バルツァール城塞攻防戦②
早朝、バルツァール城砦の主であるゼグード・アインツェント侯爵は、従者一名のみを連れて城壁上を見回っていた。
年齢は五十を越え、髪と顎鬚は白い。城砦を預かるよりも、孫と遊ぶ方が似合いそうな柔和な顔立ちをしている。しかし鍛えられた身体付きは衰えを感じさせず、足取りも堂々としたものだ。
連れているのが従者一名のみというのは、戦時の城主としては不用心である。だが挨拶をする見張りの兵も、それを気に掛けてはいない。この老騎士を傷つけられる者など誰もいないと、城砦の兵士たちは確信しているのだ。
ゼグードが着ている白銀の甲冑、『不滅骸鎧』はそれだけの戦果を上げている。全身が焼かれたように黒く禍々しい紋様が描かれ、髑髏を思わせる意匠だが、味方である限りは頼もしいことこの上ない。
「やはり緩いな」
レミディア軍の陣地を眺めて、ゼグードは顎鬚を撫でた。
城壁から随分と離れて留まっている敵陣地からは、僅かに煙が立ち昇っている。朝食の準備をしているのだろう。その煙の勢いや兵士たちの様子から、敵の士気や今後の動きなどを推測できる。
所謂、戦場の空気というものをゼグードは感じ取っていた。
「昨日の戦いぶりといい、本気で攻めてきているとは思えん」
「しかし十二騎士の姿も確認されています」
「そういった報告もあったな。『地炎獄剣』と『崩甲拳』、どちらも侮れんか」
レミディアの近衛十二騎士の内でも、その二名はとりわけ名が知られている。一騎当千どころか一騎当万とも言える魔導遺物の使い手だ。
油断すれば、堅牢なバルツァール城砦すら一瞬で陥とされかねない。
「おぬしが敵の指揮官であれば、どう戦う?」
斜め後ろに立つ従者へ、ゼグードは尋ねてみた。長年戦場で生きてきたゼグードだが、最近は後進の教育に楽しみを覚えている。
まだ若い騎士である従者も、ゼグードが目を掛けている一人だった。
「閣下、その問題は意地が悪すぎます。正解がありません」
「ほう。では、戦わないのが正解だと言うのか?」
「兵の命を無駄に散らすのは、愚行でしかないかと」
ゼグードが指揮を執る限り、『不滅骸鎧』がある限り、この城砦が陥ちることは有り得ない。若い騎士は苦笑いでそう語った。
「それでも戦うとすれば……どうにかして陣形を乱すことを狙うでしょう」
「うむ。ゼル・ガラフにも弱点はあるからな」
「はい。残念ながら、レミディア軍は幾度もその力を目にしております。多少なりとも、研究は進めているはず」
正しく不滅と言えるほど強力な障壁を展開できる『不滅骸鎧』だが、その能力には当然ながら限界もある。最低でも数百名規模で陣形を組まないと、障壁の発生自体が叶わない。陣形を組む全員が一定量の魔力消費を強いられるので、長時間の戦闘も難しい。
しかしこの城砦に詰める兵士は、日頃から陣形を整える訓練に励んでいる。魔力消費に関しても交代で行えば、理屈の上では何十日でも戦い続けられる。
「こちらの消耗を狙うか、誘い出すか、敵の狙いはそんなところではないかと」
「だが戦いが長引けば、帝都からの援軍が到着するぞ?」
「その点はレミディア軍も承知の上でしょう。ですから、ギリギリの日数で仕掛けてくるつもりではないでしょうか?」
「援軍が到着すれば退くつもり、か」
首肯する従者から目を移し、ゼグードはあらためて敵陣を観察した。
兵数二十万。大軍には違いないが、過去の侵攻軍と比べれば少ない。歴戦の騎士であるゼグードには、五十万のレミディア軍と対峙した経験もあった。
失敗を容認した前提での派兵、と思えなくもない。
しかし様子見や牽制だとしても、けっして少なくない損害が出るはずだ。
あるいは、少ない兵力でも出さざるを得ない事情があるのか―――。
「……これこそ正解のない問題だな。埒が明かぬ」
油断なく、常道に従って防御に徹する。
そう結論を下して、ゼグードは城内へと足を進めた。
朝を過ぎた頃から、レミディア軍はのろのろと動き出した。しかし積極的な攻勢は見せずに、遠距離魔術が届くギリギリの距離にしか近づこうとしない。
ここ数日は、ずっとそんな行動を繰り返していた。
散発的な攻撃に、ゼグードだけでなく初陣の兵士さえ怪訝を覚えている。
