銃声、響いて②
港町キールブルクは、帝国でも指折りの都市として知られている。
南側は無限の海に面していて、多くの交易船と、その乗員や商人達が港を賑わせている。帝国領内を縦断する大河の河口もあって、内陸部との行き交いをする船も多い。
気候的には幾分か暑さが肌につくが、もうじき冬となるいまの季節は過ごし易い。近隣から出稼ぎに来る者もいて、この時期だけ増える仕事の募集もある。
そういった意味では、避難してくるには良い季節だったのかも知れない。
「……皮肉な考えよね」
低く呟いて、シャロンは大きな建物の中へと入った。
そこは造船所で、独特の活気が溢れている。ヴァイマー伯爵が直接に声を掛けた船大工もいて、交易用の大型船や軍艦も造られていた。
修道女が出入りする場所ではないが、シャロンは幾度も訪れて顔馴染みになっている。しっかりとフードも被っているので、エルフィン族だとはバレていない。
もっとも、その美貌は男たちの視線を集めずにはいられないのだが。
「あ、シャロン先生!」
作業音や掛け声が響く中、可愛らしい声が投げられた。
大柄な男達に混じって、ルヴィスが作業台に向かっていた。足りない背丈を補う木箱の上からぴょこんと飛び降りて、小走りにシャロンへと駆け寄る。
「修道会のお手伝いは終わったの?」
「ええ。早目に終わったから、みんなの様子も見てきたわ。ガステンもしっかりと働いてたわよ」
「そっか。よかったぁ」
にっこりと頬を綻ばせる。子供らしい、屈託のない表情だ。
明るく、朗らかで、だけど何処か演技じみている―――。
この港町に来て以来、ルヴィスはそういった笑い方をするようになった。
逃れてきた当初は、まるで死人のように虚ろな目をしていた。一日のほとんどをベッドの上で過ごして、食事すら取ろうとしなかった。
シャロンも魔力切れで丸一日は昏睡状態に陥ったが、ルヴィスのそれは明らかに精神的な症状だった。それも深刻な、いつ自らの命を断つか分からないほどの。
だけど数日が過ぎると、急に活発に動き出した。
―――お姉ちゃんも、いま、頑張ってるから―――
そんなことを言って、同じように気力を失っていた村の皆を励まして回った。心身の疲労から臥せっていた者にも積極的に声を掛けていた。息子を失った棟梁
ガステン
など、ルヴィスがいなければ立ち直れなかっただろう。
生憎、すぐに村へ戻って復興作業を、という訳にはいかなかった。レミディア軍が何処に潜んでいるか分からなかったからだ。領主軍が出撃して捜索も行ったが、満足な痕跡も発見できず、荒らされた村からは家財道具などもほとんど回収できなかった。
だから避難した村の皆も、ひとまずはこの港町で生計を立てなければならなかった。
百名余りの者に、新しい仕事や住居を用意する必要があったのだ。領主の援助があったとはいえ、代表であるシャロンや村長の苦労は大きかった。
けれどその際、ルヴィスが随分と活躍してくれた。
元よりルヴィスは細かな作業が得意で、読み書きや計算にも長けていた。その技能は、避難した村の皆を取りまとめるのに役立った。
この造船所への出入りも、事務作業の手伝いを始めたのが切っ掛けだ。
そしていまでは、ただの手伝いに留まっていない。
「こっちもね、試作品が完成したんです」
「へえ。それが、例の?」
「うん。〝羅針盤〟です」
長期航海の助けとなる、新たなる発明品―――。
ルヴィスの発想を元にして造られたそれが、作業台の中央に置かれていた。取り囲む船乗りや職人たちも、誇らしげに笑みを浮かべている。
さすがにシャロンも航海術には詳しくないが、それが有用なのは察せられた。
それと、ルヴィスが非凡であることも。
「ルヴィス嬢ちゃんを見てると、才能ってのはあるもんだと思い知らされるぜ」
「ううん。私はただ、学ばせてもらっただけ」
