港町のお祭り
暴食軍鮫の襲来から数日、街には朗らかな声が溢れている。
例年よりも早い『春波』の到来によって、何隻もの船が沈められた。兵士には負傷者も出た上に、打ち壊された建物も多い。ヴァイマー伯爵が見舞金を多目にはずんだとはいえ、船を失くして仕事ができない者もいる。
被害は小さくない。だが幸運にも、取り戻せないほどのものではなかった。
なにより『春波』は季節の変わり目を告げるものだ。
文字通りに訪れた春を、街全体が歓迎していた。
時期はズレても気候は暖かくなってきている。それに、祭りの食材は余るほどあった。
毎年きまって訪れる軍鮫の群れを、キールブルクの住民が美味しくいただく。そこまでが慣例となっている。魔獣である軍鮫の肉は毒を含んでいる部分もあるが、安全に食べられる方法も発見されていた。
いまでは安全だけでなく、味や保存方法まで追及されている。
さらに軍鮫の波から逃げるように、他種の魚群も近海に現れる。どれだけ下手な漁師でも豊漁を期待できるほどだ。
正しく有り余るほどの食材は、惜しみなく住民に配られた。港から続く中央通りには臨時の露店がずらりと並んで、大勢の人々が行き交っている。
「拙者のオススメは、つみれ揚げでござるな。いや、しかし他の魚介類と合わせたスープも捨て難い。あるいは乾物としたヒレも旨味が凝縮されて……ううむ、ひとつに絞るのは難しいでござる」
ベルティに案内されながら、ヴィレッサは露店を見て回っていた。
隣にはルヴィスもいる。はぐれないように手を繋ぎながら、珍しい料理に目を輝かせていた。
「お姉ちゃん、ほら、こっちも。すっごく良い匂いしてる」
「ん……フカヒレの、腸詰め?」
「新作でござるな。店主、三つ貰おう」
釣りはいらぬ、とベルティが金貨を指で弾く。けっしてベルティが計算を苦手だからではない。そちらの理由も若干あるとしても、ヴァイマー伯爵からも指示されていた。
双子に祭りの案内をして、贅沢に金を使うように、と。
領民に富を分配するのも領主の務め、という訳だ。
小難しい話をベルティが理解しているかはともかくも、ヴィレッサとルヴィスは祭りを楽しんでいる。串焼きにされた腸詰めに齧りついて、揃って頬を緩めた。
「すごいね。お魚なのに、豚とか猪のお肉みたい」
「うん。お祭りは、美味しい」
露店に並ぶのは、なにも食べ物ばかりではない。硬く鋭い軍鮫の歯は、武器から日用品まで様々な物に加工できる。頑丈な皮も同様で、とりわけ防寒素材として重宝される。魔術や錬金術の研究素材としても使われている。
この時期に合わせて、遠方から買い付けに来る商人も多い。
さらに今年は、珍しい素材が競りに掛けられて注目を集めていた。
「例の巨大蛸の足は見たでござるか?」
「ん。毒があって食べられないんだって聞いた」
頭や胴体は派手に吹き飛んでしまった巨大蛸だが、その足は何本か回収された。吸盤の内部に針があって、そこに毒袋もあるという、なんとも危険な素材だった。
「あれを食べようとは、ヴィレッサ殿は剛毅でござるな」
すでに五本目の腸詰めに齧りついているベルティも、巨大蛸を食べようとはしなかった。そもそも蛸自体、その見た目から忌避され、食用とは考えられていない。
しかし口に入れる以外でも用途はある。職人にとっては腕の振るい甲斐のある素材で、商人にとっては珍しいというだけでも高値が付く商品だ。其々に訪れた好機に、職人も商人も頭を捻ると同時に目を輝かせていた。
「あの巨大蛸は、数年前から『春波』に加わるようになっていたでござる。毎年退けてはいたものの、討伐までには至らぬ難敵でござった」
「そうだね。大きいだけじゃなくて、頑丈そうだった」
「その難敵を仕留められたヴィレッサ殿は、実にお見事。こうして街の皆が騒いでいられるのも、ヴィレッサ殿のご助力があったおかげでござる」
ベルティは思ったままを口にしただけなのだろう。
だけど大袈裟な誉め言葉を向けられて、ヴィレッサは複雑に顔を歪めてしまう。
武勲を誇るつもりはない。最低限、無駄飯喰らいじゃないと認められれば充分だった。
だから、困る。どんな顔をしていいのか分からない。
