海戦⑤


 腰の剣を抜き放ちながら、ヴァイマーは歯噛みする。

 自分の艦への侵入を許してしまったのは、屈辱であり、痛恨の失策だった。

 得体の知れない敵だとは承知していたはずだ。なのに侮ってしまった―――そうヴァイマーは内心で己を叱咤する。

 しかし怒りと同時に、欠片ほどの感心も抱いていた。


「異形の化け物だが……この状況でさえ戦意を失わぬとは、その点だけは大したものだ。名乗る機会はやろう」


「マルゴゥヌよ。元傭兵で、いまはガルスの……たしか、第三軍を預かってるわ」


 自分を取り囲む帝国兵を警戒しつつ、マルゴゥヌは身構えた。

 赤黒い顔に、薄い笑みを浮かべて、じっとりとヴァイマーを睨む。握った両拳が胸の前で打ち合わされると、金属製の手甲が重々しい音を立てた。


「本当は剣の方が得意なんだけど、途中で落としちゃったのよ。でも遠慮しないでいいわ。こう見えても、ワタシって強いから」


「投降するならば、命を助けてやらんでもないぞ?」


「生憎、そういうのは許されてないのよ。魔女に殺されちゃうわ」


「魔女……? 例の、自爆術式か?」


 まあいい、とヴァイマーは話を止めた。


「こやつこそ敵将だ。討ち取り、決着とせよ!」


 ヴァイマーが命じると同時に、まず数名の兵士が斬り掛かった。

 艦隊戦を重視して訓練されている兵士たちだが、剣での斬り合いも疎かにはしていない。甲板上という限られた空間での戦闘を想定して、全員が短めの剣を携えている。

 連携して突き出された剣に、マルゴゥヌは浮かべていた薄い笑みを消した。


 甲板上には、数百名の兵士が無傷で残っている。

 だが所詮は雑兵―――そんな侮りを、マルゴゥヌは抱いていた。

 しかし一瞬で考えを改めさせられる。辛うじて身を捻って、手甲でも剣撃を弾いたが、赤黒い肌を刃が掠めていった。

 息吐く暇もなく、背後からも数本の剣が振り下ろされる。

 咄嗟に、空中高くへとマルゴゥヌは跳躍した。

 包囲された状況での不利は歴然。その囲いを跳び越えようとしたのだが、空中では動きが制限される。その隙を逃がさず、鋭い一撃が地上から伸びた。


「これ、は……っ!」


 鞭のように撓った刃が、マルゴゥヌの脇腹を裂いた。

 舌打ちし、鮮血を散らしながらも、マルゴゥヌは甲板の端へと降り立つ。包囲は抜けたものの、またすぐに兵士の列が前方を塞いだ。

 皮と肉を浅く斬られただけ。致命傷には遠いが、その奇妙な武器に驚かされた。

 連接剣、あるいは蛇腹剣と呼ばれるものに似ている。しかし蛇というよりは鳥の羽根を連想させる。無数の刃が連なるそれは、ヴァイマーの手甲が変形したものだ。


「魔導遺物『不沈扇』ね……そんな武器にもなるなんて聞いてなかったわぁ」


「敵にひけらかすはずもなかろう。魔導遺物は、国家の最重要機密だ」


 とはいえ、『不沈扇』の最大の特徴は、やはり水流への干渉能力だ。近接戦闘への対応はおまけに過ぎない。

 ヴァイマーは警戒を保ちつつ、兵士たちへ追撃を命じる。

 マルゴゥヌはじりじりと後退しながらも、右腕を突き出した。


「最重要機密……そうね。そういうことになってたわねぇ」


 不敵な笑みを浮かべて、マルゴゥヌは右手を開いた。

 手甲の掌を見せつけるように掲げる。そこに嵌められた虹色の石が、魔力の輝きを放った。さながら眼光を放ち、視界に収めるように、ヴァイマーの『不沈扇』を捉える。


「でも、そんな常識は過去になるわ」


 輝きは手甲全体へ及んだ。複雑な魔法陣が浮かび上がる。

 そして、瞬く間に形を変えた。

 追撃を掛けるべき兵士たちも、ヴァイマーでさえも、その光景に息を呑んだ。

 何故なら、見覚えがあったから。

