曇天②


 屋敷に押し掛けてきた黒馬は、ヴィレッサの姿を見ると、袖を引っ張ったり背中を押したりしてきた。どうやら外へ連れ出したい様子だった。


 街の外でなにかを見つけたのか?

 訊ねても、さすがに具体的な答えは得られない。足を運んでみるしかなかった。

 ヴィレッサだけでなく、ヴァイマー伯爵とベルティも興味を抱いて同行を決めた。領主が外へ赴くとなれば、当然、配下の兵士たちも従う。万が一の危険にも備える必要があるので、ルヴィスは渋々ながらも屋敷に残るのを承諾した。


 大急ぎで百名程度の騎兵部隊が編成されて、一行は黒馬に先導される形で出立した。


「メアの様子からすると、そんなに危ない事態はなさそうだけど」


「しかし、随分と焦っているようでござったが?」


 ベルティと馬を並べながら、ヴィレッサは首を傾げた。

 黒馬が向かうのは街の北東。遥か遠方には、南北に長く連なるジュニール山脈が眺められる。天然の国境線が、隣国であるレミディア聖教国との衝突を防いでくれている。


 その山脈までは、黒馬の足でも数日は掛かる。

 街から近いのは、その手前、一刻ほどの距離にある森林地帯だ。春になると魔獣も出るが、良質な木材も採れる。森の手前には伐採用の小屋も作られていて、業者が行き来するための道も整備されていた。


 けれど黒馬の足は、その道から少し逸れた草原へと進んでいく。

 集団の影が見えてくるまで、さして時間は掛からなかった。


「あれは……武装はしておらぬでござるな」


「うむ。他国の兵でもなければ、夜盗でもない。しかし我が領地の民でもなさそうだ」


 およそ千人ほどの集団が、のろのろと歩いていた。薄汚れた格好をして、疲れ果てた顔をしている者ばかりだ。若い男が多いようだが、老人や女、赤ん坊を抱えた者もいる。


「難民なのか……? しかし、何処から?」


 ヴァイマーの推測は的確であり、疑問も当然のものだった。

 彼らの有り様を窺うに、住処を追われた難民集団としか思えない。しかし彼らが現れたのは、街の東側、森と山脈しか存在しない地域だ。他の領地からの難民となれば、それはそれで問題だが、人が住むどころか行き来するのも困難な場所でしかない。

 山脈を越えれば、レミディア国の領域ではあるのだが―――。


「ともかくも、事情を確かめるのが肝要かと。父上、拙者にお任せを」


 ヴァイマーの許しを得て、ベルティは数名の兵とともに馬を走らせていく。相手の正体が知れない以上、領主であるヴァイマーが迂闊に近寄る訳にもいかないのだ。

 黒馬に跨ったまま、ヴィレッサもその場に留まった。

 けれど魔導銃に伸ばしていた手は戻す。まだ警戒が必要なのは理解していたが、銃口を向けたい相手ではなかった。


「……水とか食事を用意してあげた方がいいかも」


「そうだな。何名か、街まで伝令に戻れ。急いで救護が必要な者がおるやも知れぬ。治療術師の手配もしておけ」


 素早く指示するヴァイマーの横顔を眺めてから、ヴィレッサは集団へと目線を戻した。

 ベルティが駆け寄ると、集団からは助けを求める声が上がる。

 喘ぐように手を伸ばした子供が、歩くのもままならずに倒れていた。







 大よその事情を聞き取って、ヴァイマーが苦々しげに声を漏らした。


「やはりレミディアからの難民であったか……」


 難民集団には、ひとまず兵士たちが手持ちの水などを与えている。怪我人や衰弱している者にも応急処置が施されていた。物資を携えた救援部隊も駆けつける予定だ。

 忙しなく働く兵士たちの様子を眺めながら、ヴァイマーは馬を降りた。ベルティと数名の兵士のみを連れて、少し離れた場所で息を吐く。


 ヴィレッサも後に続いて黒馬を降りた。

 黒き悪夢

ナイトメア

を見て怯える難民もいたし、離れていた方がよさそうだった。

 殺すこと以外に関しては、ヴィレッサはまだまだ子供なのだ。

 それに、訳知り顔のヴァイマーから話を聞いておきたかった。


「まだ満足に冬も明けておらぬ時期に山越えなど、正気の沙汰とは思えぬでござる。夜盗に追われ、領地の兵も逃げ出したという話でござったが……それほどにレミディア国内は乱れておるのでござろうか?」


