キールブルク防衛戦③


 正々堂々の一騎打ち―――。

 ベルティとしては望むところだが、残念ながらそうはならなかった。

 襲い来る水柱を避け、マルゴゥヌへ肉迫し、刀を振り下ろした。けれど刃の交錯は一度きりで終わった。

 横合いから、炎弾が撃ち込まれたから。

 人の頭ほどもある炎弾が数発、ベルティを囲もうとしていた水柱を消し飛ばした。さらにはマルゴゥヌにも襲い掛かり、退かせる。


「そこまでよ。ベルティ様、ひとまず撤退を!」


 続け様に魔術を発動させながらシャロンが叫ぶ。その背には、助け出したヴァイマーを担いでいた。


「し、しかし、敵を前にして……」


「いまはヴァイマー様を救うことを考えて!」


 強い口調を投げたシャロンだが、その美しい顔を歪めてもいた。

 ちらりと、斜め上空へ視線を送る。

 この場を退くのは、シャロンにとっても苦渋の決断だった。正直なところ、ヴァイマーを置いてでも戦いを続けたい。自分の手で一切合切の決着をつけてしまいたい。

 そうすれば、自分の娘を戦わせずに済むのだから。

 ましてや戦場に一人で置き去りにするなど、一時でも承服し難い。

 けれどヴィレッサが望んでいる。もはや誰一人として犠牲にはしない、と。


「くっ……承知仕った」


 退くために甲板を蹴ったベルティを、シャロンが障壁を張って援護する。

 そこまでは予定通りの行動だった。


「なによぅ、ここまでやって撤退? 取り返すんじゃなかったのぉ?」


 マルゴゥヌが嘲笑混じりの声を投げる。

 ただの挑発だったならば、ベルティも聞き流していただろう。


「え……?」


 けれどベルティは唖然として目を見開く。足も止めてしまった。

 何故なら、マルゴゥヌの手にあったそれを見過ごせなかったから。腰に下げていた革袋から取り出され、掲げられたのは―――本物の魔導遺物、『不沈扇』だ。

 すでに複製を持つマルゴゥヌには無用の物なのかも知れない。

 しかしベルティや、キールブルクの街にとっては違う。『不沈扇』の奪還は、ある意味ではヴァイマーの救出以上に優先される。


「もしかして、ワタシを死体にしてから取り返そうと思ってたのかしら? でもぉ、その必要はないわ、よ!」


 悪辣な笑みを浮かべたマルゴゥヌは、『不沈扇』を放り投げた。

 海原へ向けて、銀色の輝きが曲線を描く。ベルティは追わずにはいられない。

 理屈ではない。『不沈扇』はベルティにとって、憧れの象徴、何物にも替え難い宝なのだ。それが放り捨てられるなど、けっして見過ごせるものではなかった。


「っ、ダメよ、ベルティ様……!」


 呼び止めるよりも援護するべきか? 一瞬迷ったシャロンだったが、どちらも許されなかった。足下の海原が噴き上がり、シャロンを呑み込もうと襲い掛かる。

 咄嗟に帆柱を蹴ったシャロンは、背負ったヴァイマーとともに飛び上がった。飛行術式も発動させたが、己の身を守るので精一杯だった。


 マルゴゥヌの手にはまだ、『不沈扇』から複製した力がある。

 細かな制御は難しくとも水流を自在に操れる魔導遺物―――その力を一言で表すならば〝暴威〟だろう。多数を相手にしてこそ本領を発揮する。

 だからヴァイマーも艦隊を撤退させた。

 シャロンも、一旦退き、戦うための状況を整えようとした。

 けれど、それらすべてを嘲笑うかのように、沸き上がった水流が暴威を振るう。


「く……っ!」


 放り投げられた『不沈扇』を、ベルティは空中で掴み取った。しかし襲い来る水流には対応しきれない。まるで巨人の群れが棍棒を振り下ろしてくるように、水の塊が次々と叩きつけられる。

 一撃、二撃までは回避したベルティだが、三撃目で体ごと薙ぎ払われた。

 重量のある塊に殴打されて、長身の体が空中を漂う。


「ぁっ……っ、不覚……!」


 顔を顰めながらも、ベルティはどうにか体勢を整えようとした。けれど空中では満足な動きは取れず、殴打された衝撃で全身に痺れが走っていた。

 戦場で動けなくなればどうなるか? 

