聖都を撃つ


 聖都ヤードリィホルン。

 レミディア聖教国の首都であり、幾つもの街道が繋がる中心地となっている。近年では東の小国連合から土地を奪い、富を蓄えている。おかげで東方国境では小競り合いも頻発しているが、国民の生活は少しずつ安定してきていた。


 ただ、ここしばらくは、城下街にも剣呑な空気が流れている。

 帝国への侵攻のため、大兵団が出立したばかりだからだ。兵士として家族を連れて行かれた者の中には、不安や不満を抱えている者も少なくなかった。

 そんな声の幾許かは、国王であるインスティウスの耳にも届いていた。


「ふぅ……やはり帝国へ挑むのは、困難だと思う者が多いようだな」


 謁見を終えて、インスティウスは玉座の背もたれに体重を預けた。

 二十代に入ったばかりの若い王は、やや細身だが、健康的な体付きをしている。明るい表情にも活力が滲んでいた。けれど多くの者と謁見を繰り返す日々を送っていると、どうしても気疲れは溜まっていくものだ。

 玉座の脇に立つ宰相ギルアードもまだ三十代と若く、役職に就いてからの期間も短い。それでも王の気苦労を宥めるように、柔和な表情を取り繕っていた。


「理屈の分からぬ者は何処にでも居るものです。陛下が御心配なさる必要はありません」


「そうは言っても、なるべく多くの声に耳を傾けるべきではないか?」


「私としましては、教会と貴族間の意見の対立が気に掛かるところですな」


 話を逸らしつつ、ギルアードは軽く自身の二の腕に手を当てた。微かな魔力をそこへ流すが、インスティウスには気づかれない。


「此度の出兵は、教会が強く意見を推したもの。その点で納得できない者が多いのでしょう」


「ふむ。そういう考え方もあるのか……」


「そもそも教会が軍事に口を出すのは越権とも言えるのです。帝国への侵攻は成功するでしょうが、奴等に対しては釘を刺す必要があるでしょうな」


 国政に教会を関わらせるべきではない。その意見は至極真っ当ではあった。

 けれど今回の帝国侵攻に関しては、教会の意見にギルアードが乗った形になっていた。戦費の負担もかなりの部分で押しつけているので、教会からすれば、相応の見返りを要求するのは当然の権利だろう。


 ギルアードの言葉は、教会との対立を危惧しているようではある。しかしその実、反感を買うのをまったく恐れていなかった。

 利用するばかりでは、相手が牙を剥く可能性すらある。

 しかしインスティウスは疑うこともなく、与えられた言葉に頷いていた。


「そうだな……教会には、私の方から言い含めておくとしよう」


「助かります。陛下の御言葉であれば、奴等も素直に従うことでしょう」


 恭しく礼を述べながら、ギルアードは内心でほくそ笑む。

 もはや国王は完全に傀儡と化している。教会にしても、対立する立場にあった方が都合よく利用できる場合が多い。

 どれだけ啀み合っても、ギルアードには決定的な衝突を避けられる自信があった。


 服の下に隠した腕輪型の魔導遺物、『我心流針

ツァイ・ラ・ハル

』―――。

 それを偶然に手に入れた時から、ギルアードの世界は大きく変化した。

 まるっきり戦闘能力は持たない魔導遺物だが、他者の心を操ることができた。何もかも思い通りとはいかず、心底から嫌がるような行動は強制できない。下手に心を歪めようとすれば、腕輪に仕込まれた太い針が触手のように伸びて、ギルアード自身を穿ち、命まで刺し貫こうとする。


 ただ、在るべき心の流れをほんの少し誘導できるだけ。

 しかし人の心はとても移ろい易い。一国の王が、しがない平民だった男を宰相として受け入れてしまうほどだ。誘導の仕方を間違えなければ、誰であろうとギルアードが望んだ通りに動いてくれる。