 声には怒りも混じっていた。仮にも統治する側に立つベルティにとっては、民を守らず逃げ出すなど許されざる所業なのだ。

 時期から考えれば、難民集団は冬の間に山越えを行ったのだろう。雪が降り積もり、魔獣も出没する危険な地域を、正しく命懸けで踏破してきた。恐らく、いまこの場に辿り着いた者よりも、途中で命を落とした者の方がずっと多かったはずだ。


 悲劇的な状況そのものも、同情や怒りを誘う。

 しかしヴィレッサとしては、怒りよりもむしろ疑問の方が大きい。

 かつて、短い間だが、ヴィレッサはレミディア国内を見て回る機会があった。敵国内を駆け抜ける形だったので、表面上の様子を窺った程度だ。それでも庶民の生活を感じ取るくらいはできた。

 ヴィレッサが見た限りでは、夜盗が跳梁跋扈するほど荒れた土地柄ではなかった。もちろん領地によっては事情が違ったのだろうが―――。


 仮にもレミディアは大国と言える。魔導遺物の力に頼って台頭し、大陸随一の国力を誇る帝国に、まがりなりにも敵国として認められていたのだ。「けっして敗北は有り得ないが油断のならない相手」、というのが帝国のレミディアに対する評価だった。

 つまりは、レミディアはそれなりの国力を持っている。

 少なくとも国軍が動けば、夜盗程度ならば容易く討伐できる。

 なのに、民衆が逃れてくるのは不自然―――と、ヴィレッサは首を傾げていた。


「こういうことって、以前にもあったのかな?」


 あるいは自分の見識不足かも知れない。そうも考えたヴィレッサは、控えめに問いを投げた。

 返答を求められたまま、ヴァイマーは精悍な顔を厳しく顰める。

 やがて真剣な眼差しがヴィレッサへと向けられた。


「ヴィレッサ殿、私は其方を魔導士として認めておる。しかし……」


「あたしが子供なのは理解してる」


 間髪入れずにヴィレッサが返答する。揺るぎない眼差しに決意を込めて。

 住居を追われ、一縷の希望に縋って歩き続ける―――、

 そんな難民の姿は、ヴィレッサに嫌な記憶を想起させた。かつて村を焼かれたヴィレッサも似たような体験をしたのだ。

 だから、その可能性にも思い至った。

 レミディアで何かしらの戦乱が起こったのではないか、と。


「ヴァイマー伯爵は、何か知ってるんでしょう? レミディアからの難民だって聞いて、納得したような顔をしてた」


「……血生臭い話になるのだ。子供に聞かせるものではない」


「それでも、あたしは知りたい。なにも知らないまま、奪われるのはもう嫌だから。ルヴィスやシャロン先生を守るためなら、戦場に立つ覚悟だって出来てる」


 優しくも厳しい眼差しと、幼くとも揺るぎない眼差しがぶつかり合う。

 一呼吸ほどの間を置いて、ヴァイマーの方が退くように頷いた。


「密偵から報せは入っていた。レミディアの首都が陥落した、と」


「なっ……!?」


 ベルティや、側にいた兵士たちが驚きの声を漏らす。

 ヴィレッサも僅かに目を見開いたが、静かに話の続きを待った。


「相手はガルス魔人国を名乗る、さらに東方にある新興国家だ。戦力の詳細などはまだ掴めておらぬが、レミディアの国王が討たれたのは確実であるらしい。帝都にも同じ情報が入ったというから、まず間違いはあるまい」


 重々しい声で語られた話は、ヴィレッサでもすぐには受け入れられなかった。

 首都が陥落。国王が討たれた。

 それは即ち、ひとつの国が滅んだということ。

 しかも、自分が関わったこともある国が。

 いったい、何が起こったというのか?

