バルツァール城塞攻防戦①


 夜闇に包まれた東の空から三隻の飛翔船が近づいてくる。ここ数日で見慣れた光景だが、ガラディスはほっと安堵を漏らした。


「どうにか無事に集結できましたな」


 隣に立つ新任の副官も緊張を緩める。その顔には僅かに疲労が滲んでいた。


「ここからが本番だ。貴殿の力も頼りにしているぞ」


「はっ、無論のこと。我らが聖遺物の力、帝国に見せつけてやりましょう」


 拳を握り締める副官の反応に、ガラディスは内心の苦笑を隠した。戦意を昂ぶらせているのはガラディスも同じだが、「聖遺物」と自然と口にできるほど神を妄信してはいない。


 帝国領内で身を潜めて十日余り。祈る行為すら忘れるほど、目まぐるしく状況は移ろっていた。

 まず最初に驚かされたのは、飛翔船を本国へ送り帰した翌日だ。

 研究所が襲撃され、六隻の飛翔船が破壊される―――、

 魔導通信によってもたらされた報せに、ガラディスは愕然とさせられた。口元を三日月型に吊り上げた幼女の姿が脳裏を掠めたが、すぐに頭を振って最悪の予感を打ち消した。


 もしも自分が送りつけた捕虜が、事を起こしたのだとしたら?

 そんなはずはないと思いながらも、ガラディスは悶々として本国からの情報を待った。


 数日後に届いた報せは、帝国への本格的な侵攻が決まったというもの。また急展開した事態に驚きながらも、援軍と合流するべく兵を移動させた。

 そうして飛翔船が往復すること数回、ガラディスの下に二万の兵が集められた。


「兵が揃ったのはいいが、やはり行軍が問題となるな」


 飛翔船から降りる兵士達を眺めながら、ガラディスは腕組みする。

 作戦は単純だ。国境にあるバルツァール城砦を、まずレミディア国側から本隊が襲撃する。その隙を突き、ガラディス率いる別働隊が背後から急襲する。

 肝心なのは、別働隊の存在を察知されないこと。

 城砦に接近するまで、如何にして二万の軍勢を隠せるかが問題となる。


「失敗は許されん。貴殿の力を疑う訳ではないが……」


「御安心を。我が配下には、斥候の任に長けた者も揃えております」


「そうか……ならば、行軍に関しては任せてよいか?」


 ガラディスは期待を込めた眼差しを副官へと向けた。

 任せて、失敗した際には責任を押しつけてやろう。そんな企みを隠した眼差しだったが、副官は嬉しそうに頷いた。


「お任せを。『影灯イルゾマ』の力、期待は裏切りませぬ」


「うむ。頼りにしている」


 鷹揚に頷きを返すと、ガラディスは闇に染まった平原の先へと目を移した。

 その先にある、攻め落とすべき城砦を思い浮かべる。本隊の方は明日か明後日にも到着すると聞いた。ガラディスたちが到着する頃には、戦闘の真っ最中だろう。


「精々、奮戦してもらわんとな。どちらの軍にも……」


 暗い冷笑を零しつつ、ガラディスは自分の天幕へ戻ろうとした。

 けれど踵を返したところで呼び止められる。飛翔船から降りてきた兵士の一人が、ガラディスの方へと駆けてきた。

 副官に任せてもよいかとも思われたが、その兵士の深刻な表情が気に掛かった。


「どうした?」


「はっ、伝令です。この書簡を、グレイラム卿に直接お渡しするよう命じられました」


 片膝をついた兵士が、恭しく頭を垂れながら書簡を差し出す。

 大仰な所作に眉を揺らしたガラディスだが、その書簡に用いられた封蝋を見て事態の重さを察した。よほど無学な者でない限りは、その紋章を見間違えるはずもない。


「陛下が、直々に……?」


 低く声を潜めたガラディスは、すぐに受け取った書簡を開いた。あるいはもっと人目を避けるべきだったかも知れない。しかし一刻を争う事態の可能性もあった。

 ともあれガラディスは、動揺を押さえ込めるよう心に鎧を着せた。

 けれど読み進める内に、激しく顔を歪めてしまう。


「まさか……!」


 聖都が襲撃を受け、宰相ギルアードが死去―――。

 端的に言ってしまえばそれだけなのだが、しかし王城が襲撃を受けるなど、俄かには信じ難いことだった。もしも国王インスティウスまで命を落としていたならば、レミディア国全体が大いに乱れていたのは間違いない。

