港町の魔弾幼女①
大陸随一の強兵を誇るバルトラント帝国は、その高い国力に見合った広大な領土を持つ。帝国領の端から端まで旅をするとなれば、馬の脚に頼っても最低一ヶ月は必要になる。
当然ではあるが、離れた領地では季節の移ろい方にまで開きがある。
例えば帝国東南端にある港町キールブルクでは、冬でも雪が降るのは珍しい。大地が白く染まった光景を見れば、大人でさえ驚き、目を見張る。
不思議そうに首を捻る者もいれば、子供みたいにはしゃぎ始める者もいる。数年ぶりに降った雪は、普段とは違った活気を街へもたらしていた。
街外れの広場でも騒ぐ声が上がっている。
大きな雪玉がいくつも並んで、それを重ねた雪像も作られていた。子供たちが駆け回って、小さな雪玉を投げ合っている。
無邪気に遊ぶ、微笑ましい風景―――とは少々違っていた。
「いまよ、右の木陰から攻めて! 正面はそのまま持ち堪える!」
可愛らしい声が飛ぶと、木陰に潜んでいた子供たちが一斉に駆け出す。多少の乱れもあるが陣形まで組んで、勢いよく雪玉を投げ放った。
攻められた側の子供は、次々と雪玉を浴びせられて慌てふためく。
陣地にある雪像を倒されたら負けなのだが、完全に防御を崩されていた。
情けない、と言うのは子供には酷だろう。むしろ攻めている側を誉めるべきだ。
正面に囮を置いて、伏せていた部隊で隙を突く。
そんな子供らしからぬ作戦を発案し、指揮を執っているのはルヴィスだ。修道院で学ぶ子供たちを率いて、大人顔負けの戦術を披露してみせた。
時折、雪玉が横を掠めてもルヴィスは堂々として立っている。綺麗な金色の髪を僅かに揺らすだけで、よく通る声で指示を飛ばしていく。
見た目は小さな子供でしかないのに、まるで戦乙女みたいな凛々しさを纏っていた。
発端は、ちょっとした衝突だった。
通り掛かった子供に雪玉がぶつかっただけ。謝れば済む程度の出来事だったが、怒った子供が作りかけの雪像を叩き壊した。そこに出てきた親同士が職人と商人で、ちょうど仕事で問題を抱えている関係だった。
買い叩いて暴利を貪っているだの、いつも納期が遅れるだの、もはや子供とは無関係な喧嘩に発展しそうになった。そこでまた別の子供が雪玉を投げ入れて―――。
大喧嘩が始まるかと思われたところで、ルヴィスが提案した。
雪合戦で決着をつけよう、と。
その頃には職人や商人だけでなく、港で働く漁師や、騒ぎの声を聞いて駆けつけてきた兵士まで混じっていた。ほぼ全員が感情的になっていて、挑発的な提案は容易に受け入れられた。
まずは職人や商人、漁師、兵士、そして修道院といった組に分かれる。
それぞれの組で雪像を作って守る。雪像を倒されたら負けだが、攻撃手段は雪玉のみ。実際に戦うのは子供たちで、大人は作戦を立てたり指示をするだけだ。
一人だけ雪像を守る〝キーパー〟は魔術を使ってもいい、というルールも追加された。
実はこの追加ルールは、提案者であるルヴィスが必勝を期した策だった。
しかし誰も気づいていない。うっかり雪玉を投げ入れてしまって、騒動を大きくしたのが、そのルヴィスの姉であることも―――。
「お姉ちゃん、行ったよ」
「ん、大丈夫」
修道院組の雪像に、数名の子供たちが迫る。
対峙するのは、白い光景の中、真っ赤な外套を羽織った小さな影だ。
その影、ヴィレッサは、他の子供と比べても小柄な体格をしていた。雪像の前で無雑作に立って、眠たそうな表情をしている。
雪玉ひとつで倒れそうだ。どうにも頼りなく見える。
けれどヴィレッサの正面には、青白い盾が浮かんでいた。
一般的な魔術とは異なる、膨大な魔力を強引に固めた盾だが、凄まじく頑丈で雪玉程度では小揺るぎもしない。以前、猪の魔獣による突進を受け止めたこともあるのだから。
『無限魔力』を持つヴィレッサが守りについた時点で、もはや勝負は決まっていた。
盾に隠れながら雪玉を投げて、攻めてきた相手を撃退する。
そうしてヴィレッサは、雪像の前で黙々と雪玉作りを再開した。
双子の姉妹なのに、ヴィレッサとルヴィスは随分と性格が違っている。普段はぼんやりしている姉と、しっかり者の妹と。
数ヶ月前、故郷の村が悲劇に見舞われて以来、その傾向はより顕著になっていた。
ルヴィスには大人びた振る舞いが目立ってきた。
まるで何事にも備えているみたいに。
一方のヴィレッサは、子供っぽい行動が増えた。
まるで何も考えていないみたいに。
だけど時折、ヴィレッサは鋭い眼差しで遠くを睨むことがある。
もっとも、いまは目の前の雪玉しか見ていないのだが。
ぽんぽん、と丸めた雪玉を叩いて固める。足下に綺麗に並んだ雪玉を見て、ヴィレッサは満足げに頷いた。