 ガルス魔人国など名前も聞いた覚えがない。これから、何が起こるのか―――。


「帝国でも、また戦争が起こる……?」


 辛うじて頭の中を整理すると、ヴィレッサは疑問を口にした。

 それが、ヴィレッサにとっては最も危惧すべき事柄だった。


「まだ、なんとも言えぬ。レミディアの十二騎士も、全員の消息は掴めておらぬからな。彼の国にあった魔導遺物がどうなったかも分からぬ。ガルス国王がまともな者であれば、続けて帝国へ攻め込んでは来ないはずだが……」


 腕組みをして、ヴァイマーは一旦話を区切った。あるいは、もっと深い情報を掴んでいるのかも知れないが、告げられる内容はここまでなのだろう。

 たとえ戦乱が起こるとしても、いますぐという状況ではない。

 目の前には、また別の問題も残されていた。


「ベルティ、いまの話を踏まえた上で答えよ。あの難民に対して、其方ならばどのように処遇する?」


「そ、それは無論、家と仕事を与えるのが良いかと」


「キールブルクに迎え入れるというのか? 他国の者を? 千人もいるのだぞ?」


 下手な答えは許さぬ、とヴァイマーの口調は語っていた。

 普段は考えるよりも先に刀を振るうベルティだが、さすがにすぐに口を開くのは躊躇っていた。しばし顔を伏せてから、やがて迷いを振り切ったように頷く。


「他国の者とはいえ、困窮した民を捨て置くのはあまりにも無情。千人程度であれば、受け入れる余裕はあるはずでござる」


 傍らで遣り取りを見守っていたヴィレッサも、内心では同じような結論に達していた。

 他国の者に施しは必要ない―――そんな非情な選択肢もある。けれどいまは困窮している難民たちも、傷が癒え、腹が満ちれば、働き手となってくれる。助けてもらったことに恩義を感じて、きっと懸命に働いてくれる。


 領民が増えれば、領地も賑わう。だから救うべきだろう。

 合理的に考えても、領主であるヴァイマーにとっては得になるはずだ。

 ただし、彼らが本当に難民であるならば。


「考えなかったのか? もしもあれが、難民ではなく他国の兵であったら、と」


 冷ややかに返されたヴァイマーの言葉に、ベルティははっと息を呑んだ。

 同じく、ヴィレッサも虚を突かれて押し黙る。いまにも命を失いそうな難民たちの姿は、他国に踏み入ってくる乱暴な兵とは、重ねて考えられるものではなかった。


「無論、彼らの大半は無辜の民であろう。しかしガルスの間者が混じっていないとも言い切れぬ。あの山脈を越えてきたのだ。その道筋などの情報を持ち帰られては、我が領地が危機に陥る可能性は充分にある。敵軍が山脈越えで奇襲を仕掛け、同時に潜んでいた間者が街で騒動を起こす……多大な犠牲が出るであろうな」


 難民集団は、夜盗に追われて逃げ出してきたという。けれど実際には、その夜盗はガルス国の兵士だったのだろう。民衆を追い詰め、住居を捨てるように仕向けて、山脈越えの道を探るために実験台として使った―――。

 そう残酷な予測を語るヴァイマーは、忌々しげに歯軋りを零していた。


「山脈越えを決断させるため、民に紛れて扇動した者もいたはずだ。ベルティ、ヴィレッサ殿も、そやつらをどうやって見つける? あるいは放置して迎え入れるか?」


「じ、尋問をすれば、いや、しかし……」


 しどろもどろに答えて、ベルティは頭を抱える。

 ヴィレッサも腕組みをして頭を働かせたが、明確な返答は出せなかった。

 深刻な事態には違いないが、すべてがヴァイマーの杞憂という可能性もある。間者など始めからおらず、只の夜盗に苦しめられた民がいるだけなのかも知れない。

 ならば、全員に救いの手を差し伸べるべきか?