 答えは、すぐにも示されようとしていた。


「バカな娘ね。あの世で父親に叱られるといいわぁ!」


 残忍な嘲笑とともに、マルゴゥヌが腕を振るう。蛇のように長く伸びた手甲が、ベルティの命を刺し貫かんと迫る。

 空中で水流に追われていたシャロンは、魔術の発動も間に合わない。

 ベルティが歯噛みするだけだったなら、そのまま命を奪われていただろう。けれど咄嗟に、直感に突き動かされるまま、ベルティは足を動かしていた。

 反撃ではない。殴打された体は、まだ痺れて満足に動けもしない。

 空中を漂うまま―――、

 けれどその足首には、ひとつの魔導具が嵌められていた。


 まだ試作品である、可踏型障壁を生み出す魔導具だ。海上での戦いに備えて、念の為に装備してきたものだった。

 青白い障壁が凶刃を弾く。必殺の一撃を防がれたマルゴゥヌは舌打ちを漏らした。

 所詮は一時の足掻きに過ぎない―――そうマルゴゥヌは受け止めた。

 けれどその足掻きが両者の命運を分けた。

 もしもベルティが討たれていたら、ヴィレッサも動揺し、狙いを外していたはずだから。


「え……」


 轟音が響き渡った。鮮血が散った。

 肉片が、マルゴゥヌの腹から爆発したみたいに弾け飛んだ。

 頑強な肉体を誇る魔人でも、まず助からないほどの傷だ。腹部の半分近くを削り取られたのだから。同時に、マルゴゥヌの体そのものも、凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされていた。暴威を振るっていた水流も崩れ落ちる。

 愕然とし、空中を漂いながら、マルゴゥヌはその姿を見た。上空で、長大な魔導銃を構えて、容赦無い笑みを浮かべている幼女の姿を。

 撃たれた、と。

 思考すらおぼつかないマルゴゥヌにも、それだけは理解できた。


「あたしから隠れられると思ったのか?」


 水壁で視界を遮る。乱戦に持ち込む―――銃撃を躊躇わせるには悪くない手段だった。魔弾の殺傷力が高すぎるために、実際、ヴィレッサもベルティを巻き込むのを怖れていた。

 けれど水壁で覆われても、マルゴゥヌやベルティの位置は伝わっていた。

 ヴィレッサの視線は通らなくとも、魔導銃を介して、相手の生体反応は把握できた。


『敵、生体反応、大幅に乱れています。トドメをどうぞ』


「ああ。痛めつけるのは趣味じゃねえ」


 空中を漂うマルゴゥヌへ、しっかりと銃口を向ける。

 狙撃形態の銃身は太く、長い。小柄なヴィレッサの背丈をゆうに上回っている。そこから放たれる破砕徹甲弾は、あらゆる防御を貫通し、衝撃を撒き散らす。

 掠っただけでも、人間なら五体のどこかが千切れ飛ぶ。

 魔人であるマルゴゥヌも、一撃で戦闘不能へと追い込まれた。

 そして、トドメの魔弾も放たれる。


「ぁ、ば……ッ!」


 血を吐きながらの悲鳴を、轟く銃声が掻き消した。

 放たれた魔弾は狙い違わず、マルゴゥヌの胸を貫いた。空中にある状態では避けられるはずもない。ましてや、人の頭が通るほどの大穴を空けられて、生きていられるはずもなかった。