 帝国への侵攻作戦も、即座に中断となっていただろう。


 作戦続行が決まったのは、犠牲が少なかったのもあるが、教会が強く推したからだった。

 逆に言えば、それだけ教会の発言力が大きいということ。対立していたギルアードが消えたいま、勢力を広げる好機と考える者が出てくるのは当然だった。


「陛下は、何と……?」


 隣に控えていた副官が、恐る恐る訊ねた。

 ガラディスは一旦思考を切り替えると、表情を取り繕って自信を滲ませる。


「大したことではない。此度の作戦に関して、激励を頂いた」


 嘘ではない。失敗すれば庇いきれないというのも、激励と言えば激励だろう。

 どうせ始めから敗北は許されない。果たすべき役目も変わらない。


「陛下は期待しておられる。貴殿も励むがよい」


 副官はまだなにか言いたげだったが、ガラディスは背を向けて歩き出した。

 夜闇を眺めてから、しばし目を伏せる。

 不穏な予感が拭い去れない。しかし、なにより―――あの悪魔じみた幼女の姿が目蓋に浮かんで離れなかった。


「馬鹿馬鹿しい……あのような小娘に、なにが出来るというのだ」


 微かに震えた声は、荒々しい足音に紛れて消えていく。

 ガラディスの手にあった書簡は、いつのまにか強く握り潰されていた。






 ◇ ◇ ◇



 街道から外れた森の中、ヴィレッサはまた高い木枝の上に立っていた。

 手には望遠鏡が握られている。小領主ビルウッドの屋敷から貰ってきた物だ。


「あれがバルツァール城砦……」


 呟いた声には、感慨と緊張が入り混じっていた。

 平穏な生活を壊されて、すでに一月余り。ようやく自国の土を踏める。レミディア首都へ立ち寄ったために、多少は遠回りを強いられた。

 しかし首都に砲撃を加えた後は、とりわけ黒馬が上機嫌になって足を速めてくれた。おかげで他の馬も張り切って、ここまで掛かる日数は随分と短縮できた。


 とはいえ国境を越えるためには、もう一苦労しなければいけないようだ。

 城砦の手前に広がる平原には、レミディア聖教国の軍が布陣している。

 ざっと二十万を越える大軍が城砦へ攻め掛かっている様子だった、が、


「ほとんど戦いになってねえな」


 素人目にも、戦闘の趨勢は明らかだった。

 バルツァール城砦を守る帝国側の兵力は、およそ二万といったところだ。堅固な城壁があるとはいえ、普通ならば十倍の敵に抗えるはずもない。

 そう、普通ならば、だ。


「『不滅骸鎧ゼル・ガラフ』……帝国を守る絶対防壁って話は嘘じゃねえな」


「ここからでも見えるニャ。とっても綺麗ニャぁ」


 木の幹にしがみついているロナが、緊張感のない感想を漏らした。

 高い城壁をさらに囲む形で、淡く輝く壁が聳え立っている。

 まるで巨大な光のカーテンは、レミディア軍の接近どころか、魔術や弓矢による攻撃もすべて弾き返している。

 それでいて、城砦側からの攻撃は届くのだ。迂闊に近づけば魔術を撃たれ、矢で射られ、レミディア軍はうろうろと城壁の周りを巡るばかりだ。


「しかし、地味だな」


 やや不謹慎な感想を漏らして、ヴィレッサは首を捻る。

 以前に村を訪れた吟遊詩人は、帝国軍は一切の攻撃を寄せ付けず、苛烈なまでに敵軍を打ち倒したように語っていた。しかし見る限りでは完全に守勢に徹している。


「まあ帝国としては、守りきれば勝ちだものね」


「そうニャ。あちしらも戦いが終わるまで待ってればいいニャ」


