海戦②


 海風に砂粒が混じる。南国だけあって照りつける日差しは強い。けれど荒々しい風自体は冷たく、酒の熱で誤魔化すのも少々難しかった。


「折角の上質なお酒も、こんな場所じゃ台無しよねぇ」


 大きな酒樽に背を預けたまま、マルゴゥヌは湿った息を吐いた。

 杯を持った腕は太い。腕だけでなく、体全体が見事に鍛え上げられている。その体付きだけならば、見惚れる女も多かったかも知れない。しかし赤黒い肌は、酒に酔ったからでも、陽に焼けたからでもなく―――異様だった。

 全身が乾いた血にも似た色に覆われている。瞳にも朱が混じっている。

 さらに耳は尖り、額の両端には小さな角まで生えていた。おまけに右目から頬に掛けては、酷い火傷痕のように表皮が歪んでいる。


 魔人―――そう呼ばれるのは、間違っていないが、正確でもない。

 ほんの一月ほど前まで、マルゴゥヌは傭兵として働く只の人間だった。レミディアに雇われて戦い、ガルスに敗れ、捕らえられ、そして魔人とされた。

 魔女の手による、禍々しい魔導実験によって。


「だけどまあ、みんなが楽しんでくれてるなら良いのかしら」


 歪んだ顔に浮かぶ笑みは、邪気がないものにも見えた。

 軽やかに咽喉も鳴らしながら、マルゴゥヌは浜辺へ目を移す。

 砂浜に焚火が灯され、大勢の男たちが炎を囲んでいる。商船から奪ったばかりの酒を浴びるように飲み、久しぶりのまともな食事に舌鼓を打っていた。


 海賊、ではない。

 マルゴゥヌが指揮するのは、肩書きとしては、ガルス国の海軍となっている。

 帝国の商船団を襲ったのは事実だが、それは不幸な偶然が重なった結果だ。状況に流され続けた末に、海賊の根城だったという小島に辿り着き、こうして休息を取っている。


 本来ならば、密かにキールブルクの街へ近づいて、強襲を掛ける予定だった。しかし寄せ集めの兵士ばかりを乗せた船団は、風に流され、海流に運ばれ、航路を大きく外れてしまった。商船に遭遇した際も、ただ通り過ぎる選択肢もあったのに、血気に逸った者達が突撃してしまったのだ。

 結果として、お宝を得られた。

 けれど一時の欲望を満たす代わりに、窮地に追い込まれたとも言える。


「逃がしちゃった船もあるのに……絶対、帝国に知られちゃったわよねぇ」


 帝国、ヴァイマー領の海軍は精兵だと、マルゴゥヌも聞き及んでいた。

 望めるならば、相手が態勢を整えていない時に攻撃を仕掛けたい。しかし慣れぬ船での移動で、疲弊している兵も多く、休息を取らねばどうにもならなかった。


「只でさえ崖っぷちの状況なのにねぇ。ますますマズイことになっちゃったわ」


 独りで不安を吐露しながら、マルゴゥヌはまた酒を呷る。

 酔って誤魔化さなければやっていられない―――というほど殊勝でもなかった。

 目の前で、屈強な男たちが無防備に騒いでいるのだ。酒が回って服を脱ぎ出した者もいる。歌い、踊り、挑発するように尻を振っている者もいる。

 そんな素晴らしい光景を酒の肴にしない道理はない。

 今夜は誰と楽しもうか、無理矢理なのは嫌いだから可愛い子を見繕って―――。

 そう舌なめずりしながらマルゴゥヌは立ち上がる。未来の不安に駆られるよりも、目の前の欲望を満たす方が、彼にとっては大切だった。


「ねえ、聞いたことない歌ね。レミディアの歌なの?」


「え? あ、はい。俺たち漁師の間では昔からある歌で、大漁の時にはきまって……」


「そうね。いい獲物にぶつかって、大漁だったものねぇ」


 体をくねらせながら、マルゴゥヌは半裸の男と肩を組んだ。耳元に口を寄せて、野太い声を絡みつける。


「そんなに畏まらないでいいわよぉ。ワタシたち、もう仲間なんだから」


「ひぃっ……あ、いえ、その……」


 男に迫られて歓ぶ男は少ない。加えて、マルゴゥヌは魔人と呼ばれる異形だ。

 元漁師の男は鍛えられた体を縮めこませる。

 一時、気が大きくなっていた男だが、まともな戦いの経験など今日が初めてだった。精々、徴兵されて戦場の端を逃げ回っていたくらいだ。

 しかしいまは逃げることも許されない。

 ガルス魔人国では、逆らう人間は殺されるだけなのだから。


 レミディア首都を陥としたガルス国軍は、周囲の街も次々と支配下へと治めた。未だに抵抗を続けている領主もいるが、もはや趨勢は揺るがない。マルゴゥヌのように魔人とされた者たちが先頭に立ち、反抗勢力を片っ端から攻め滅ぼしていた。

