バルツァール城塞攻防戦④


 黒馬に乗ったまま、ヴィレッサは油断なく魔導銃を握っていた。子供相手に襲い掛かってくる不埒者がいれば、二丁型の速射形態で容赦無く魔弾をお見舞いするつもりだった。

 とはいえ、警戒される状況なのはヴィレッサも理解している。


 戦いの真っ最中に、凶暴な魔獣として知られる「黒き悪夢」が乗り込んできたのだ。いくら敵の敵だと行動で示しても、歓迎してはくれないだろう。同じ帝国民であるとも示したいのだが、身分証みたいな物は持ち合わせていない。

 なので、ヴィレッサはもっと簡単な手段に訴えてみた。


 にっこり、と。

 子供らしい、と本人は思っている笑みを浮かべて、ついでに黒馬も優しく撫でる。

 純朴な子供と穏やかな動物の組み合わせだ。警戒心を宥めるにも充分だろう。

 そんなヴィレッサの想いが通じたのか、周囲の帝国兵が一歩退いた。まだ怪訝に眉を寄せて、小声で囁き合っているが、いきなり斬り掛かってくる気配ではない。

 兵士たちの顔にあった警戒が、怯えへと変化していたのはともかくも。


 どうにか話し合いに持っていけそうだ。

 そうヴィレッサが安堵し掛けたところで、


「おぬしは、何者だ?」


 兵士たちの列を割って、ゼグードが歩み出た。

 白髪白髭の老騎士だが、鍛え抜かれた体躯は歴戦ぶりを物語っている。髑髏を想わせる禍々しい紋様が描かれた甲冑も、威圧を放っていた。

 周囲の緊張が増す。ヴィレッサも笑みを消した。


「人に尋ねる時は、自分から名乗るもんだぜ?」


 だけど―――と、ヴィレッサはすぐに言葉を繋げる。喧嘩をするつもりはなかった。


「あたしは帝国民だぜ。ウルムス村……って言っても伝わらねえか? 領主はヴァイマー伯爵だ」


「ヴァイマー伯爵ならば、儂も面識がある。以前、この城砦にも援軍で来てもらった」


「まあ武断派だとは聞いてるな。でも、あたしは顔まで知らねえぜ?」


「当然だな。おぬしくらいの子供ならば、村から出たこともないのが普通であろう」


 それが何故レミディア領内から?、とゼグードは眼差しで訊ねる。

 もっともな疑問だった。ヴィレッサも予測していた問い掛けだったので、ここに至るまでの経緯を手短に説明していく。

 突然の襲撃から、飛翔船に乗せられ、魔導銃を手に入れて、黒馬と出会って―――。

 無限魔力に関する部分だけは曖昧に濁しておいた。


「ま、信じるかどうかは、そっちの自由だ」


『必要とあれば、私も証言致します』


 ヴィレッサが魔導銃を掲げ、一言を加えさせると、周囲の帝国兵がざわめいた。

 やはり喋る魔導遺物というのは特別らしい、とヴィレッサも胸の内で感心する。

 だがゼグードだけは、別の部分に注意を向けていた。


「飛翔船と言ったか? 兵士を運べるほどの、空を飛ぶ船だと?」


「ああ。気をつけた方がいいぜ。この砦の背後を突く可能性も……」


 そこまで言って、ヴィレッサは眉を顰めた。

 まさか、と。


「……いま、正にそういう状況なのか?」


 周囲の帝国兵は答えない。困惑した表情を、苦々しげに歪めただけだ。

 けれどゼグードだけは、はっきりと言葉にして頷いた。


「おぬしの言う通りだ。この砦は、後背を突かれて危機にある」


 落ち着きはらった声は、将として苦境にある事実を認めていた。

 だから眉根を寄せたのは、一人の人間としての苦渋の表れだろう。


「このようなことを子供に頼むのは間違いだと理解している。賢帝ブロスフェルトが居られれば、騎士の称号すら取り上げられよう。だが、おぬしの魔導遺物の力は見せてもらった。その力を貸しては―――」


