戦乱の予兆③


 騎馬を駆る集団が村を目指して突き進んでくる。明らかに夜盗の類ではない。

 全員が白塗りの金属鎧に身を包んでいる。整った隊列から練度の高さが窺えた。隊列の後方では、白地に赤の剣を十字型に描いた旗が掲げられている。

 どれほどの数なのか、少なくともヴィレッサが見たことのない大人数だった。

 千か二千か、ともあれ小さな村を蹂躙するには充分な戦力だ。

 何処の兵士なのか、何故こんな所に、何が目的で―――。

 疑問を覚え、最悪の未来を想像しながらも、ヴィレッサの思考は冷ややかに回転した。


「―――ルヴィス! カミル! 村へ走って!」


 まだ稽古を続けていた二人へ、ヴィレッサは空中から大声で告げた。

 けれど二人はきょとんとした顔で見返してくる。


「お姉ちゃん、何かあったの?」


「いいから言う通りに―――」


 声を荒げようとしたヴィレッサだが、口を閉じ、目蓋を伏せた。

 一呼吸を置いて焦りを飲み込む。


「落ち着いて聞いて。いま、何処かの軍隊がここに迫ってきてる」


「え……?」


 ぽかんと口を開いたまま、ルヴィスもカミルも立ち尽くす。

 そんな時間も惜しいのだが、ヴィレッサは慎重に言葉を選んでいった。


「みんなに知らせて、広場に集まってもらおう。とにかく大声で伝えるの。だけど慌てる必要はないよ。シャロン先生がいれば、転移魔術で逃げられるはずだから」


「わ、分かった。みんなを集めればいいんだな」


「お姉ちゃんはどうするの?」


「……空から合図を送るだけ。だから、二人は早く行って」


 村の方を指し示して、ヴィレッサは繰り返し二人を促す。

 カミルが動き出すと、困惑していたルヴィスも後を追った。ヴィレッサは二人の背を見送りつつ、上空へと駆けていく。

 微かに馬蹄の音が響いてきている。もう時間は残されていない。


「少しでも足を止めてくれるといいんだけど」


 願うように呟いて、ヴィレッサは頭上へと手をかざした。

 膨大な魔力を放出し、大きな球を浮かび上がらせる。盾のように固める必要はない。ただひたすらに巨大に、青白い輝きを広げていく。

 夕陽よりも鮮烈に。さながら月が落ちてきたように。


 大規模魔術が発動したように見えるが、実際には発光現象しか起こらない。

 ヴィレッサは魔術を習う以前、どれだけの魔力を扱えるのか、こっそりと夜中に試したことがある。その時に同じものを作り出し、村中で大騒ぎになって、シャロンから拳骨を喰らわされた。

 それは落月事件と呼ばれて、村の皆には知れ渡っている。だから今回は、さほどの混乱は起こらなかった。それでも皆が空を見上げて不思議そうに首を捻った。

 ちょうどそこへ、カミルとルヴィスが大声を上げながら駆けつける。

 大雑把ながらも危機を伝え、それを耳にした大人たちも、半信半疑ながらも警告を広めていく。


 あとは時間との勝負―――。

 ヴィレッサは空中に立ったまま振り返ると、迫ってくる騎兵の動きを確認した。

 巨大な光球は、離れた位置からでも見て取れる。少しでも警戒して進軍速度を緩めてくれればいい、とヴィレッサは願っていた。

 けれど緩むどころか、騎兵の速度はさらに増していた。

 猛然と迫ってくる威圧感が、ヴィレッサの焦燥を掻き立てる。


「どうして……!」


 喚きたてたい衝動を抑えつつ、ヴィレッサはまた手元から魔力を溢れさせた。攻撃にはならなくても、閃光で目を眩ませるくらいは期待できる。望みは薄くても、ただ事態を眺めているなんて出来なかった。

