バルツァール城塞攻防戦⑤


 幾本もの黒槍を束ねたような虚無が、一直線に放たれる。それは帝国兵どもを飲み込み、死体すら残さずに消滅させる―――はずだった。

 しかし虚無の一撃は、標的に辿り着く前に掻き消された。

 突然に降ってきた青白い光が、黒を打ち消し、煌々と辺り一帯を照らしたのだ。

 さながら、月が落ちてきたかのように。


「っ、馬鹿、な……!」


 ガラディスは声を震えさせる。

 青白い光の出現と同時に、地面が揺れた。まるで巨大な槌を叩きつけたみたいに。

 しかしそんなものが原因ではない。

 もっと別の、化け物とも呼ぶべきものの姿に、ガラディスは戦慄した。


 視界を遮るほどの青白い光が薄れて、その幼い少女が姿を現す。フード付きの、全身に血を浴びたような真っ赤な外套に身を包んだ幼女だ。

 戦場にいる子供など、普通ならば無視するところだろう。精々が、どうしてこんな場所に子供が、と不思議に思う程度でしかない。

 しかしその幼女は尋常なものではなかった。戦場にいるのが当然の如く佇んでいる。

 狂喜するように、口元を三日月型に吊り上げて―――。


 以前にも、ガラディスは似たような光景を見た覚えがあった。

 そして後悔が沸きあがる。

 ああ。やはりそうか。やはり、そうだったのだ。

 あの時も、貴様は笑っていたのだな。

 子供だと侮るべきではなかった。殺しておくべきだった。

 この悪魔は、絶対に生かしておくべきではない―――。






 明らかに動揺を見せた仇敵、ガラディスを見据えて、ヴィレッサはひとつ息を吐いた。

 まずは背後にいる帝国兵の無事を確認する。空中から咄嗟に降り立ったのだが、すぐに黒馬も後を追ってきて、ヴィレッサの横に着地していた。


「メア、おまえは控えてろ。誰にも手出しさせるな」


 ヴィレッサは微かに震える声を紡ぎ出す。一瞬でも気を緩めれば、叫び出してしまう。いまにも激情が爆発してしまいそうだった。

 脳裏には、ウルムス村の光景がチラついている。

 けれどヴィレッサは、がちりと奥歯を噛み鳴らして、その思い出を打ち消した。

 いまは怒る時ではない。嘆く時でもない。

 ただ、殺すだけ―――。


「……一言だけ許してやる。何か言いたいことはあるか?」


 辛うじて冷静さを保ったヴィレッサだったが、口元は三日月型に吊り上がっていた。

 それでも魔導銃を構えるだけに留める。引き金には指を当てない。

 本当に、一言だけは待つつもりだったが―――、


「がっ……!」


 思いがけぬ声が、斜め後ろから上がった。

 後頭部に小さな飛沫が当たったのを感じて、ヴィレッサはそちらへ冷ややかな眼差しを向ける。一人のレミディア軍兵士が、黒馬に頭の半分を齧り取られて絶命していた。

 こっそりと背後を取り、ヴィレッサを襲おうとしていたのだ。


『幻覚を作る魔導遺物を持っていたようですね。匂いや風の動きまでは誤魔化せなかったようですが』


「よくやった、メア」


 嬉しそうな黒馬の嘶きを聞きながら、ヴィレッサは視線を戻した。

 魔導銃の照準はまったく動かしていない。もしもガラディスが向かってくる気配を見せれば、即座に引き金を弾くつもりだった。


 部下の先走った行動も将の責任、と言えるかも知れない。

 けれど、味方を守ろうとした意志だけは評価するべきか。

 そう冷徹に判断したヴィレッサは、先に一言だけ加えてやることにした。


「テメエも、コイツみたいになりたいか?」


 なりたくないなら、誠心誠意、地べたに頭を擦りつけて謝りやがれ。

 許してやるつもりは欠片も無いが―――そう、ヴィレッサは眼光で語り掛ける。

 ゆっくりと一呼吸するだけの間を置いて、ガラディスはようやく口を開いた。


「……その魔導銃は、研究所にあったものか? 飛翔船を破壊したというのも」


「死ね」


 最後まで聞かず、ヴィレッサは魔導銃を変形させた。

 速射形態から掃射形態へと。九つの銃口をガラディスへ向け、即座に引き金を弾いた。

 轟音とともに無数の魔弾がばら撒かれる。


「―――ッ!」


 ガラディスは馬を捨てて跳んだ。

 もしも障壁を張って守ろうとしていたら、それが虚無の力を纏っていても撃ち抜かれ、ガラディスは醜い肉片と化していただろう。戦士としての、あるいは魔導士としての経験から、瞬時に危険を悟ったのだ。


