銃声、響いて①
帝国軍勝利。レミディア軍を退ける。
バルツァール城砦は挟撃を受けるも、ゼグード将軍は健在。被害は僅か。
『魔弾』の魔導士が敵挟撃部隊を壊走せしめる。
その吉報を、伝令役である騎士は誇らしげに読み上げた。
周囲にいる騎士や文官も口々に祝いの言葉を述べる。感嘆とともに手を叩く者もいた。
祝辞を向けられる中心にいるのは、バルトラント帝国皇帝アドラバルド三世。玉座に腰掛けて静かに報告を受け止めていた。
年齢は五十を超え、頭髪には白いものが混じっているが、屈強な体格は衰えていない。玉座に居るよりも、馬上で剣を振るっている方が似合う。顔付きも精悍で、並の戦士なら対峙しただけで萎縮してしまうだろう。
威風堂々。武を第一とする帝国、その玉座を制する風格を備えている。
玉座の背後の壁に掲げられた『断傲剣ルギフェルド』も、その威光を後押しするように黒々とした刃を輝かせていた。
祝いの言葉を向けられても、アドラバルドは頬杖をついたまま、僅かに目蓋を揺らしたのみだった。
「勝利か。当然だな」
広々とした謁見の間に、重々しい声が響き渡った。
一同は静まり返ったが―――アドラバルドが微かに頬を緩めると、周囲からほっと安堵の息が漏れた。
「しかし簡潔にすぎる。『魔弾』とやらにも聞き覚えがないが?」
「はっ、申し訳ございません」
膝をついたまま頭を垂れつつ、伝令役は書状を差し出した。
本来ならば、祝勝の雰囲気の中ですぐに出すはずだった書状だ。しかしアドラバルドの無言の威圧に気後れして、つい間を逃がしてしまったのだ。
それでもアドラバルドは責めるでもなく、文官を介して書状を受け取る。
時には強権を振るうこともあるが、些細な失敗を咎めるほど暴君ではなかった。
「ゼグード閣下の御言葉です。強力な魔導士に関わる事柄のため、詳細な報告は直接に行いたいとのことです」
「相変わらず、慎重なことだ。だからこそ頼れるのだがな」
アドラバルドは愉快げに咽喉を鳴らす。勝利の報告を聞いた時よりも嬉しそうだった。
東方国境に詰めて帝都には滅多に訪れないゼグードだが、アドラバルドにとっては最も古い臣下の一人だ。両名の間にある深い信頼は、この場にいる多くの騎士にも知られている。
「ほう。まだ十才にも満たぬ子供……ゼグードの報告でなければ耳を疑うところだな」
笑声を零しながら、アドラバルドは目を見張る。
騎士や文官たちも驚いた顔を隠せなかった。帝国の長い歴史を振り返れば、早熟の騎士や魔導士も少なくない。しかし十才にも満たずに初陣を迎えた者など、はたして居たのかどうかすら疑わしい。
ましてや、それなりの戦果を上げた者など誰も記憶していなかった。
「真なのですか? いえ、ゼグード殿を信じぬ訳ではないのですが」
「いったいどのような魔導遺物を? 宜しければ、詳しく話を……」
思わず直言してしまった者もいたが、すぐに慌てて口を閉じる。
非礼を悟ったのも理由だが、なにより、アドラバルドが眉間に皺を寄せていた。不機嫌というよりは深刻な思案をしているような表情だったが、どちらにせよ気安く声を掛けられるものではない。
「……此度のことは他言無用とする」
再び口を開いたアドラバルドは、重く低い声でそう告げた。
脇に控える者たちは、揃って怪訝な顔をする。しかし誰も問い質せはしなかった。
「とりわけ『魔弾』に関しては、すべてを忘れよ。そのような者は存在せぬ」
バルトラント帝国に於いて、皇帝の発言力は極めて強い。白を黒と言っても当然のように認められる。これには謹厳実直な風土だけでなく、帝国の成り立ちにも関係していた。
いずれにせよ、この場でアドラバルドに異を唱えられる者はいない。
謁見の間に控える護衛騎士や文官が、忠誠心を備えていないはずもないのだ。
「ゼグードには、追って沙汰を伝える。それと……」
話を区切ると、アドラバルドは玉座の横へ首を回した。