 今度は騎兵部隊の正面に月を落としてやろうと、迎え撃つために足を踏み出す。


 しかしヴィレッサはまだ子供だった。圧倒的に経験が足りていなかった。

 だから気づけもしなかった。馬蹄の音が聞こえる距離とは、すでに訓練された兵士にとって攻性魔術の射程圏内であると。

 そして放たれる。

 無数の閃光が降り注ぎ、平穏だった村を一瞬で地獄に変えた。






 騎兵部隊の先頭を駆けながら、指揮官であるガラディス・グレイラム伯爵は自嘲を浮かべた。

 僅か三千の兵を率いて、小さな田舎村を蹂躙する。

 ガラディスにとっては欠伸が出るほど退屈な任務だと言えた。


 レミディア聖教国近衛十二騎士の一人として、帝国軍と刃を交えることに否やはない。しかし夜盗の真似事をしろと言われた時は、性格の悪さだけは一流な宰相を斬り殺してやろうかと思ったほどだ。王の御前でなければ行動に移していただろう。

 だが詳細な戦略を聞いてみれば、さほど悪い話でもなかった。


『帝国の、教会排斥派の力を削ぐ。領主軍に一撃を加えてな。狙いはヴァイマー伯爵領だが、港や船には手をつけないでくれたまえ』


『後で使いたいというのもあるが、反乱軍が港まで襲うのは少々おかしな話であろう?』


『堂々と旗を掲げ、名乗っても構わんよ。むしろヴァイマー伯爵には、そう受け取って貰った方がよいのだ。レミディアの騎士団が攻め込んできた、と』


『しかし同時に噂を流す。ヴァイマーで教会信徒の反乱が起こった、と』


『他の貴族はどう受け止めると思う? レミディアの侵攻? しかし何処から? 国境の砦は破られておらず、海からも攻めてきていないのに? 民衆の反乱すら抑え込めず、面子を保つため虚言を弄しているのでは……そんな流れが望ましいな』


『そこまで上手くいかずとも、アレの実用性は試せる。今回は少数での作戦となるが、次は国境への挟撃も……その際の指揮は帝国領の地理に詳しい者から選ばせてもらおう』


『期待しておるよ、グレイラム卿』


 これは帝国を穿つ一手。秘蔵である新兵器の試験も兼ねている。

 しかも後に控える侵攻戦での先鋒を約束されたとなれば、奮い立たずにはいられない。ガラディスは十二騎士では末席だが、それは過小評価だと常々思っていた。実力では誰にも劣っていないはずだと、鬱憤を抱えていたのだ。


 ようやく訪れた機会だ。戦果を上げ、実力を示す。逃がすつもりはない。

 ガラディスはそう野心を滾らせていた。

 精悍な顔を引き締めなおして、手綱を握る太い腕にも力を込める。


「あの程度の村に時間を掛けてはおれぬ」


「はい。訓練の方がまだ歯応えがあるというもの。一撃で片がつきましょう」


「当然だな。皆の者、聞け―――」


 副官の言葉に頷きながら、ガラディスは命令を飛ばそうとした。けれど口を開いたまま言葉を失ってしまう。

 村の上空に、いきなり青白い月が現われたのだ。


 まず自分の目を疑った。遠くからでも伝わってくる膨大な、馬鹿げたほどの魔力から何かしらの魔術だというのは察せられた。しかしだからこそ信じられない。こんな田舎村に戦術級魔術の使い手がいるなど、あまりにも予想外に過ぎた。

 そもそも、いったい何の魔術なのか? 

 あれだけの魔力、下手をしたら全滅―――そう判断しても無理からぬ異常事態だった。

 ガラディスと並んで駆ける騎士たちも動揺して戦列が乱れる。だが突撃の勢いは止まらない。迂闊に馬の足を緩めれば、後続に押し潰されると承知していた。


「っ、構うな! 速度を上げよ! 全力突撃を行う!」


 ガラディスが素早く判断を下すと、他の騎士も次々と命令を復唱して全軍に伝える。

 滞りない伝達を確認して、ガラディスは自身と騎馬に魔力を巡らせた。

 身体強化術を自身だけでなく、騎乗する馬にも施すのだ。下手な魔力の流し方をすると馬を怒らせて振り落とされてしまうが、そんな間抜けな騎士はこの場には一人もいない。


 速度を上げ、乱れた隊列も整え、真っ直ぐに村へと駆ける。

 その勢いに気圧されたように、先程の青白い月は空中で霧散して消えていった。


「……なんだったのだ?」


 疑問を呟きつつも、ガラディスは手にした槍を振って合図を送った。

 後列を走っている騎兵達が遠距離魔術の準備に入る。もうじき弓矢も届く距離だが、そんな武器は用意すらしていない。全兵士が騎兵である上に、作戦の性質上、運べる物資に限りがあった。