 しかし捨てられた馬や、背後にいた騎兵達は違った。何が起こったのかも理解できないまま、人間も動物も、鎧も剣も区別なく、粉々に砕かれてブチ撒けられた。

 悪魔の所業かと思えるほどの死の乱舞に、ガラディスは顔を蒼ざめさせる。

 だが震えている暇もなく、地面を蹴るしかなかった。


「が、あ、ああっ!」


 魔弾の射線から逃れて走りながら、ガラディスは槍を構えた。

 その様子を見て取ったヴィレッサは、一段と強い殺意を眼光に込める。

 己が持つ魔導遺物に頼る。魔導士であれば当然の判断だ。けれど依存しすぎれば、それは逆に弱点ともなる。


 魔導銃『万魔流転』が持つ能力は確かに驚異的だ。放たれる魔弾は魔術強化された兵士の反応速度を上回り、一撃で致命傷を与えられる。

 だが熟練の戦士であれば対応策も取れる。

 引き金が弾かれる瞬間を見て取り、射線を予測し、回避行動に専念すればいい。

 接近戦を苦手とするのは、「使えない兵器」である他の魔導銃とも共通している。ましてや、いまヴィレッサが持つ『掃射

ガトリングガン

形態』は、その長大な形状から素早い相手への対応は難しい。


 実際、天馬騎士はそうして接近戦に持ち込み、ヴィレッサを脅かした。

 ガラディスの技量ならば、似たような戦い方もできただろう。しかし突然に向けられた魔弾の嵐は焦りを生み、焦りは単純な反撃を誘った。

 虚無による反撃―――それを繰り出した時が、ガラディスの最期となる。


 光すら飲み込む虚無の一撃は、ガラディスの視界も遮るのだ。放った瞬間、ヴィレッサの手元も暗闇に隠される。引き金を弾く瞬間も、射線も、読み取れなくなる。

 だからヴィレッサは、嬉々として殺意を滾らせた。

 しかし―――、


「チッ……!」


 ガラディスはヴィレッサから目を離さぬまま、前方の地面へと虚無を放った。

 地面を削り、身を隠す穴を作り出したのだ。物理法則を無視した虚無によって掘られた穴は、もはや塹壕と呼んでもいい。

 即座にガラディスはその塹壕に飛び込み、魔弾の嵐から逃れた。


「小賢しい真似しやがって。無駄な足掻きだって教えてやるぜ!」


 怒号とともに、ヴィレッサは魔弾を撃ち続ける。

 甲高い音を立てる連装銃身は回転を重ね、瞬く間に地面を抉り取っていく。

たとえ一発でも人体を爆散させる威力を持つ掃射形態は、城壁すらも削り崩せる。簡易塹壕に隠れた程度では、ほんの僅かに命を延ばしたに過ぎない。


 だが、ガラディスもただ隠れているだけではなかった。

 魔導銃の補佐によって、一度捉えた生体反応は、ヴィレッサの視覚に表示されている。その反応は地面の下を高速で移動していた。

 ガラディスは虚無によって穴を掘り進め、ヴィレッサに迫る動きを見せた。


「テメエは土竜

モグラ

か! ディード!」


『了解。狙撃形態へと移行。徹甲弾を形成』


 冷徹な返答と同時に、魔導銃の変形は終わっている。

 ヴィレッサは即座に照準を定めて引き金を弾いた。

 もはや地中貫通爆弾

バンカーバスター

とも言える使い方だ。地下深くまで到達する威力を持った魔弾は、ガラディスの生体反応を穿つべく突き進む。


 二発、三発と、轟音とともに地中深くまで衝撃が貫いていく。

 しかしガラディスの生体反応は動き続けていた。

 掃射が止んだ時点で、次に迫る危機を察したのだ。あるいは始めから、そちらが狙いだったのか。


 ヴィレッサが引き金を弾いた瞬間、地中を進むガラディスは方向を変えた。

 城砦内とはいえ、兵舎などの建物は置かれている。その影に隠れて戦術を組み直そうという魂胆らしい。

 そうヴィレッサが察した途端、地中から虚無が溢れて穴を開けた。


「安全地帯なんざ、ありゃしねえんだよ!」


 罵声を投げつつ、ヴィレッサはまた魔導銃を変形させる。


「砲撃形態! 出力は三%でいい!」


『了解。充填は不要、撃てます』


 ガラディスが地上に現われた瞬間、光の柱と化した魔弾が放たれた。爆発が巻き起こり、兵舎の一角を吹き飛ばし、辺り一帯を炎上させる。

 直撃せずとも、人間相手に致命傷を与えるには充分な威力だ。

 しかしこの場合は、直撃させなくては意味がなかった。


『敵生体反応、未だに健在。どうやら無傷のようです』


「はっ、逃げるのだけは上手いじゃねえか」


 恐らくは、虚無障壁によって爆発の衝撃を防いだのだろう。

 一直線に放たれる砲撃自体は、あらゆる魔術障壁を無効化できる。けれど爆発の方は違う。下手な障壁ならば散らせる威力があるが、虚無障壁に対しては効果が薄い。

 瓦礫が転がり、白煙が立ち込める中、魔導銃は再び掃射形態へと戻る。

 ヴィレッサは油断なく引き金に指を当てたまま、白煙の奥へと声を投げた。


「情けねえなあ。テメエ、それでも騎士を名乗ってんのか?」


 咽喉を鳴らし、口元を吊り上げる。

