戦乱の予兆④
怖い。足が竦む。全身が震えている。
痛いのは嫌だ。死ぬのなんてもっと嫌だ。
でもルヴィスを泣かせるのも、シャロン先生を悲しませるのも、村の皆と会えなくなってしまうのも―――なによりもずっと辛い。
「だから……」
一人で残る選択をしても躊躇なく足を踏み出せた。
ただ、不安はあった。
ほんの一歩先は、クレイグレイブが生み出す暗闇で覆われている。自身から溢れる魔力が光を放っているが、周囲の状況はまったく把握できない。
ルヴィスは無事だろうか? シャロン先生はちゃんと逃げてくれただろうか?
もしやこの暗闇に飲み込まれて―――、
いや、そんなはずはない。信じよう。絶対にまた会える。
こんな事態、なんてことない。いくらだって立ち直ってやる。
悲劇だろうが、暴力だろうが、傷ついてなんてやらない。
「だから……泣いてなんてやるもんか!」
きつく奥歯を噛み締め、顔を上げる。
目の前にいる怨敵を睨みつけるように、ヴィレッサは満面の笑みを浮かべた。
背後から兵士たちが感嘆の声を上げる。ガラディスは満足げに鼻を鳴らして、目の前で広がっている破壊を眺めた。
炎のように、あるいは竜巻のように、虚無の力は村全体を破壊し尽くしていった。
予想外の抵抗を見せたエルフィン族の魔術師も、半球状の闇に飲み込まれた。生き残っていた村人とともに、もはや死体すら残さずに消滅したのは疑いようがない。
生贄となる魂さえあれば、およそ防御不可能な破壊をもたらせる。
それが魔導遺物『怨霊槍クレイグレイブ』に備えられた能力―――。
「今夜の宿営地にするつもりだったがな……まあ、構わんか」
どうせ小さな村だ。ロクな家もなかったに違いない。あの美しいエルフィンを生かして捕えられれば、また別の楽しみもあったのだが。
頭を振り、下卑た欲望を払いつつ、ガラディスは背後へ目を向けた。
「野営の準備をしろ。生き残りがいるとは思えんが、見回りを……」
ふとした気配に引かれて、正面へと向き直る。
すでに虚無の力は霧散を始めていて、凄惨な爪跡が村の各所に刻まれていた。家屋は削られ、土は抉られ、もはや廃村と言っていい有り様だ。
とりわけガラディスの正面は徹底的な破壊の跡ばかりが残り、人間どころか、雑草一本すら残っていないと思われた。
だというのに―――、
「……ばか、な……」
暗闇が霧散し、夕陽に照らされたそこに、一人の少女が立っていた。
少女というよりは幼女。背丈はガラディスの腰にも届かず、特徴のない質素な服装をしている。全身を覆う青白い輝きは魔力だろうか。風に揺れる金髪は綺麗な艶を纏っているが、乱れて癖毛のように跳ねている部分もある。
散々な破壊があったはずなのに、少女は傷一つ負っていない。足下には小さな花が一本生えていて、そこだけ何かの力で守られていたのは明らかだった。
何故なのか?
ガラディスは戦慄さえ覚えて、息を呑んで少女を凝視する。
少女が生き残っている理由にも疑問を覚えた。しかし、そこではない。
もっとも奇妙で、奇怪だったのは―――その少女が獰猛な笑みを浮かべていたこと。
「あたしを、殺さないほうがいい」
身構えようとしたガラディスだが、魔槍を握ったまま動きを止めた。
困惑が、ガラディスの思考を埋め尽くす。
聞きようによっては命乞いとも取れる台詞だった。しかし目の前の少女は、とてもそんな、命を惜しむような尋常なものだとは思えなかった。
「貴方の無能を、あたしは否定できる。そのための証拠になる」
「無能だと? 愚弄するつもりか!」
「違う。だけど事情を知らない他人には、そう受け止められる」
ガラディスは怒声を上げたが、少女はさらりと首を振った。
いつの間にか少女の顔から笑みが消えている。全身を覆っていた魔力光も失せていて、碧色の眼差しも虚空を眺めるようなものへと変わっていた。
「小さな村を攻めただけなのに、大勢の兵士を犠牲にした。それで得た物はなにもない。むしろ自分たちの方が被害を受けている」
「ぐっ……それは、あの女魔術師がいたからだ!」
「もしも嘘だと思われたら? 失策を誤魔化すための嘘だと」
少女の言葉に、ガラディスは唖然として凍りついた。
戦略級と言っていいほどの魔術師と遭遇したなど、確かに信じ難い話ではある。しかし冷静に考えれば否定できる。近衛十二騎士であるガラディスと、まだ一千名以上の兵士達の証言があるのだ。失策ではなく不運だと、ガラディスならば言い張れる。