 遠距離の手数と速射性では、弓矢の方が若干優れている。しかし威力と汎用性では魔術の方が圧倒的に上だった。


 一呼吸もしない内に魔術は完成して、続く合図で撃ち放たれる。

 無数の光弾が家屋を破壊し、質素な柵を焼き倒し、渦巻く風が村人たちをまとめて空高くへと弾き飛ばす。瞬く間に破壊が広がっていった。


「ふん。なんとも呆気ない。ただの虚仮脅しだったか」


「無謀な魔術を試みて失敗したのでは?」


「そういった気配とも違ったがな。まあ、構わん。戦場では何があるか分からんからな。本番前のよい訓練にもなった」


 しかしあの距離で、こちらの接近に気づいたとすれば奇妙な話だが―――。

 考えても詮無きことか、とガラディスは軽く頭を振った。戦闘へと意識を切り替えて、黒々とした槍を構える。村を囲っていた柵を馬蹄で踏み潰し、ちょうど目の前にいた農夫を一刺しで絶命させた。

 馬の速度を緩めている間にも、他の騎兵たちが次々と命を刈り取っていく。


 他愛無い―――嘲笑を零し、槍を一振り。

 大きな斧が投げつけられたが、ガラディスは慌てることもなく弾き落とす。その方向へ目を向けると、怒りで顔を歪めた少年が手斧を構えていた。


「おまえら……よくも、よくもみんなを!」


「カミル、ダメ! 逃げて!」


 隣にいた少女が叫ぶ。しかし少年は聞く耳を持たず、高々と跳んで手斧を振り上げた。馬上のガラディスを跳び越えるほどの強化術は、子供にしては見事なものだった。振り下ろされる一撃も鋭く、一流の戦士となる未来を予感させた。

 しかしそんな未来は、もはや永遠に訪れない。


「蛮勇だな」


 ガラディスは槍を一閃。カミルの腹を深々と貫いた。そのまま小さな体を地面に叩きつけ、上半身と下半身を力任せに分断する。

 子供を殺すことに、騎士としてガラディスも憂いを覚えないでもなかった。しかし異教徒は須く排除せねばならない。そんなモゼルドボディア教の有難い教えは、自分達の罪を誤魔化すのに都合がよかった。


 槍を振って血を払ったガラディスは、次の獲物に狙いを定める。

 まるで人形のように愛らしい少女が、愕然として立ち尽くしていた。


「喜べ。異教徒にとっては最高の栄誉だぞ。我が魔導槍によって―――」


 黒々とした槍を突き出そうとした瞬間、青白い閃光が飛来した。ガラディスは咄嗟に魔術障壁を展開する。

 目も眩むほどの光が散らばり、障壁が割れんばかりに震える。

 魔術による攻撃だとガラディスが理解した時には、その雷撃が無数に落とされ、周囲にいた騎兵たちを次々と焼き殺していた。


「くっ……近くにいる者と魔術防壁を展開しろ! かなりの使い手がいるぞ!」


 一瞬で数十名の兵士が命を断たれた。こんな田舎村に対して、過分すぎる出血だ。

 帝国領内の地理を把握しつつも、領主軍と相対する前に士気を高めようとガラディスは目論んでいた。しかしこれ以上の犠牲が出れば、士気を高めるどころか、指揮官の能力に疑問を持つ者まで出てきてしまう。


