古代遺物との邂逅、そして反撃の魔弾⑤


 旅は道連れ、世は情け。

 この世界には存在しない諺に感心しながら、ヴィレッサは手綱を握り直した。初めての乗馬はさほど難しくなかったが、ちょっと速度を上げると体勢を崩してしまう。おまけに幼女の体では、〝跨る〟のではなく、正しく〝乗る〟形になっていた。


 けれど領主の館から貰ってきた鞍は座り心地が良い。『赤狼之加護』からベルトを伸ばして体の固定もできた。

 黒馬も、まるでヴィレッサの意思を読み取っているように走ってくれる。

 そうして乗馬訓練をしているヴィレッサの横では、ロナが野営の準備をしていた。


「ボス、そろそろ夕食ができあがるニャ」


「こっちも寝床が準備できたわ。はぁ、どうして私がこんなことまで……」


「ん。それじゃあ休むとするか」


 黒馬の背から飛び降りると、ヴィレッサは軽い足取りで焚火へと向かった。

 便利な道連れが加わって、旅もかなり楽になった。面倒な作業が減っただけではない。領主の屋敷が崩れ落ちる前に、お小遣いもたっぷりと回収できた。そのおかげで旅に必要な道具や食料、マーヤたちが乗る馬まで手に入れられた。


 ついでに潰した教会にも金目の物が溜め込まれていた。

 なのでヴィレッサは、不要な分は街の住民へばら撒いておいた。信用できそうな者には多目に渡して、治安を守るよう言い含めておいた。

 やはり本物の金貨は違う。街を出る時も、大勢の住民が笑顔で見送ってくれたのだ。


「焼き豆をくれたおばちゃんも、喜んでくれてたからな」


「あれは喜んでいたというより、引き攣った笑いみたいだったけど……」


「ナイトメアに乗った人間なんて、ボスが初めてだろうしニャ」


「まあ、あれだけ目立っておけば、住民の反乱だなんて思われねえだろ」


 領主殺しの犯人がハッキリしていれば、街の住民が責められることはない。追っ手が来るにしても、領主に従っていた兵士は、ほぼ全員がナイトメアに踏み潰された。しばらくは街の混乱を治めるだけで手一杯だろう。

 レミディア国軍が出てきても、ヴィレッサはいざとなれば力技で逃げ切るつもりだ。


「おまえの脚にも期待してるぜ、メア」


 ヴィレッサの脇に座った黒馬は嬉しそうに嘶いた。相変わらず赤々とした眼光は鋭く、幼女など一呑みにできそうな巨体だが、ヴィレッサに甘えるみたいに寄り添っている。

 見方によっては、子供と動物が心を通わせている微笑ましい光景なのだが―――。


「レミディアは、恐ろしいコンビを敵に回したニャぁ」


「そうね。私達も運が良かったのか、悪かったのか……」


 悪魔と悪夢が悪巧みをしているようにしか見えない。

 助けられたロナとマーヤでさえ、怯えた顔を隠しきれていなかった。

 そんな表情を焚火越しに見て取って、ヴィレッサも眉を顰める。


「心配すんなよ」


 努めて明るく、口元を吊り上げてみせた。


「置いて逃げたりはしねえ。追っ手の一万や二万、軽く蹴散らしてやるぜ」


 はじめは空腹から領主襲撃を行ったヴィレッサだが、それだけが目的ではなくなっていた。互いを守ろうとする二人を、純粋に救いたいとも思えた。

 街を出てからの道中で、ロナとマーヤが捕まった経緯なども聞き及んでいた。

 故郷を追われ、理不尽に虐げられる―――この世界では珍しくもない話だ。

 でも、不幸なんて少ない方がいいに決まっている。

 だからヴィレッサは笑い掛ける。絶対に繋いだ手を離しはしない、と。


「運命共同体ってやつだ。仲良くしようぜ」


「にゃ、にゃはは。も、もちろん、ボスから逃げよう考えてないニャ」


「はぁ……そうよね。覚悟を決めるしかないわよね」


 獣耳と三角帽子が、がっくりと項垂れる。

 それでも辛うじて頬を緩めてくれた二人を見て、ヴィレッサは満足げに頷いた。

 きっとまだ捕らえられた恐怖が抜け切っていないのだろう。自分がしっかりと支えて、安心させなくては―――そう決意を新たにする。

 子供が考えることじゃないな、なんて苦笑も零しながら。


「ま、とにかく食事にしようぜ。腹が減っては戦はできねえ……っと、こっちにはない諺だったな。まあ間違ってねえか」


 すでに焚火の上には鍋が置かれていて、山菜と芋のシチューが程好く煮えている。自分の器を手に取って、ヴィレッサは久々の温かな食事に舌鼓を打った。

 ふと、修道院での食事が思い出された。

 いつもシャロンが作ってくれて、ルヴィスやヴィレッサは少しだけ手伝っていた。偶に固いパンが出てきたり、田舎村らしい不満もあった。だけど怪我をしたり体調を崩したりした時には、消化に良さそうな柔らかな食事が出てきて、優しい気遣いを感じられた。