 それが敵側に回るなど考えられなかったから。


「これも魔女が創り出した物よ。擬似魔導遺物……『複製之手甲』って言うらしいわ」


 元が手甲型だったのは偶然だろう。

 けれどマルゴゥヌの手を覆ったそれは、正しく『不沈扇』と同じ姿をしていた。

 これまで冷静さを保ってきたヴァイマーも、動揺を表さずにはいられない。


「馬鹿な……魔導遺物を、複製できるというのか!?」


「そうよぉ。こんな具合に、ね!」


 唇の端を吊り上げ、マルゴゥヌは腕を振るう。

 連接剣と化した手甲が、兵士の隊列を斬り裂いた。困惑と苦悶に満ちた声が上がって、多量の鮮血が甲板を染めていく。

 一瞬で、十数名の命が奪われ、その倍の兵士が深手を負った。

 だが、一人の兵士が盾を構え、襲い来る斬撃を弾き上げた。


「わ、とぉっ! さすがに一掃とはいかないみたいねぇ」


「っ……皆、冷静になれ! 摸倣したからといって、『不沈扇』の力を使いこなせるとは限らん!」


 大声で告げるヴァイマーも、自分の声で冷静さを取り戻した。

 魔導遺物は適性のある者しか扱えない。加えて『不沈扇』は、魔導士本人の技量が要求される魔導遺物だ。自在に水流を扱うのは、一朝一夕で真似できる技ではない。


 現状では、マルゴゥヌが近接用の武器を得たに過ぎない―――、

 そうヴァイマーが判断したのも当然だった。希望を抱いたのも無理はない。

 しかしその期待を嘲笑うように、マルゴゥヌは口元を緩めて牙を見せる。


「悪いけど、ワタシって魔人なのよねぇ」


 マルゴゥヌが腕を突き上げる。と同時に、船体が激しく揺れた。

 海面から太い柱が現れるように、大量の水が噴き上がった。激しい水流が船底を掠め、蛇がのたうつように曲がり、甲板上にいた兵士たちを襲う。

 思わぬ攻撃に、幾名かの兵士が飲み込まれ、海面へと投げ出された。

 しかしマルゴゥヌも水流に晒され、体勢を崩していた。


「はは……なるほどねぇ。これは確かに、使いこなすのは難しいわぁ」


 全身をずぶ濡れにされながらも、マルゴゥヌは甲板を踏み締める。

 だが直後、跳び退いた。一瞬前までマルゴゥヌが踏んでいた場所が叩き割られる。

 突き出され、襲い掛かったのは、ヴァイマーが操る本物の『不沈扇』だ。


「攻撃の手を緩めるな! そいつは、絶対に殺せ!」


 怒号にも似たヴァイマーの命令に、幾重もの切羽詰まった声が応えた。

 もはや尋常な戦いではないと兵士たちも感じ取っていた。大勢がマルゴゥヌへと殺到し、距離のある者は弓を構え、魔術の準備も行う。

 しかしまたもマルゴゥヌは跳躍し、殺到する刃から逃れる。さらには噴き上げる水流で壁を作り、弓矢や魔術から自身を守った。

 一拍遅れて、ヴァイマーが操った水流を叩きつける。

 マルゴゥヌを守る水壁が崩れ、さらにそこへ槍と化した水が襲い掛かった。


 避けるのも防ぐのも不可能な連続攻撃―――ただし、相手が人間ならば、だ。

 マルゴゥヌは人間ではない。魔人だ。

 その身体能力は人間を凌駕している。単純な筋力も、動体視力や反応速度も、あらゆる感覚まで常識の枠から外れていた。


 優れた感覚があるから、魔力の流れ、水の動きなども鋭敏に感じ取れる。

 手に入れたばかりの魔導遺物を扱えるのも、魔人としての能力に支えられた結果だった。

 人間同士であれば、才能の違いといったところだろう。

 しかしマルゴゥヌの場合は、生命として根本から異なっていた。


「言ったでしょう、ワタシは魔人だって!」


 空中で身を捻り、尋常でない速度で魔術障壁も張ると、マルゴゥヌは攻撃を凌いでみせた。何十本と放たれた矢も『複製之手甲』で弾かれる。魔術による炎弾や雷撃も、赤黒い肌に浅い傷を刻んだだけだ。