 隣では副官が黒焦げになって倒れたが、心配するよりも罵倒したい衝動に駆られた。

 それでも冷静さを保ち、ガラディスは状況把握に努めようとする。

 何処から攻撃を受けた? 敵魔術師は、何処に隠れて―――。

 けれど疑問の答えは目の前にあった。


「……、す……」


 立ち尽くす少女の隣に、銀髪の修道女が立っていた。整った顔立ちと、服の上からでも分かる細くしなやかな身体つき。特徴的な長い耳からエルフィン族なのは間違いない。

 帝国領にエルフィン族がいることも驚きだったが、ガラディスが息を呑んだのは彼女の眼差しに対してだ。

 鋭利で、鮮烈で、見る者すべてを凍りつかせるほどの殺意を溢れさせている。

 しかし美しい―――。


「……殺す……お前達には、後悔する暇も与えない……」


 低く沈んだ呟き声によって、ガラディスの意識は現実に戻された。

 直後、修道女を中心に魔力の嵐が吹き荒れる。


「―――焼き尽くせ! 火焔城壁

イグニス・ウォード

!」


 正しく城壁―――分厚く沸き上がった炎が、辺り一帯を埋め尽くす。

 村に攻め入ろうとしていた騎兵部隊のおよそ半数、一千以上の命が、満足な悲鳴すら上げられずに炎の中に消えていった。






 村が惨劇に見舞われる少し前、シャロンは夕食の準備に取り掛かっていた。

 じっくりと煮込んだシチューとは別に、双子が籠一杯に採ってきた茸から、大きな物を選んで手頃な大きさに切り分ける。チーズと一緒に焼くようにして、二人が喜ぶ顔を想像して目を細めた。


「まるで本当の母親みたいね」


 そう呟いて、苦笑した時だ。青白い光が窓から差し込んできた。

 シャロンは首を傾げながら窓の外へ目を向ける。と、光の正体はすぐに知れた。

 月が落ちてきたような魔力の塊。そんなものを作り出せるのは一人しかいない。


 でも、どうして急に―――。

 僅かに覚えた警戒心が急激に膨れ上がる。攻撃的な魔力の動きを、シャロンは敏感に感じ取った。防護障壁を展開しながら修道院から飛び出す。

 外に一歩を踏み出した途端、シャロンの耳に悲鳴が届いてきた。

 燃え盛る家々を、血を流して倒れる親しい人々を目にして、愕然として膝を折りそうになる。しかしすぐに拳を握ると駆け出していた。

 そしてシャロンは憎悪に身を任せる。


 状況はさっぱり分からない。けれど、そんなことはどうだっていい。

 目の前に敵がいる。大切なものを踏み躙り、奪っていく敵が。

 だから殺し、滅ぼし、焼き尽くさなければならない―――。

 胸を裂かんばかりに溢れてくる激情を顕現させるように、業火の壁を作り出した。




「……は、っ……」


 無数の命を飲み込んだ炎を見上げながら、シャロンは自嘲を零した。

 どれだけ暴力を吐き出しても激情は消えない。むしろより燃え盛っている。

 敵ばかりでなく、自分の心すら燃やしていく。


「ははっ……なにが、先生よ……」


 自分の力であれば、誰も死なせずに済んだはずだ。もう一呼吸早く襲撃に気づいていれば、村全体を防護障壁で覆うこともできた。それどころか、ずっと早くに敵の接近を察知して皆殺しにすることも可能だった。

