古代遺物との邂逅、そして反撃の魔弾④


 自称魔女であるマーヤは、山間の小さな村に生まれた。

 領地自体が陸の孤島みたいな場所で、贅沢は叶わないが、皆がのんびりと暮らしていた。国からの干渉は少なく、教会も影響を及ぼそうとしなかった。ひとつ山を挟んで獣人族の村があっても、大きな争いはなく、僅かながら交流も生まれていた。


 変わったことと言えば、近くの森に魔女が住んでいたくらいだ。

 魔女―――世間では、邪神に生贄を奉げて恐ろしい禁術を扱うと言われている。大陸の西方では、たった一人の天才的な女魔術師を示す言葉でもある。

 けれど最も古い定義では、古代文明が遺した『召喚術』を扱える者のことだ。何処かに保管されている擬似生体魔導遺物である『召喚獣』を、様々な条件を満たすことで使役できる。


 その条件のひとつが、術者が女性であること。

 他の条件として、召喚の際に供物を奉げて魔術触媒とする必要があったために、禍々しい認識が広まったのだろう。そして事実、人の命を奉げる術式も遺されていた。


 いずれにせよ、その魔女は世間の誤解から住居に困っていた。

 だけど実際に話してみると、そう悪い人物ではなかった。

 少なくとも、マーヤにとってはそう思えた。

 小さな隠れ家を構えた魔女は、時折村を訪れては食料を交換したり、魔術で畑仕事の手伝いをしたりしていた。マーヤが魔術に興味を覚えたのは、間違いなくその魔女の影響だ。


「にゃははは。やっぱりマーヤには魔女の才能はないニャ」


「十回に九回は暴発させる貴方よりマシよ」


 狼人族であるロナとマーヤが出会ったのも、魔女の家だった。

 世間一般の定義では幼馴染となる。しかしマーヤはそう口にしたくない。

 縁を切れればいいと、今でも本気で思っている。


 この正式名称ロベルテュナシアという喧しい生き物は、とにかく喧しく、喧しい。

 魔術の講義を受けていても十秒と黙っていられない。質問の答えを聞く前に質問を重ねる。術式に勝手な詠唱をつけようとする。練習用の触媒を渡されて、まず最初にしたことが味見だった。

 なによりマーヤが許せないのは、狼人族なのに語尾に「ニャ」とかつけていることだ。

 初対面では遠慮して問い質せなかった。一時もすると、無視すると心に決めて、指摘したら負けな気がした。


「マーヤは本当に変わり者だニャ。魔女になりたいなんて」


「貴方だって、そのために来ているんでしょう」


「んニャ? 最初はそうだったかも知れないニャ」


 ロナは本当に喧しかった。勝手に喋って、マーヤの邪魔ばかりする。

 そんなことを言われたら、縁を切りたくても切れなくなってしまうのに。


「でもいまは、マーヤと会えるのが一番の楽しみニャ」


 そうして二人は魔女の弟子として成長して―――唐突に、終わりを迎えた。

 村の近くで古代遺跡が見つかったのだ。すぐに押し寄せてきた教会兵は、当然のように獣人族の村を襲った。同時に魔女の噂も聞きつけ、森の隠れ家も焼き払った。

 マーヤ一人ならば、傍観して村での生活に戻れただろう。

 けれど、そんな選択はできなかった。

 ちなみに師匠である魔女はさっさと一人で逃げ出したが―――。


「腐れ縁だからね。仕方ないわ」


「マーヤは素直じゃないニャ。でもどうしてもって言うなら一緒に……あ、嘘ニャ。置いていかないで欲しいニャ」


 溜め息を漏らしながらも、マーヤはロナとともに戦火の中を逃げ出した。

 ほとんど行き当たりばったりの逃避行だったが、追っ手もさほど熱心ではなかった。

少女二人は他国へと逃れるべく、数週間ほど旅を続けた。


 街道を避けて、野営を繰り返しつつ、魔獣にも襲われながらの旅は楽ではなかった。それでも途中の街や村で食料は得られた。自称魔女であるマーヤは、服装さえ変えれば旅人と見られないこともない。ロナは奴隷ということで誤魔化した。

