港町の魔弾幼女②


 腰の刀に手を添えながら、ベルティは背筋を真っ直ぐに伸ばして歩く。貴族のお嬢様というよりも、騎士といった雰囲気が所作から滲み出ている。

 ヴァイマー伯爵家の長女に生まれたベルティだが、貴族としての地位はさほど高くはない。もちろん平民からすれば天上人のようなものだ。けれど兄が二人いるので、生まれた瞬間から家督を継ぐ可能性は失くなっている。


 そもそもベルティの母親は、海の向こう、遥か東方国の出身だった。現在は第二夫人の地位に納まっているが、生まれついての身分は低いもので、その扱いにしても帝国の慣習からすれば破格のものだった。

 だからベルティ本人の立場も不安定―――というほどでもない。第一夫人や異母兄との仲は良好だ。いずれは他領へ嫁ぐのが順当なところだろう。


 しかしベルティは、生まれ故郷であるキールブルクの街が好きだった。

 だから街のため、住民のため、自分にできることを探した。領地を治めるための知識や魔術の勉強は苦手だったが、ベルティは剣術の才に恵まれていた。

 幼い頃から鍛錬を積み始めて、いまでは単純な剣の腕だけならば、領地内でベルティに勝てる者はいない。盗賊団や魔獣の討伐でも手柄を上げている。


 そんなベルティは、街の警備隊長も務めている。毎日のように街の巡回を行い、大通りを歩くと、あちこちから声を掛けられる。実直な仕事ぶりのおかげだろう。

 気難しそうな職人や、腕っぷしの強そうな酒場の女店主も笑顔で頭を下げた。

 会釈を返すベルティの後を、ヴィレッサはのんびりと歩いている。

 シャロンとルヴィスは食事会の片付けなど、修道院の手伝いに回っていた。


「おや、迷子かい?」


 酒場の女店主が、ヴィレッサを見留めて首を傾げる。

 ベルティは慌てて手を振って否定しようとした。


「いえ、彼女は……」


「領主様のお屋敷に行く。お仕事の手伝い」


 嘘ではない。ただ、魔導士であるとは言わないだけ。


「へえ。まだ小さいのに偉いねえ。頑張りなよ」


 女店主は人の良さそうな笑みを浮かべて、真っ赤な外套に包まれた頭を撫でた。

 その目には身寄りを失くした子供に対するような同情も込められている。領主様が恩情で仕事を与えた、と勘違いしたようだった。


「困ったらウチの店に来な。皿洗いの仕事くらいさせてあげるよ」


「うん。ありがとう」


 ヴィレッサは素直に頷く。まるで何処にでもいる子供みたいに。

 領主の下に『魔弾』が滞在しているのは、噂となって住民にも広まっている。

 だからといって住民全員がヴィレッサの顔を覚えている訳でもない。真っ赤な外套こそ目立つが、ヴィレッサ本人は、ぼんやりとした可愛らしい少女にしか見えなかった。


 小さな手を振って、ヴィレッサは女店主と別れる。

 そうして大通りを過ぎたところで、ベルティが難しい顔をして頭を下げた。


「ヴィレッサ殿が寛大で助かったでござる」


 女店主との遣り取りに対してだ。

 仮にも魔導士であるヴィレッサは、貴族と同等の地位にある。その頭を軽々しく撫でるなど、平民にはとても許されるものではない。

 事実を知れば、女店主は卒倒するかも知れなかった。

 案内役であるベルティの立場からすれば、女店主を厳しく諌める必要もあった。しかし地位を振りかざすような真似を、ベルティは嫌っている。


「しかし拙者には不思議でござる。ヴィレッサ殿は、もっと顔と名を売ってもよいと思うでござるが?」


「……ベルティさんなら、そうする?」


「無論。戦場で活躍する魔導士は、騎士にとっても憧れでござる。皆の先頭に立ち、手強い敵と斬り結ぶ。拙者もそうありたいでござるよ」


