海戦③


 二十隻近くの軍艦が整然と並んでいる。甲板上でも大勢の兵士が綺麗な隊列を組んでいて、その勇姿を一目見ようと、住民が港に詰めかけていた。

 中央に浮かぶ旗艦の船首には、ヴァイマー伯爵が立ち、集まった住民を見下ろしている。


「多くを語る必要もあるまい!」


 覇気のある声は、強い海風が吹きつけてくる中でもよく響いた。


「海賊どもを討つ! 我らの海を乱さんとする者を許しはしない!」


 ヴァイマーが腕を振ると、背後に立つ兵士たちが雄々しく声を張り上げる。

 次いで、住民たちも歓喜で応えた。

 まるで他国との戦争で勝ったような騒ぎ様だ。海に頼って生活するキールブルクの住民にとって、それだけ海賊とは憎むべき敵なのだ。けれど同時に、ヴァイマー旗下の海軍に対する信頼も厚い。出撃が決まった時点で勝利するものと、誰もが確信していた。


 興奮に満ちた歓声が、港の隅々まで響き渡る。

 それを片手を上げて鎮めると、ヴァイマーは大きく天を仰いだ。


「海の女神エーゲリーデ。武勇の神ライデンバルド。我らの航海に安寧を、そして敵を討ち滅ぼす勇気を、祝福と加護を与え給え。我らの祈りを聞き届け給え!」


 祈りの言葉に合わせて、軍艦が一斉に帆を広げる。

 再び上がった歓声を受けながら、ヴァイマーが率いる船団は出航した。

 港に残された住民たちは、未だに熱の灯った瞳で船団を見送る。

 その中には、領主代理として街を任されたベルティの姿もあった。


「父上……」


 様々な想いが胸中に浮かんで、ベルティは唇を震えさせた。

 けれどすぐに表情を引き締める。振り返り、守るべき街へと足を向けた。背後に控えていた兵士たちに、ベルティは歩きながら指示を飛ばしていく。

 そうしてベルティに従う一団の最後尾には、双子の幼女も続いていた。


「伯爵様、すごかったね。ベルティ様も。普段とは別人みたい」


「うん……そう、だけど……」


 ルヴィスは素直に感心していた。けれどヴィレッサは言葉を濁す。

 隣を歩く妹に肩を寄せると、唇を尖らせながら呟いた。


「でも、あたしの方がかっこいいよ?」


「張り合わなくていいの!」


 頼りになる姉の地位が脅かされた気がして、ヴィレッサは渋い顔をするのだった。






 ◇ ◇ ◇



 海賊討伐へと領主軍が出撃すると、キールブルクの住民は普段通りの生活に戻っていく。もはや討伐の成功は当然のものとして、数日もすると、話題の中心からも外れていった。

 キールブルクに限らず、帝国では総じて軍への信頼度は高い。

 それだけの勝利を重ねてきた証左でもあるのだが―――一部には、その強さに不満を覚えている者もいる。


「負けちまえ、って言ってんじゃねえんだ」


 酒場の席に座っていた男は、太い腕をテーブルに叩きつけた。

 すでに男の顔は赤く染まっている。けれど見た目ほど酔ってはいないのだろう。本気で拳を叩きつけたのならば、安物のテーブルくらいは簡単に壊されていたはずだ。


「けどなあ、少しは獲物を残しといてくれてもいいだろ?」


「言いたいことは分かるけどなあ」


「だから言ったのだ。有るだけ金を使うのはやめておけ、と」


 席を囲んでいる男は三人。テーブルを叩いた大柄な男と、向き合って座った小柄な男、残りの一人は中肉中背で紺色のローブを纏っている。

 まだ真っ昼間なので、酒場が開く時間には早い。三人が座っているのは店の前に置かれた特別席だ。テラスに似た形は取っているが、そう洒落たものではない。暇を持て余している三人に同情して、店主が席を設けてくれたのだった。


 魔獣狩り、あるいは討伐士―――。

 それを生業としている彼らは、数年前からキールブルクを訪れるようになった。

 とても不安定で、命懸けで、何の保障もない仕事だ。

 食い詰め者か、よほどの物好きでない限りは他の仕事に就こうとする。良いところと言えば、すべての結果は自分次第という点だろうか。あちこちの街を巡り、好きな時間に働くのも、己の判断で自由に行える。


「分かってんだよ。俺たちは、自分の腕っぷしだけが頼りだ。そいつが鉄則だ。けどな、都合のいい時だけ使われて、こっちが困ったら見ようともしねえ。愚痴くらい零したって許されるだろうが」


