青白い光が散り、風が渦を巻く。さながら大気が槍と化したかのように、迫り来る軍艦へ叩きつけられた。
落雷にも似た衝撃音を轟かせながら、頑丈な船体を割り砕く。
「おお、さすがはシャロン殿。お見事でござる!」
ベルティの賞讃に続いて、大勢の兵士たちが感嘆の声を上げる。
巨大な衝撃の槍で粉砕された軍艦は、ばらばらと破片を降らせる。中には大きな鉄片なども混じっていたが、事前に身構えていた兵士たちにはさしたる被害は出ない。
ただし、軍艦の破片に関しては、だ。
「なっ……魔獣ですって!?」
目を見開いたシャロンの頭上から、子牛ほどもある蟹型の魔獣が落下してきた。そちらは隣にいたベルティに斬り伏せられたが、次々と魔獣が現れる。
毒吐蟹
サデュスグラブ
、雷衝海老
ドナスブシュラブ
、鋸笠子
サウラーデ
、吸血深藻
プラムスグラム
―――。
どれも海に棲む魔獣ばかりだ。中型や大型、並の兵士では対処に困るような個体も混じっている。しかも数が多い。ざっと目につくだけでも百体以上が、港に限らず、街のあちこちへと降り注いでいく。
「船に詰め込んでた……? でも、これほどの魔獣をどうやって?」
「恐らくは『不沈扇』を使ったのでござろう。以前、海の魔獣が増えた際にも、一箇所に集めて討伐していたでござる」
腰から細剣を抜きながら、シャロンは眉を顰める。
結果論だが、街へ被害を及ぼす手伝いをしてしまった。他の魔術を使っていれば、少なくとも居住区まで被害を及ぼすのは避けられたかも知れない。
「まだ屋敷にはルヴィスもいるのに……」
「心配ござらん。キールブルクの兵は優秀でござるよ」
ベルティが言った通り、不意の魔獣襲来にも、兵士たちは冷静に対処していた。陣形を保ったまま、弱い魔獣にも必ず複数名で当たっている。
それに、専門家による援軍もあった。
「おお、こりゃあ予想以上に稼げそうじゃねえか!」
「まさかって感じだけど、街に残ってて正解だったなあ」
「はしゃぐな。戦争中での狩りなど、さすがに初めてなのだぞ」
兵士たちとは違う、バラバラの装備に身を包んだ一団が、港の入り口に集まっていた。ほんの数十名の集団だが、目につく端から魔獣を屠っていく。
「討伐士? どうして、こんなところに?」
疑問を呟いたシャロンの目に、見慣れた二人の姿が飛び込んできた。
その二人もシャロンを見つけると、乱戦を抜けて駆け寄ってくる。
「ロナ、マーヤ! ルヴィスの護衛はどうしたの!?」
「そのルヴィスちゃんに頼まれてきたニャ」
ロナの説明は簡潔に過ぎた。いくら頼まれたからといっても、護衛対象から離れるのは真っ当な判断とは思えない。
どういうことか、とシャロンは眉を吊り上げる。
「えっと、討伐士に声を掛けたニャ。それで……」
「相手が『不沈扇』を扱えるなら、海の魔獣を兵士代わりにするかも知れないと、ルヴィス様が予測されたんです。ですので、こうして対処を。屋敷にも何名か向かわせたので、護衛の代わりも務めてもらっています」
マーヤの説明は分かり易かった。
ひとまず納得できたシャロンだが、それにしても、と溜め息を落とす。
「そこまで予測してるなんて……あの子は、本当に末恐ろしいわね」
「さすがに船が飛んでくるとまでは、考えてなかったみたいですけど」
だけど、とマーヤは眼鏡を上げ直す。
言い淀んだところから察するに、あまり気乗りはしないらしい。
「もうひとつ頼まれてるんです。水上での戦いなら、援護があった方がいいだろうって」
マーヤは海上へと目を移す。
傾き揺れる軍艦から、断続的な銃声が響いてきていた。
引き金が弾かれる。魔弾が放たれる。
一直線に空中を貫いた魔弾は、幼い体の中心部へ撃ち込まれた。
愕然と目を見開いたヴィレッサは、一歩、二歩とよろめく。
咄嗟に身を躱すのも忘れていた。戦場にいることすら頭から抜け落ちてしまった。それほどに、自分に魔導銃が向けられるという事態は受け入れ難かった。