 かつては帝国軍を相手に息をするように死を振り撒いた。

 万を越す死体を積み上げた。殺して、殺して、殺し尽くした。

 それが自分だった。なのに―――気を緩めてしまった結果が、これだ。


 ほんの数十年。無限に近い寿命を持つ自分にとっては、一時の骨休めに過ぎないはずだった。なんとなく戦いに飽きて、気まぐれから人の営みに関わってみた。

 最初はほんの十数名で畑を耕して、ささやかな収穫に喜んで、やがて子供が増えて。

 辛く悲しい出来事があっても皆で支え合って、笑い合って―――。

 温かかった。幸せだった。ずっと平穏な日々が続いて欲しいと思ってしまった。


 だから―――これは、報いなのだろう。

 ようやく命の重みを知った自分に、罪の深さを刻み込もうとしているのだ。

 所詮、自分は殺戮者。子供を撫でる手も血に濡れている。

 いまだって、欠片の躊躇いすら覚えずに命を刈り取って―――。


「……みんな……みんな、私の所為で―――」


「―――シャロン先生!」


 その時、天使が降ってきた。

 空中に浮かべた魔力板を蹴って、ヴィレッサが着地する。勢い余って地面を転がりながらも、妹のルヴィスに駆け寄るとその肩を抱いた。

 そうして振り返ると、何の疑いも持たずにその言葉を投げた。


「お願い! みんなを守って!」


「っ―――」


 ああ―――と、シャロンは唇を震えさせる。

 そうか。自分は守ってもいいのだ。まだ、守らせてもらえるのだ。

 これに勝る喜びなどありはしない!


「……任せなさい。何があっても、貴方たちを、みんなを、これ以上傷つけさせはしない」


 純粋無垢な瞳に、シャロンは誓った。

 ヴィレッサも頷くと、放心しているルヴィスを抱えて走り出す。少し離れた広場に村の皆が集まって、怪我人の手当てなどを行っていた。

 治療術に長けた者もいる。救助は任せても大丈夫だろう。


 そう冷静に判断を下すと、シャロンは炎の壁へと向き直った。

 半数ほどの騎兵は炎で飲み込めたが、まだ敵は残っている。シャロンの魔力には余裕があったが、けっして油断できる状況ではなかった。

 手強い敵の存在を、シャロンは炎の中に見て取っていた。


「やってくれたな……穢らわしい亜人種の分際で」


 炎の中から一人の男が歩み出る。騎乗していた馬は炎に巻かれていたが、男の周囲には薄い闇色の障壁が張られて、その身には熱気すら届いていなかった。


「しかし、シャロンと言ったか? ただの魔術師ではあるまい。かつて帝国がエルフィンと争った時、五万の軍勢が一人の魔術師に敗北したという話も聞いたが……」


「礼儀を知らない盗賊ね。人に名を聞く時は、自分から名乗るものよ」


「っ、貴様……!」


 無論、シャロンとて相手がそこらの盗賊でないことは承知している。だからこそ早々に決着をつけたいところだが、今後のためにも正体は掴んでおきたかった。


「いいだろう。レミディア聖教国近衛十二騎士の一人、ガラディス・グレイラムである。神の御意志に従い、貴様らに死をくれてやる」


「……本当にレミディアの兵なのね。しかも近衛十二騎士……」


 つまりは魔導士か―――そう悟って、シャロンは警戒を深める。

 帝国と比べて、レミディアはさほど強兵を誇ってはいない。しかし近衛兵の頂点に立つ十二騎士の存在は周辺国にも知れ渡っている。

 全員が国王から強力な魔導遺物を与えられた、すなわち魔導士なのだ。


 シャロンは忌々しさに顔が歪むのを堪えつつ、ガラディスが持つ槍へ意識を向けた。

 黒々とした槍からは、複雑な魔力の流れを感じ取れる。業火を防いだのも、その魔槍の力なのは疑いようがない。

 先端の突起部分と並んで、三日月型の刃も備えられている。槍ではなく、むしろ片刃の戟と言える。けれど見る者によっては死神の鎌を連想するだろう。それほどまでに禍々しい気配を纏っていた。


「まさか本格的に帝国と戦争を始めたの? 南から攻め入ってきたにしても、ヴァイマー伯爵の軍が、そう簡単に許すとは思えないのだけど?」


「そこまで貴様に語ってやる義理はない!」


 話を打ち切ると、ガラディスは魔槍を構えなおす。

 望んだ情報は聞き出せなかったシャロンだが、最悪の予想は外れたようだと安堵した。

 もしも領主軍を討ち破ったのならば、その戦果を誇らないはずがない。よほどの事情がなければ、軍は勝利を喧伝するのが常だ。名誉や名声のためばかりでなく、華々しい戦果には威圧の効果もある。


