第二章

プロローグ


 城壁が崩れ落ちる。

 そこかしこから炎の柱が吹き上がり、新たな獲物を求めて赤い舌を伸ばしていく。

 城砦の守備兵は混乱に陥って、我先にと逃げ始めていた。


 レミディア国東方国境では、二万を越える兵が城砦の守りを固めていた。常駐する魔導士の力も考慮すれば、実質的な戦力はその倍以上と言えた。

 帝国のバルツァール城砦ほど防衛に関して実績を重ねてはいない。

 それでも国境防衛の役割は充分に果たせるはずだった。


 レミディアの東方地帯は、小国が乱立する期間が長く続いていた。一つの国が滅びて、二つの国が興り、三つの国が戦いを始める。そんな混沌とした戦乱が繰り返されていたので、周辺国は監視をするだけに留まっていた。

 豊かな土地がある訳でもなく、軍を差し向けたとしても得られるものは少ない。

 下手に関わっても厄介事が増えるだけ。

 難民が流れてくるのは面倒だが、奴隷としてなら使い道がないでもない。

 そんな状況だから、最低限の戦力しか置かれていなかった。


 城砦へ攻め入ったのは、新興国である『ガルス』の軍勢だ。最近になって大陸東部を平定した、勢いのある国家だが、その勢いだけで戦争に勝てるはずもない。

 建国されたばかりでは、国家としての統治体制すら満足に整っていない。

 民は困窮している。兵は訓練すらままならない。


 事実、その軍勢は三千程度の数しかおらず、装備も貧弱極まりなかった。ほとんどの兵は農民に剣や槍を持たせただけ。国家の軍勢ならば当然に備えている魔術師部隊もいなければ、弓箭兵や攻城兵器すら揃えていなかった。

 ガルス魔人国―――その国名ですら欺瞞に違いないと、レミディアの騎士たちは嘲笑を浮かべていた。戦いが始まるまでは。


「脆いな」


 不満げに呟いて、男は軽く腕を振った。

 べっとりと手甲を濡らしていた血が飛び散って地面を濡らす。

 全身に返り血を浴びたその男は、逞しい体付きをしている。顔立ちには青年らしい甘さも残っているが、彼の眼差しは野生の獣のように冷酷だった。たったいま自分の手で屠った敵将の遺体を、まるで口に合わない餌のように見下ろしている。


「レミディアの魔導士とはいえ、この程度か。所詮は人間だな」


 吐き出した言葉には、同じ人間に対する哀れみや同情など欠片もない。

 しかし、それも当然と言えた。

 彼、ガルス国王ジグルズィードはとうに人間ではなくなっていたのだから。


「所詮は下級の魔導士、とも言えますわ」


 嘲笑混じりの女の声だった。

 ジグルズィードが振り向くと、空中に黒い影が浮かんでいる。その影から姿を現した者もまた黒く、不吉な気配を全身に纏った魔女だ。

 顔まで影で覆っている。血のように赤く濡れた口元しか見せていない。

 それでも礼儀は心得ているようで、魔女は恭しく頭を垂れた。まるで社交に慣れた貴族のように優雅な所作で、仕えるべき王への敬意を表す。


「レミディア自慢の十二騎士となれば、いま少しは歯応えがあるかと」


「この城砦にも詰めていると、貴様自身が言っていたはずだが?」


「ええ。ですが、少々情勢が変わりました」


 魔女は小さく咽喉を鳴らすと、いまにも焼け落ちそうな城砦を見上げた。

 崩れた城壁の奥から、剣戟の音や断末摩の悲鳴が流れてくる。運命を嘆く声の大部分はレミディア兵のものだ。

 攻め立てる側のガルス兵は、ほとんどが農民に近い。しかしこの戦いが初陣という者はいない。紛争地帯で幾度もの戦を生き延びた、ある意味では精鋭と言える兵士ばかりだ。

 とりわけ奪い取る物がある場合には、ガルス兵は血眼になって戦う。

 レミディア兵の剣や鎧、服や糧食でさえも、困窮したガルス兵には宝物のように見えていた。


「どうやらレミディアは随分と余裕があるようで。国内で争っているそうです」


「余裕など無くても争いは生まれるだろう?」


 ジグルズィードは自嘲めいた笑みを零す。

 むしろ余裕が無いからこそ暴力的手段に頼るのだと、困窮の中で生き延びてきたジグルズィードは身を以って知っていた。

 とはいえ、魔女の言葉も理解できる。

 レミディア国内の事情も、ある程度は聞かされていた。


「国王派と教会派に分かれているのだったか?」


「ええ。しかも一度首都での襲撃を受けてから、レミディアの国王は随分と猜疑心が強くなったようです。自分の護衛として、国境にいた十二騎士を呼び戻したそうですわ」


「……国王とは思えぬほど小心者なのだな」


 それにしても、とジグルズィードは口元を捻じ曲げる。

 魔女が語った情報は、そう易々と手に入るものではない。一国の王の醜聞とも言える、その心情にも関わるものだ。諜報活動などまったく心得ていないジグルズィードにも、情報の価値は察せられた。


 いったい、どんな手段を使って得たものなのか?

 他に、どれだけの手札を隠しているのか?

 脳裏を掠めた疑問を、ジグルズィードは軽く頭を振って追いやった。

 魔女に対する疑念は消えない。元より、信頼など置いていない。

 けれどこの魔女がいなければ自分の立場が成り立たないことも、ジグルズィードは諦めとともに理解していた。


「いずれにせよ、その十二騎士どもと相対するのだろう?」


「はい。このままレミディア首都へと攻め上がるのがよろしいかと」


 微笑を浮かべながら、魔女はまた恭しく頭を垂れる。提案の形こそ取っているが、それは決定に等しい。

 仮にも一国の王が、怪しげな女一人に従わされている。普通ならば怒りを撒き散らし、無礼者に対して剣を振るうところだろう。

 けれどジグルズィードは静かに頷いただけだった。

 互いに利用し、利用される関係は、むしろ心地良く受け入れている。


「いよいよ本格的な戦争か。血が騒ぐな」


「どんな戦争も、そこで繰り広げられる惨状は変わりませんわ」


 ただ、と魔女は冷ややかに目を細めながら続ける。


「その手甲が吸う血は、桁外れに多くなるでしょうけど」


 魔女の視線の先、ジグルズィードの手を覆う魔導遺物は赤黒い輝きを放っている。

 さながら生き血を求めるように。

 悲嘆の声を捻り潰す瞬間を待ち侘びるかのように。

 その手甲の脈動に応えるかの如く、ジグルズィードは高く腕を掲げた。

 炎に包まれた城砦の先、遥か西方へと目を向ける。


「レミディアを滅ぼし、そして次は帝国か……」


 開いていた掌を、ジグルズィードは力強く握り込む。

 大陸全土を喰らい尽くしそうなほど、その口元には獰猛な笑みを浮かべていた。


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