キールブルク防衛戦②


 悲嘆や困惑、驚愕や呆然、あるいは絶望―――。

 キールブルクの住民は、かつてない混乱へと突き落とされた。

 暴食軍鮫の襲撃に代表されるように、春から夏にかけての海は激しく乱れることもある。しかしキールブルクの港まで大波が訪れることは少ない。自然の入り江に守られていて、だからこそ港町が作られたのだ。

 加えて『不沈扇』もある。被害が予測される時は、代々の領主が海を鎮めてくれた。

 しかしいま、巨大な波が街へ迫ろうとしている。


 港の物見塔よりも高さのある波で、その上には四隻の軍艦が浮かんでいた。帆柱が折れるほど損壊した艦や、帝国軍に属するはずの艦が、白い水飛沫を浴びながら迫ってくる。異様な光景は、街の何処にいても見て取れた。

 まったく事情を知らされていない住民には、何が起こっているのかも分からない。

 だが、魔術で拡げられた声が響いてきた。


『我らはガルス魔人国軍である』


 その第一声には、首を捻る住民が大半だった。ガルスという名前も、まったく聞き覚えがない。魔人というのも質の悪い噂話で耳に挟む程度だ。

 しかし、他国の軍勢が迫っている―――そう理解して顔を蒼ざめさせる者も少数ながら存在した。


『これよりキールブルクは我らの支配下に入る。兵は武装解除し、恭順を示せ』


 宣戦布告、あるいは降伏勧告だろう。

 その言葉を聞いても、まだ呑気に構えている者が多かった。

 異常な光景を見せつけられ、剣呑な言葉を投げられても、住民たちは己の安全を疑っていなかった。それだけヴァイマー伯爵への信頼が厚かったのだ。

 しかし、その信頼も崩される。

 幾名かの住民が、迫り来る軍艦をまじまじと見つめて声を漏らした。


「な、なあ、なんかマズくないか? あの船に縛られてるのって……」


「ん……? あれは、人か?」


「まさか、ヴァイマー伯爵……!?」


 大波の中央に浮かぶ軍艦、その帆柱に、一人の男が縛りつけられていた。

 全身に傷を負い、日に焼けた精悍な顔も自身の血で汚されている。


『見ての通りだ。貴様らが頼りとする領主は、我らに敗北し、捕らえられた。抵抗する者がいれば、同じように命で代価を払うことになるぞ!』


 あらためての宣告は、静寂を以って受け止められた。

 次いで、ざわめきが起こる。

 ざわめきは波となり、混乱となり、一気に街全体へと広がっていった。






 大波に乗った艦の上で、マルゴゥヌはにんまりと口元を薄めた。

 右腕に嵌めた手甲、『不沈扇』を模したそれを握ったり開いたりしている。


「やっぱり扱いが難しいわね。でも、段々と慣れてきたわぁ」


 羽根のように刃が連なった手甲は、複雑な魔力の輝きを放っている。大波を制御している魔力糸が複雑に絡み合い、空中高くで踊り、まるで職人技で描かれる刺繍みたいに綺麗な模様を作り出していた。