しかし、魔弾の威力はヴィレッサが誰よりも承知している。
撃たれて無事で済むはずがない。幼い体では、一撃で間違いなく致命傷だ。
だから、そこで終わりだった。
「……無傷?」
ぺたぺたと、小さな手で自身の胸を触る。
幼い体は傷ひとつ付いていない。真っ赤な外套も綺麗な艶を保っている。
『肯定。どうやら粗悪な模造品のようです。敵の魔弾には、無効化魔素による被膜加工がされていません』
「ん? ってことは……」
『はい。通常の魔術と同様、マスターには効きません』
冷静な声で告げられて―――驚くのは、そこで終わった。
ガチリと奥歯を噛み鳴らすと、ヴィレッサは魔導銃を掲げなおす。
「くだらねえ真似しやがって! テメエはもう、挽肉にしても許さねえ!」
『同意します。この世から完全に消滅させるべきと進言します』
珍しく、魔導銃の声にも感情的な色が混じった。
しかしその銃口が向けられた先では、ディリムスが不敵な笑みを浮かべていた。
「早々にカタがつくと思ったんですがね。こちらの魔導銃は喋りもしないし、私の意志では変形も不可能なようです。『複製之手甲』も、まだまだ未完成らしい」
「ゴチャゴチャと! 余裕ぶってんじゃねえ!」
引き金を弾き、連続して魔弾を放つ。
二丁一対の速射形態は、『万魔流転』の基本形とも言える。幼女の手でも扱いが簡単で、文字通りの速射能力に優れ、不安定な足場でも照準が定め易い。
人間に対するなら破壊力も充分で、汎用性にも長けている。
だが、敵は魔人だ。
「事実、余裕なんですよ。その魔導遺物の特性は理解しました」
魔弾が放たれる直前、ディリムスは腕を振り払った。『不沈扇』を複製した手甲が光を放つ。引き寄せられた水流が壁となり、魔弾に対する盾となった。
「高い破壊力に、最初こそ驚かされました。ですが、直線的で単純な破壊に過ぎません。身代わりにする壁なら、この通りにいくらでも用意できます」
「亀みてえに篭もりやがって! 偉そうに笑ってんじゃねえ!」
水壁で魔弾が防がれるのは、先程、ヴィレッサも学習していた。
最も確実な対処方法は、マルゴゥヌを仕留めた狙撃形態を使うことだろう。長大な銃口から放たれる破砕徹甲弾は、水壁など物ともせずに貫いていく。ただし、連射が利かず、動く標的には狙いを定め難いという欠点もある。
正面から対峙した状況で、ディリムスが大人しくしているとは思えない。けれど先程とは違って、味方を巻き込む恐れもない。
だからヴィレッサは、貫くよりも、破壊を選択した。
「粉微塵にしてやる! ディード!」
『了解。しかし掃射形態では、敵に痛みを感じる暇も与えられません。ご注意を』
「はっ、注意する相手を間違ってるぜ」
それに―――と、鋭利な眼光を飛ばす。
「殺すだけだ。痛めつける趣味はねえ、そう言ったはずだぜ?」
ひとつ息を吐く間に、魔導銃の変形は完了する。三×三連装の掃射形態へと。
見るからに重圧感のある武器を向けられて、ディリムスも僅かに眉を揺らした。
「複数の銃口……なるほど、こいつは厄介そうですね」
呟くと同時に、ディリムスは甲板を蹴る。
ヴィレッサも引き金を弾いていて、瞬く間に水壁を穿ち崩していく。
瞬きする間に数十発、一呼吸する間に数百発の魔弾が放たれるのだ。掃射形態の強みは単純な破壊力よりも、広範囲の殺戮空間
キルゾーン
を作り出せることだ。銃口をちょいと横へずらすだけで命を砕ける。まるで巨人が剣を薙ぎ払うように。
だがディリムスも、黙って薙ぎ払われはしなかった。一段と分厚い水流を操り、自身を守る壁とする。それでも無数の魔弾には耐えられない、が、
「一瞬でも間が作れれば充分です。完全に防げなくても、対策は打てます」
いくらでも再生する水流は、ほんの一瞬、弾雨の圧力に抗ってみせた。