 しかし、領地どころか帝国全土を危険に晒す恐れもあって―――やはり答えは出ない。


「ベルティよ、民を守ろうとする其方の優しさは、父として、領主として誇りに思う」


 だが、とヴァイマーは首を振った。

 難民たちを鋭く睨むと、そちらへ向けて歩み出す。


「しかし時には切り捨てる決断も必要なのだ。ましてや、あの者たちは他国の人間。我が領地に危険を招く可能性があるならば、排除するには充分な理由だ」


「父上、お待ちを! だからといって殺す必要は―――」


「全員を、とは言っておらぬ。控えておれ」


 威圧とともに命じると、ヴァイマーは一人の男の前に立った。

 みすぼらしい格好をした、他の難民と比べても格別に目立つところのない男だ。働き盛りの年齢だろう、適度に鍛えられた身体付きをしている。敢えて怪しい部分を挙げるとすれば、腰に短剣を携えているくらいだ。

 しかし難民の中には武器を持っている者も少なくなかった。手持ちの鉈や鎌といった、平民でも手に入る道具だ。魔獣が出没する地域を抜けてきたのだから、その程度の備えはあって当然とも言えた。

 休んでいた男を立たせると、ヴァイマーは大声で告げた。


「貴様、ガルス国の間者だな?」


「え……? い、いきなりなにを仰っておられるので?」


 愕然とする男を睨んだまま、ヴァイマーはゆっくりと剣を抜き払った。

 問答無用、と斬り掛かる。


「お、お待ちを、貴族様に逆らうつもりは……っ!」


 抗弁しながら、男は咄嗟に飛び退いた。同時に腰の短剣を抜き放つ。

 ヴァイマーの剣は空を斬った、が―――。


「ほう。随分と戦い慣れた動きだな」


「い、いや、これは魔獣との戦いで身に付いただけで……」


「どうでもよい。貴様を殺す決定は覆らぬ」


 短く告げると、ヴァイマーは続け様に剣を振るった。先の一撃とはまるで違う、素早い踏み込みとともに放たれた斬撃は、まず男の腕を斬り払った。

 短剣を持った手首のみが空中を舞い、鮮血が細い筋を描く。

 しかし男は苦悶に喘ぐこともなく、次の瞬間には首と胴体を切り離されていた。

 突如として繰り広げられた惨劇に、難民たちが悲鳴を上げる。中には逃げ出そうとする者もいた。


「騒ぐな! 逃げる者は斬る!」


 ヴァイマーとて確信があった訳ではない。ただ、怪しかったというだけ。

 必要だったのは見せしめだ。領地に不利益をもたらす者には容赦しないと、そう難民に対して知らしめる必要があった。その上で厳しく尋問し、難民同士でも監視させるなどすれば、本当に悪意を持つ者を探し易くなる。


 けっして最善の決断ではなく、命を蔑ろにする判断だろう。

 しかし領主としては間違っていない。

 怯える難民を睨みながら、ヴァイマーは兵士たちに次の指示を出そうとする。

 だが直後、斬首された男の死体から青白い輝きが放たれた。魔力の輝きだ。何かしらの魔術が発動されようとしていた。


「な、っ―――身を守れ!」


 完全に不意を打たれたヴァイマーだが、それでも咄嗟に反応できたのはさすがだった。自身の前に障壁を張り、大声で命令を飛ばす。


 同時に、大きな影がヴァイマーの横を駆け抜けた。

 異常を察した黒馬が飛び出したのだ。雄叫びにも似た嘶き声を響かせると、男の死体を馬蹄で蹴りつけた。凄まじい勢いで撥ね飛ばされた死体は、高々と舞い上がる。


 空中で、激しい爆発が起こった。

 炎と衝撃が撒き散らされ、肉と骨が弾丸となって周囲の者を襲う。

 無数の悲鳴が上がった。その大半は、身を守る術を持たない難民のものだった。ヴァイマーやベルティ、兵士たちは即座に障壁を張り、あるいは盾に隠れたためにほとんどの者が無傷で済んだ。