 美しく、幻想的な光景ではある。

 しかし行っているのは、街ひとつを呑み込まんとする暴虐的な脅しだ。


「ほんと、とんでもないわ。魔導遺物ってのは」


「気を抜かないでくださいよ」


 全能感に浸るマルゴゥヌだったが、横合いから冷めた声を浴びせられた。

 恐るべき魔人に対してそんな口を利けるのは、この場では一人しかいない。


「私たちも乗ってるんです。海に投げ出されるなんて体験は、一度で充分ですから」


 副官であるディリムスだ。足下の甲板を確かめるように、慎重に歩み寄ってくる。

 先の戦いでは、転覆させられたガルス旗艦にディリムスも同乗していた。海の藻屑となりかけたが、破損した艦の破片にしがみついて、辛うじて命を長らえた。

 たったいま降伏勧告を行ったのも、ディリムスの声だった。


「なによぅ、まだ怒ってるの? 助けてあげたんだから許しなさい」


「怒ってなどいませんよ。貴方のおかげで死に掛けたのは何度目か忘れましたが……少なくとも、二度は命を救われていますから」


 一瞬だけ、ディリムスは自嘲めいた笑みを浮かべた。

 けれどまたすぐに表情を消す。首を回して、左右に並ぶ味方艦の様子を窺った。

 レミディアから奪った艦で残っているのは一隻のみ。他の艦は沈められ、あるいは航行不能で、いまディリムスが乗っている艦は元帝国艦だ。戦いの後に奪った物で、いずれにしても損傷は大きく、船員の数も足りていない。