 再び甲板に立ったマルゴゥヌは、近くにいた兵士を薙ぎ倒し、剣を奪う。

 長く伸びた『複製之手甲』が、新たな鮮血に染まる。

 さらにはまた、一気に艦を押し潰すような大波が巻き起こされたが―――そちらはヴァイマーが『不沈扇』の力を振るい、押さえ込んだ。


 激しい水流が、軍艦の頭上でぶつかり合う。

 その間にも、またマルゴゥヌは腕を振るい、兵士の命を刈り取っていく。


「ちょぉっと手強いけど、これくらいの方が興奮するわね。ほら、もっと頑張って楽しませてちょうだい」


 手甲についた血糊を舐めながら、マルゴゥヌは大きく一歩を踏み込んだ。

 盾を並べた兵士たちが辛うじて踏み止まる。しかしその顔には怯えも表れ始めている。

 どれだけ年月を掛けて積み上げた研鑽も、容易く砕き散らされる。理不尽なまでの暴力によって、嘲笑とともに蹂躙される。そんな魔人の在り様は、これまでの戦場を支配してきた魔導士の姿にも似通っていた。


 しかし魔導士とは決定的に違う。魔人は、正しく人の枠から外れている。

 『複製之手甲』も加わった力は、〝魔導士殺し〟とも呼べるもので―――、

 到底、並の人間が対峙できるものではない。戦場に慣れた兵士たちでさえ、足が震え、身が縮まるのを堪えきれなかった。


「……撤退信号を上げろ」


 歯軋りを漏らしながら、ヴァイマーは低い声で告げた。

 しかし返答は無い。いつもなら即座に復唱し、命令に応える兵士が、唖然として目を見開いていた。


「撤退だ! 全艦をキールブルクまで退かせる! 急げ!」


「で、ですが、それでは……」


「あの魔人には、数で押しても犠牲を増やすだけだ! 『不沈扇』の力を奪われた以上、まとめて沈められるぞ!」


 だが、とヴァイマーは息を吐き、血に濡れた敵を睨む。


「勝利を諦めた訳ではない。貴様らには、最後まで付き合ってもらうぞ」


 旗艦だけを残して、魔人の足止めをする。その間に他の艦が撤退すれば、もしも敗北を喫しても、犠牲は最小限に抑えられる。

 そうヴァイマーは判断した。

 たとえ自分が倒れても、領地を守る戦力は残せる。

 魔人の力は恐るべきものだが、情報が伝わり、戦術を練れば打倒も叶う。

 あるいは、『魔弾』の力ならば―――。


「……すまんな、ヴィレッサ殿。其方の養父にはなれそうにない」


 子供を頼ろうとしている自分に気づき、ヴァイマーは苦笑を零した。

 同時に、上空に色のついた光が広がる。

 撤退を命じる、魔術による信号だ。それを見た他の帝国艦は、僅かに躊躇う動きをしながらも、艦首を巡らせて離れていく。


「逃げるつもり? 今更、そんなことさせない―――」


「こちらの台詞だ! 侮るなよ、魔人!」


 ヴァイマーは『不沈扇』を振り上げ、一際強い光を放った。

 『複製之手甲』も同じく。マルゴゥヌが舌打ちして対抗する。

 周囲の海原が裂け、渦を巻き、轟音を響かせながら激突した。互いが互いを呑み込まんとするように。さながら神話にある龍同士の戦いかと思えるほどの光景が描き出される。


 何隻かの帝国艦は、波に翻弄され、木ノ葉のように揺らぐ。

 海へと投げ出される兵士も少なくなかった。懸命に船体にしがみつく者もいた。

 まるで天地が逆転しそうな中で、それでもヴァイマーは力強く甲板を蹴った。


「敵が何者であろうと、この海の上で負ける訳にはいかんのだ!」


 魔人へと肉迫し、すでに抜き放っていた剣を振るう。

 しかしその切っ先は届かない。

 不敗を誇っていた帝国海軍は、この日、その歴史に泥を塗られた。







 ◇ ◇ ◇



 広々とした野原に、木槌を打つ音が響く。

 村を囲う柵がひとまず完成しそうだった。簡素な作りではあるけれど、鹿や猪くらいなら追い返せるだろう。

 大きな集会所も昨日の内に完成した。いまは住民全員の宿舎として使われている。


「あとは何軒か家が建てば、村を名乗ってもよさそうね」


 背筋を伸ばして体をほぐしながら、シャロンは柔らかな微笑を浮かべた。

 まだ周囲には寒々とした風が吹いている。けれど寂しくはない。

 復興を目指すウルムス村では、住民たちが精力的に働いていた。


「やっぱりシャロン先生は凄いねえ。その細腕で、男衆よりも頼りになるんだから」


「まったくです。ウチの旦那と交換したいくらい」


「新婚がなに言ってんだか。旦那と離れるのが嫌だって泣いて付いてきたくせに」


「あら、そうなのかい? 普段はあんなに素っ気無くしてるのに?」


 炊き出しの場には姦しい声も重なり合う。

 少々ばつの悪い顔をする若い夫もいるが、一時のものだ。

 皆、村の復興を願う気持ちは同じだった。


 以前にレミディア軍の急襲を受けた村は、徹底的に破壊し尽くされた。残っていたのは幾つかの地下室くらいだ。シャロンたちが到着した時には、雨風を凌げるような場所すらなかった。