「補充もできた。持っていって」
「うん。ありがとう。それじゃあみんな、もう一回〝爆撃〟いくよ!」
ルヴィスの掛け声で、修道院組の子供たちが戻ってくる。
たったいま職人組の雪像は倒されて、残っているのは少人数の兵士組のみだった。
修道院組も人数は少ない方だが、ルヴィスの考案した作戦が絶妙だった。まず人数が多かった漁師組に対して、他の組を扇動して一斉に攻撃、撃破。
直後に仕掛けた奇襲で、商人や職人の組も倒していった。
その勝利を得られたのには、〝投雪器〟の働きも大きかった。
道端に転がっていた木板と丸太を簡単に組み合わせた物だ。木板の端に雪玉を積んで、もう一方の端に子供が勢いをつけて跳び乗る。
すると、大量の雪玉が高々と宙を舞って、離れた敵陣へと降り注いでいく。
「ん~、ちょっとズレちゃったね。計算が甘かったみたい」
「ルヴィス、向こうは一斉に攻めてくる」
「うん。作戦通り。みんな、包囲してやっつけるよ!」
すでに準備万端と、雪玉を抱えていた子供たちが一斉に声を上げる。
まるで双子の姫に仕える騎士のように。
闇雲に突撃してくるだけの相手を追い払い、敵陣を陥とすのは簡単だった。
雪合戦の後は、野外での食事会が催された。
大人も子供も揃って、温かなスープに頬を緩めている。
戦いの後は、一緒に楽しい食事を囲んで禍根を残さない。そういった意図がある。
こちらの案は、双子の母親代わりであるシャロンが出したものだ。一から村を開拓した経験もあるシャロンは、こういった騒動の治め方も心得ていた。
広場に幾つもの焚火を灯して、さらに風を操って暖かな空間を保つ。
そんな高度な魔術も、平然と披露してみせた。
修道院で暮らす他の子供たちも、スープの配膳を手伝っている。魔術に限らず、様々なことを教えてくれるシャロン先生の指示を、子供たちは素直に受け入れていた。
「いやぁ、負けた負けた。この子たちは凄えなあ」
「まるで本物の軍隊みたいだったな。修道院じゃ、あんなことも教えてるのか?」
「少し集団行動を教えてるだけです。本職の方々には及びませんよ」
柔らかな微笑を浮かべるシャロンは、たったいま争ったばかりの職人や兵士とも穏やかに接している。中には鼻の下を伸ばして、頬を紅く染めている男もいた。
シャロンは修道服と揃いのフードを被って、エルフィン族特有の長い耳を隠している。
けれどその美貌までは誤魔化しきれていなかった。
故郷であるウルムス村を焼かれたシャロンたちは、同じ領内にあるキールブルクへ逃れてきた。冬明けには村の復興作業を始める予定だが、一時とはいえ、自分たちの生活を支えなくてはいけなかった。
シャロンはいま、街の修道院で暮らしている。ヴィレッサとルヴィスも一緒だ。
元々、この街の修道院では海の女神を信奉していた。そこから自然崇拝の教えに繋がっていて、他の宗教に対しても比較的寛容な姿勢を取っている。
だから個人で修道院を運営していたシャロンも歓迎された。
ウルムス村でも自然に対する敬意や感謝は説かれていた。相性は良い。それに、辺鄙な村とはいえ、シャロンは百名以上の人間から先生と呼ばれて敬われていた。
そのシャロンから学ぶことは、この街の修道院にも良い刺激となっている。
「ルヴィスも、よく頑張ったわね」
ひとしきり大人たちへの挨拶を済ませて、シャロンはほっと息を吐いた。ちょうど近くにいたルヴィスを見つけると、歩み寄って小さな頭を撫でる。
ルヴィスも嬉しそうに、それと誇らしげに胸を張ってみせた。
「はい。シャロン先生の教えの賜物です」
「難しい言葉を覚えてるわね」
雪合戦の仕方だって教えていないのだけど、とシャロンは苦笑を零す。
「貴方の発想には驚かされるわ。でも、手加減も覚えた方がいいわよ」
「手加減ですか? こういう試合は、全力で当たるのが礼儀だと思いますけど」
こてり、とルヴィスは小首を傾げる。
おっとりとしていて、小動物を想わせるような仕草だ。自分がどれだけ子供らしからぬ真似をしたのか、まったく自覚していない様子だった。
「そういう極端なところは、よく似てるわよね」
曖昧な笑みを浮かべながら、シャロンは辺りを見回した。
もう一人の、極端な姉を探す。
大盛りのスープ皿を抱えて、ちょこちょこと歩いていくのは確認したのだけど―――。
「おまえ、すごいな! 魔導士っていうのは本当だったんだ!」
ヴィレッサは、大勢の子供に囲まれていた。
雪で作られた豪華な椅子、それこそ玉座みたいな席に腰を下ろしている。ヴィレッサはスープを啜りながら、真っ赤なフードを目深に被って、子供たちからの質問攻めをぼんやりと受け流していた。
とりわけ熱心に目を輝かせているのは、頑丈そうな体格をした一人の少年だ。