 それに、ガラディスは名誉や名声を重んじる性格、典型的な貴族だろう。

 少なくともシャロンの目にはそう映った。しかし遠くの事情に思考を巡らせるのはそこまでで―――目の前の戦闘へ意識を集中させる。


「食い散らせ、クレイグレイブ!」


 ガラディスが槍を振るうと、その軌道上にいくつかの黒球が浮かんだ。一拍の間を置いて、黒球は高速でシャロンへと迫る。

 基礎的な炎弾を放つ魔術にも似ていた。しかし魔導遺物が持つ能力を侮れば、それは即座に死へと繋がる。

 シャロンは瞬時に、自身の正面に魔法陣を描き出した。三重の障壁を作り出す。

 一直線に迫ってきた黒球は、障壁の二層目までをあっさりと貫いた。だが三層目にぶつかったところで、歪み、微かに青白い光を発して霧散した。


「なに……っ!」


「虚無を操る魔導遺物ね。珍しいけれど、魔術でも同じ効果は得られるのよ」


 ガラディスが目を見開くと同時に、シャロンは地を蹴った。距離を詰める一瞬の内に、手元で転移術を発動させて剣を握る。

 水に濡れたように輝く細身の剣は、修道院の地下倉庫に仕舞ってあった物だ。まともに剣を握るのは数年ぶりのシャロンだったが、さほど腕は衰えていなかった。

 頭と首を狙った刺突は槍で弾かれたが、甲冑の隙間、肩口に浅い傷を刻んだ。


「道具に頼り、己を鍛えるのが疎かになる。魔導士の悪い癖よね」


「貴様ぁ……この程度の傷で勝ち誇るつもりか!」


 怒号とともに、ガラディスは虚無を纏った槍を突き出す。

 しかしシャロンは回避と踏み込みを同時に行い、横薙ぎに剣を払った。甲冑を斬り裂くには至らなかったが、細身の剣とは思えない衝撃に、ガラディスは顔を歪めてよろめく。

 さらに鋭く剣を振るい、シャロンは追撃に追撃を重ねていく。


「どうしたの? 騎士の武技というのは、この程度?」


「くっ……ナメるな、亜人風情がぁっ!」


 強大な戦力を持つ魔導士とはいえ、対応する策は確立されてきている。

 まず第一に、逃げること。

 およそ一人で一万の兵力に匹敵すると言われるのが魔導士だ。そんな化け物とまともに相対しようとするのが間違っている。しかも魔導遺物は常識の枠から外れた能力を持っている場合が多く、下手な対策は逆効果にも成り得る。


 しかしいまのシャロンのように、逃げられない状況もある。

 そのような際には第二の策、魔導遺物を使わせないのが最善とされる。

 だからシャロンは武技での勝負に持ち込んだ。相手を挑発し、騎士としての尊厳を刺激して、魔術の使用も控えて、刃を交えることへ意識を傾けさせた。


 逆に言えば、それだけガラディスが持つ魔導遺物に脅威を覚えたのだ。

 虚無を操る―――文字通り、なにもかもを無に帰すとされる。どれだけ頑丈で分厚い盾を用意しても防げない。ほとんどの魔術効果も消滅させられる。

 唯一、同等の魔術をぶつければ相殺は可能だが、そもそも適性のある魔術師の数は少ない。おまけに虚無魔術は、他の魔術と比べて大量の魔力を必要とする。一瞬だけ展開したシャロンの障壁も、巨大な火焔城壁と同程度の消耗を強いられていた。


 傍目には、シャロンが優位に戦いを進めているように映るだろう。しかし魔導遺物を積極的に使われたらどう転ぶか分からない、ギリギリの綱渡りを行っていた。

 ガラディスが冷静さを失っている間に決着を―――、

 そんな焦りもあったのだろうか。シャロンが放った渾身の一撃は、ガラディスの腕に深々と喰い込んだ。肘の裏、甲冑の隙間を狙ったのだ。そのまま腕を両断し、決着となってもおかしくない一撃だった。


