第一章エピローグ
陽もまだ昇りきっていないのに、バルツァール城砦では大勢の兵士達が忙しなく行き交っている。朝食もそこそこに片付けて、戦闘後の処理に追われていた。
とりわけ大きな声が響いているのが西側城壁だ。奇襲を受けた際にできた城壁の穴を、大急ぎで修復している。少数の錬金術師を中心に、大勢の兵士が瓦礫や土砂を延々と運び続けていた。
そんな作業を横目に、ヴィレッサは城壁の上で座り込んでいた。
西へ続く街道の奥をじっと眺めて、時折、そわそわと肩を揺らしている。
「……ヴィレッサ殿、城砦内で待っておってもよいのだぞ?」
隣に立ったゼグードは、苦笑いを零しつつ優しげな声を掛けた。行き交う兵士達も温かい目で幼女を見守っている。
でもヴィレッサは唇を突き出すと、やや意地になって首を振った。
「いいんだよ。ここにいれば、真っ先に会えるんだから」
ルヴィスとシャロン、二人の無事は確認できた。居場所も分かった。
となれば、ヴィレッサとしては何を置いても会いに行きたいところだった。
二人がいるヴァイマー伯爵領までは、この城砦からだと一ヶ月以上の長旅になる。黒馬の脚を頼っても、子供の身では厳しい旅になるだろう。
でもだからといって、ヴィレッサが躊躇う理由にはならない。
むしろ逆に考えた。長い時間が掛かるなら一刻も早く出立したい、と。
ふと思い出さなければ、もう城門の外へ駆け出していただろう。
「シャロン先生なら、すぐに飛んできてくれるはずだから」
そう、シャロンは転移術が使える。
広大な帝国領の端から端まででも一瞬で行き来できる。記憶にある地点にしか転移できないので、この城砦まで飛べるかどうかは不確かなのだけど―――。
信じたい、と感傷的な乙女みたいな気持ちが胸に沸いてしまった。
まあ一日か二日待ったところで、理屈で考えれば大した問題ではない。ロナとマーヤも久しぶりに落ち着いて休息が取れるので喜んでいる。もしも期待外れだったとしても、その時こそ急いで出発すればいいだけだ。
だからヴィレッサは、焦りを覚えながらも、静かに風景を眺め続けている。
でも膝を抱えて丸まっている小さな背中は、大人の目には儚げに映っていた。
「強情だのう。しかしまあ、ここに居るならば危険もないか」
『御心配なく。私も付いておりますので』
「そうであるな。何かあれば、すぐに兵士を呼ぶのだぞ」
『承知しました。マスターが一人で無茶をしないよう警戒を続けます』
「……なんで、ディードが保護者みてえな物言いしてんだよ?」
老騎士と魔導銃の遣り取りに、ヴィレッサはじっとりと抗議の眼差しを向けた。
でもゼグードには苦笑ひとつで受け流される。魔導銃からも、しれっと目を逸らすような気配が伝わってきた。
「ったく。あたしほど手の掛からない子供はいねえんだぞ」
ぶつくさと文句を零したヴィレッサだが、本気で怒ってはいない。
ゼグードも話を区切ると、手を振って去っていった。国境城砦を守る騎士として、子供の御守りよりも大切な仕事は山ほどあるのだ。
最近はレミディアだけでなく、さらに東方にある国も不穏な動きを見せている。
そんな噂が、兵士たちの間でも囁かれていた。
「……ま、大人に任せることだよな」
城壁の上に残されたヴィレッサは、またぼんやりと景色を眺める。
遠くまで街道が続く広々とした草原は、穏やかな風も運んできてくれた。
「今頃は収穫祭だったのかなあ」
『現状、文化や風習に関しての知識は不足しております。明確な返答はできません』
「べつに、答えを求めちゃいねえよ」
この魔導銃は、しっかりしているようで何処かズレている部分もある。機械的な物言いは多いけれど、時折、人間臭い感情も窺わせる。
そういう風に創られているとは言えるのだろう。
でも、きっとこれから長い付き合いになる。
もう血生臭い戦いは御免だけど―――何があっても、一人にはならずに済みそうだ。
そんな埒も無い感想を抱きながら、ヴィレッサはぽつぽつと語り出した。
「小さな村だとな、毎日がほとんど同じことの繰り返しなんだぜ。畑仕事を手伝ったり、文字や計算、魔術の勉強をしたりな。新しい料理を作るくらいの余裕はあったけど、でもみんな生きるのに一生懸命で、だから誰も彼もが協力しあって、家族みたいに仲良くなって……そういうのが、あたしは好きなんだ。美味しいものを食べて、歌ったり騒いだりして、小さな成功に笑い合って……それだけで楽しかった」
目蓋を伏せると、ウルムス村の情景がすぐに浮かんでくる。
とても懐かしくて、温かくて、そして胸が締めつけられる。
きっともう取り戻せない。
奪われたものが多すぎる。自分だって変わってしまった。
それでもまた、同じような場所には辿り着けると思う。
「おまえのことも、みんなに紹介しないとな」
『マスターの側に居られるのであれば、どのように扱ってくださっても構いません』
「あんまり殊勝すぎること言うなよ」
咽喉を鳴らしつつ、腰に収めたままの魔導銃に小さく拳を当てた。
そうしてとりとめもない話をしながら、ヴィレッサはじっと待ち続ける。
修復作業を続ける兵士達の声が通り過ぎていく。ふと冬の気配を感じさせる風も流れていって―――、
昼を過ぎて、食事の匂いが漂ってきた頃だ。
「あ……!」
膝を抱えていたヴィレッサが立ち上がった。
その視線の先、平原の奥から近づいてくる影がある。馬に乗った細長い影だ。一見すると一人のようだったけれど、背後に小さな影も同乗していた。
まだ顔までは判別できない。けれど見間違うはずもない。
その輪郭だけでも、ヴィレッサには充分だった。
城壁上から飛び降りると、そちらへ向けて真っ直ぐに駆け出した。
相手もすぐに気づく。馬速を上げて距離を縮めてくる。
やがて、二人は馬から降りて―――。
「お姉ちゃん!」
耳慣れた呼び声を受けて、ヴィレッサは勢いよく飛びついた。
自分と同じ顔をした妹を抱きしめる。懐かしい温もりを、もう二度と離さないよう強く力を込めた。
いっぱい、話したいことがあった。
だけど全部、どうでもよくなってしまった。
代わりに二人からの言葉が降ってくる。
また無茶をして。心配ばかりかけて。ほんとうにもう。
でも、無事でよかった―――。
くしゃくしゃの顔になりながら、ヴィレッサは何度も頷き返す。
そうして、ようやく一言だけ口にした。
ただいま、と。
自然と頬が緩む。子供らしい、太陽みたいな笑みを浮かべていた。
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