「なあ、どうやったら魔導士になれるんだ?」
「運がよければ? ん~……悪ければ?」
「なんだよそれ。なあ、俺は真剣に魔導士になりたいんだ! 教えてくれよ!」
雪合戦では、ヴィレッサは守りに徹して地味な活躍しかしていなかった。
それでもすべての雪玉を弾き返す青白い盾は、子供たちには輝いて見えたらしい。まあ実際、魔力の輝きを放っていたのだが。
魔導士―――古代遺跡から発見される『魔導遺物』を扱い、たった一人で万の軍勢にも匹敵する戦力となる。戦場の要となる彼ら彼女らは、帝国でも貴族と同等以上の地位が与えられて敬われる。その活躍は、民衆からも熱狂的に支持されるものだ。
ほんの数ヶ月前、ヴィレッサも魔導遺物を手に入れた。
極式魔導遺物、『万魔流転』と『赤狼之加護』。
そして二つ名として『魔弾』を名乗り、バルツァール城砦攻防戦に乱入した。
レミディア軍の奇襲をたった一人で撃ち破った活躍は、この街でも幾名もの吟遊詩人によって語られている。
まだヴィレッサは、帝国から正式に魔導士とは認められていない。それでもバルツァールの城主であるゼグード侯爵からは大いに感謝された。そのゼグードの口利きもあって、この地の領主であるヴァイマー伯爵に食客として迎えられている。
とはいえ、ヴィレッサの見た目は幼い少女でしかない。
背丈はシャロンの腰までしか届かないし、最近では妹のルヴィスの方が指一本分くらい上回ってきている。
だから街に住む者の中には、半信半疑の目を向けてくる者も多かった。
そして、そんな評価を、ヴィレッサはむしろ喜んで受け入れている。
下手に注目をされたくない。ただ平穏に過ごしていたい。
雪合戦での地味な役割も望むところだった。けれど自陣から一歩も動かず、すべての攻撃を平然と受け止める様子は、ヴィレッサの予想以上に子供の目を惹きつけていた。
大勢の子供たちから、キラキラと純粋な尊敬の眼差しを向けられる。
でも困る。むず痒い。
魔導士になりたいとか言われても答えようがないよ、とヴィレッサは溜め息を堪えた。
「とりあえず、体を鍛えてみたら?」
「それならやってる。俺の父さんは兵士で、剣の稽古もしてくれるんだ」
「そっか。いいお父さんだね」
ヴィレッサは素直な感想を述べた。
家族というものには多少の思い入れがある。シャロンのことを本物の母親みたいに感じてはいるが、血の繋がりがないのも承知していた。
実の両親に捨てられたことも、ヴィレッサは覚えている。
赤ん坊の頃から、はっきりと意識を持っていたから。
だから、普通の家族に対して微かな憧憬を覚えたりもする。
兵士の父親を尊敬する息子が、当り前のように兵士になる。そんな話もいいんじゃないかなぁと、ヴィレッサは子供らしくない遠い眼差しを見せていた。
「お父さんと、もちろんお母さんも大切にしないとダメだよ」
「あ、ああ。家の仕事とかも、ちゃんと手伝ってる」
急に大人びた気配を見せたヴィレッサに、少年は戸惑った様子だった。微かに頬を紅く染めてもいたが、軽く頭を振ると、話を引き戻そうとする。
「だけど父さんに頼んだって魔導士にはなれないだろ。いつも無茶だって言われる。それでも俺は本気で魔導士になりたいんだよ」
「ん~……なら、シャロン先生に教えてもらうのが一番」
ちょうどシャロンが歩み寄ってきたところだった。
頼れる保護者へ、ヴィレッサは丸投げすることに決める。
「あたしの先生だから」
その一言で、子供たちの視線が一斉にシャロンへと注がれた。
いきなり注目を浴びたシャロンは、え?、と呟いて固まってしまう。
子供というのは基本的に遠慮がない。一旦意識が傾くと、そちらへ向けて一直線だ。
「すげえ! 魔導士の先生なのか!」
「修道院のシスターって強いの? 魔獣にも勝てる?」
「俺、知ってるぜ。海の女神様に祈ると、魚がいっぱい取れるんだ」
「せんせー、わたしにもおしえて!」
質問だか何だか分からない言葉をまとめて浴びせられて、さすがのシャロンも困惑する。
けれど、そこで助け舟が現れた。
「―――シャロン殿!」
涼やかで、覇気も乗せた声だった。
そこに規則正しい足音が重なる。彼女の腰に差してある〝刀〟も小気味良い音を立てた。
「父の命により、ヴィレッサ殿をお迎えに参ったでござる」
ベルティルート・ヴァイマー。すらりと伸びた長身で、艶のある黒髪を頭の後ろでまとめている。投げる眼差しは鋭くて―――、
その視線を受け止めたヴィレッサは、ぽんと手を叩く。
領主との約束があったのを、すっかり忘れていた。
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