 だが、届かなかった。

 僅かに乱れた剣先が甲冑に阻まれ、骨に喰い込んだところで止まってしまった。


「がっ、あああああぁぁぁぁぁぁ―――っ!」


 鮮血とともに呻き声を撒き散らし、ガラディスは傷ついた腕を強引に振るった。同時に魔槍が青白い光を発する。

 直後、ガラディスを覆う形で虚無障壁が展開された。

 シャロンは即座に飛び退く。障壁に巻き込まれた剣の先端が消滅していた。もしも立ち止まっていたら、シャロン自身が同じように削り取られていただろう。


「貴様ぁ、調子に乗りおって……もはや容赦はせん!」


 歯軋りしながら睨みつけてくるガラディスに対して、シャロンは内心で舌打ちした。

 虚無障壁はガラディスの全身を覆っている。その障壁がある限り、シャロンから攻撃する手段はない。活路があるとすれば、魔力切れを待つくらいだろう。


 魔導遺物の助けがあるとはいえ、虚無を操るには相応の魔力が必要なはず―――。

 しかし、そんなシャロンの期待も打ち消される。


「この槍の、本来の名前を教えてやろう」


「名前……?」


「怨霊槍クレイグレイブ。この名を恐れ、己の罪を悔いるがいい!」


 シャロンは眉を顰める。不吉な名前には違いないが、畏怖を覚えるほどではない。

 しかしガラディスは口元に笑みを浮かべて―――、


「さあ存分に生贄を喰らえ、クレイグレイブ!」


 掲げられた魔槍から黒い靄が漂っていく。いまだ燃え盛っている炎壁の奥へ触手を伸ばすように黒靄が広がると、やがて空気が禍々しく歪んだ。

 錯覚ではない気配を察して、シャロンは顔色を蒼ざめさせた。


「これは……邪法にまで手を染めるのか! 魂を冒涜するな!」


「邪法? 冒涜? 違うな、これは神が授けられた奇跡だ。貴様に殺された騎士たちが、貴様を殺すために我が力となる!」


 シャロンはかつて一度だけ目にしたことがある。邪教徒と呼ばれた男が使った、魔術の枠に含めるのも憚られるおぞましい邪法だ。

 魂を破壊し、魔力へと変換し、己の力として吸収する。それは正しく生贄を奉げるような、人の倫理から踏み外れた術式だった。


「聞くがいい。神を讃える死者たちの歌を!」


 ガラディスの言葉に応えた訳ではないだろう。しかし炎の中から無数の声が上がった。

 それは魂が破壊される断末摩の叫び。呪うように、祟るように、あるいは生への執着から足掻くように、悲痛な声が大気を満たしていく。

 怨嗟が絶頂に達しようかというところで、ガラディスが魔槍を振り払った。

 虚無が広がる。炎壁が飲み込まれ、辺り一帯が黒に染まった。

 しかしすぐに視界は開けて、後には抉れた地面だけが残されていた。


「まさか、これほどの力を……」


 シャロンは思わず呻いてしまう。弱気を見せてよい場面ではないと承知していたが、それでも戦慄を覚えずにはいられなかった。

 死者の魂を媒介として、虚無の力を際限なく振るえる。

 そんな化け物じみた力に対抗する策など、シャロンとて持ち合わせていない。

 しかも事態はさらに最悪へと転がる。炎壁が掻き消されたことで、後方にいた騎兵達が村へと踏み込む道が開けてしまった。まだ状況が掴めずに慌てている者ばかりだったが、指揮官の声が届けば違ってくる。