普段ならば、そこには一人の人物が控えている。ここ数年、皇帝の相談役として急激に発言力を増してきた男だ。いつも藍色のローブを着ていて、荘厳な謁見の間には相応しくない暗い影は、不必要なまでに目立っているはずだった。
しかしいまは、静かな空気が佇んでいるのみだ。
「コルアラスは、まだ姿を見せぬか」
「はっ……体調を崩したと言ったまま、屋敷からも出て来ぬそうです」
「……早急に呼んで参れ。王宮の医者を連れていっても構わぬ」
命じられた文官は、眉根を寄せながらも恭しく頭を下げた。
その相談役に対しては、この場の誰もが疎ましく思っている。占い師だという男は、いつの間にか皇帝に擦り寄り、理に適わない助言ばかりを繰り返していた。
怪しげな助言を元に行った政策で、混乱を招いたこともある。
幾名か、排斥するよう皇帝に進言する者もいた。けれど聞き届けられはしなかった。
いまも物言いたげな視線が交わされ合っていたが―――。
「余は自室へ戻る。謁見の予定は、後日へと回しておけ」
アドラバルドが玉座から立ち上がると、皆一斉に頭を垂れる。
後には、重苦しい静寂ばかりが残された。
◇ ◇ ◇
バルツァール城砦攻防戦から一夜が明けて、ヴィレッサは久しぶりにふかふかのベッドで眠りについていた。
ロナやマーヤと一緒に、兵舎端の質素な部屋で眠れれば充分だった。けれど城主であるゼグードが、是非にと、城砦中央にある客間を勧めてくれたのだ。
仮にも魔導士と認められれば、貴族と同等以上の扱いを受ける。
それが、この世界での常識だった。
ちなみに黒馬
メア
は馬房に預けられた。多くの軍馬に頭を下げられ、怯えきった兵士に毛繕いをしてもらっていた。
ともあれ柔らかなベッドで寝られるのは、ヴィレッサにとっても喜ばしい。
ゼグードは大袈裟なくらいに感謝していたので、素直な子供であるヴィレッサは歓待を受けることにした。
だけど、ぐっすりと眠れるかどうかは別問題で―――。
「ん……?」
朝日が差し込んでくると、ヴィレッサはすぐに身を起こした。
まずは枕元の魔導銃を確認する。
『おはようございます。奉仕任務を継続中です』
「ああ。おはよう」
挨拶を交わしつつ、羽織ったままだった『赤狼之加護』を一旦脱ぐ。用意されていた新しい肌着を身につけながら、自身の脇腹をそっと撫でた。
幼女らしい瑞々しい肌、ではなくて、そこだけ赤黒く内出血を起こしていた。
触れただけで小さな痛みが走って、ヴィレッサは細い肩をびくりと揺らした。
「っ……」
「ん……? あ! お、おはようございましゅ!」
部屋の端から、焦り混じりの甘ったるい声が投げられた。
どうやら彼女の眠りも浅かったらしい。疲労も残っているのか、目の下に隈が浮かんでいる。
「おはよう。まだ早いから寝てていいぜ」
「そ、そういう訳には参りません! 私は、ヴィレッサ様のお世話を任されているんですから!」
「世話って、治療術だけ掛けてくれればいいって言っただろ?」
「はい! 治療が終わるまで、誠心誠意尽くさせていただきます!」
彼女、クリシャ・アドラマイヤは治療術師だ。怪我をしたヴィレッサの世話をするため、昨夜からずっと付き添っていた。国境の砦で働く女性など珍しいが、仮にも女性であるヴィレッサのために、ゼグードが気を利かせたのだ。
クリシャも一応は貴族でもある。
けれど一般的な貴族のような気取った雰囲気はなくて、むしろ、おっとりとしている。ふわふわの髪は栗色で、薄桃色のローブともよく合っていた。
敢えて言うならば、豊満な胸の膨らみだけは一流貴族級だろうか。
もっともヴィレッサは、貴族の娘なんて他には一人も知らないのだが。
「まあ、あれだ。そんなに仕事がしてえなら、他の兵士たちを治療してやれよ」
「だ、ダメですよぅ。なにを置いてもヴィレッサ様の治療を優先しろと、ゼグード様も仰ってたんですから」
「だから、その優先は終わったんだよ。あたしはもう完治した」