その間にディリムスは射線から逃れる。
さらには、激しい横波がディリムス自身を呑み込んだ。
「野郎、海に逃げるつもりか!」
『マスター、回避を』
引き金から手を離さぬまま、ヴィレッサはその場を飛び退く。
ディリムスが狙ったのは逃亡だけではなかった。海原へ身を投じながら、ヴィレッサにも水流を浴びせ、呑み込もうとする。
船上での戦いだ。当然、ヴィレッサも警戒は怠っていなかった。
飛び退いたのは、空中へ身を移すためだ。魔力を固めて足場を作る。そこには跳躍してきた黒馬もいて、ヴィレッサは再び馬上に身を預けた。
軍艦ごと呑み込もうと襲ってきた水流だが、その高さは、これまで見た限りでは建物数階分までしかない。地上にいるしかない者にとっては脅威だが、空中を駆けられるヴィレッサにとっては違う。黒馬の脚力もあれば、咄嗟の回避も可能だった。
空中を駆けながら、掃射形態による銃撃も続ける。けれどさすがに、狙いが甘くなるのは避けられなかった。
「くそっ! 完全に潜りやがったか」
『魔人といえど呼吸は必要と推測できます。浮上してくるのを待ちますか?』
海の深くまで潜られては、掃射形態の破壊力でも打撃を与えるのは難しい。けれど待つというのも、ヴィレッサが好む選択肢ではなかった。
舌打ちする間だけの思考時間を置いて、いいや、とヴィレッサは首を振る。
「距離を置いたのは失敗だって教えてやる。全部まとめて吹っ飛ばせ」
『了解。砲撃形態へと移行します』
心なしか弾んだ声とともに、魔導銃が変形する。
これまでは街への攻撃を抑える意味もあって、ヴィレッサは相手に姿を晒していた。しかし距離を置いてこそ、魔導銃の本領は発揮される。
防御不可能かつ狂気的なまでの破壊を、存分に振り撒けるのだ。
ただしそれは、『不沈扇』にとっても同様だった。
「……? 海が……アイツが、何かやったのか?」
『海流の動きが異常です。警戒を―――』
機械的な声を掻き消して、轟音とともに水色の柱が屹立する。竜巻を逆さまにしたような水の柱は、天空まで届くほどに高く噴き上がり、ヴィレッサを見下ろした。
そのまま呻るような音を響かせ、巨大水柱が倒れ込む。
「っ……デカいだけで勝ち誇るんじゃねえ!」
ヴィレッサは銃口を向け、砲撃を放つ。
空中にいたのが仇となった。限られた足場では黒馬の速度も落ちる。回避は間に合わず、迎撃するしかなかった。
完全な充填をした砲撃形態ならば、辺り一帯の海原ごと消滅させられただろう。けれど咄嗟の反撃では、水柱の一部を吹き飛ばすのが精一杯だった。『不沈扇』による水流制御も一部のみは打ち消したが、すでに存在する水量自体は変わらない。
単純な、暴力的な質量に対して、幼女の体では抗う術もなく―――、
「ぁ……―――」
可憐な声も、波に包まれて消えていった。
暴威を振るう水流が重く圧し掛かる。手足も満足に動かせない。
光すらも歪んで、暗闇しか見えず、何処までも深くへと沈み込んでいきそうだった。
独りきりなら、そうなっていたかも知れない。
けれどヴィレッサの手は、魔導銃を強く握り締めていた。
『耐圧および、耐水機構を起動します』
機械的な声で告げられると同時に、『赤狼之加護』が変形する。
真っ赤な布地が、ヴィレッサの口と鼻を柔らかく包んだ。視界も半透明の膜で覆われて保護される。水に濡れた不快感もなかった。
『地上と同じとはいきませんが、水中での活動も可能なはずです。呼吸の問題はありませんか?』
「ああ……」
漂うままに手足を脱力させながら、ヴィレッサはぼんやりと周囲を窺う。
黒馬の姿が見当たらない。一緒に水流に呑み込まれたはずなのに、どうやらはぐれてしまったらしい。
きっと無事だろう、とヴィレッサは口元を捻じ曲げる。
不安はない。ただ、苛立ちが胸で渦を巻く。
「なんで……」
どうして、こんな事態になったのか?