 けれど幸運は長続きしなかった。

 街道から外れた森の中まで捜索に来た兵士に見つかってしまった。


 数日前、魔導遺跡を襲った何者かが逃亡中だと聞かされた。そのおかげで、急に兵士達が熱心な捜索を始めたという訳だ。

 何処の馬鹿だ、なんて傍迷惑な、とマーヤは内心で罵倒した。

 呪術を習っておけばよかった。いっそ魔術の触媒にしてやりたい。

 そうも願ったが、もはや叶えられそうにない。

 遺跡襲撃の疑いが晴れたとしても、二人は教会から排斥対象とされている魔女と獣人だ。釈放されるはずもなかった。

 そして―――この街の領主は、最悪な趣味を持っていた。





「こいつと戦い、生き残れれば解放してやろう」


 屋敷の裏手、練兵場のような広々とした庭に、マーヤとロナは連れて来られた。屋敷のテラスから見下ろす形で、領主であるビルウッド辺境伯がにやけた顔を覗かせている。

 マーヤたちの縄は解かれて、武器と荷物も返してもらえた。周囲にいる兵士は、領主の護衛についている数名のみ。

 戦いの心得もあるマーヤとロナが全力を振るえば、逃げ出すのは難しくない。

 ただし、相手が兵士だけならば、だ。


「……どうしたものかしらね」


 どうしようもない。こんな奴から逃げられるはずがない。

 そう分かっていても、マーヤは嘆きとともに呟いてしまう。

 目の前には巨大な黒馬―――ナイトメアが、赤々とした眼光を向けてきていた。


「な、なんで、ナイトメアがこんな所にいるニャ! おかしいニャ! 捕まっても死ぬまで暴れるってのは嘘だったのニャ? だいたい、人間に従ってるなんて野生の誇りはどこに……あ、ごめんにゃさい。睨まないで欲しいニャ」


 馬鹿なロナが羨ましくなるくらい、状況は最悪だった。

 『黒き悪夢』と呼ばれる魔獣は、とりわけ危険な種として知られている。普段は森の奥に潜んでいて人とは関わらないが、縄張りを侵した相手には容赦無く襲い掛かる。狂戦士のような真っ赤な眼で捉えた獲物はけっして逃がさず、何処までも追い掛けて踏み潰す。魔獣とは思えないほどに知能も高く、様々な魔術も使いこなす。


 かつて開拓地の近くで発見された際には、一日で村が廃墟にされた。対処に向かった兵士と討伐士、さらに魔導士も加えた総勢一千名余りが全滅したこともある。

 文字通りの全滅。一人として帰ってこなかったのだ。


「くくっ、錯乱するのも無理はないな」


 豪奢な椅子に腰掛けたまま、ビルウッドは醜く頬肉を揺らした。小太りで、不摂生をしているのは一目で分かる。およそ剣を握ったこともなさそうな男だ。

 けれどその手に掲げた杖は、不健康な足腰を支えるものではないらしい。


「これぞ聖遺物、『堕天権杖ムールヒムト』である。何者であろうと従えるこの力に掛かれば、災害級の魔獣であろうと従順な下僕と化すのだ」


 杖の先端には拳大の丸い宝石がはめられて、そこから紫色の妖しげな光が漏れている。見ているだけでもマーヤの背筋に怖気が走るほどだ。

 周囲の空気ごと穢すような気配は、およそ聖遺物と呼ぶのに相応しくない。

 しかし、それを持つビルウッドは恍惚とした表情をしていた。


「罪人には過ぎた栄誉であろう。この偉大なる力を示す一助となれるのだからな」


 物は言い様だ。悪趣味をここまで飾り立てるとは。

 要するに、おぞましい魔獣に蹂躙される人間を見て愉悦に浸りたいのだ。

 よくもこんな奴に遺物を与えてくれたもの―――そう教会への恨みも抱えて、マーヤは愛用の木杖を握り締めた。


「ま、マーヤ、なんとかなりそうかニャ?」


「ならないわね。終わりよ」


「にニャ!? あ、諦めるのは早いニャ! きっと何か手はあるはずニャ!」


「馬鹿は幸せでいいわね。まともな触媒も無し、あっても準備する時間も無し、おまけに相手はナイトメアよ。万全の状態でも勝てる可能性は低いわ」


「だ、だったら―――」


 ロナは握った短剣を震えさせながら、ちらりとナイトメアへ目を向けた。十数歩先で身構えている魔獣を見て、それだけで小さく肩を縮める。

 剛毅な者が多い獣人とは思えないほど情けない態度だ。

 怯えながら、瞳に涙を溜めながら、それでもロナは爽やかに笑ってみせた。


「あ、あちし自身が触媒になったら、マーヤだけでも助かるかニャ?」


「っ……貴方、何を言ってるの?」


「にゃはは。大丈夫ニャ。マーヤなら、きっといつか凄い魔女になって、あちしの銅像を建ててくれると信じてるニャ」


「そんなもの建てないわよ! じゃなくて―――」


 思わず、マーヤも声を荒げてしまった。

 人の命を触媒として大きな力を振るう魔術はある。もちろんマーヤは試したことはないけれど、成功すれば、いまの危機的状況も覆せると思えた。とてつもなく強力な召喚獣を呼び出せると、師匠である魔女から聞かされていた。