けれど事実と風聞は違ってくる。国へ帰った後、貴族の間で無能であると囁かれるのは容易に想像できた。自分達も虚偽の噂を利用して帝国内を混乱させようと考えていただけに、ガラディスにはその可能性を否定できなかった。
無能と誹られ、嘲られる。名誉や名声を重んじるガラディスには耐え難いことだ。
そして、問題はそれだけではない。
「貴方にはまだ別の役目もある。これだけの兵士を連れて、小さな村の破壊が目的のはずがない。それは、これだけの犠牲を出した後でも達成可能なもの?」
「だ、黙れ! 平民ごときが口を挟むな!」
そう、ガラディスの目的は領主軍に一撃を加えることだ。
怨霊槍クレイグレイブの力があれば、まだ戦えないことはない。しかし副官をやられたのは痛い。ほとんど一瞬で殺されてしまったので力を発揮できなかったが、副官も魔導士であり、それなりに強力な魔導遺物を与えられていた。
謂わば、戦力が半減してしまったのだ。
国を出る際には、領主軍程度はあっさりと壊滅させてやる腹積もりだった。しかし現状では苦戦は当然、本当に一撃を加えるだけで敗走する破目に陥るかも知れない。
そんなガラディスの焦りに付け込むかのように、少女は淡々と述べる。
「あたしを連れて行けば、手柄になる」
「……どういう意味だ?」
本来ならば、子供の戯言と切って捨てるところだ。文字通り、命ごと。
しかしもはやガラディスは、奇妙な少女の言葉を無視できなくなっていた。
「この村に来る時、青い月を見たはず。あれは、あたしが作ったもの」
「あの巨大な……あれは、いったい何だったのだ?」
「ただの魔力の塊。村の皆に危険を報せようとした。まだまともな魔術は習っていないけれど、あたしは人並み外れた膨大な魔力を持っている。それは戦力に、手柄になる」
まるで子供らしくない、さながら人形のような口調で語っていく。
しかしその言葉を発する時には、少女の瞳に微かな感情の色が宿った。
「あたしは、貴方たちを絶対に許さない。従わない。でも利用したいと言うなら、奴隷にでもなんでもすればいい」
「……ふん」
短く息を吐くと、ガラディスは握っていた魔槍を少女の眼前へと突き出した。
子供の言葉を鵜呑みにするつもりはない。しかし無視もできず、それなりに理屈の通っている話でもあった。
それに―――、
「無限魔力……」
ふと以前に耳にした単語を、ガラディスは口にする。偏屈な研究者の妄言だと思っていたが、もしも目の前の少女がそうだとすれば、ここで捨て置くのは惜しかった。
「要するに、貴様を捕虜にしろと言いたいのか」
「殺すというなら、試してみればいい。あたしは全力で抵抗する。少なくとも、貴方一人くらいは道連れにする」
「はっ、それこそ子供の戯言だな」
鼻で笑ってみせたガラディスだが、内心では完全に否定できなかった。目の前の少女を見ていると、それくらいはやってのけるのではないかと思えてくるのだ。
瞬きする間にも、首筋に噛み付いてくるのではないか―――。
脳裏をよぎったおぞましい想像を振り払いつつ、ガラディスは槍を引いた。
「まあいい。まだ聞きたいこともある。望み通りに捕らえておいてやろう」
近くにいた兵士を呼びつけると、ひとつの首輪を持ってこさせる。本来なら帝国の有力者を捕らえ、尋問する際に使う予定だったものだ。
兵士に命じて、少女に首輪を付けさせる。手枷まで嵌められても少女は抵抗しなかった。
「ただの奴隷には勿体無い一品だ。このような仕掛けもある」
ガラディスは小さな指輪を掲げると、そこに魔力を流した。同時に首輪に施されていた魔法陣が輝き、赤黒い光が少女の全身を貫くように走る。
少女は苦しげに息を吐くと、膝をついて崩れ落ちた。
「いつでも痛みを与えられる。それだけでなく、無理に外そうとすれば首と胴体が別れることになる。よく覚えておくことだな」
「……」
少女は答えない。地面に伏せたまま、苦悶を堪えるように身をよじっている。
その様子に、ガラディスは僅かに拍子抜けしながらも安堵の息を吐いた。
「貴様の処遇は後で決める。精々、大人しくして―――」
少女から視線を外して、野営のためテントへ向かおうとした。
しかし背筋に冷たいものを覚え、振り返る。
ガラディスが見据えた先で、少女はのろのろと起き上がっていた。
手足は土に汚れ、力なく頭を垂れている。みすぼらしい奴隷と言える姿だ。
けれど、錯覚だろうか―――、
項垂れて隠れているはずの口元が、三日月型に吊り上げられたように見えた。
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