黒馬のことだけじゃない。ベルティやシャロン、ルヴィス、ロナとマーヤ、街に住んでいる誰も彼も、昨日までは平穏に暮らしていた。
なのにいま、暴威に晒されて、ヴィレッサも深い海底へ引き込まれようとしている。
村を焼かれた時もそうだった。誰も悪いことなんてしていなかった。
暴力は突然に、何の理由もなくやってきて、なにもかもを奪おうとする。
本当に? 理由もなく? いや、違う―――。
「……あたしが、弱いから、か……」
両手に握った魔導銃を、コツン、と額に当てる。
静かな夜に告げられた、願いにも似た言葉が思い出された。
―――不要な血が流れるのを止める、そのために我々は創造されたのです―――
魔導遺物のような強大な力は争いの種になる。
それは一面の真実だろう。
けれどすべての魔導遺物は、後世の人々を守るために創造された。
魔力が溢れるこの世界は、人が繁栄するには困難がとても多い。あちこちで魔獣は牙を剥き、魔力による災害も起こり、果てには魔人といった脅威も現れる。
そういった困難に抗うために、魔導遺物の多くは武器となる性質を備えている。
人間同士の争いに使われるとしても、いずれ正しい道へ向かえば、なんて―――。
所詮は机上の空論でしかなかった。
大きな力は弱者を蹂躙する。より大きな力を巡って争いも起こる。
だからこそ、ヴィレッサが魔導銃を手にすることにもなった。
それでも目指すところが間違っていたとは思えない。
ただ、足りなかっただけ。
自分の手に握られた相棒への信頼が、足りなかった。
たとえ殺すしかない力でも、誰かを守れるのだと。
「戦いは嫌いだ、けど」
望めるなら、平穏な時間だけを過ごしていたい。
血を見て笑う姿なんて、シャロン先生やルヴィスには隠しておきたい。
だけど、もっと大切なことがある。
大切な人が笑って暮らしていけるなら、自分はどれだけ恐怖を振り撒いても構わない。
「……ちょっと、甘えすぎてたみたいだな」
呟いて、ヴィレッサは口元を吊り上げた。
凄惨に。壮絶に。狂気を溢れさせるように、三日月型の笑みを浮かべる。
「もう、子供の時間は終わりだ」
一切合切、なにもかもを片付けて、誰も彼もに見せつけてやる!
どれだけ魔人が抗おうと、どんな魔導遺物を持ってこようと、すべてが無駄だと思い知らせてやる! そのためには溺れている暇なんてあるものか!
「やるぞ、ディード。まずは魔人国だ。国ごと消し去って、あたしの名を刻んでやる」
『……了解。私のすべては、マスターのために存在します』
「妙な気を遣う必要はねえぞ。これは、あたしの決断だ」
それに、と軽快な声で続ける。
「背中を押してくれる物好きもいるみてえだしな」
ヴィレッサは首を回すと、水流の奥を見つめた。
随分と深くまで引き込まれたようで、光も届き難くなっている。けれどその緑色の影は特徴的で、近づいてくると姿もはっきりと確認できた。
滑らかな鱗に覆われた体は黒馬よりも太い。それでいて長く、自在に捻じれる全身は、軍艦にさえ巻きついて圧し潰せるだろう。
突然に現れた水竜だが、脅威でないのはすぐに分かった。
「やっぱりいたニャ! ボス大発見ニャ!」
「本当に匂いで見つけたわね。今回ばかりは感心するわ」
召喚獣である水竜の背には、ロナとマーヤがしがみついていた。
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