雲天③


 キールブルクの夜は波音とともにある。人々が寝静まっていくにつれて、繰り返される潮騒が支配域を広げていく。

 初めて街を訪れた者は、耳を叩く音に眠りを妨げられたりもする。

 以前のヴィレッサもそうだった。けれどいまでは、単純な調べに心を宥められていくようにも感じられる。


「この街に来て、けっこう経つんだなあ……」


 柔らかなベッドに寝転んだまま、ヴィレッサはぽつりと呟いた。

 難民集団の一件は、ヴァイマーによる取り計らいでひとまず落ち着いていた。負傷した者たちも治療を受けて、いまは街の側に留まっている。妙な術式を仕込まれていないか、ガルス国の間者は残っていないか、入念な検査をしてから街に入れる手筈となった。

 悲嘆に暮れる者も大勢いた。難民だけでなく、兵士たちからも同情の声は上がっていた。

 それでも希望は繋がったのだ。いずれ新しい生活を始めて、笑顔を浮かべられる日も訪れるだろう。


 失くしたものは、もうけっして取り戻せない。

 だけど似たような日々は作っていける。傷痕は残っても、自分の足で歩いていける。

 歪な形をした自身の耳をなぞって、ヴィレッサは小さく息を零した。


「同情なんてしても仕方ないんだろうけど……」


「お姉ちゃん、眠れないの?」


 隣のベッドから、ルヴィスが控えめな声を投げた。

 なんでもない、とヴィレッサは寝返りを打って背を向ける。昼間の出来事に関しては、ルヴィスには詳細を伏せておいた。

 それでも生まれた時から一緒だった双子だ。隠し事は難しい。少なくとも、血生臭い事件が起こったのは悟られていた。


「話さなくてもいいけど……でも、抱え込み過ぎるのはダメだよ?」


「……うん」


 一度深く目を伏せてから、ヴィレッサはまた寝返りを打った。

 二人のベッドは、其々が部屋の端に置かれている。ベッド自体の大きさも距離を作っていて、月明かり程度では互いの表情はほとんど見て取れなかった。

 だけど声くらいは届く。


「ルヴィスは、やっぱり貴族になるのに抵抗はない?」


「そうだね……美味しい物を食べて、綺麗な服を着られるのは楽しいよ。お姉ちゃんのおまけだって分かってるけど、それでも、出来ることはたくさん増えるから」


「おまけなんかじゃない」


 ヴィレッサは唇を尖らせる。もしも他人がそんなことを言ってきたら、容赦なく叩きのめすだろう。


「ルヴィスの方が、あたしよりもずっと凄いよ。この街でも色んな人に認められてるし、頭だっていい。もっと大きな街の領主にだってなれると思う」


「そんなの、誉めすぎだよ」


 照れくさそうに、ルヴィスは笑声を零す。

 けれどすぐに笑みは消えた。薄明かりの下でも、真剣な気配がヴィレッサには伝わってきた。


「魔導士とか、貴族とか、とっても贅沢なものだよね。だけど……それだけじゃないのも分かるよ。私はまだ、具体的なことはなにも知らない。お姉ちゃんがなにを見てきて、どうして暗い顔をしてるのかも分からないけど」