「何言ってやがる。いくら勉強したって、一週間で船の設計図まで書ける奴なんざいねえよ。それにスクリュゥって言ったか? あっちも試してみてえな」
頑固な職人たちが、苦笑いしながらも褒め称える。
手伝いをしながら横から見ていただけで、ルヴィスは彼らの仕事を覚えてしまったのだ。始めは設計図の小さな数値の間違いを見つけて、木材の仕入れ交渉で強欲な商人をやり込めたりもして、あっという間に職人たちに認められていった。
さすがにまだ、本当に造る船の設計までは任せてもらえない。けれどそれも遠い日のことではないとシャロンには思えてしまう。
「そうだ、シャロン先生。今度、商業ギルドの人を紹介して欲しいんです」
「商業ギルド? それなら、ヴァイマー伯爵に頼んだ方がよさそうね」
なにをするつもり?、とシャロンは小首を傾げてみる。
ルヴィスは悪戯っ子みたいに笑って、でも一瞬、遠くを眺めるような目をした。
「文字を印刷する装置を作りたいんです。完成したら、すっごく便利になると思うんですけど、お金が掛かりそうだから」
「印刷……? 木版という訳でもなさそうね」
「えっと、文字のひとつずつを組み合わせて、こう……設計図はできてるんです。それが作られて、広まれば、何処かにいるお姉ちゃんにも私達の無事が伝わる可能性は高くなるから。簡単な木版印刷でいいとも思うんですけど、長い目で見るなら識字率を高めた方が……」
その幼い瞳には、どんな可能性が見えているのか―――。
シャロンには分からなかった。だけどこの時、恐れを抱いた。
ルヴィスに対して、ではない。
目の前にいる愛しい子が、また何処かに行ってしまう予感に駆られたのだ。
「……詳しい話は後にしましょう」
柔らかな表情を取り繕って、シャロンは話を変えた。
「まずは、お昼御飯を食べてから。頑張りすぎちゃダメよ」
「あ、そうですね。もう休憩の時間でした」
ルヴィスだけでなく、作業台を囲っていた職人たちも、言われてようやく気づいたらしい。職人気質と言うべきか、それだけルヴィスの影響が大きいのか。
ともあれ、一旦休憩を挟むことにして、ばらばらと解散していく。
シャロンもルヴィスを伴って外へ出ようとした。
「―――ルヴィス! シャロン殿!」
涼やかな、けれど覇気のある声が響いてきた。
シャロンが目を向ける。と、軽甲冑を身につけた女性が小走りに向かってきた。
ベルティルート・ヴァイマー。この港町を治めるヴァイマー伯爵の娘で、この街の警備隊長も務めている。まだ十五歳だが、女性らしくしなやか、かつ戦士としても鍛えられた体付きをしている。長い黒髪を頭の後ろでまとめていて、腰には遥か東方からの舶来品である〝刀〟を差していた。
数年前、流行り病を患っていたベルティは、シャロンの治療術によって救われた。それ以来シャロンを慕っていて、魔術や剣術の師としても仰いでいる。だからルヴィスに対しても優しく、妹のように接していた。
とはいえ、シャロンは彼女だけを救おうとしたのではない。病が広まっては村も困るので、大規模な治療術を近隣の街や村に掛けて回ったのだ。
その際に目立つのを嫌ってヴァイマー伯爵に協力を頼んだ、というのが実際のところだ。世間では、使い捨て型の魔導遺物を伯爵が使ったとされている。
いずれにしても、ベルティはシャロンたちに力を貸してくれていた。村の皆で避難してきた際にも、軍を出すべきだと真っ先に伯爵に進言してくれた。
避難した村民への支援策をまとめたり、襲撃者であるレミディア軍を捜索したりと、いまも精力的に働いてくれている。
今回の事件に対して、ベルティはかなりの権限を与えられていた。
そんなベルティが慌てた様子で訪ねてきたのだ。襲撃事件に関して何かしらの動きがあったのではと、シャロンは身構えてしまう。
「どうしたんです? わざわざ足を運んでくださるなんて」
部下でも遣わせてくれればこっちから向かったのに―――と、シャロンは首を傾げる。それだけ重要な事柄だろうか?