 相手に見えていないのは、ヴィレッサにも分かっている。けれど挑発には本気のノリが大切だ。


「こんな子供に怯えてんのか? そこらの傭兵の方が、よっぽど勇敢だぜ?」


『マスター、それは傭兵の方々に失礼かと』


「ああ、そうだな。あんなクズと比べられちゃ、蟻や土竜だって腹を立てるぜ」


 軽口を叩きながらも、ヴィレッサは思案を巡らせる。

 初撃を避けられた時点で、ある程度の苦戦は予測していた。熟練の戦士が魔導銃へ対応してくることは、天馬騎士との一戦で学んだのだ。

 だからといって、敗北するつもりは微塵も無い。

 のんびりと戦いを長引かせるつもりもなかったのだが―――。


「その魔導銃、『万魔流転』と言ったか? 確かに恐るべき威力だな」


「なんだ? 今更、命乞いでもする気になったのか?」


「いいや……貴様は所詮子供なのだと、思い知らせてやろう」


 ヴィレッサは目を細める。呼吸を整え、静かに白煙の奥を見据えた。

 やがて風が流れ、白煙が消えて―――ガラディスが動いた。

 瓦礫の影から姿を現し、距離を詰めるべく駆け出す。ヴィレッサも迎撃するべく引き金を弾いた。しかし豪速で放たれた魔弾は尽く空を穿つ。


 ガラディスは射線の動きを見極め、あるいは予測し、巧みに避けてみせた。

 すでに互いに強化術は発動させている。

 単純な身体能力の強化度合いならば、惜しみなく魔力を注げるヴィレッサの方が有利なはずだった。ガラディスの動きも、しっかりと目で追えている。

 けれどやはり、ヴィレッサはまだ子供だった。

 圧倒的に経験が足りていない。技量が及ばない。

 大人には敵わない―――。


『敵、接近』


「分かってる!」


 可愛らしい顔を歪めながら、ヴィレッサは魔弾を放ち続ける。

 掃射形態では不利―――そう分かってはいても、もはや変形させている余裕はなかった。その瞬間、ガラディスは至近距離まで迫ってくるだろう。

 だが、いずれにしても、結果は同じだった。


「捉えたぞ、小娘!」


 槍が届く間合いへと、ガラディスが迫る。

 虚無の魔術すら効かないのならば、直接に斬り伏せれば―――、

 そう考え、接近戦を挑んだガラディスの選択は正解だった。


 事実、直接的な物理攻撃であれば、ヴィレッサにも脅威となる。『赤狼之加護』は強力な物理防御力を与えてくれるが、けっして絶対ではない。

 強化術に長けた戦士の一撃は、野生動物の牙や爪を凌駕するほどの威力を叩き出すのだ。

 それでもヴィレッサは一歩も退かない。煌々と瞳を輝かせ、迎え撃つ。


 誰が逃げてやるものか!

 こいつは、ここで、絶対に殺す!


「オラぁっ!」


 ヴィレッサは魔導銃を大きく振り払った。高熱を持った長大な銃身は、鈍器としても充分に役立つ。並の人間ならば、掠っただけで頭を吹き飛ばされる一撃だ。

 もっとも、背丈の違いから足を狙う形にはなったが―――、

 反応し難いはずの足払いも、ガラディスは綺麗に避けてみせた。


 ―――終わりだ―――

 そう告げるかのように、ガラディスは眼光に殺意を込める。

 必殺の威力を込めた魔槍が振るわれる。

 周囲で死闘を見守る兵士達も、幼女が首を刎ねられる凄惨な光景を予見した。


 だがそれでも、ヴィレッサの口元には三日月型の笑みが浮かんでいた。

 そして、左手はガラディスに向けられている。

 薙ぎ払った掃射形態を持つ右手とは逆、その左手には、いつの間にか小さな魔導銃が握られていた。


「っ……!」


 ガラディスが息を呑む。完全に不意を突かれたのだ。

 暗殺形態

デリンジャー

―――子供の手にも収まるほど小さな魔導銃は、他のすべての形態と併用できる。袖口に隠し、咄嗟に握ることも可能だ。威力は速射形態にも及ばないが、人一人の命を奪うには充分な凶器となる。


 ガラディスが気づいた時、すでにヴィレッサの指は引き金に掛けられていた。

 必殺の魔弾が放たれ―――しかし、当たらなかった。

 咄嗟に、ガラディスは首を捻っていた。魔弾は耳たぶを傷つけただけ。

 そして同時に、魔槍の動きは止まっていなかった。


「く、ぁ、……っ!」


 ヴィレッサは苦悶する。小さな唇から、血の雫も吐き出された。

 脇腹に槍がめり込んでいた。ガラディスが首を捻ったことで体勢を崩し、ヴィレッサも直前に跳んでいたことで、首筋への一撃にはならなかった。

 だが、威力は充分。『赤狼之加護』がなければヴィレッサの胴体は両断されていた。

 ガラディスは勝利を確信する。頬を緩め、笑みを浮かべる。

 その直後、ガラディスは戦慄させられた。


「―――ツカマエタ」


 まるで地獄へと誘う悪魔のように。道連れをみつけた幽鬼のように。

 幼女は笑い、可愛らしい声で呟いた。


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