 でも、だから、とルヴィスは言葉を繋げる。


「だから……私は立派な貴族になるよ。そうすれば、お姉ちゃんと一緒にいられるから」


「えっと、ちょっと待って。そんな必要は……」


「必要あるの! 放っておいたら、お姉ちゃんは一人で無茶ばかりするでしょ!」


 ふんぬぅ、と鼻息を荒くして、ルヴィスは跳ね起きた。そのままヴィレッサのベッドへ乗り込む。

 いきなり怒られ、迫られて、ヴィレッサは目をぱちくりさせた。


「この前だって、あんな危ない魔獣と戦って! すっごく心配したんだから!」


「で、でも、あの時は仕方なかったし、それに危なくも……」


「心配したの!」


「……うん。ごめん」


 困惑しながらも、ヴィレッサはそっと手を伸ばした。

 膨れっ面をしている妹の頭を優しく撫でる。しばらくそうしていると、ようやくルヴィスも落ち着いたのか、ぼふっとベッドへ身を横たえた。

 額を突き合わせる形で、どちらからともなく目蓋を伏せる。


「今日、お姉ちゃん、帰ってきた時から怖い顔してた」


「ん……そう、かな。そうかも。少し気が立ってたから」


「……また、戦わなくちゃいけないの?」


 躊躇いがちに問い掛けて、ルヴィスは姉の手を握った。

 互いに目を伏せたまま。だけど嘘を吐いても、きっと伝わっただろう。


「分からない。でも、その時が来たら……迷ってる暇もないと思う」


 静かに告げて、ヴィレッサは手を引こうとした。

 だけどルヴィスは離さない。強く握った手を、自分の胸元へと寄せた。

 ふとした気配を覚えて、ヴィレッサは目を開ける。


「大丈夫。その時は、私も戦うから」


「ルヴィス……?」


 違和感があった。ヴィレッサはじっと妹の表情を窺う。

 けれどルヴィスは深く顔を伏せて、もうなにも語ろうとしない。

 ただ、薄い月明かりに照らされた顔は、穏やかに笑っているようだった。







 深夜になって、ヴィレッサはそっとベッドから抜け出した。

 ルヴィスの寝顔を眺めていたおかげか、随分と心は落ち着いている。短いながら睡眠も取れていたし、体もすっきりしていた。

 枕元に置いてあった『赤狼之加護』を寝間着の上に羽織る。

 そうしてヴィレッサは、物音を立てないようにしながらベランダへと出た。


「……やっぱり、まだ少し寒い」


 ぽつりと呟くと、夜闇に沈んでいる街へと視線を移した。

 ヴィレッサたちに与えられた部屋は、屋敷の二階にある。昼間なら海まで見渡せるのだが、いまは当然、ほとんどの風景が闇に染まっている。

 もう明け方にも近い時間だろう。月明かりも控えめになっていた。それでも潮騒だけは届いてきて、いつもと変わらぬ街並みがあると感じ取れる。


 ベランダの手摺りに寄り掛かりながら、ヴィレッサは懐へ手を伸ばした。


「ガルス、魔人国……ディードはどう感じた?」


『情報不足のため判断しかねます。ですが、私の魔弾に貫けぬものは存在しません』


「そういう意味じゃないんだけど……」


 小さく咽喉を鳴らしながら、ヴィレッサは魔導銃を両手で握った。

 硬い銃身に、コツンと額を当てる。


 魔導銃の発言はややズレていたものの、情報不足というのは間違っていなかった。

 魔人―――その存在自体は、非常に稀だが確認されている。簡単に言ってしまうなら、魔獣の人間版なのだ。高濃度魔力の影響により、野生の動物ではなく、人間が変異してしまったもの。

 だが人間は、大抵の野生動物よりも魔力への適性が高い。庶民でさえ生活の中で簡単な魔術を覚えられる。魔人が生まれるとしても、よほど魔力適性の低い人間が、よほど不幸な事態に見舞われた場合のみだ。

 何十年に一人現れるかどうか。あるいは、もっと低い確率だろう。


 しかも魔人が生まれたとしても、即座に死を迎える場合が多い。突然の変異に、人間の生命力では耐え切れないのだ。たとえ耐えられ、生き延びられたとしても、理性を保てるかどうかは別問題となる。多くの魔獣がそうであるように、破壊衝動に突き動かされるままに暴れて、ほどなくして討伐される。

 魔獣と違って、魔人はさして脅威とならない。変異によって肉体が強靭になったとしても、元々の身体能力は野生動物よりも低いのだから。

 強化術を扱える兵士が冷静に対処すれば、負傷者も出さずに仕留められる。


 そういった常識から判断すれば、魔人国などと宣言されても眉唾物にしか聞こえない。理性を持った魔人が現れ、ましてや国を興したなど、有り得ないとしか思えない。

 だが、もしも事実だとしたら?

 常人離れした身体能力を備えて、理性と知恵によってその力を使えるとしたら?


「……メアみたいなものかな」


 苦笑を零して、ヴィレッサは頭を振った。

 自分の愛馬と戦うなんて考えたくもない。下手な人間よりも、ずっと信頼している相手なのだ。

 それに、眉唾物にしか聞こえない魔人よりも、別の事実が気に掛かっていた。


「レミディアが滅びたのは、まず間違いないんだろうね」


『恐らくは。ヴァイマー伯爵の言葉を信じるならば、確度の高い情報です』


 もしや、とヴィレッサは考える。

 以前、ヴィレッサはレミディアの首都を襲撃したことがあった。派手な砲撃を叩き込み、王城の一角を吹き飛ばした。

 それ自体は胸を張れる。侵略者どもに一泡吹かせてやった。

 機会があれば、自分の手で王の首を取ってやろうとまで考えていた。


 だが結局、レミディアはガルスによって攻め滅ぼされた。

 そして大勢の難民が生まれて―――。


「……あたしが影響を与えた部分もあるのかな」


『不明です』


 情報が足りません、と魔導銃は冷ややかな言葉を繰り返した。

 一国を滅ぼす引き金を弾いた―――そんな考えは、自意識過剰ではないかとも思える。

 けれどヴィレッサの手には、それだけの可能性が握られているのだ。

 ひたすらに殺して、殺して、殺し尽くす。

 血に濡れた道を歩み続ける。最後には一人だけが残される。

 そうなると覚悟して、ヴィレッサは魔導銃を手に取った。後悔などするはずがない。

 ただ、小さな疑問を覚えた。


「どうして、魔導遺物は作られたんだろう?」


『……? 私の存在意義は、マスターの助力となることですが?』


「そうじゃない。あたしたちだけの話じゃなくて……」


 疑問というよりは予感。あるいは、それは怖気を覚えるような不安に近い。

 戸惑いながらも、ヴィレッサはそれを口にする。


「魔導遺物が、争いを呼んでる気がする」


『否定します』


 え、とヴィレッサは間の抜けた声を漏らしてしまう。

 握った魔導銃を見つめて、ぼんやりと首を傾げた。


『何故なら、すべての魔導遺物は―――』


 強大な力が争いを呼び込む。ヴィレッサが覚えた不安は、一面の真実だったはずだ。

 けれど魔導銃もまた真実を語った。

 少なくとも、ヴィレッサにとっては疑いなく信じられた。


『不要な血が流れるのを止める、そのために我々は創造されたのです』


 淡々と語られる言葉は希望だった。狂おしいほどの願いでもあった。

 けれど儚く、叶わない。

 魔導銃を握るヴィレッサの前には、また多くの死が積み重ねられる。




 数日後、一隻の商船がキールブルクの港に辿り着く。

 その帆はボロボロに焼かれ、船体も壊れ掛けて、傷だらけの船員で満たされていた。


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