 『不沈扇』の力を奪ったこともあって、動かすだけなら可能だった。けれど戦闘に耐えられる状態ではない。兵士の数も半減している。


 まともな軍隊ならば撤退するところだろう。

 しかし当事者の誰にとっても残念ながら、ガルス軍はまともではない。

 魔人を先頭に立たせ、魔導士を倒す。あとは数合わせの兵士で、勢いに任せて蹂躙する。たったそれだけの戦術しか持ち合わせていないのだ。


 他国に情報が行き渡れば、対策も打たれるだろう。

 だが現状、〝魔導士殺し〟である魔人は、多大な戦果を上げている。このままガルスが領土を広げ、保持する魔導遺物の数も増えれば、勢いは止まらなくなる。

 そしてキールブルクの街も、いま正に陥落しようとしている。

 甲板上に立つマルゴゥヌの目には、慌てふためく住民の姿が映っていた。


「脅しは上手く効いたみたいねぇ。このまま諦めてくれれば、制圧も楽になるわ」


「どうでしょうね。帝国兵は士気が高いと聞いていますが……」


 街の中心部へ目を移して、ディリムスは難しい顔をした。

 大勢の兵士が隊列を組んでいた。混乱する民衆を鎮めるために動く部隊もあるようだが、軍港へ駆けつける部隊など、明らかに戦おうとしている兵士たちの姿も目につく。


「まだ一戦する必要はありそうですよ」


「よく訓練されてるみたいね。それだけ伯爵様が愛されてる証拠かしらぁ?」


 酷薄な笑みを浮かべながら、マルゴゥヌは頭上へと顔を向けた。

 帆柱に縛りつけられているヴァイマーと目が合う。鉄鎖できつく拘束されているヴァイマーだが、その瞳にはまだ戦意が溢れ、解放されれば途端に噛み付いてきそうだった。

 敗北し、『不沈扇』も奪われたヴァイマーだが、まだ屈服はしていない。

 生かされているのは、マルゴゥヌ側の都合によるものだ。


「伯爵様から降伏を呼び掛けてくれない? その方が、ワタシたちも楽なのよ」


「『不沈扇』の力は、貴方が一番よくご存知でしょう? 複製した物でも同等の力を発揮できます。無為な犠牲を減らす方が、賢い選択だとは思いませんか?」


 もはや勝利は揺るがない。ならば、宝は無傷の方がいい。

 欲望のままに奪う未来を想像して、マルゴゥヌは満面の笑みを浮かべる。

 対するヴァイマーは、きつく口を閉じたまま首を回した。

 自分が領主として守ってきた街を眺める。じっくりと、端から端まで。

 そうして、軽やかに咽喉を鳴らした。


「いいだろう。呼び掛けてやろうではないか」


 血の染みがついた顔で笑みを作って、ヴァイマーは指先に魔力を集める。

 普通ならば、重要な人物を捕らえた際には特別な枷を嵌める。魔術の発動を防いだり、言葉を制限したりする物があるのだが、ガルス軍はそんな備えすらしていなかった。


 とはいえ、ヴァイマーは頑丈な鉄鎖で縛られている。全身を痛めつけられ、装備も無く、戦う力も残っていない。拡声術式を発動させるのもやっとのことだった。

 それでも―――、


「聞け! キールブルクの兵たちよ!」


 ヴァイマーは血を吐きながら、覇気に満ちた声で告げる。


「我を見捨てよ! 汝らの剣は、民を守るためにある! 帝国兵としての責務を果たし、侵略者たる魔人を打ち倒―――」


 言葉を遮り、銀色の刃がヴァイマーの肩口に突き刺さった。

 マルゴゥヌが『複製之手甲』を長く伸ばしたのだ。


「余計なこと言ってんじゃないわよぉ」


 血に濡れた手甲を引き戻し、マルゴゥヌは舌打ちを漏らす。

 帝国軍と相対するのは初めてだったマルゴゥヌだが、傭兵として、貴族とは幾度か接する機会があった。味方にしても頼りなく、敵にすればみっともなく命乞いをする、いけ好かない連中ばかりだった。


 そもそもマルゴゥヌが傭兵となったのも、貴族が頼りなかったのが原因だ。生まれ故郷の農村を支配していた領主は、重税を課すばかりで何もしてくれなかった。夜盗や魔獣に襲われても、助けてくれる兵士の一人もいなかった。

 可愛がっていた弟は、目の前で夜盗に殺された。

 魔獣に襲われた時、父と母はマルゴゥヌを置いて逃げていった。

 自分の身は自分で守らなければならない。弱者は奪われ、ただ殺される。そう理解したからこそ、マルゴゥヌは己を鍛えて傭兵となった。


 力尽きるまで戦ったヴァイマーからは異質な匂いも感じ取れた、が、

 けれど所詮は貴族。地位に胡坐をかいているだけ。

 追い詰められれば、誰だって自分の身を一番に考える―――そう嘲っていた。


「……こういう領主様がいれば、ワタシも違ってたのかしらね」


 ふとした感傷を覚えたマルゴゥヌだが、すぐに頭を振って思考を切り替える。

 今更、生き方を変えられるはずもない。どう足掻いたところで、奪う側に立たなければ命を失うだけなのだ。

 だからマルゴゥヌは欲望に身を委ねる。

 揺れ続けている甲板の端まで進むと、港近くで隊列を組んでいる帝国兵を睨みつけた。


「ったく、無駄だって教えてあげたのに。なんだって意地を張るかしらねぇ」


 苛立ち混じりに吐き捨てる。

『複製之手甲』に覆われた拳を握り、高く掲げた。


「どうするつもりです?」


「決まってるでしょ。相手が降伏しないなら、力尽くで制圧するだけよ」


 手甲が赤々とした輝きを放つ。

 複雑に伸びる魔力糸を介して、水流が蠢き、巨大な蛇のように沸き上がる。


「……どうせなら、下町を狙いましょう。兵力はなるべく無傷で手に入れたいですから、そちらの方が心理的な打撃になります」


「冷酷ねえ。でも、そんなところも素敵よ」


 ディリムスの進言に、マルゴゥヌは残忍な笑みで応える。

 その視線の先、逃げ惑う民衆の中で、一人の少年が巨大な水流を見上げていた。

 母親と手を繋いだ少年は、もう一方の手に木剣を握っていた。兵士の息子なのだろうか。子供にしては頑丈そうな体格をしている。泣き出しそうな顔をしながらも、瞳には決意めいた輝きを宿していて、母親に向かって何事かを告げていた。

 自分が守る、とでも言っているのだろうか?