「やはり攻めてこぬか。かといって、士気が低い訳でもない……」
城壁上から戦場を眺め下ろして、ゼグードは太い腕を組む。
どれだけ経験を積んでも、戦場では想定通りに事が運ぶ方が少ない。そう理解しているゼグードだが、どうにも嫌な予感が拭い切れなかった。
だからといって下手に動くこともできない。
『不滅骸鎧』はすでに起動して淡い光を放っている。万全の防御体勢を敷いているが、二十万の敵軍を蹴散らせる兵力は持ち合わせていないのだ。
無為な睨み合いが続く。そんな時間が終わったのは、太陽が中天に昇った頃だった。
レミディア軍が三つに割れた。中央の十万ほどが城壁に押し寄せ、残りが北と南から回り込む動きを見せた。
「騎兵部隊に通達。ブルーノ隊は北、ギルベルト隊は南だ。即座に出撃せよ」
ゼグードの判断は素早かった。
最も防御の厚い城砦東側を迂回しての攻撃。過去にも幾度か、レミディア軍が試してきた戦術だ。そのすべてをゼグードは叩き潰してきた。
不滅障壁を展開したままの騎兵部隊を突撃させる。騎馬の速度で一糸乱れぬ陣形を保つのだから、僅かな精鋭部隊でしか行えない戦い方だ。しかし一切の攻撃を受け付けない騎兵部隊は、その速度を活かした突破力で敵陣をバターのように容易く切り裂ける。
防御を固めた重装部隊ならばともかく、移動中の部隊では一溜まりもない。
さらに、もしも城砦の北側や南側に取り付かれても問題はない。そちらの防衛に予備兵力を回せばよいだけだ。
『不滅骸鎧』の力が及ぶ範囲は広い。広大な城砦すべてを守れるほどだ。
もっとも、装着者であるゼグードが認識できることが前提だが―――。
「これで決まりですかな」
背後に控えていた副官が、喜色混じりの疑問を投げた。
「油断するな。まだ戦場を駆ける兵もいるのだぞ」
「はっ、申し訳ありません」
厳しい声を投げたゼグードだったが、内心では半ば頷いていた。
過去の経験からすれば、南北に分かれた敵部隊を騎兵で蹂躙して決着がつく。後は城壁前にいる中央の敵を退ければ、敵の兵力だけでなく士気まで根こそぎ奪えるだろう。
その予測通り、出撃した騎兵部隊は敵陣を切り裂いていった。
東城壁に迫る大軍をまったく問題にせず横断して、南北に迂回する敵軍の後背を突く。二千騎ずつの少数部隊だが、一方的に打撃を与え、敵を混乱させるには充分だ。
統率が取れなくなった軍など、城壁上から矢を射掛ける作業だけで追い払える。
だが、レミディア軍は奇妙な動きを見せた。
「構わずに進んでくるだと……?」
まるで砂糖に群がる蟻の如く、城壁へと二十万の軍勢が押し寄せてくる。正確な兵力はもっと減っているはずだが、上から眺めるだけでも威圧を伴う情景だった。
しかし砂糖と違って、城壁に群がる兵は何も得られはしない。
逆に命を払うことになる。すでにゼグードは、予備部隊を南北の城壁に移動させていた。障壁に阻まれた敵兵は、一方的に弓矢や投石を浴びせられる。
あとは、時間が経つほどにレミディア軍の被害ばかりが増えていく。
城壁前に至った部隊は密集し、防御陣を組んでいたが、所詮は焼け石に水だ。
「奴ら、城壁前で野営でもするつもりですかな?」
「およそ正気とは思えんな……だが念の為、騎兵部隊は戻しておけ」
「閣下は慎重ですな。いま少し、敵に打撃を与えてもよいとも思えますが……」
「敵の狙いが分からん。余力が多い方がよい」
ゼグードの指示はすぐに伝わり、騎兵部隊は馬首を翻して敵陣側面を突いた。そのまま敵兵を蹴散らしながら城砦へと戻ってくるのだが、さすがに城門がある東側の敵陣は厚く、突破に時間を取られてしまう。
さらに騎兵部隊の突撃を受けるレミディア軍も、防御の姿勢を見せて―――、
そこで、とある推測がゼグードの脳裏に浮かんだ。
「もしや、足止め……陽動が目的なのか?」
「は……?」
副官が間の抜けた声を漏らしたのも無理はない。
二十万の兵を使っての陽動。そんな戦術など馬鹿げている。
そもそも陽動というならば、本命の攻撃部隊がいなくては成り立たない。仮に攻撃部隊がいたとして―――、
この城砦の周囲は広々とした平原だ。何処に隠れるというのか?
すでに城壁には敵兵が殺到している。他に何処を攻撃するというのか?