「―――教えろ」


 ゼグードの言葉を遮って、冷ややかに、ヴィレッサは問うた。


「敵に、虚無を使う魔導士はいるか?」


「む……虚無、だと?」


 目を見張ったゼグードは一歩退く。まるで野獣に見据えられたように。

 それでも一呼吸と置かずに動揺を抑えると、脇にいた兵士に目線で答えを促した。


「き、強襲してきた敵の詳細は分かっておりませぬ。しかし城壁が崩された時、大規模な魔術が放たれ、黒い光のようなものが見えた、と」


「ふむ、黒い光か。虚無の魔術と似た特徴ではあるが……っ!」


 今度こそ、ゼグードは動揺を隠せなかった。戦慄して息を呑む。

 ヴィレッサが全身から魔力光を立ち昇らせたのだ。僅かに緩めていた表情は完全に消えて、整った顔立ちと相まって人形みたいな気配を漂わせる。

 けれど人形であるはずがない。

 人形が、これほどまでの怒りを露わにするはずがないのだから。


「っ、待て!」


 帝国兵の一人が、構えた剣を突き出そうとした。しかしゼグードが制止の声を上げる。

 ヴィレッサは、そちらには構わずに背後へ声を投げた。


「ロナとマーヤはここで待ってろ」


「え? にゃ、ボスはどうするつもりニャ?」


 答えず、ヴィレッサは黒馬を呼び寄せる。すぐさまその背に跳び乗った。

 二人を守る。そう交わした約束を違えるつもりはない。

 けれど帝国では獣人も受け入れているし、魔女の格好だけで罪に問われもしない。緊迫した状況下ではあるが、ひとまず安全は確保された。

 それよりなにより、見逃せない事態が現れてしまった。


「虚無の魔導士……十二騎士の、ガラディスって名乗っていやがった」


 ぎちり、とヴィレッサは歯噛みする。

 手綱を引くと、馬首を城砦西側へと向けた。


「そいつは、あたしが殺す!」


 宣言して、黒馬を空中へと駆け出させる。

 狂喜にも似た光を瞳に滾らせ、ヴィレッサは魔導銃を握り締めた。



「ここから先は―――」


 傲然と宣言する。


「―――あたしの戦場だ」









 城砦への突入を果たしたガラディスは、嬉々として自慢の魔槍を振るっていた。

 馬上から力任せに突き出し、払い、雑草でも刈るように帝国兵の命を散らしていく。周囲では配下の兵士たちも似たような光景を作り出していた。

 不意を突かれた帝国軍は数も少なく、抵抗すら満足にできていなかった。


「よし、このまま南側城壁を攻めるぞ。我に続け!」


 まだ城壁を抜けたのは騎兵部隊のみ、三千足らずの兵力だが、ガラディスは後続を待たずに攻め入るつもりだった。混乱している敵に時間を与えるのは愚策というものだ。


「予定通りですな。もはやこの砦は、陥ちたも同然です」


「うむ。貴殿の功績でもある。誇ってよいぞ」


 興奮気味に声を弾ませた副官に、ガラディスも満足げに応えた。

 事実、副官が持つ『影灯イルゾマ』の力が無ければ、ここまで上手く不意を突ける可能性は低かった。

 幻覚を作り出す魔導遺物なので、直接的な戦力としては数え難い。これまでレミディア国内での評価も高くなかった。しかし短時間とはいえ二万の軍勢を覆い隠せる力は、使いどころによっては戦略級とも呼べることが証明された。