「馬鹿ねぇ。現実は甘くないって教えてあげるわぁ」


 水流が激しく渦を巻き、街へ襲い掛かろうとする。

 誰も彼もが絶望を予感した。押し迫ってくる巨大な波は、大自然の猛威にも似たもので、ちっぽけな人間が抗えるとは到底思えなかった。

 数え切れないほどの悲鳴が上がる。けれど掻き消される。

 凄まじい爆発音によって。

 さながら天から星が降ってきたかのように―――。

 一条の光と化した魔弾が、ガルス艦隊を吹き飛ばした。







 軍港の端に建つ物見塔、その屋根に乗って、ヴィレッサは魔導銃を構えていた。


『砲撃完了。銃身損耗は規定値以内です』


「それと、二隻轟沈か? こっちも予測通りだな」


 青白い光の残滓を散らしながら、魔導銃はまだ微かな駆動音を発している。

 砲撃形態―――軍艦を呑み込むほどの巨大蛸すら、この形態は一撃で葬った。その際は六割の出力だったが、完全解放すれば、たった数隻のガルス艦隊など木っ端微塵に消し飛ばせる。

 しかしヴィレッサが狙ったのは、街を襲おうとしていた高波と水流だ。

 ヴィレッサが放つ魔弾は、あらゆる魔術を無効化する。だから障壁では防げず、それを撃ち込まれた水流も『不沈扇』による制御を失った。さらに凄まじい爆発を起こして、ガルス艦隊を一気に壊滅寸前まで追い込んだ。


 ついさっきまで勝利を確信していたガルス兵たちが、命乞いじみた悲鳴を上げている。轟沈した艦と運命を共にして、永遠に、悲鳴すら上げられなくなった者も大勢いた。

 一撃で状況が引っ繰り返った。ヴィレッサの狙った通りだ。

 何処を狙えば敵旗艦を沈めずに済むかは、魔導銃が緻密な計算によって教えてくれた。


 ヴァイマーごと巻き込んでいれば、一発で決着となっていただろう。

 けれど、そんな結末をヴィレッサは望まない。

 身勝手な暴威を振るおうとする相手にくれてやるのは、殺意と魔弾だけで充分だ。

 一人の犠牲だって出してやるものか!