 衝撃に躍らされるまま、マルゴゥヌは甲板に叩きつけられる。

 もはやあとは死を待つのみの状況で、それでもマルゴゥヌは腕を伸ばした。

 そこにいる、先に倒れた副官と手を重ねようと願って。

 けれど震える指先は空中を掻き、なにも掴めぬまま力尽きた。

 異形の体から、赤々とした血の染みが広がっていく。


『敵、生体反応、完全に停止しました』


 冷徹な声が戦いの終わりを告げる。

 しばし狙撃形態を構え続けていたヴィレッサも、ほっと胸を撫で下ろした。







 黒馬から降りて、湿った甲板を踏む。

 初めて船に乗った感触に、ヴィレッサは少々戸惑いながら足を進めた。

 ふわふわしているが、想像していたよりも揺れは感じない。狙撃形態の魔弾は船底まで貫いたはずなのに、沈みそうな気配は皆無だった。


「随分と頑丈みたいだな。さすがは帝国の軍艦ってことか?」


『ですが、浸水は始まっているようです。早々に帰還すべきでしょう』


 魔導銃の忠告に頷きつつ、ヴィレッサは左右へ視線を巡らせた。

 甲板上には、まだガルス兵が残っていた。ざっと数十名はいる。武器を手にしている者もいるが、明らかに腰が引けている。船内に逃げていった者もいた。

 たとえ戦いになっても、黒馬が暴れれば一掃できるだろう。

 それに、ベルティとシャロンもいる。

 水柱に殴打されたベルティだが、深刻な怪我は負っていなかった。シャロンが治療術を掛ける必要もなく、もう自分の足で立ち上がっている。


「申し訳ない。シャロン殿にも、また迷惑を掛けてしまったでござる」


「気にしないで。それよりも早く戻りましょう」


 シャロンの背には、意識を失ったままのヴァイマーも担がれている。ひとまず安心できる状況にはなったが、救助はまだ途中だった。


「あとは戦後処理みたいなものよ。他の人たちに任せて大丈夫でしょう」


 若干の警戒を残しつつ、シャロンはヴィレッサへ目を向ける。


「ん……」


 ヴィレッサもフードを目深に被り直しながら頷いた。

 やはり、ばつが悪い。つい目を逸らしてしまう。

 血に濡れた自分を見せたくないなんて、甘えか、あるいは迷いだろうか?

 小さな棘が刺さったみたいに、胸の奥に違和感があって―――。


「……そうだ、あれは持ち帰った方がいいだろ」


 顔を歪めていたヴィレッサだが、視界の端に鈍い輝きを捉えた。

 速射形態に戻った魔導銃を懐に収めながら、その輝きを回収すべく歩み寄る。


『複製型の魔導具ですか。実際に相対した今でも、信じ難い話です』


「でも、『不沈扇』の力は使ってたぜ?」


『その点は否定しません。しかし完全な複製など……マスター、どうしました?』


 魔導銃が問うたのは、ヴィレッサが怪訝に眉を寄せたからだ。

 その視線の先には、ふたつの死体が並んで転がっていた。

 ひとつは、腹と胸に風穴を空けられたマルゴゥヌの死体だ。間違いなく生命を失っている。『複製之手甲』を嵌めたままだが、そこに変化はない。

 最後に伸ばした手も、なにも掴めぬままで―――、

 けれど、掴まれていた。

 もうひとつの、死体だったはずの手によって。


 いや、そもそも、その男の死体が残っているのが奇妙だった。副官ディリムスは魔弾に撃ち抜かれて、その後、自爆術式によって四散したと思われていた。

 だが、とヴィレッサは記憶を探る。

 術式が発動し、眩い魔力光を発した瞬間までは、確かに目撃していた。けれどその死体が爆発する瞬間は、水流に視界を遮られたこともあって確認していなかった。

 死体は爆裂せず、そのまま甲板に落ちていた?