 だからといって受け入れられるはずもなく、マーヤは止めようとした。

 けれどロナの手に握られた短剣は、すでに咽喉元へと迫っていて―――、


「……にゃ、にゃはは……」


 震えたまま停止していた。


「怖くて手が動かないニャ。マーヤ、悪いけどちょっと押してくれないかニャ?」


「お断りよ。それに……手遅れみたい」


 ロナの手を引きつつ、マーヤは首を回した。

 二人を見下ろしてくる巨大な黒馬と目が合った。


「やれ、ナイトメアよ! 生きたまま腸を食い千切ってやれ!」


 下卑た声が響いてくる中で、マーヤはぼんやりと頭上を見上げていた。

 黒馬の蹄が大きく振り上げられている。間も無く、それは自分の頭を砕くだろう。

 不思議と怖くはないものだな。もう少しだけ抗ってみようか。

 せめて、この馬鹿な幼馴染よりも先に死ねるように―――。


「―――!」


 決意とともに、マーヤは全身に魔力を巡らせた。ローブの内に仕込んでいた触媒は数少ない。けれどすべてを把握しているし、即座に発動できる召喚術もある。

 だから、精一杯の抵抗をしようとして―――叶わなかった。


 いきなり背後へと弾き飛ばされたのだ。

 黒馬に、ではない。振り下ろされる蹄よりも早く何かが降ってきた。

 マーヤも、ロナも、巨大な黒馬までも、突然の衝撃で吹き飛ばされていた。

 地面が割れ、濛々と土煙が立ち込める中で―――、


「さあて、お仕置きの時間だぜ」


 真紅の幼女が、まるで御伽噺の騎士みたいに外套をはためかせていた。







 悠然と立ち、口元を吊り上げながらも、ヴィレッサは冷徹に周囲を見渡していた。

 まず背後にいる魔女と犬耳少女の無事を確認する。地面に転がっていたが、「こ、子供は逃げないと危ないニャ」とか言う余裕もあるので大丈夫そうだ。


 黒馬の方も、よろめきながらも立ち上がろうとしていた。

 ヴィレッサが目一杯に強化術を施せば、殴っただけで生身の人間程度ならば四散する。ブルド・ボアの首さえ圧し折ったのだ。

 しかしさすがは『黒き悪夢』、そこらの魔獣とは耐久力も違っていた。


「あいつ、咄嗟に障壁も張ろうとしてたよな?」


『はい。知能の高さが窺えます。高脅威目標と判断します』


「……いや、標的はあいつじゃねえよ」


 ヴィレッサは目線を上げて、屋敷のテラスにいる小太り領主を睨んだ。

 問答無用で撃ち殺したくなるような顔だが―――。

 レミディア聖教国に組する者は、ヴィレッサにとって敵であるのは間違いない。ウルムス村襲撃に参加した兵士は抹殺対象であるし、主謀者にも必ず報いを受けさせるつもりでいる。そのためならば一切の躊躇なく引き金を弾ける。