「もう金平糖の一粒だって奪わせねえ。やるぞ、メア」


 魔導銃を速射形態へと戻し、一旦、ヴィレッサはそれを腰へ収めた。

 隣には、すでに黒馬が控えている。

 嬉しそうに嘶く黒馬を一撫でしてから、ヴィレッサはその背に跳び乗る。空中に魔力板を浮かべると、まだ波に揺られているガルス旗艦へと馬首を向けた。

 見据える先には、赤黒い肌をした魔人もいる。


「な、なによぅ!? いったい、なにが起こったっていうのよ!」


 突然の砲撃と、続く衝撃に、マルゴゥヌも混乱に囚われていた。

 しかしややあって攻撃を受けたのだと悟る。揺らぐ甲板を踏み締めて体勢を整えると、上空へと顔を向けた。

 閃光が降ってきたのは、そちらの方向だった。同時に、得体の知れない怖気も覚えて、マルゴゥヌは振り返らずにはいられなかった。


「あれは……ナイトメア、と……子供?」


「テメエが魔人か」


 ヴィレッサとマルゴゥヌは上下に眼光をぶつけ合う。

 其々に空と海の上にいるので、距離は離れていた。まだ剣も弓矢も届かない距離だが、両者とも身体強化術を発動し、思考は戦闘へと移っている。

 全身の神経を張り巡らせる。だから自然、声も届く。とうに言葉を交わす意味はなくなっていただろうが―――。

 一度は機会を与えるのが、ヴィレッサの流儀、人として踏み止まるための約束事だ。

 だから片手に魔導銃を構えつつ、問う。


「いま謝るなら、命だけは助けてやるぜ?」


「なんなの、アナタは? もしかしてさっきの攻撃も―――」


 即座に、ヴィレッサは引き金を弾いた。

 速射形態から放たれた魔弾は、マルゴゥヌの頭部を砕き散らす―――その直前で避けられた。


「っ……!」


 ヴィレッサとマルゴゥヌは揃って舌打ちを漏らす。

 魔弾の速度は、放たれてから回避できるものではない。人間よりも優れた身体能力を持つ魔人でも、魔弾の圧倒的な速度には対応できない。

 しかしマルゴゥヌは回避してみせた。

 引き金が弾かれる瞬間に、射線を予測し、あるいは予感し、身を逸らした。


 過去にも、ヴィレッサの魔弾を同じように避けてみせた者はいた。尋常ならざる技だが、一流と認められる戦士ならば、その程度はやってのけるのだ。

 だからヴィレッサは驚かない。ヴァイマーを打ち破った魔人に対して、すでに最大限の警戒心を向けていた。けれど忌々しさも覚えずにはいられない。


「大人しく死んでりゃいいものを!」


 苛立ちを吐き出しながら、二発、三発と魔弾を撃ち込む。

 しかしマルゴゥヌには当たらない。

 当然だ。ヴィレッサが殺意を込めたのは一発目のみ。二発目からは、マルゴゥヌの背後に立つ帆柱を狙っていた。


「な……っ、狙いは人質だったの!?」


 マルゴゥヌも気づいたが、すでに遅い。

 魔弾を撃ち込まれた帆柱は、根元から倒れていく。拘束されていたヴァイマーとともに、海面に落ちて激しい水飛沫を立てた。


『作戦の第一段階は成功。救助対象の生命反応も安定しています』


「あたし一人で片付けられりゃ、もっと良かったんだけどな」


 ヴィレッサが眉根を寄せると同時に、海上に青白い光が瞬く。その光からふたつの人影が現れて、倒れた帆柱の上に降り立った。

 転移術で現れたのは、シャロンとベルティで―――。


「ヴァイマー様は無事よ。救出は私が」


「承知! シャロン殿には、指一本とて触れさせないでござる!」


 素早く状況を確認した二人は、頷き合い、予定通りの行動を開始する。

 刀を抜き放ったベルティは、浮かんでいた帆柱を一蹴り、甲板上のマルゴゥヌへと迫る。その背後でシャロンが目を見張ったのは、ベルティの行動が、本人にとってのみ予定通りだったからだ。


 救助する間、味方を敵から守る。それがベルティの役割だった。

 その役割自体はベルティもよく理解していた。

 けれど肝心の、守るための手法が擦れ違っていた。確かに、味方の側に張り付いているばかりが護衛ではないけれど、これではむしろ攻撃役と言える。


「ああもう、仕方ないわね!」


 呆れた声を上げながらも、シャロンが硬直していたのは一瞬だった。すぐにヴァイマーの元へと駆け寄り、拘束を外していく。

 いまはベルティを責めている場合ではない。それに、仕方のない部分もある。

 ルヴィスからの呼び出しに応えたシャロンだが、転移してきた時には、もうガルス艦隊が街に迫っていた。細かな打ち合わせをしている暇がなかったのだ。


「そうね、これが戦場の空気だったわね」


 様々な思惑が交錯し、暴力が吹き荒れる―――、

 一瞬の油断も許されない緊迫感を味わいながら、シャロンは苦笑を零した。


 その間にも、ベルティとマルゴゥヌは剣戟を交わしている。

 力強く振り下ろされた刀が、『不沈扇』を模した手甲とぶつかり合い、火花を散らす。

 二人の周囲には、他のガルス兵もいた。けれどほとんどの者は、目まぐるしく移り変わる状況に慌てふためくばかりだ。運悪く、ベルティの進路を塞ぐ形になったガルス兵もいたが、一刀の下に斬り伏せられた。