おまけに、大袈裟なのはベルティだけではなかった。
「おお、ヴィレッサ様。先日は、おかげで命拾いしました」
「俺も助けられたっす。ありがとうございますっす!」
「あの爆発も魔導遺物の力でしょうか。いやぁ、驚くべき力ですな」
「ヴィレッサ様、是非、自分を従者に!」
露店巡りをしている間にも、兵士やら街の有力者やらが声を掛けてきた。適当に手を振ってやり過ごして、ヴィレッサは溜め息を落とす。
ほんの数ヶ月前まで、ヴィレッサはただの田舎娘だったのだ。ご近所以上の人付き合いは知らない。いきなり大手の商人から家に招かれたり、働き盛りの男から従者になりたいとか言われても、断る以外の対応はできなかった。
「お姉ちゃん、大人気だね」
「そう言うなら、ルヴィスが代わって」
膨れっ面で返したヴィレッサに、小さな飴が差し出された。黄金色で、鮫を象った物が小串に刺されている。
ルヴィスもその飴を舐めながら笑顔を零していた。
「少しは慣れた方がいいよ。ちゃんと魔導士になったら、もっと大変なんだから」
「ん……でも、美味しい物が食べられる?」
「そういうこと。頑張って、シャロン先生を安心させてあげよう」
また二人は手を繋いで、露店が並ぶ街路を歩いていく。
しばらくすると、見慣れた修道服が目に入ってきた。
「二人とも、おかえりなさい。お祭りは楽しめた?」
「うん。ルヴィスがはしゃいでた」
「お姉ちゃんだって。それと、ベルティさんにいっぱいご馳走になりました」
迎えてくれたのは、シャロンだけではない。修道院で暮らすシスターや子供たちも揃っていて、小さな露店を構えていた。
提供しているのは、鮫肉と香草を合わせて衣をつけて揚げた物。ヴィレッサが発案して、ルヴィスとシャロンが改良を加えた料理だ。
特製ソースの評判もよく、いまも大勢の客が並んでいた。
「おお、これはまた濃厚な味わいでござるな。鶏肉のようでいて脂味はしつこくなく、香草が爽やかに舌を楽しませてくれる。いくらでも食べられるでござるよ」
早速、ベルティも齧りついていた。子供二人分以上に買い食いをしていたはずなのに、随分と頑丈な胃袋を持っているらしい。
「私たちも手伝おう」
「ん。他の子と交代する」
頷き合って、ヴィレッサとルヴィスは露店の裏へ回る。
けれどそこで、シャロンに手招きされた。
「ルヴィスはこっち。このお皿を、あそこの二人に届けてきて」
たくさんの揚げ物が盛りつけられた皿を、シャロンは差し出す。そうして目線を送ったのは路地の片隅、壁に背を預けている二人の男がいた。
ヴィレッサには見覚えのない相手だ。これといった特徴もない。服装からして平民のようだが、屈強な体格からすると職人か兵士だろうか。
記憶力には自信があるルヴィスも首を捻る。やはり知らない相手だった。
「シャロン先生の知り合いですか?」
「そんなところね。お勤めご苦労様って伝えてちょうだい」
不思議そうな顔をしながらも、ルヴィスは素直に従って皿を運んでいく。
その小さな背を見送ってから、シャロンはヴィレッサに歩み寄った。
「少し疲れた顔してるわね。休んでてもいいわよ?」
「大丈夫。人が多くて驚いただけ」
それに、とヴィレッサは胸を張って宣言する。
「立派な魔導士になって、先生に贅沢させてあげるんだから」
ヴィレッサは柔らかく目を細めた。
無邪気な子供が将来の夢を語っただけ―――そんな風にも見えた。
だからシャロンも優しく笑みを浮かべる。強張ってしまった表情はすぐに消した。
「そんなに急がなくてもいいのよ。貴方は、まだ子供なんだから」
「うん……でも、もうたっぷり休んだよ」
空になった皿を抱えながら、ヴィレッサは大勢の人が行き交う通りへ目を向ける。
ぼんやりと。何処でもない遠くを眺めるみたいに。
その瞳の奥には強い輝きも宿っていたけれど―――。
「あたしは、ずっと前に覚悟をしてたから」
何処にでもいる子供みたいに、ヴィレッサは屈託のない笑みを浮かべてみせた。
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