ヴィレッサは手早く着替えて、『赤狼之加護』も羽織って傷口を隠す。
もう最低限の治療はしてもらったのだ。魔術の効きが悪い自分のために腕の良い治療術師を留め置くのは、ヴィレッサとしては気が引けるところだった。
幸い、骨は折れていなかった。後は自然治癒に任せても大丈夫なくらいだ。
無効化魔素に邪魔されるとはいえ、ヴィレッサも治療術の知識は持ち合わせている。
「魔術の訓練にもなるし、一石二鳥ってやつだな」
「いっせき……? と、ともかく、怪我の具合を見せてください!」
「だぁから、大丈夫だって……あ、おい、引っ張るな!」
服を脱がそうとするクリシャを、ヴィレッサは頭を掴んで押さえつける。
けれどクリシャは諦めない。まるで獲物を見つけた飢えた狼のように、あるいは仕事を怠るのを悪業だとする狂信者のように、目を血走らせてヴィレッサの小さな身体に絡みつく。
いやまあ、単純に寝不足で充血目なだけなのだが。
「離せって言ってんだろ! だいたいテメエ、魔力は回復したのかよ!?」
「大丈夫です! ゼグード様から、貴重な魔力回復薬もいただきましたから。一個で金貨三枚もするものもあったんですよ。ですから、お肌がつるつるの、ぷにぷにに戻るまで、しっかりじっくり治療させていただきます!」
「だぁっ! そんな貴重な薬なら尚更だ! 他の連中に―――」
なんとか説得しようとするヴィレッサだったが、やはりクリシャは離れない。
まさかこんなことで魔導銃を抜く訳にもいかないし、強化術だって、ヴィレッサのそれは制御が難しいのだ。下手をしたら、押し退けるだけのつもりが新鮮な死体を生産―――なんてことになりかねない。
「ああもう、しつけえって言ってんだろ!」
最終手段として、ヴィレッサは『赤狼之加護』を変形させた。触手のようなベルトが幾本も伸びて、見る見る内にクリシャを拘束する。
「え、ちょっ、な、なんですかぁ、これ!?」
「うっせぇ! ディード、適当に動けないようにしとけ」
『了解。拘束用、尋問用、拷問用と、縛り方の種類も選べますが?』
「……とりあえず、拘束するだけで充分だ」
ヴィレッサが溜め息を吐く間にも、真っ赤な帯がクリシャの全身に絡みついていく。すぐに手足の自由を奪って床に転がし、口も塞いだ。
「ん~! んんぅ~~~!?」
そして何故か、その豊満な胸を強調するような縛りも加えていた。
「やたらと手が込んでるなあ、おい?」
『女性に対する効果的な拘束手法だと記録されています』
「効果的の意味がズレてるだろ……」
まあいいか、とヴィレッサは肩をすくめる。
ともかくも顔でも洗おうと、部屋の出口へ足を向けた時だ。
「ヴィレッサ殿、起きておられるか?」
扉越しに、太い声が投げられた。
「ゼグードの爺さんか? 何かあったのか?」
「うむ。朝早くからすまぬが、少し話があってな」
ヴィレッサが扉を開けると、ゼグードは軽く会釈しながら部屋へ入ってきた。
最初に会った時は名乗る暇さえなかったが、昨日の戦闘後に、しっかりと挨拶を交わしていた。
「帝都への連絡を先にして、遅れてしまったが……」
言葉を止めて、ゼグードは眉根を寄せた。視線は部屋の奥へ注がれている。
ヴィレッサは首を傾げ、一拍置いて―――気づいた。
訝しげにゼグードが見つめる先では、淫靡な縛られ方をしたクリシャが転がされていた。
「ヴィレッサ殿、そなたには多大な恩がある。クリシャを気に入ったのなら、儂の方からアドラマイヤ家に話を通してもよい。しかしやはり、女同士というのは問題があってだな。そもそも子供の内から、いや、早熟なのは分かるが……」
「勘違いしてんじゃねえ! いいか、これはなぁ―――」
声を荒げて、ヴィレッサは懸命に説明する。
誤解を解き、また怪我の具合を確かめようとするクリシャを説き伏せるため、朝から一苦労させられるのだった。
ともあれ、真面目な話もあったようで―――。
「んで、何か用があったんじゃねえのか?」