 贅沢はできなくても、いつも三人で笑い合えた。

 時には、村の大勢と席を囲んだ。

 だけどそんな当り前の風景も、いまはとても遠くて―――。


「ぼ、ボス? お口に合わなかったかニャ?」


「ん……? いや、そんなことねえぞ。美味いぜ」


 軽く頭を振ってから、ヴィレッサはスプーンを口に運んだ。

 ロナもマーヤも、ちびちびとシチューをすする。肩を縮めながら、なにやら言いたげな二人の様子に、ヴィレッサは首を捻って言葉を促した。


「え、えっとニャ、ボスは戦う気満々みたいにゃけど……」


「私達は帝国を目指すのよね? なるべく……その、戦闘は避ける形で?」


「ああ。ここからどう進むのかを気にしてるのか」


 スプーンを咥えたまま、ヴィレッサは荷物から地図を取り出した。研究所を脱出する際に持ってきた物なので、かなり詳しく地形や街道の繋がりなども把握できる。


「いまの位置がここだろ? あたしは適当に北を目指せばいいと思ってたんだよな」


「北へ出て西へ……バルツァール城砦を目指すのね?」


「でも真っ直ぐに街道を進むと、すぐに見つかるんじゃないかニャ?」


「だったら街道を避けていくのか? それも……ん?」


 広げた地図の一点を、ヴィレッサはじっと見つめる。

 幾つかの街道が繋がる〝そこ〟は、追われている身では避けるべきだろう。仲間も増えたのだから危険は冒せない。そういった理屈も分かる。

 だけど、思ってしまった。

 自分たちは何も悪いことはしていない。追われるのが間違っている。

 こそこそして怯えるべきなのは侵略者どもの方ではないのか、と。


「なぁ……ちょっと寄り道して行かねえか?」


 ヴィレッサは地図の一点を指し示すと、口元を吊り上げた。

 悪戯っ子みたいに犬歯を剥き出した笑みを見せる。


「え、ちょっ、ニャ!?」


「ほ、本気なの……?」


 ロナとマーヤは愕然として、手にしていたスプーンを取り落としてしまう。

 そんな二人をからかうみたいに、黒馬の嬉しそうに嘶く声が夜闇へ響いていった。





 魔女やら召喚術やらといった単語は、ヴィレッサにとって初耳だった。

 一般的にもあまり知られていない術式だ。帝国では禁忌とされている訳ではないが、やはり印象はよろしくない。

 でも召喚獣と聞かされて、ヴィレッサは興味を引かれた。

 当然、自分でも試してみたくなる。だけど旅の途中なのでさすがに自重しておいた。


 ほとんど伝説で語られるだけの、大型の龍種みたいな召喚獣も存在する。大軍さえ屠れる力となるものだが、一回の召喚を行うだけでも、小国を買えるほど貴重な触媒が必要とされる。