「いつまで呆けている! さっさと村の者を皆殺しにしろ!」


 悪辣な笑みを口元に浮かべて、ガラディスは声高に告げた。

 動揺が抜け切らない騎兵達も命令には反応した。村人が集まっている広場をすぐに見つけると、馬上から攻撃魔術を放とうとする。

 残った騎士の数は千五百程度。シャロンならば一瞬で焼き尽くすこともできた。

 けれどガラディスは村人に魔槍を向けた。その意図を察したシャロンは、即座に飛び退き、皆を守る位置に立つ。他に選択肢は無かった。


「放てぇっ! 射殺せ! 焼き殺せ! 切り刻んでやれ!」


 ガラディスの声とともに、無数の攻撃魔術が村人の集まった広場へ飛来する。光の矢、炎弾、氷槍や風の刃など、統一性こそ皆無だが充分な殺傷力を備えた攻撃だ。


「シャロン先生……!」


「大丈夫よ。私が絶対に……絶対に守ってみせる!」


 背後からの不安げな声に応えつつ、シャロンは対魔術障壁を幾重にも展開する。言葉は強がりではなく、たとえ一万の刃が襲ってきても防ぎきる自信はあった。

 ただし、そこに虚無が含まれていなければ。


「無駄な抵抗だな。神の威光にひれ伏すがいい!」


 ガラディスが魔槍を突き出す。その穂先に黒々とした靄が絡みついていた。

 黒靄は膨れ上がり、さながら幾本もの槍を束ねたようにシャロンへと放たれた。すべてを飲み込み、消滅させるべく、無慈悲な力が叩きつけられる。

 虚無の力は、同等の虚無の力でしか防げない。

 しかしシャロンには、それを発現させるだけの魔力が足りない。

 辛うじて対抗できる障壁を展開させたものの、すでに魔力が枯渇しかけていた。耐えられるとして、ほんの一呼吸か二呼吸の間だけ。


 皆を守ると誓ったのに―――。

 歯噛みする間にも、障壁に弾かれた黒々とした衝撃が周囲を無へと帰していった。

 家が、畑が、皆で笑い合った土地が、なにもかもが黒に覆われていく。まるで夜の闇が広がっていくように、次々と視界から消えていく。

 シャロンは絶望を覚えて膝をつく。

 けれどそこで、とん、と背中を叩かれた。


「先生は、逃げて」


 ヴィレッサだった。小さな手を軽く振ると、愛らしく微笑んでみせる。


「私は残る。だからみんなを連れて、安全なところに転移して」


 そう告げた直後、ヴィレッサは歩み出した。

 シャロンの脇を抜け、虚無の中心へと。全身から青白い魔力光を発しながら。


「まさか……待って! やめなさい! ヴィレッサ!」


「大丈夫。きっとまた会える」


 ヴィレッサは振り返らない。虚無の奔流に対し、大きく固めた魔力の盾をかざして、まるで散歩にでも行くような足取りで進んでいく。

 そう、ヴィレッサにはどんな魔術も効かない。虚無の力でさえ容易く防げる。

 だからシャロンは選ばなかったのだ。

 転移術を使い、村人全員で逃げるという選択肢を。

 ヴィレッサには転移術も効かない。一人だけ残す形になってしまう。そんな残酷な結果を、この村の者ならば誰一人だって望むはずがなかった。

 だというのに、ヴィレッサは一切の躊躇いもなく言ってのけた。


「お願い」


 その一言を置いて、ヴィレッサの姿は消えた。

 溢れ続ける光の中に溶けたのか、迫ってくる虚無の闇に呑まれたのか―――、

 見分けられず、シャロンは手を伸ばそうとした。まだ届くはずだと、愛しい子がそこに留まっているはずだと、信じて踏み出したかった。


 けれど誰かに呼ばれた気がして振り向いた。振り向いてしまった。

 村の皆と目が合う。そこにはルヴィスもいた。

 虚ろな目をして。地面にへたり込んで。いまにも崩れてしまいそうで。

 見捨てられるはずもなく、シャロンはくしゃくしゃに顔を歪めた。


「あ、ぁぁ……うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――!」


 慟哭に、小さな破壊音が重なる。

 周囲を覆い尽くした虚無が、いまにも障壁を破ろうとしているのだ。僅かな裂け目から侵入してきた魔手が、白い頬に微かな傷を刻んだ。

 迷うことも許されず―――、

 シャロンは決断を下した。残酷な、願いを叶えるための決断を。


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