 この場にいる兵士たちも、元はレミディア南部にある港町の住民だった。ガルスによって占領された後、強引に兵士とされたのだ。漁師や農民だった者が大半で、ほとんど訓練すら受けていない。軍艦に乗せられてから戦うと知らされた者もいる。

 どうにか船を動かせたのは、僅かに生き残ったレミディア兵を働かせたからだ。

 制圧し、強奪し、恐怖で支配する。

 そういった単純な行動力に関してだけは、ガルス軍はなかなかに有能だった。


「新入り、教えといてやるぜ。マルゴゥヌ隊長の誘いは断ると後が怖えぞ」


「気に喰わない奴は、真っ先に敵へ突撃させられるからな」


「どっちにしろ、目をつけられた時点で男としては終わりだ。諦めろ」


 下品な声で囃し立てるのは、マルゴゥヌと同じ傭兵団にいた者達だ。元レミディア兵とともに、少数ながらまともな戦力として数えられている。

 もっとも、倫理的にまともな兵士と言うには程遠いのだが。


「酷いわねぇ。ワタシはただ、本当の男の悦びを教えてあげたいだけよぉ」


 マルゴゥヌは赤黒い瞳で睨み返すが、もちろん本気で怒ってはいない。元漁師の男に対しても尻を撫でただけで解放した。


「それに、いまはもう隊長じゃないのよ。ガルス軍の……何だったかしら?」


「第三軍の将軍ですよ、一応ね」


 背後から不機嫌そうな声を投げられて、マルゴゥヌは振り返る。

 そこにいた男はディリムス、傭兵だった頃からマルゴゥヌの下で働いていた副官だ。


「仮にも騎士となったんです。少しは落ち着いた行動を心掛けてください」


「いやぁねぇ、またお小言? こんな時でも真面目なんだから」


「自分が真面目じゃなくなったら、部隊は三日で全滅しますよ」


 しかめっ面を隠そうともせず、ディリムスは深い溜め息を落とす。

 陽気な雰囲気に水を差す言葉だが、あながち間違ってもいない。糧食の手配や部隊の編成、周辺警備の割り当てなど、細かな仕事の大半をディリムスが請け負っていた。

 ディリムスがいるおかげで、彼らは辛うじて集団として成り立っている。


「とりあえず、食料は確保できました。キールブルクまでは足りるでしょう。もっとも、その前に敵が出てくる可能性の方が高いですが」


「お宝は? ワタシに似合うような宝石とかはなかったの?」


「そんなものは後回しです。だいたい、金目の物も大半は置いていきますよ」


「えぇ~、なんでよ? 折角の収獲なのにぃ」


「船の足が遅くなるんです。宝を抱えたまま、帝国軍に沈められたいんですか?」


 これでもかと眉間に皺を寄せて、ディリムスは低く尖った声を返す。怒鳴りつけたいのを懸命に堪えていた。

 そんな様子が可笑しくて、マルゴゥヌはまた挑発するみたいに身をくねらせる。

 ふざけた態度を取るマルゴゥヌだが、ディリムスの意見を否定はしない。仮にも兵団を統率する者として、最低限の戦術は心得ていた。


「やっぱり、速度に頼っての突撃しかないかしら?」


「その速度も帝国の船の方が上でしょうが、他に策もありません。この島に篭もって迎え撃つなんて愚策ですよ。船を沈められ、島に残されて、生き残れると思いますか?」


 問われて、マルゴゥヌは肩をすくめる。自分一人ならば生き残る自信もあったが、小さな島に閉じ込められるなど御免だった。


「結局、街まで乗り込むしかないのよねぇ」


 帝国が誇る魔導遺物のひとつ、『不沈扇』の名はマルゴゥヌも耳にしている。その力と海上でぶつかれば、如何に魔人であろうと勝算が薄いのも承知していた。

 だから陸上での決戦に持ち込みたかった。せめて迷子にならない程度の海軍戦力が用意されていれば、強襲も楽だったろう。

 けれど今更文句を言ったところで、どうにもなりはしない。


「魔人になっても、使い捨ての駒にされるのは変わらないみたいねえ」


 柄にも無く愚痴を零して、マルゴゥヌは浜辺から続く海を眺めた。

 ちょうど雲が流れて、強い陽射しが照りつけてくる。太陽の光は誰に対しても平等だ。たとえ、海賊の真似事をするような外道に対しても。

 揺れる波間に反射した光粒は、辺りに煌びやかな情景を描き出した。

 それでもマルゴゥヌの肌は赤黒く、まるで光を吸い尽くすように禍々しい。ぼんやりと遠くを眺める瞳でさえも、人間離れした不気味さを隠せていない。