 それでも踏み越えてはならない一線は、常に心に刻んでおかねばならない。

 魔導遺物の力に酔って、嬉々として殺人を行う―――そうなったら終わりなのだから。


「反面教師としては最高の外道、ってところだな」


 だから、嬉々として、ヴィレッサは犬歯を剥き出しにして笑った。

 ああ。まったく。なんて世界だ。こんな外道がのさばっているなんて。

 笑っていなければ、涙の海に溺れてしまいそうだ。


「な、何者だ、貴様は! いったい何をした?」


 外道呼ばわりされた領主ビルウッドは、ようやく我に返って声を荒げた。いきなり子供が降ってきて魔獣を殴り飛ばしたのだから、慌てふためくのも無理はない。

 しかし小太りの腹を揺らしながら喚く様は滑稽だった。

 まともに返答するのも馬鹿馬鹿しくなって、ヴィレッサは吐き捨てる。


「あたしが何者かなんてどうでもいい。それより、約束は守ってもらうぜ」


「約束、だと? 平民が何を偉そうに……」


「ついさっき言っただろ? 生き残れたら解放するってな」


 腰に差していた魔導銃を抜いて、ヴィレッサは斜め上方へと向けた。ビルウッドがいるテラスは充分に射程範囲に入っている。

 ビルウッドは僅かに目を見開いたものの、その表情はすぐに嘲りへと変わった。


「ふん、何かと思えば魔導銃だと? それで戦うつもりか?」


 魔導銃は使えない武器だと、ほぼ一般常識として知られている。頭の九割が脂肪と欲望で占められていそうな小領主では、その認識を疑いもしないだろう。

 ましてや相手は子供だ。持っている武器が玩具に見えても仕方ない。

 さらに加えて、やはりビルウッドは下劣な人間だった。


「不意打ちには驚かされたが、哀れな子供ということか……しかし悪くないな。よく見れば、なかなかに整った顔立ちをしているではないか」


 ねっとりとした欲望を含んだ視線が、ヴィレッサの全身を這い回る。

 自制を捨てた変態というのはあまりにもおぞましく、鳥肌を覚えたヴィレッサが引き金を弾くのを遅れさせたほどだった。

 もっとも、本当にただ遅らせただけで終わったが。


「このままナイトメアに潰させるのは惜しいな。捕まえて―――」


 舌なめずり混じりの言葉を遮って、パリィンと、甲高い音が響き渡った。

 禍々しい紫色の光が霧散する。全員の視線が、そこへと集中する。

 ビルウッドが掲げていた『堕天権杖ムールヒムト』、その先端にあった紫色の宝石が砕け散ったのだ。


『命中。敵性魔導遺物の機能停止を確認しました』


「約束だからな。きっちり前払いで解放させてもらったぜ」


 撃ち放った魔導銃を軽く振りつつ、ヴィレッサは黒馬へと目を向けた。

 最初の不意打ちから立ち直った黒馬は、二度、三度と瞬きをしてヴィレッサを見つめていた。しかし事態を把握すると、一度頭を垂れてから、くるりと振り返る。

 赤々とした獣の瞳が、テラス席にいるビルウッドを捉えた。


「こ、こんなことが……聖遺物が破壊されるなど……ひっ!」


 ほんの僅かな助走の後、一跳びで、黒馬は二階のテラス席へと降り立った。まるで獅子が呻るような吐息をひとつ漏らし、赤い瞳から殺意を溢れさせる。

 黒々としたタテガミが逆立っている。全身の筋肉が怒張している。

 そんな、自分の倍以上もある魔獣に睨みつけられて、ビルウッドはぶるぶると小刻みにありあまった肉を震えさせた。


「ま、まっ、で……誰、が、助げ―――」


 雷鳴に似た獣の咆哮に、まさしく豚といった悲鳴が重なった。

 鮮血が飛び散り、テラス席が丸ごと崩壊する。さらに破壊は止まらない―――。


「……馬って、草食じゃなくて雑食なんだな」


『肯定を保留します。アレはもはや馬の枠を超越しているかと』


 ヴィレッサが呆れている間にも凄惨な復讐劇は続いていた。

 もはや黒い暴風と化した巨大馬が駆け回り、兵士達が紙吹雪のように散らされていく。


「おーい、無関係な奴までイジメるなよ」


 一応、ヴィレッサは注意しておく。あまりにも惨劇が続くようなら、また引き金を弾くつもりだった。

 けれど黒馬は一度ピタリと動きを止めると、ヴィレッサの声に応えるみたいに嘶きを上げた。すぐにまた逃げ出す兵士を追いかけて、跳ね飛ばしたが、途中にいた侍女は器用に避けていた。


「ナイトメアか。噂よりも大人しいじゃねえか」


『とはいえ、相手は魔獣です。警戒は必要であると進言します』


 はいはい、と鷹揚に頷きつつ、ヴィレッサは魔導銃を腰に戻した。

 ここに来た本来の目的は戦闘ではない。屋敷が完全に壊れる前に、貰える物は貰っておかねば、今度こそ空腹で倒れかねない。

 ゴミも片付けたことだし、気分良く食事にありつけるというものだ。

 そうして足を進めようとしたヴィレッサだが、ふと思い出して振り返った。


「ついでに手伝えよ。どうせ、おまえらも逃げるんだろ?」


 魔女と犬耳少女は呆然としたまま、吹き荒れる破壊を眺めて立ち尽くしていた。


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