「いや、拙者が直接に伝えたかったのでござる。父からの伝言でござるが」
「ヴァイマー様から?」
シャロンは柔らかな態度を保ちつつ、ベルティの表情を窺う。
けれどどうも、普段からコロコロと変わり易いベルティの感情は読み難い。慌てた様子に見えたのも、走ってきたので少し息を切らしているだけのようだった。
「はい。良い報せでござる。とは申しても、拙者が何かを成し遂げたのではないのでござるが。思えばシャロン殿に恩返しをすると豪語しておきながら、拙者はまだ何ひとつとして返せておらぬ。レミディアの不埒者どもの痕跡すら見つけられず、あまつさえ、慣れぬ暮らしで苦労を掛けるばかり。己の力不足に歯噛みする毎日でござる。帝都にも再三に渡って協力要請をしているのでござるが奴等の呑気さと言ったら―――」
「あ、あの、ベルティ様?」
急に熱く語り出したベルティを、シャロンは慌てて止めた。修道女として懺悔を聞くのもやぶさかではないが、放っておくと日が暮れるまで語っていそうだった。
シャロンの影に隠れて、ルヴィスもそっと溜め息を漏らしていた。
「そうでござった。まずは伝言でござるな」
こほん、と咳払いをひとつして、ベルティは僅かに頬を緩めた。
そして、告げる。
「―――ヴィレッサ殿が見つかったそうでござる」
一瞬、シャロンもルヴィスも呆然として立ち尽くしてしまった。
まじまじと目を見開き、告げられた言葉の内容を反芻する。
ヴィレッサが、見つかった? 生きている? 再会できるということ!?
「ルヴィスの姉なのでござろう? バルツァール城砦のゼグード閣下から急な魔導通信が届いたのでござる。それによると……」
「―――無事なのね! あの子は、生きて、何処にいるの? すぐにでも迎えに行くわ! 教えなさい!」
立場も忘れて、シャロンはベルティに詰め寄った。両肩を掴んで、がくがくと身体を揺する。
「お、落ち着いてくだされ。詳しいことは、まだ……」
「バルツァール城砦って言ったわよね? そこにヴィレッサがいるの? いいわ、あそこならすぐに転移して―――」
「―――シャロン先生!」
背後からの声に、シャロンは我に返る。
振り向くと、ルヴィスが服の裾をちょこんと摘んで、シャロンを見上げていた。
瞳に、涙をいっぱいに溜めて。
「……落ち、ついて、ね……」
「ルヴィス……?」
掠れた声でシャロンが呟くと、ルヴィスは抱きついてきた。
小さな手ですがりついて、お腹に顔を埋めて、嗚咽を漏らす。
「……ごめん、なさい……お姉ちゃんは、いまも、一人で……なのに私だけ……」
「っ……いいの! 謝るのは私の方よ!」
シャロンも屈み込んで、ルヴィスを抱き寄せた。
華奢な体の震えを宥めるように、そっと背中を撫でる。
ああ、と悔やむ。
どうして自分は、こんなにも我慢をさせてしまったのだろう。
どんなに大人びて見えても、まだ幼い子供なのに。
どんなに逞しく振る舞っていても、心までは鍛えられないのに。
苦しみも、辛さも、大人である自分が背負わなければいけなかったのに―――。
「我慢しなくていいの。嬉しい時も、悲しい時も、あなたは泣いていいのよ」
「……せんせぇ……―――」
堰を切ったように、ルヴィスは大きな声を上げて涙を流した。
周りの目も気にせず。子供らしく。
そのルヴィスを抱き締めたまま、シャロンも空を仰ぐ。
ただ静かに、溢れそうになる涙を堪えていた。
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