もしもウルムス村襲撃の報を受けていたら、ゼグードの対応は違っていただろう。しかしこの時点では、レミディア軍が帝国領内に入ったという確たる証拠は無く、それらしいという報告も帝都に届いただけで止まっていた。
そんな報告の遅延にも、レミディアによる策謀が関わっていたのだが、ともあれゼグードには知る由もない。
それでも万が一を考え、対策を打とうとしたゼグードはさすがだった。
「エレザの部隊が休んでいたな。西側城壁へ……」
だが、遅かった。
ゼグードが指示を出そうとした直後、青い顔をした伝令兵が駆けつけてきた。
「ほ、報告します! 南西よりレミディア軍が接近中です!」
周囲にいた騎士たちが目を見開き、言葉を失う。ゼグードでさえ己の耳を疑った。
それでも辛うじて平静を取り繕い、問い返す。
「正確に報告しろ。数は? 本当にレミディア軍なのか?」
「はっ! 敵兵はおよそ二万。白と赤の十字旗を確認しております。先頭の騎兵部隊は、間も無く城壁まで到達するかと―――」
副官の声を、響いてきた轟音が遮った。
城砦西側からの大きな破壊音―――それが示す事実は、落城の危機だ。
味方しか現われないはずの西側には、僅かな見張りの兵しか置いていない。本来ならばそれで充分なのだ。手薄とはいえ分厚い城壁があり、ちょっとやそっとの攻撃魔術くらいではビクともしない。少しの時間を稼げば応援を呼べる。
しかし、強力な魔導遺物は戦場の常識を引っ繰り返す。
『不滅骸鎧』が十倍二十倍の敵兵と拮抗できるように、強力な魔導遺物は、一瞬で城壁を崩すような非常識もやってのけるのだ。
「ぬかった……始めから、この一撃を狙っていたのか」
「で、ですが、どうやって領内へ兵を……」
「そのようなことは後で考えればよい!」
もはや城内に敵兵が侵入したのは確実だ。いまは、その対処を急ぐ必要がある。
ゼグードは城壁上から戦場を見やりつつ、素早く考えをまとめた。
「予備兵はすべて食料庫の防御へ回せ! それと、魔導士を全員集めるのだ」
「は……魔導士と言いますと、出撃している者もですか?」
「そうだ。城壁で防御に当たっている者もだ。障壁を維持しつつ、侵入者どもも撃退せねばならん。伝令、急げ!」
いま敵兵が押し寄せている三方の城壁も守り続けなければいけない。敵に強力な魔導士がいた場合、西側と同じように崩される可能性がある。
無論、最大の脅威は侵入してきた部隊だ。糧食を焼かれれば籠城は不可能になり、城内で混乱を起こされるだけでも、防御部隊の陣形が乱れれば障壁が維持できなくなる。
一刻も早く、侵入部隊を撃退しなければならない。
しかしそう望むのは容易いが、実現させるのは困難を極める。
「……事によっては、城も捨てねばならんか」
ゼグードはこの場を動けない。『不滅骸鎧』の制御を解けば、すぐさま城壁を抜かれてしまう。城内での目が届かない場所での戦闘では、障壁を展開できない。
部下にいる魔導士は五名。その内の二名は、騎兵部隊の隊長で出撃している。
即座に動けるのは三名だが、敵にも魔導士がいて、さらに二万の兵も相手取るとなれば厳しい戦いになる。
いや、もはや「厳しい」では済まないだろう。絶望的と言える。
この状況で突撃してきた侵入部隊には、間違いなく強力な魔導士がいる。並の魔導士では相手にならない。ゼグード本人が向かえば撃退も可能だろうが―――、
最悪、貴重な魔導遺物だけを持って逃げ延びるしかない。
何十年と帝国が守り続けた城砦を、自分の判断で捨てねばならないとは!
「せめて、もう一人でも戦略級魔導士がいてくれれば……」
埒も無い願望を呟いて、ゼグードは歯噛みした。
城壁外から響いてくる戦闘の音が、やけに遠くに聞こえる。まるで足下が崩れたようにふらついてしまった。
騎兵部隊を城内に留めておけば。見張りの兵を増やしておけば。
いくらでも、いくらでも手の打ちようはあったというのに―――。
「……? なんだ……?」
ゼグードは呟き、顔を上げた。後悔に打ちひしがれながらも、戦士としての経験がその変化を見逃さなかった。
戦場の遥か後方、レミディア軍が野営地を作った場所から煙が上がっている。何事かと目を凝らしている内に、大きな炎も上がり、赤々と戦場を照らした。
それはレミディア軍にとっても不意打ちだった。城砦を取り囲んでいる兵士たちも驚愕の声を上げる。野営地が焼かれれば、そこにある糧食も焼かれて、飢える破目になるのだから慌てるのも当然だ。
しかし僅かながらも見張りの兵はいたはずで、いったい何者が―――。
そんな疑問に答えるように、炎の中からひとつの影が進み出た。
「なんだ、あの巨大な馬は……?」
「いや、あれはもしや馬ではなく、ナイトメアでは?」
「だ、だが、どういうことだ? あれに乗っているのは……」
周囲の兵が口々に疑問を漏らす。
ゼグードも唖然として、その小さな姿を凝視していた。
「子供、だと……?」
煌々と燃える炎を背負って、真っ赤な外套を羽織った少女が馬上から降り立った。
悠然と。泰然と。戦場にいるのが当然であるかのように―――、
その小さな手に構えた武器を、レミディア軍へ向けて撃ち放った。
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