 マーヤも木の枝に腰掛けて、望遠鏡を覗き込んでいた。しばらくは興味深そうに戦場の様子を窺っていたが、やがていつもの冷めた眼差しが戻っていた。

 ヴィレッサとしても、不必要な危険を冒すつもりはない。

 だけど戦いが続いている限りは国境を越えられない。何日も足止めを喰らうのは避けたかったし、もしも帝国軍が敗北したら困った状況になる。


「下手したら、二十万を一人で相手する破目になるからなぁ」


『提案。その場合は、戦術的撤退を推奨します』


「戦い方次第でなんとかならねえか?」


『敵戦力の詳細も不明です。現状では危険性が高すぎると判断します』


 ヴィレッサは不満げに口元を捻じ曲げる。

 その遣り取りを聞いていたロナとマーヤは、顔を蒼ざめさせるのだが―――。


「ん……?」


 ちょうど戦場に動きがあった。

 城門が開き、三千名ほどの帝国軍が流れ出てくる。素早く陣形を組むと、レミディア軍の正面へと切り込んだ。

 単純な数だけを見れば、無謀な突撃としか思えない。

 しかし退いたのはレミディア軍の方だった。小勢である帝国軍が一方的に攻め入っていく。前衛が長槍を振るい、中央と後方から攻撃魔術を次々と撃ち放つ。

 レミディア軍の攻撃はすべて障壁で防がれ、触れることすらできていない。


「城壁だけじゃなく、部隊も守れるのか」


『恐らくは集団で陣形を組み、防護術式を発動させているのでしょう。大勢の魔力を集め、制御するのが『不滅骸鎧』の能力かと推測できます』


 どうにか障壁を破ろうと、レミディア軍も努力はしている。投石器で上方からの攻撃を試したり、大規模魔術で辺り一帯を炎で包んだり。指揮官らしき男が光輝く剣を振るい、大地を割り裂くほどの一撃を放ったりもした。

 けれど帝国軍の被害は皆無。

 一人の被害も出さないまま、散々にレミディア軍を追い立てていく。


「ニャぁ、すごいニャ。やっぱり帝国軍は圧倒的だニャ」


「ああ。地味って言ったのは取り消すべきだな」


 素直に頷く。ヴィレッサとしても胸のすく光景だった。

 それでも、ふと思いついて尋ねてみる。


「ディード。おまえなら、あの防壁を破れるか?」


『この距離では詳細な分析ができないので断言はしかねます』


 ですが、と心なしか誇らしげに述べる。


『極式と冠された我々は、すべての魔導遺物の上位に存在します。戦闘に関する限りは、凡百の魔導遺物に遅れは取りません』


「……ま、アレが帝国軍にある限りは、そんな事態にはならねえだろ」


 そんな遣り取りをしている間にも、戦場は動きを見せていた。

 レミディア軍が一斉に退いていく。完全な撤退ではないが、今日のところはもう攻めるつもりは無いらしい。帝国側も追わずに城砦へと引き返した。


「ボス、どうするニャ?」


「あれだけ離れてくれれば、こっそり城砦に近づけるかも知れないわ」


 ヴィレッサは即答を避けた。フードを目深に被って思案する。

 マーヤが言った通りに城砦を目指してもいい。あるいは何日か待てば、帝国軍が完全に勝利するようにも思えた。


「明日まで様子を見る。念の為、戦う準備もしておくぞ」


 杞憂で済んでくれるに越したことはない。

 けれどレミディア軍の退き方は、あまりにも呆気なさ過ぎた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る