 ドラゴンを呼ぶのにドラゴンの心臓が必要だとか、矛盾しているとヴィレッサは思う。

 いつかは挑戦してみたいところだけど―――。


 そんな召喚術は別にして、マーヤは一般的な陣式魔術もそれなりに扱えた。旅が楽になりそうな魔術もあったので、ヴィレッサは早速頼らせてもらった。


「あ~……このまま蕩けそうだ……」


 やや熱めの湯が張られた風呂に浸かって、ヴィレッサは気の抜けた声を漏らした。

 全身を脱力させて疲れを溶かしていく。肩口まで伸びた金髪が湯面に広がると、月明りを反射して綺麗な光彩を描き出した。

 地面を凹ませて石のように固めた風呂を、マーヤが作ってくれていた。

 お湯の方も魔術で沸かした。こちらはロナが担当したが、ちょっぴり失敗して、最初は沸騰するほどの熱湯になってしまった。


 まあ、すぐに水で薄めたので大した問題ではない。

「ロナはこういう熱湯に入りたいんだな?」とヴィレッサが冗談めかして言うと、やたらと慌てていたが。


 ともあれ、ヴィレッサは一人での風呂を満喫させてもらっている。

 三人くらいは一緒に入れる広さがあるのだが、


「変な物は食べてなかったはずだけどなあ」


 ロナは急に蒼い顔をして、〝お花摘み〟に行ってしまった。マーヤもそれを追い掛けて、ついでに野草などの触媒を集めてくるそうだ。


「ま、何かあったら呼びに来るか。メアもつけてるから大丈夫だろ」


『はい。彼女たちの生体反応は安定していました。ご安心を』


 湯船の脇に置いた魔導銃へ頷き返しつつ、ヴィレッサは濡れた肌をそっと撫でた。

 ここ数日で、随分と肌が荒れてしまった気がする。まだ年相応の柔らかな肌は保たれているけれど、無茶な強行軍をしてきたのは間違いなく響いていた。

 それよりも、問題は精神的な疲労の方だろうか?

 人間の適応能力は馬鹿にできないが、あまり緊張状態が続くと―――。

 そこまで考えて、ヴィレッサは顔から湯面に突っ伏した。


「……はぁ。子供らしくねえ悩みしてるなあ」


 弱音など吐いていられない。帝国領に到着して、シャロンやルヴィスと再会するまでは気を緩めるつもりはなかった。


『マスター、質問の許可をいただけますか?』


「んん? あらたまって何だよ?」


 機械的な口調はまったく揺らがないディードだが、心なしか緊張感が増していた。

 許可を、と繰り返し求めてくる。


「いいぜ。許す。言ってみろ」


『マスターは子供らしくありません。何故ですか?』


「質問か、それ? 冗談か冷やかしに聞こえるぞ」


 まあ色々あったからなぁ、とヴィレッサは曖昧に答える。

 思い当たるフシは幾つかあったが、深く自分を見つめ直したい気分でもない。


『以前、「アニソン」や「オプションパーツ」などと口にしておられました』


「あぁ……あの時は、あたしも混乱してたからな」


『この世界には存在しない知識のはずです。その知識と、子供らしさの欠如と、関係しているのではないか、と推察します』


「んで、そういった知識をどうやって手に入れたのか、ってのが質問か?」


『現状認識に必要であれば』


 まるで真剣な眼差しが見えるように、ディードは語り掛けてくる。もちろん魔導銃である彼女には目も口も存在しないのだが。

 ヴィレッサは首を捻ったが、別段、隠す必要もないと思えた。


「正直言って、あたしもよく分かってねえぞ?」


 前置きをひとつ挟んで、ぼんやりと湯面へと言葉を落とす。


「簡単に言うと、異世界転生……ってやつかも知れねえ」


『転生、ですか?』


「赤ん坊の頃から意識があった。異世界に関する知識も持ってる。と、なると、そういう推測に行き着く訳だ。確かめようは無いし、なにより、前世の記憶ってやつもかなり曖昧なもんだ。だから断言はできねえな」


『なるほど。理解しました』


 ですが―――と、ディードは冷ややかに断言する。


『異世界転生は有り得ません。非現実的です』


「……なに?」


 ヴィレッサは振り返り、魔導銃を睨む。怪訝に眉も寄せてしまった。

 それは、生まれた時から信じてきた概念の否定―――大袈裟に言えばそうなる。

 自分が転生者ではない? では、異世界の記憶がある理由は?

 どうして有り得ないと断定できる? いったい、何を知っている?

 次々と湧いてきた疑問を、ヴィレッサは眼差しとともに投げた。


『私がアクセス可能な知識書庫には、魂に関する研究結果を記したものもあります。とりわけ熱心な研究がされたもので、信頼できる情報です』


「つまり、そこに『異世界転生は有り得ない』って結論が書かれてるのか?」


『肯定。魂とは、その生物固有のものとして完全に定着し、別個の魂を置き換えることは不可能です。試みた場合、魂同士の干渉によって互いが消滅。最悪の場合では世界ひとつを崩壊させたと、実験データも残されています』


「世界ごと……って、おい! そんなとんでもねえ実験もしたのかよ?」


『とても熱心に研究していたようです』


 冷静に述べつつも、ディードは目を逸らしたような気配を漂わせた。

 まあディードを責めても仕方ない。

 古代文明にもマッドがいただけ、とヴィレッサは受け入れて話の続きを促す。


『そもそも魂とは、とても強固なものです。そこに改変を加えるのは、世界への干渉を行えるほどの膨大なエネルギーを必要とします』


「……魂を壊して魔力を引き出す、っていう魔導遺物もあったが?」


 怨霊槍クレイグレイブ。禍々しい黒槍と、その持ち主の顔を思い返して、ヴィレッサは舌打ちを堪えた。けれどいまは憎悪に駆られる時ではない。

 ディードが返す声も、やはり淡々としたものだった。


『誇張であると推測できます。私もすべての魔導遺物を把握している訳ではありませんが、恐らくは、魂に僅かな刺激を加え、微量のエネルギーを得るだけなのでしょう。あるいは、極式と冠されたものであれば、魂の破壊も可能かも知れませんが』