 大真面目に頷いたベルティは、純朴な子供みたいに目を輝かせる。まあ子供と言うには、腰の刀に手を当てる仕草などは些か物騒に過ぎたが。

 対するヴィレッサは、どう反応したものかと眉根を歪めていた。


「……あたしは、いまの街の雰囲気が好きだから」


「それはなにより嬉しい言葉でござるな」


 ベルティは張り詰めていた表情を緩めて、ふと首を回した。

 釣られて、ヴィレッサもそちらへ目を向ける。

 街の南側、広い港には何隻もの大型船が停泊していて、何処の通りからでも高い帆柱が見て取れる。他国との海上交易によって、キールブルクの街は栄えているのだ。

 帝国でも有数の大きな街で、都市と言っていいほどの広さと賑わいを誇っている。建物自体は質実剛健な帝国の伝統を受けて、簡素なものが多い。しかし綺麗に区画整理もされていて、道幅は広く、大勢が行き交いやすく造られている。


 人や物の出入りに寛容で、だから雪合戦みたいな新しい遊びもすぐに受け入れられた。

 さすがにこの季節では、寒さによって潮の香りも抑えられている。

 けれど街全体に流れる解放感までは消え去るものではなかった。


「冬が明ければ、また東国などから船が訪れて一層賑やかになるでござる」


「ん。楽しみ。美味しいものもある?」


「そうでござるな。交易品ではござらぬが、波に乗って訪れる魚の群れも……」


 雑談を交わしながら、二人は街の門へと足を進める。領主の屋敷がある方向とは少しズレるが、先にヴィレッサの〝お供〟を迎えに行く予定だった。

 その〝お供〟の姿は、門に近づいただけでも確認できた。


「ああ、これはベルティ様。ヴィレッサ様も」


 助かりました、と門衛がほっと息を吐く。

 同時に、雄々しい嘶き声が門衛の後ろから上がった。


 そこで待っていたのは逞しい黒馬だ。普通の馬よりも二回りは大きな体躯をしていて、真っ赤な瞳が爛々と輝いている。

 黒き悪夢

ナイトメア

―――街のひとつくらいは滅ぼすとされる、災害級の魔獣だ。

 そんな魔獣が隣にいては、いかに精強で知られる帝国兵とはいえ平静ではいられない。

 例えそれが幼女に懐いていても、だ。


「メア、お待たせ」


 ヴィレッサが歩み寄ると、黒馬はまた嬉しそうに嘶いた。まるでよく訓練された軍馬のように頭を垂れて、小さな手で撫でられるままになる。

 恐るべき魔獣の意外な姿に、横で見守る兵士は感嘆の声を漏らした。


 以前、この黒馬は、とある魔導士に操られていた。そこをヴィレッサに助けられてから、忠誠を誓った騎士のように仕えている。いまもヴィレッサと一緒に修道院に居着いているが、基本的には馬なので、走れない日々が続くと不満げな態度も取る。

 さすがに街中を闊歩しては騒ぎになる。何人か撥ね飛ばされてもおかしくない。

 なので、街の外まで散歩に出掛けるのが日課になっていた。


「今日は、魔獣は狩ってこなかったんだ?」


「この辺りはさほど物騒でもないですからね。冬眠する魔獣もいますから」


 兵士は複雑な表情をしながら答える。自分の言葉に矛盾を覚えたのだ。物騒もなにも、危険すぎる魔獣が目の前にいるのだから。

 実際、門の前で順番待ちをしている旅商人などは目を丸くしていた。

 しかしヴィレッサは平然と黒馬を撫でて、その背に跨る。

 奇異の目を向けられるのは承知しているが、無視すると決めて。


「何も起こらぬなら、それに越したことはないでござるな」


 先導するベルティも、普段通りの真面目な顔で頷いた。

 こちらは深く考えるのが苦手なだけだったが。

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