 異形の上官をしばし眺めて、ディリムスは物憂げに顔を伏せる。


「……傭兵だった頃に比べれば、いくらかマシですよ。ともかくも勝てば、後は好き勝手にしてもいいんですから」


「ディリムスちゃんの、そういう気遣いできるところって好きよ」


「虫唾が走るのでやめてください、閣下」


 痛烈に切り返されて、マルゴゥヌは恋人に捨てられた乙女のような顔をする。けれど大抵の男からすれば、気持ち悪い、としか思えない表情だった。

 だからディリムスは、それよりも、と軽く受け流す。


「細かな準備はこちらで整えます。ですので、せめて将軍らしく振る舞ってください」


 小言とともに、ディリムスは脇に携えていたそれを差し出した。

 布に包まれていたのは大型の手甲だ。ずしりと重い金属の塊には、複雑な魔術的紋様が刻まれ、掌に当たる部分には虹色に輝く石が嵌められている。

 それが、一対。両腕用に細かな部分で構造は異なっていた。

 魔女の手によって創られた、対魔導士の〝切り札〟だ。


「船室に放置してありましたよ。肌身離さずと、何度も申し上げたでしょう?」


「だってぇ、そんなのずっと付けてたら肩が凝るじゃない」


 それの重要性はマルゴゥヌもよく理解している。けれど言葉にした通り、ずっと武装しておくと邪魔になるのだ。切り札なのだから、ずさんに扱って壊す訳にもいかない。

 マルゴゥヌは表情を緩めながら、腰に差してある長剣を軽く叩いてみせた。


「よっぽどの敵でも現れなきゃ、これ一本で充分よ」


「貴方の強さは承知しています。ですが、不測の事態に備えるのは―――」


 その言葉が引き金になった、なんてこともないだろう。

 だが正しく、不測の事態が襲ってきた。

 砂浜に大きな影が突撃してきて、愕然とした一瞬の間を置き、悲鳴が上がる。


「な、なぁっ、なんだよコイツはぁっ!?」


「さ、サメ? いや、違う、魔獣―――」


「離せよ! さっさと逃げねえと、ぃ―――ッ!」


 突如として沸き起こった惨劇が、砂浜を真っ赤に染め上げていく。

 襲ってきたのは魔獣、暴食軍鮫だ。数十体の小規模な群れで、人間を丸呑みに出来そうな大型のものは数体しか混じっていない。それでも気が緩みきっていた兵士たちは、次々と噛みつかれ、骨まで砕かれ、餌とされていく。

 少し前にキールブルクを襲った群れが、潮流に乗り、血の匂いに惹かれてやってきたのだが―――そんな事情は、慌てふためく彼らが察せられるはずもなかった。


 不意の流血劇を前に、冷静だったのは二人だけだ。

 マルゴゥヌは肩をすくめて、ディリムスはやれやれと首を振る。


「戦いもせずに逃げ惑うばかりとは、軍隊の行動ではありませんね」


「だからって放っておくワケにもいかないでしょう?」


 ちょうど一人の男を飲み下した大型の軍鮫へ向けて、マルゴゥヌは足を踏み出す。流れるような動作で腰の長剣を抜き放った。

 軍鮫も敵意に気づいたのか、体を回し、跳ねる。

 正面から、両者はぶつかり合った。


「魔獣がデカいツラしてんじゃねえぞぉぉぉぉぉオラァァァッ!」


 野太い声とともに一閃。

 マルゴゥヌの長剣が、軍鮫の巨体を真っ二つに叩き割った。さらにマルゴゥヌは魔獣の群れへ躍り掛かると、数体をまとめて薙ぎ払った。小型の軍鮫が腕に噛み付いてきたが、痛がる素振りも見せず、そのまま地面に叩きつけ、磨り潰す。


「テメエラもいつまでも逃げてんじゃないわぁ! 臆病者はタマぁ、引っこ抜くわよ!」


 野太い声で指揮、というか怒鳴りつける。

 我に返った男たちは慌てて武器を手に取った。冷静になれば、小型の軍鮫くらいならば相手にできるのだ。隊列もなにもないが、数で勝る男たちが、魔獣を囲んで屠っていく。


 ほどなくして、騒動は収まった。

 人と魔獣の死体が散らばった砂浜を眺めて、マルゴゥヌはひとつ息を吐く。


「……ワタシってば、血を見て興奮しちゃってるわ。魔人になった影響かしら?」


「以前からそうでしたよ。戦闘狂のゲス野郎です」


 遠慮無い物言いを受けて、マルゴゥヌは心底嬉しそうに笑みを浮かべる。

 その口元には、獣にも似た牙が覗いていた。

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