 それが良かったとはけっして言えない。けれど予定していたよりも片付けは早く済ませられた。また一から畑を作らねばならず、其々の家を建てるのも楽ではないが、ここ数日で作業への慣れも出てきた。


 恐らく、いまが一番苦労の多い時期だろう。

 肉体労働が続いて、苛立ち、喧嘩を始める者もいた。今日は熱を出して寝込んでいる者もいる。それでも表面上は、皆が陽気に振る舞っている。

 家族や個人で休める空間が作られれば、もっと心の余裕もできるだろう。

 手早く昼食を済ませたシャロンは、作業の進捗状況を確認していった。


「村長の家を建てる分は、木材も足りてますよ。修道院の分も確保しておきたいんですが、人手を分ける訳にもいかないですし……」


「ええ、畑の区分けは問題ありません。それくらいは村長として請け負いますよ」


「ついさっき大きな猪が出ましてね。兵士の方々が相手をしてくれたんですが、森へ逃げられたみたいです」


 一通り村内を巡ってから、シャロンは修道院のあった場所で足を止めた。

 すでに綺麗な更地となっている。何本か杭が打たれて、新しい建物のために下準備だけは進められていた。

 ふと胸を締めつけられる感覚を覚えて、シャロンは拳を握った。


「……やっぱり、あの子たちを連れてこないで正解ね」


 エルフィンとして長い年月を生きてきたシャロンだが、慣れ親しんだ家を失うのは初めての経験だった。他にも辛い経験をした覚えはあるが、胸の痛みは誤魔化せない。

 子供ならば尚更だろう。

 せめて新しい修道院が出来上がっていれば、喜びの色も混ぜられるかも知れない。

 ただ、それでも心の傷を癒やせるかどうかは、誰も答えを持ち合わせていなかった。


「何も問題を起こしてなければいいのだけど……」


 ヴィレッサとルヴィスの顔を思い起こして、シャロンは頭を抱えてしまう。

 ほんの一ヶ月ほど離れるだけ。そう理解はしていても、心配で仕方がない。衝動に突き動かされるまま転移術を発動させてしまいたい。


 シャロン一人だけなら、こっそりとキールブルクへ帰ることも可能だった。

 けれど、子供の自主性を育むのも大切だろう。

 あの二人に対しては、どうにも甘くなってしまう―――。

 そうシャロンが自覚できたのは、ヴァイマーのおかげだった。厳格な領主としての顔を持つヴァイマーが、隙あらば双子を甘やかそうとするのだ。その姿は、シャロンにとってなかなかに衝撃的だった。


 反面教師、というほど悪い印象は抱いていない。

 あるいは、見習う部分もあるかも知れない。

 娘二人に対してどう接していいのか迷っている―――それが、シャロンの偽らざる心情だった。


「……まさか、あの年で戦場に立つなんて……」


 魔導士として認められる。本来ならば、誉れであり、喜ばしいことだろう。

 けれどそれは、本当にヴィレッサが望んでいることなのか?

 苛烈ではあっても、誰よりも心優しいあの子が?

 大勢の命を奪い、血に濡れた道を歩くなど―――望むはずがあるものか!


 それでもヴィレッサは覚悟を固めてしまっている。

 きっと、力がなければ誰一人として守れない現実を思い知らされたから。

 ルヴィスにしても、そんな姉を支えようと決意を胸に秘めている。

 きっと、誰の想像も及ばない未来までも見据えて。


「はぁ……私がもっと頼りになればいいのに―――」


 溜め息を落としたシャロンだが、直後、険しく眉根を寄せた。

 項垂れていた視線の先、シャロンの手に嵌められていた指輪が光を発していた。

 遠隔地からの声を届ける、ルヴィスにも渡した魔導具だ。

 数回、明滅する光を発した後、そこから声が響く。


『―――助けて、シャロン先生!』


 届いたのは、泣き出しそうなルヴィスの声だ。


 シャロンは即座に指先へ魔力を灯す。転移術を発動させる。

 いったい何が起こったのか? 自分で解決できる事態なのか?

 疑問はあっても、それはシャロンの行動を躊躇させる理由にはならない。


 愛しい我が子が助けを求めている。

 ならば、母親が駆けつけるのは当然のことだった。

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