 いや、発動したのは本当に自爆術式だったのか? 魔導銃の判断を疑う訳ではないけれど、ガルス国の事情を、ヴィレッサはほとんど知らないのだ。それに―――。


「……アイツ、あんなに青白い肌の色だったか?」


 ヴィレッサは懐へ手を伸ばす。

 同時に黒馬が嘶き―――水流が、甲板全体を薙ぎ払った。


「なっ……!」


「ッ、ヴィレッサ! 退きなさい!」


 明らかに自然現象ではない突然の大波に、黒馬の足も止められる。シャロンやベルティも巻き込まれて、海原へと放り出された。

 ヴィレッサが助けられる位置ではない。それでも咄嗟に手を伸ばそうとした、が、


『転移反応を確認。恐らく、三名とも無事です』


「っ……間違いねえんだな?」


『少なくとも、海中に飲み込まれていないのは確実です』


 大波に攫われかけたのはヴィレッサも同じだ。けれど『赤狼之加護』からベルトを伸ばし、先端を杭のように甲板へ突き刺して体を支えていた。

 黒馬も甲板上に踏み止まっているのを確認して、ヴィレッサは下がるよう命じる。

 魔導銃を握り直し、睨む先では、蒼白色の肌になった男が立ち上がっていた。


「何なんだ、テメエは? いや―――」


 問い掛けを止めて、ヴィレッサは引き金を弾いた。いずれにしても敵であるのは明白なのだ。ならば、殺すだけ―――。

 しかし速射形態から放たれた魔弾は、飛び退いた標的を捉えられなかった。

 舌打ちし、ヴィレッサはあらためて敵を見据える。


 蒼白色の男―――ディリムスは、全身を脱力させたように項垂れていた。戦場にいるにしては細身で頼りない。場所が違えば病人にも見えただろう。

 けれど、その両腕には『複製之手甲』が装備されている。マルゴゥヌの遺品だったが、一瞬の隙にディリムスが奪い取っていた。

 左右の腕にひとつずつ。

 ひとつは『不沈扇』を模したまま、もうひとつも淡い魔力光を纏っている。


「事情は分からねえが……ただ生きてたってだけじゃねえみてえだな」


『肯定します。対象の生体反応は、人間のものとは異質です』


「……魔人になったってことか?」


 魔人だった、ではなく、魔人になった。

 そうヴィレッサが感じたのは、自爆術式の発動を目にしたからだろう。人体を爆散させる魔術が何かしらの影響を与えたのではと、理屈ではなく、感覚が教えてくれた。


『可能性は否定できません。自爆術式が起動された際、周囲の魔力が集められているようでした。爆発力を上げるためかと思われましたが、魔人の発生要因を考慮すれば、むしろ、そちらが本来の目的だったのかも知れません』


「……成功すれば魔人化、失敗すれば自爆か。ロクなもんじゃねえな」


 ハッ、とヴィレッサは吐き捨てる。

 あまりにも外道な所業に、苛立ちを覚えずにはいられなかった。けれどいまは、遠くの敵を睨んでいる余裕はない。


「どっちにしろ、あたしが片付けることに変わりはねえ」


 ともかくも殺す。今度こそ決着をつける。

 そのために、ヴィレッサは魔導銃を構えなおした。

 しかしディリムスが思わぬ行動を取る。


「―――降伏します」


 そう告げた。顔を伏せたまま両腕を広げてみせる。

 これにはヴィレッサも目を見張って動きを止めてしまう。


「今更、降伏だと? それを信じろってのか?」


「ええ。勝ち目がなくなったら降伏する。当然だと思いませんか?」


 言葉だけならば理に適っていた。けれどディリムスの両腕には『複製之手甲』が装着されていて、淡い光を放ち続けている。

 ヴィレッサは銃口を下ろさず、眉根を深く寄せた。

 即座に引き金を弾かなかったのは、子供故の甘さだろうか。


「まずは、跪いて、その手甲を外しな。他の動きをしたら即座に撃ち抜く」


「従いますよ。私だって命は惜しい。ただ、魔人になった影響でしょうか―――」


 激しい水飛沫が舞った。ヴィレッサの真横で、風景が描き変えられる。高波に突き上げられる形で、巨大な影が浮き上がってきた。

 それは、最初の砲撃で横転していた軍艦で―――。


「テメエ、なにを……!?」


 ヴィレッサが止める暇もなく、軍艦は突撃していく。キールブルクの港へと。

 そこには大勢の兵士が集まっていた。


「どうにも鎮まらないんですよ。体の奥から溢れてくる衝動が。もっと殺せと、血を求めろと、心が急き立てられるんです」


「勝手な都合を……ッ!」


 ヴィレッサは躊躇なく引き金を弾いた。だが、狙いを大きく外してしまう。

 驚愕が、幼い手を震えさせた。

 大きく目を見開き、唖然として口を開いて、声にならない疑問を投げ掛けてしまう。

 何故、そんなものがある?

 何故、こちらに向けられている?

 それは、あたしの、あたしだけの武器のはずで―――。


「魔導銃ですか。初めて手にしましたが、意外と軽いのですね」


 勝ち誇ったように、ディリムスは顔を上げ、笑みを浮かべる。

 赤黒い瞳が凶悪な輝きを放っていて―――その両手に、一対の魔導銃が握られていた。

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