ヴィレッサはベッドに腰を降ろし、足をぶらぶらとさせる。
ゼグードも勧められた椅子に座って、クリシャは部屋の隅に控えていた。
「まず悪い話ではない。落ち着いて聞くといい」
元より柔和な顔を優しく緩めて、ゼグードはゆっくりと語り出した。
けれどその言葉は、ヴィレッサに衝撃を与えるには充分だった。
「おぬしの故郷である、ウルムス村のことだ」
「っ……!」
「昨夜遅く、ヴァイマー伯爵に魔導通信を使って連絡を入れたのだ。其方から聞いた話を伝えて、それが真実だとも確認できた」
「そ、それで!?」
村の皆はどうなったのか? 無事なのか? 何か情報は―――。
一気に質問を浴びせたい衝動にも駆られたが、ヴィレッサは踏み留まった。理性がそうさせたのではない。
自分でもよく分からない躊躇があった。あるいは、怯えだろうか。
それでもゼグードの言葉は紡がれていく。
「村の住民、百二十名余りが港町キールブルクに逃れてきたそうだ。転移魔術でな。いまはヴァイマー伯爵の下、保護されながら新しい生活を始めておる」
「うん……うん、そうかぁ……」
ヴィレッサは頷きながら、語られた言葉をゆっくりと飲み下していく。
百二十名。村が襲撃された時、広場に集まった人数もそれくらいだった。
元は二百名くらいの村だったので、半数近くが犠牲になったとも言える。けれどいまは、大勢の無事を喜んでもいいだろう。
目を瞑ると、一人一人の顔が思い出される。誰も彼も大切な人ばかりだ。
それに、転移魔術で逃れたということは―――。
「其方の名前は、ヴァイマー伯爵にも伝わっておった。シャロン殿、ルヴィス殿、この両名の無事を、是非に伝えて欲しいと言われたのだ」
「っ―――」
まるで雷に打たれたみたいに、ヴィレッサは全身に緊張を走らせた。
魔導銃と出逢って以来、その名前も、顔も、思い浮かべないようにしていた。
だって、二人のことを思い返したら、何かが終わってしまいそうで―――。
まだ、ダメだ。無事を信じていなかった訳じゃない。
だけどまだ何も成し遂げていない。何も取り返していない。
ちゃんと二人と会って、その顔を、温もりを確かめるまでは止まれない。
ああ。でも。だけど―――。
「……ルヴィス……シャロン先生……っ……」
掠れた声を漏らして、ヴィレッサは顔を伏せた。
そのまま床を蹴る。窓から飛び出し、空中へと駆け出した。
「なっ……ヴィレッサ殿!?」
背中にゼグードの声が当たったが、ヴィレッサは構わずに走り続けた。
何処でもいい。人のいない場所へ―――。
そうして城壁を越えて、砦の外、誰もいない平原へと降り立つ。
まだ昨日の戦闘跡が残されている。少し視線を巡らせれば、いくつかの死体が転がっていて、大地には赤黒い染みも見て取れた。
その中には、ヴィレッサの手で命を奪われた者もいただろう。
鼻につく死臭にも気づいて、ヴィレッサはくしゃくしゃの顔をさらに複雑に歪ませた。がっくりと膝をついて、青々とした空を仰ぐ。
「そう、だよ……あたしは……」
人を殺した。殺して、殺して、殺し尽くした。
小さな手は、もう拭えないほどの血に染まっている。
だけど、それでも―――みんなに会いたい。
会って、笑い合って、抱き締めてもらいたい。
それはきっともうじき叶う。だって、生きていてくれたのだから。
ルヴィスも。シャロン先生も。待っていてくれるのだから。
心が震えるほどに嬉しい。飛び跳ねて、歌い出したいほどだ。
なのに、どうして、こんなに涙が溢れてくるのか―――。
「ぅ……ぁ……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー……」
まるで子供みたいに、ヴィレッサは声を上げて泣いた。
それを聞くのは一丁の魔導銃のみ。
幼い少女の慟哭は、平原の風に紛れて消えていった。
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