 大柄な男はまた酒臭い息を吐き出す。

 それに付き合う二人は、肩を竦めただけだが、内心では似たような不満を抱えていた。


 本来、魔獣でも夜盗でも、退治する役目は兵士が務めている。そもそも民の安全を守るのは貴族の務めであり、勝手に生業とする者が出てくる状況はよろしくないのだ。

 しかし帝国の領土は広大で、兵士が目を光らせておくのも限界がある。

 おまけに魔獣の行動は予測し難い。野生動物のように一定の生息域を持つものもいれば、突発的に出現する変異種もいる。

 だから兵士の目が届かない隙間を埋めるために、魔獣狩りという仕事も成り立つ。

 あるいは『春波』のように、確実に魔獣が襲ってくる状況ならば、兵士と肩を並べて戦うこともある。


「まあサメどもは仕方ねえよ。今年は運が悪かった。もっと早くに街へ来てれば、稼ぎに参加できたんだ。だけどよお……」


「確かに、不思議ではあるなあ」


「今年は魔獣の動きが異常……いや、奴らを枠に嵌めて考えるのは危険か」


 三人は揃って溜め息を落とすと、酒の杯を呷った。

 キールブルク周辺に出る魔獣は、なにも暴食軍鮫ばかりではない。東のジュニール山脈には、滅多に人が踏み入らないこともあって、様々な魔獣が出没する。

 春になると、そういった魔獣どもが食料を求めて降りてくるのだ。冬眠明けの魔獣が多く、空腹で凶暴性が増している。放っておけば、森で働く猟師や木樵が被害に遭う。


 当然、街の兵士は対処に当たる。忙しい時期となる。

 そして魔獣狩りにとっては、良い稼ぎ時となるはずだった。

 けれど今年は、ほとんど魔獣が姿を現さなかった。森の巡回を行っている兵士たちも首を傾げていたくらいだ。


 何故なのか―――。

 察しのよい者は、山から降りてきたもうひとつの存在に思い至ったかも知れない。

 今年は、レミディアからの難民が山を越えてきた。千人単位で出た犠牲の中には、冬眠明けの魔獣の腹に収められた者もいた。不幸な偶然だが、そうして山の食料が豊富になったおかげで、魔獣たちは人里まで降りてくる必要がなくなったのだ。


 とはいえ、そんな事情を知る者はいない。

 昼間からヤケ酒を呷っている彼ら三人も、不遇な状況を嘆くばかりだった。


「大物の一匹でも出れば助かるんだが……」


「だけど、一匹くらいじゃ誰かに先を越されるよなあ」


「他の者では手に余る大物……というのも困るか。災害級でも出たら、さすがに身を引くしかないからな」


 結局、また酒臭い息を落とす。

 けれど項垂れてから、そういえば、と大柄の男が目つきを鋭くした。


「この街には、災害級の魔獣がいるじゃねえか」


「は? なに言って……って、おい、まさかアレのことかあ?」


「黒き悪夢……確かに狩れれば収獲は大きいが……」


 ローブの男は首を振る。

 最初に黒き悪夢を見掛けた時には、三人揃って驚かされた。まさか街中で災害級の魔獣に遭遇するとは思ってもいなかった。

 しかしすぐに事情を知った。

 魔導士に飼われていると聞いて、またも驚かされたのだが―――。


 いずれにしても男の提案は無謀と言えた。おいそれと狩れるほど、黒き悪夢は脆弱な魔獣ではない。下手をすれば街のひとつくらいは滅ぼされる上に、対策も確立されていないからこそ〝災害級〟とされているのだ。

 おまけに、その飼い主は魔導士だ。

 手を出せば、犯罪者とされるのは確実。少なくともこの街にはいられなくなる。


「なあに、討伐した後は、死体だけ抱えてさっさと逃げ出せばいい。上手くすれば、バレずにも済むかも知れねえ。相手は魔獣なんだからな。勝手に何処かへ行ったと思ってくれるさ。それに、人間に飼い慣らされてるなら、どうせ大した強さじゃねえだろ」


 徐々に酒も回っていたのだろう。

 ふらふらと頭を揺らしながら、男は得意気に口元を緩める。


「偉そうにデカイ図体してたって、所詮は馬の魔獣だろ。鮫や熊の方がよっぽど怖いぜ。だいたい、俺の剣に勝てるはずがねえんだ」


「いやぁ、それはどうかニャぁ?」


「あん? なんだよ? 俺の腕が信用できねえってのか?」


「まあまあ、とにかく飲むニャ。もっと飲むニャ」


 新しい酒を注がれて、男はまた杯を傾ける。

 もう何杯目になるのか覚えていない。けれど悪い気はしなかった。獣人族は珍しいが、相手はなかなかの美人だ。少々若すぎて色気は足りないが、健康的な女というのも、一緒に酒を飲むには楽しめそうだった。