 ヴィレッサも、黒馬の巨体と『赤狼之加護』に守られていた。

 けれど難民たちは違う。爆発の炎を浴び、衝撃で吹き飛ばされて、飛び散った肉や骨に全身を貫かれる者もいた。

 命懸けの旅をしてきた彼らは、ようやく安住の地を得られるはずだった。

 けれど一瞬にして地獄へ引き戻された。

 まるで希望など存在しないと告げるように―――その地獄は、まだ終わらない。


「ぅ、あ、俺の体が……だずげ、っ……!」


「また自爆するぞ! 伏せろ!」


「いやああああああぁぁぁあぁぁぁぁぁ―――」


 本人も知らない間に術式を仕掛けられていたのだろう。

 何かしらの条件で発動する、自爆の術式を。

 難民の中から、十名ほどの者が呻き声を上げた。彼らの身体は熱湯で茹でられたように醜く膨れ上がり、青白い光を放ちながら爆裂する。

 次々と命が散っていく。瞬く間に、辺り一帯が血に染まる。

 事態が落ち着いた時には、巻き込まれた者も含めて百名以上が犠牲になっていた。


「全員、動くな! 逃げ出す者は殺す! 抵抗する者も殺す! だが素直に従うならば、帝国伯爵の名に於いて命は保障しよう!」


 ヴァイマーの声が草原に響き渡った。

 難民たちは皆一様に項垂れ、身を縮めている。元より疲弊しきっていたところを惨劇に見舞われたのだ。もはや逃げ出す気力すら残っていなかった。

 血の匂いが漂う中で、兵士たちも愕然としていた。それでもすぐに集まって防御陣形を組む。ヴァイマーの指示に従って冷静に動き始めた。


「まだ何が起こるか分からん。充分に注意しろ。まずは負傷者の手当てだが、必ず数名で警戒しながら行え。応急処置程度で構わん。本格的な対処は後続部隊が到着してからだ。いまは彼らを逃がさぬために行動しろ」


 難民の命よりも兵士の安全を優先する。それもまた領主としては当然だった。

 冷徹な指示を送るヴァイマーの背中を、ヴィレッサは眉根を寄せながら見つめていた。


 的確で、指揮官には相応しい判断だと思う。

 もしも同じ立場にあれば、ヴィレッサも同じような判断をしただろう。

 情報だけを得て皆殺し―――なんて選択肢もあるのだ。そうしたところで損害は無い。残った命を救おうとするだけでも、ヴァイマーは貴族として良心的な部類だった。


 だけどヴィレッサは苦々しく顔を歪めてしまう。

 人の死には慣れたつもりだった。ヴィレッサ自身も、過去に数え切れないほどの命を奪ってきたのだ。今更、悲嘆に耽るつもりはない。

 なのに、胸が痛む。どうしようもなく苛立ちが湧いてくる。


「ガルス、魔人国……」


 ぎちり、とヴィレッサは歯噛みした。

 なにも知らない人間を弄んで利用する。自爆まで強要する。外道そのものの所業を見せつけられて、涼しい顔をしていられるはずもなかった。

 その名は明確な敵として、ヴィレッサの脳裏に刻まれた。

 けれど、それだけではない。

 国家ではなく、もっと漠然としたものに対して、沸々と怒りが込み上げてくる。

 誰に対してでもなく、たぶん、理不尽なこの世界を許せなくて―――。


「ヴィレッサ殿」


 優しげな声は、ヴィレッサの真正面から投げられた。

 いつの間にか歩み寄ったヴァイマーが、膝を折って目線の高さを合わせていた。


「其方は帰った方がよい。先程までとは、少々事情が違ってきたからな」


「……ううん、残る。あたしは魔導士だから」


 もっと血生臭い戦場も知っている。そうヴィレッサは訴えて、ぎゅうっと拳を握った。

 けれどヴァイマーは穏やかに首を振った。


「其方の覚悟を疑っているのではない。その魔導銃の力も、魔導士としての才覚も、いずれ帝国を支えるものとなるであろう。しかし……」


 ぽんぽん、と。大きな手がヴィレッサの頭に乗せられる。


「大人に格好をつけさせるのも、子供の務めだ」


 やや乱暴に頭を撫でられて、ヴィレッサは仕方なく頷いた。

 ヴァイマーの言葉に従ったのではない。

 ただ、この場に居ても何も出来ないと思ったから。


 銃口を向けるべき相手を見つけられなかったから―――。


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