「自分からも陛下に口添えしよう。貴殿がいなければ、この成功はなかったと」


「はっ。過分なまでの評価、感謝いたします」


 騎兵を従えて、ガラディスたちは砦内を駆ける。途中で数名の帝国兵に出くわしたが、速度を緩めることもなく斬り伏せた。

 まさか、ここまで首尾よく事が運ぶとは―――。

 ガラディスが思わず笑みを零したところで、南側城壁が見えてきた。

 そこにクレイグレイブの一撃を叩き込めば勝敗は決する。レミディア軍が雪崩れ込み、帝国軍は完全に瓦解する。

 魔槍を握る手に力を込めて、ガラディスが正に一撃を放とうとした時だ。

 無数の矢が、光を纏って飛来した。


「っ―――防げ!」


 声を上げると同時に、ガラディスも虚無の壁を作り出した。しかし自分と周囲の数名を守るのが限界で、一瞬にして数十名の騎兵が光の矢に貫かれる。

 ガラディスは舌打ちし、矢が放たれた方向を睨みつけた。

 百名ほどの帝国兵が隊列を組み、路地の影で待ち構えていた。


「やはり魔導士か。貴様が指揮官だな!」


 大声を投げた若い男は、黒光りする大型の弓を手にしている。仄かに魔力光を漂わせている弓は、魔導遺物であるとガラディスにも見て取れた。

 先程の光の矢による奇襲も、男が一人で行ったものだ。

 なかなかに強力な魔導士、ならば―――と、ガラディスも魔槍を構えなおす。


「無視はできぬ相手のようだな」


 城壁までは、まだ僅かに距離がある。背を向けて撃たれるのも馬鹿馬鹿しい。

 先に始末してやろう、とガラディスは馬首を巡らせた。


「レミディア聖教国近衛十二騎士、ガラディス・グレイラムである。我が名と、『怨霊槍クレイグレイブ』の恐ろしさ、地獄で語り継ぐがいい!」


「地獄へ落ちるのは貴様の方だ! 我は『百連弓』の使い手、テオドア……っ!」


 名乗りを上げ、弓を引き絞ろうとした。

 しかしそのテオドアの脇を抜けて、ガラディスへと向かうひとつの影があった。


「大将首、もらったぁ!」


「な、ナール! 貴様ぁっ!」


 ナールと呼ばれた若い騎士は、身を低くした姿勢で素早く駆けた。

 ガラディスは僅かに虚を突かれたが、すでに意識は戦闘へと集中していた。鋭い視線をナールの手元に向ける。

 その手に握られた銀色の長槍も魔導遺物なのだと、魔力の気配で察せられた。


「貴様も魔導士か」


 返答代わりに、拳大の石が投げられた。

 およそ騎士とは思えない攻撃だったが、ガラディスは余裕を持って槍を構えて払いのける。驚いたのは、危うく槍を取り落としそうになってからだ。

 軽く投げられたはずの投石が、とてつもない重さを持っていた。


 さらにその一瞬の間に、ナールは遥か頭上へと跳躍していた。まるで羽根でも生えたような、城壁さえも乗り越えそうな跳躍を見せ、銀色の槍を金槌のように振り下ろす。

 ガラディスは軽やかに馬を数歩走らせ、その一撃を避けた。

 轟音が響き、地面が割れる。強化魔術を施しても、これほどの膂力はなかなか出せるものではない。


「剛腕を与える魔導遺物か? 単純だが、面白いな」


「違うな。正解は、テメエの生首に教えてやるぜ」


「それは不可能な望みだ。だが、名前くらいは覚えておいてやろう。名乗るがいい」


「貴族様の礼儀ってやつか? 偉そうにしやがって。俺は、『重剛槍』のナイルポルトだ。テメエが最後に聞く名前だぜ、よぉっく覚えておくんだな」


 早口にまくしたてると、ナイルポルトは地面を蹴った。充分に強化された脚力で、さながら影のように、猛烈な速度で槍を突き出す。

 だが、それで終わりだった。


「ああ。愚かな魔導士として覚えておいてやろう」


 ガラディスは嘲弄を浮かべながら、吹き上がる鮮血を眺めた。

 突き出された銀槍も、ナイルポルト自身も、半分に削られていた。ガラディスが作り出した虚無障壁に、自ら突っ込む形になったのだ。

 槍が喰われた瞬間、ナイルポルトは身を引こうとした。しかし勢いがついた体は戻せず、驚愕に染まった顔も後頭部を残して暗闇に削り取られていた。


 凄惨な死体が、重力に引かれるまま地面へと倒れ伏す。

 それを馬上から見下ろしてから、ガラディスは残った帝国兵へと目を向けた。


「さて、次は貴様らの番だ」


「っ、き、貴様ぁっ! よくもナールを!」


 激情を露わにしながらも、テオドアは素早く弓を引いた。同時に魔力が集まり、光の矢が生み出される。

 まるで何十本もの矢を束ねたように太い、苛烈な速度も持った一撃が放たれた。

 一直線に、ガラディスの胸へと―――。


「ふん。所詮は下級の魔導遺物だな」


 光の矢は、あっさりと消滅した。ガラディスが生み出した虚無の壁に呑み込まれて。


「『不滅骸鎧』ともやりあってみたかったがな。貴様の首で満足するとしよう」


「くっ……正面から戦えば、貴様ごときが閣下に敵うものか!」


「背後の守りを怠ったのは奴の失策だ。将としての器が知れるな」


 侮蔑の言葉を投げながら、ガラディスは槍を正面に掲げた。

 鋭利な先端に、禍々しい暗闇が作り出されていく。


「その魔導遺物を渡せば、命だけは助けてやるぞ?」


「侮るな! 帝国騎士は降伏などせぬ!」


 ならば、死ね―――。

 言葉にはせず、ガラディスは虚無を解き放った。

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