 けれどやはり疑問も沸く。男は首を捻った。


「えっと……嬢ちゃん、誰だ? それにアイツラは何処に……?」


「お仲間なら、さっさと逃げたニャ」


 獣人少女に告げられて、男はさすがに顔を顰めた。正面の席を見る。飲みかけの杯が放置されている。ついさっきまで仲間二人が座っていたはずなのに、いない。

 男は目を白黒させる。困惑に染まりそうな頭を振る。

 そして―――、


「ひ……っ!?」


 首筋に生温かい吐息を掛けられて、男は振り返った。


「なっ……ぁ、あ、うあ……!」


 椅子から転がり落ちた男は、そのまま尻餅をついて後ずさる。

 振り返った先には黒い塊がいた。

 真っ赤な瞳を爛々と輝かせ、苛立たしげに鼻息を落とす、黒き悪夢が。


「どうするニャ? いま謝るなら、酔っ払いの戯言で済むかもニャ?」


 獣人少女が優しく告げる。

 その言葉も、混乱しきった男の耳には満足に届いていなかった、が、


「すいませんでしたぁーーーー!」


 他に選択肢などあるはずもなかった。






 転がるように逃げていく男の背中を眺めて、ヴィレッサは小さく息を落とす。

 黒馬に跨ったまま、その背をぽんぽんと撫でた。


「メアの勝ち。だから、許してあげよう」


 低く嘶く黒馬は、まだ若干不満そうだ。けれど追い掛けないところを見ると、ひとまず血祭りを催すつもりはないらしい。

 隣に立つマーヤも、ほっと胸を撫で下ろした。


「余計な掃除はせずに済みそうね」


「メアが暴れたら大変なことになるからニャぁ。あちしのお手柄だニャ」


 犯罪の企みを酔っ払いの戯言に出来たのは、確かにロナが咄嗟に機転を利かせたおかげだった。たっぷりと脅しも利かせたので、後の憂いにもならないだろう。

 けれど、余った酒の杯を抱えてくるのはよろしくない。


「あのね、私たちは仮にも公務中なのよ?」


「にゃ? でも口もつけてないのに捨てちゃうのは勿体無いニャ」


「そういう問題じゃないわよ!」


 ぎゃあぎゃあと二人が騒ぎ出す。

 ヴィレッサは苦笑を零しつつ、ゆっくりと黒馬の足を進めさせた。

 街の巡回警備が、三人に与えられた仕事だ。海賊討伐へ向かった兵士が多かったため、普段よりも見回りに就く者が少なくなっていた。


 それでも治安維持に支障が出るほどではない。

 行儀作法の授業に辟易していたヴィレッサから申し出たのだ。許可を出したベルティにしても、街の治安には気を配っていたし、勉強の辛さにも理解を示してくれた。

 この街のために役立ちたいというのも、ヴィレッサの正直な気持ちだった。


「魔獣の数って、そんなに減ってるのかな?」


 先程の魔獣狩りの話は、ヴィレッサの耳にも届いていた。

 酒場の店主に軽く挨拶をして、ロナとマーヤも黒馬に追いついてくる。


「そういえば、マーヤも森まで狩りに行ってたニャ?」


「召喚術の触媒が欲しかったのよ。でも確かに、魔獣とは遭わなかったわね」


 魔獣なんていない方が平和になると、これまでのヴィレッサは考えていた。

 けれど、そう単純な話でもないらしい。

 必要悪というのは少々違うだろう。しかし現状では、魔獣は当然に存在するものとして、世の中の仕組みは出来上がっている。魔獣狩りだけではない。例えば兵士の実戦訓練にも良い相手となるし、その素材は様々な道具に使われている。


 でも魔獣がいなければ、人間の生活圏はもっと広がっていたかも知れない。

 あるいは、もっと多くの古代遺跡が見つかるかも―――。


「……考えても仕方ないか」


 とりとめのない考えを打ち切って、ヴィレッサは視線を横へ向けた。

 マーヤが言った、触媒というのも気に掛かっていた。


「いざっていう時に、召喚術が使えないと困る?」


「まあ、備えておくに越したことはないけれど……」


 眼鏡を上げ直してから、マーヤは静かに首を振った。


「元々、召喚術の触媒は手に入らない物が多いのよ。絶滅したらしい魔獣から取れる物もあるわ。だから代替となる触媒を探すのも術者には必要で、この前の暴食軍鮫の肝とかも加工すれば、水竜に代表されるような強力な召喚獣を……」


「マーヤ、長いニャ。一言にまとめるニャ」


「うっさい! いちいち茶々入れるんじゃないわよ!」


 また口論を始めた二人を横目に、ヴィレッサは街路を眺める。

 様々な建物が並ぶ大通りは、行き交う人々も多い。雑多な声があちこちから流れてくる。時折、黒馬の巨体を見てたじろぐ者もいるが、とりたてて騒動は起こっていない。


 平穏な風景が続いている。

 もう魔導銃に頼る日は永遠に訪れないのでは―――なんて考えも、ヴィレッサの脳裏を掠めていった。

 けれど、それが狭い現実でしかないこともヴィレッサは理解している。


「……今頃は、海賊と戦ってるのかな」


 ぼんやりと呟いて天を仰ぐ。

 晴れ渡った空の端に、灰色の雲が流れてきていた。

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