「……難しい理屈はともかく……まず魂は破壊されない、って考えていいんだな?」


『はい。少なくとも、私の知識に於いては断言できます』


「そう、か……」


 短く呟いて、ヴィレッサは口元を緩めた。

 村の皆の魂が壊されてはいない。弄ばれ、利用されただけでも許しがたい話だが、それでもほんの少しだけ喜ばしい話だった。

 とはいえ、まだ鎮魂の祈りを奉げる気分にはなれない。

 なにひとつ片付いてはいないのだから。


「……話を戻すぞ」


 そっと湯をすくい、顔を拭ってから、ヴィレッサはあらためて思考を巡らせる。


「転生じゃないとして……だったら、あたしの頭にある知識は何なんだ?」


『推論として挙げられるのは四十八。その内で蓋然性が高いものは三つです』


「……最も確率が高そうな話だと、どう説明できる?」


 尋ねていいものかどうか、ヴィレッサの口調には若干の躊躇いが滲んだ。

 自分が転生者ではない。それに関しては、落ち着いて考えれば大した問題ではないとも思える。むしろ正しい魂の在り方だと喜ぶべきかも知れない。


 しかし自分が何者なのか?

 その答えを得るのは覚悟が必要だ。何処にでもいる普通の両親から生まれて、何処にでもいる普通の子供だったら、こんな悩みは必要なかったのだろうけれど。

 だからといって、いまの自分を否定する覚悟もなくて―――。


『あくまで推論ですが』


 前置きをしたのは、ディードなりの気遣いだろう。


『異世界か、あるいは古代に生きた何者かの知識と記憶のみが取り入れられたのではないでしょうか? 元より別人の記憶の記憶は不安定であり、そのために破損、あるいは安定を図るために封印されたとすれば説明がつきます。無限魔力自体が、マスターを守るために何かしらの施術を試みたかと』


「……有り得るのか、そんなことが? そもそも無限魔力ってのはいったい……?」


 何なのか、とヴィレッサは眼光を鋭くする。

 およそ子供らしくない威圧的な眼差しだったが、ディードはやはり機械的に答えた。


『不明です』


「あん? 不明って、だったらさっきの推論はどっから出てきたんだよ?」


『知識書庫が導き出した推論です。しかし無限魔力そのものに関する情報は、アクセスを拒否されています』


「……おまえ、無限魔力の持ち主を探してたんだろ?」


『肯定。ですが、対象の詳細情報を保持せずとも、判別は可能です』


 小難しく、納得できかねる理屈を並べられて、ヴィレッサは頬を歪ませる。

 苛立ちに任せて魔導銃を湯船に沈めてやりたくもなったが、そんなことをしたって何も解決はしないのだ。防水機能も完璧だと聞かされている。

 それよりも、語られた情報を信じるならば、また新たな疑問と困惑が浮かんでくる。


「……つまり、あたしの人格は……無限魔力の都合で弄繰り回された……? 元の記憶があるとして、取り戻せるのか? いやそもそも、魂がこの世界のものだとしたら、あたしは何者ってことに……」


『返答を保留します』


 肯定でも否定でもなく、保留。機械には答えが出せないということ。

 ならば、ヴィレッサが選ぶ答えは決まっている。


「……馬鹿馬鹿しい。あたしは、あたしだ」


 無限魔力だかなんだか知らないが、ウルムス村での生活を否定させはしない。

 八歳児でも、しっかりと人生を経験してきたのだ。

 もしも別の人生を送った記憶があろうとも、まとめて呑み下せばいいだけ―――そうヴィレッサは胸の内で結論を出した。


「なんだっていいさ。この力と……おまえも、頼りにしていいんだろ?」


『肯定。マスターを支えるのが、私の存在意義です』


 淡々とした返答を受けつつ、ヴィレッサは湯船に肩を沈めなおした。

 いまは小さな悩みに拘っていられない。敵国領内を抜ける旅の最中なのだ。

 なんとしても無事に帰って、みんなと再会して―――。


「……絶対に、取り戻さねえとな」


 夜闇に昇っていく湯気を眺めながら、ヴィレッサは緩やかに目を細めた。


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