 今回の帝国侵攻も、教会が主導する裏で、そうなるよう仕組まれたものだった。


「それにしても、ギルアードは本当に自信家だな。もう帝国に勝った後のことまで考えているとは」


「あらゆる事態を想定しているだけのことです。そうですな……この大陸を統一した後のことなども考えますと、胸が弾みますな」


「ははっ。さすがにそれは、私が生きている間には実現しそうにないな」


 インスティウスは愉快そうに笑声を零す。

 多数の魔導遺物が発掘できるおかげで、レミディアは国力を増してきた。しかし荒れた土地も各地域に残っていて、まだまだ統治の上では問題も多い。

 大陸統一などと言い出しても、冗談としか聞こえないのが当然だ。


 それでもギルアードは、柔和な表情の裏に野心を隠していた。

 自分はけっして表舞台には出ず、他者を操り、戦乱を巻き起こす。最後には自分が頂点へと上り詰めて、ありとあらゆる贅沢を極めてみせる。

 そんな幼稚とも言える野望は、いつか未来で叶えられる可能性もあった。

 たった一人の幼女を敵に回さなければ。


「陛下の御力であれば可能でしょう。これからも私が―――」


 唐突に、言葉は断ち切られた。

 いや、掻き消され、叩き潰されたと言うべきか。

 謁見の間に轟音が鳴り響く。まるで戦術級の爆破術式が撃ち込まれたかのように、広間全体が揺らぎ、壁も天井も一気に崩壊した。


「ぃ、っ―――!?」


 いったい何事か―――。

 考える暇も無く、ギルアードの頭上から影が差す。顔を上げた時には手遅れだった。


 割れた天井が迫ってくる。大きな石塊は、驚愕に歪んだギルアードの顔も、恐怖に震える身体も、一瞬にして押し潰した。

 綺麗に磨き抜かれていた床は罅割れて、赤黒い血の染みが広がっていく。

 大陸統一の野望を抱いた男は、こうして呆気なく死を迎えた。






 聖都から少し離れた森の中―――。

 高い木枝の上に立って、ヴィレッサは口元を三日月型に吊り上げていた。

 その手には砲撃形態に変形した魔導銃

ディード

が握られている。太い銃身は青白い光を散らし、破壊の余韻を味わうように微かな震えを伝えてきた。


『命中。敵城、主郭の破壊を確認しました』


「これで出力三〇%か。随分と派手に壊れやがったな」


 城の中心部から立ち昇る炎と煙を眺めて、ヴィレッサは満足げに頷いた。

 しかしその隣では、同じように木枝に立つマーヤと、木の幹にしがみついたロナが、蒼ざめた顔を引き攣った笑みで歪めていた。


「本当にやっちゃったわ……」


「にゃ、にゃはは……これでもう完全に、レミディアを敵に回しちゃったニャ」


 帝国領を目指しているヴィレッサたちだが、ちょっとした寄り道をしていた。ちょうど道すがらにレミディアの首都があったので、挨拶を撃ち込んでやることにしたのだ。

 怒りと憎悪を込めた、破壊力たっぷりの挨拶を。


 それでも一般の者を巻き込むのは心苦しかったので、城の本丸だけを狙っておいた。

 本来ならば、首都の城だけあって厚い防護が施されている。常に幾重もの障壁が張られて、大規模な魔術に対しても耐えられるはずだった。

 けれどヴィレッサと魔導銃の前では、そんな防護術式など紙にも等しい。

 頑強な造りの石壁にしても、砲撃形態の前では子供の積み木も同然だった。


『射程を優先したため、威力が減衰しています。もう一撃ほど撃ち込みますか?』


「……おまえ、意外と乗り気だったんだな」


『マスターの敵であれば、私の敵でもありますから』


 魔導銃の冷淡な声は相変わらずだ。およそ感情というものが込められていない。

 だけどその言葉自体は、ヴィレッサの胸を温かくしてくれる。

 それでもヴィレッサは首を振ると、魔導銃を腰へ収めた。


「ひとまずは充分だ。絶対に許せねえ奴は、あそこには居ねえからな」


『了解。では、引き続き警戒に努めます』


 頷いて、ヴィレッサは木枝から跳び下りる。さすがに真っ直ぐに地面へ向かうと怪我をするくらいの高さがあるので、空中に何枚か魔力板を浮かべて。

 地上に降りると、すぐに黒馬の背に跨った。

 ロナとマーヤも急いで降りてきて、其々の馬に乗って手綱を握る。


「それじゃ、戦術的撤退だ!」


「はいニャ。逃げるニャ! 一目散にすたこらさっさニャ!」


「なるべく静かに、目立たないようにね」


 三名と三頭、そして一丁の魔導銃は、レミディアの首都に背を向ける。

 目指すは帝国国境、バルツァール城砦。

 さらなる戦乱に巻き込まれるとしても、彼女たちには進むより他に道はなかった。

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