 雑兵どもに邪魔はさせない。ベルティの斬撃が、そう威圧を振り撒いていた。


「それが、複製型の魔導遺物……父から奪った力でござるか!」


 怒りに顔を歪めながら、ベルティは連続して刃を繰り出す。一撃一撃に必殺の気迫を込めた斬撃は、並の者ならば数合と待たずに首を刎ねられていただろう。


「この街を守るためにこそ使われるべき力、返してもらうでござる!」


「っ、父って、アナタ……そう、伯爵様の娘ってことね」


 短い遣り取りを交わしつつ、マルゴゥヌは後退する。

 ベルティの気迫に押されたのもあるが、なにより、足を止めれば死へ繋がる。上空から銃口を向けてくる幼女にも、マルゴゥヌは警戒せずにはいられなかった。


 魔導銃に関する知識を、マルゴゥヌはまったく持ち合わせていない。

 過去の短い期間にのみ使われた兵器なので、現在では知らない者も多いのだ。それでも目の前で引き金を弾かれれば、驚異的な兵器だと察せられる。

 なにより、災害級の魔獣に跨った幼女が、尋常ならざる殺意を向けてくるのだ。

 そんな異常を無視できるほど、マルゴゥヌは命知らずではなかった。


「ああもう! 二対一なんて、騎士のくせに恥ずかしくないのぉ!?」


「魔人、恐れるに足らず!」


 挑発混じりのマルゴゥヌの言葉を、ベルティはまったく意に介さない。無視しているのではなく、ただひたすら戦いに意識を傾けていた。

 不器用なベルティでは、味方との連携すらままならない。けれどその斬撃は苛烈で、激烈で、鮮烈だ。一刀ごとに、敵へ死を予感させる。防がれても鋭さを増していく。


「海の藻屑となって出直してくるでござる!」


 潮騒を打ち消すほどに、甲高い音が響いた。

 銀色の輝きが両者の間を舞う。マルゴゥヌの手甲から生えた刃が数枚、まとめて砕き散らされた。修復できる程度の損傷だが―――、

 舞い散る輝きが、マルゴゥヌの視界を僅かに奪った。

 一瞬の隙を見逃さず、ベルティが刀を突き出す。鋭い切っ先がマルゴゥヌの胴体へ吸い込まれるように突き立った。


 そのまま刀を横薙ぎにすれば、赤黒い胴体は半分以上が裂かれていただろう。

 けれど、ほぼ同時に、マルゴゥヌも背後へ跳んでいた。

 必然、刀だけが残されて胴体から抜ける。体に穴を空けられ、血を吐きながらも、マルゴゥヌは窮地を脱してみせた。


 それでも人間であったら、動けなくなるほどの重傷だったろう。

 だが魔人の体は頑強だ。魔女によって実験的な強化術も施されている。おかげで一呼吸もする内に、傷口は塞がっていた。


「かっ、あ……」


 距離を取りながら、マルゴゥヌはベルティを睨む。

 赤黒い瞳が怒りに満ちて、右腕の手甲は禍々しい光を放った。


「ガキが調子に乗ってんじゃねえぞオオオオォォォォ―――!」


 怒号とともに、甲板が激しく揺れた。

 マルゴゥヌに操られた水流が、船底を叩きながら噴き上がった。さらに水流は巨大な鞭と化して、甲板上を一気に薙ぎ払おうとする。

 強大な力を振るえる『不沈扇』だが、細かな制御は難しい。だからマルゴゥヌも巻き込まれる形になってしまう。けれどこの厄介な剣士から距離を取れれば充分―――そう考えて、マルゴゥヌは口元に牙を覗かせる。

 ベルティも刀では水流に対抗できないのは悟っていた、が、


「逃がすかぁっ!」


 一歩を踏み込む。岩石すら砕きそうな衝撃がベルティの足下から走った。

 一直線に。その衝撃はマルゴゥヌの足下へと。

 地面よりも脆い甲板を砕き、相手の足場を崩す一撃。船上での戦いにも慣れた、ベルティならではの技だった。

 同時に襲ってきた水流でベルティの体は押し流されたが、不意の攻撃に、マルゴゥヌも反応が遅れていた。


 体勢を崩したマルゴゥヌは、愕然としながら気づく。

 つい先程までは、しっかりと警戒していたはずだった。

 なのに目の前の剣戟ばかりに気を取られて、いつの間にか忘れていた。

 最も危険な、殺意を放つ幼女の存在を―――。


『敵の動きが止まりました。いまです』


「ああ。いい援護だ」


 三日月型の笑みを浮かべると同時に、ヴィレッサは引き金を弾いていた。

 脱出する暇など与えない。確実にマルゴゥヌの命を奪う魔弾が数発、続け様に撃ち下ろされる。

 血煙が舞い、ひとつの命が砕かれた。


「なっ……!」


 マルゴゥヌが唖然とした声を漏らす。

 その眼前には、副官であるディリムスが立っていた。咄嗟に体を割り込ませて、自身を魔弾に対する盾としたのだ。

 何故、どうして―――。

 目を見開くマルゴゥヌに、ディリムスは血を吐きながら笑う。


「義務、ですよ……貴方に、救われた命ですから……」


 相変わらずの冷ややかな口調で告げると、ディリムスは力なく倒れ伏した。

 胸と腹に大きな風穴を空けられたのだ。助かるはずもない。

 倒れた身体は、ぴくりとも動かなかった。

 命を救われた―――そうディリムスが受け取っていたのは事実だろう。

 先の戦いで海に投げ出された時と、それ以前に、魔女に捕らえられた時だ。傭兵団にいた者の多くが、非道な魔導実験の材料にされた。人為的に魔人を作り出すといっても確実ではなく、大勢が犠牲となったのだ。

 むしろ、マルゴゥヌのような成功例の方が少ない。ディリムスもその犠牲の仲間入りをするところだった。そうならなかったのは、先に魔人となったマルゴゥヌが、戦力として使えるから生かしておくよう進言したためだ。


 慈愛だとか仲間意識だとか、そんな感情をマルゴゥヌは持ち合わせていなかった。

 ただ自分のため、使える駒として生き延びさせただけ。

 だから、恩義も義務も、ディリムスが覚える理由など無かったはずなのに―――。


「……馬鹿な、男ね……」


 歯軋りとともに呟くと、マルゴゥヌは歪みきった顔を上げる。

 感傷を覚えたのは一瞬にも満たない。すぐに意識を戦いへと切り替えた。


「勝手に死んでんじゃねえぞォオオオオアアアア―――!」


 叫び、腕を振るう。再び、右腕の手甲が輝きを放つ。

 同時にマルゴゥヌは、ディリムスの死体を上空へと投げつけた。


「仲間の死体を……っ!」


『高濃度魔力反応。例の自爆術式が起動しています』


 これにはヴィレッサも虚を突かれた。

 自爆そのものは、あらゆる魔術を無効化できるヴィレッサには脅威とならない。けれど死体からは魔力光が溢れ出し、目眩ましの代わりとなって、引き金を弾くのを遅らせる効果はあった。


 僅かな合間に、マルゴゥヌは体勢を立て直し、何本もの水柱を操っていた。

 まるで軍艦を覆う屋根のように波が起こり、ヴィレッサの視界を遮る。これでは照準を定めるのも難しい。それでも数発の魔弾が放たれたが、水流の壁を僅かに削っただけだった。

 命中すれば確実に破壊を与える魔弾だが、その対象は選べない。ある程度の密度を持つ物体に当たれば、その時点で破壊効果は発揮され、通常弾では止められてしまう。


「小細工しやがって! もういい。おっさんは助けたんだ。ディード!」


『了解。軍艦ごと消滅させますか?』


 速射形態の魔弾では、少々威力が足りなかった。

 しかし水の壁程度で防げるほど、『万魔流転』の魔弾は優しくない。

 他の形態なら、徹底的な破壊を振り撒くのも可能だった。


「あたしが、巻き添えを嫌がると思ったんだろうが……」


 がちり、とヴィレッサは歯噛みする。

 その眼下では、再度、ベルティとマルゴゥヌが刃を打ち合わせていた。


「生憎、敵の都合に合わせてやるほど甘くはねえんだ」


 魔導銃が暴力的な輝きを放つ。すぐさま変形を完了する。

 誤射も一切厭わないとでも言うように、ヴィレッサの瞳も狂暴な輝きを放っていた。


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