戦乱の予兆①
ブルド・ボア騒動から十日。ようやくヴィレッサは外出を許された。
まだ杖をついて、ルヴィスも付き添っているけれど。
「おお、イノシシ姫の復活か」
「無事でよかったねえ。あんまりシャロン先生に心配かけるんじゃないよ」
「次はちゃんと俺達が守ってやるからな。無茶すんなよ」
「おねぇちゃん、まものをやっつけたんでしょ? きかせてよ! 〝ぶゆーでん〟を!」
村を巡って挨拶をすると、皆が笑顔で迎えてくれた。
大人に会うたびに頭を撫でられて、金髪はいつの間にかクシャクシャになっていた。いつもは身だしなみを注意するルヴィスも、憮然とした姉を横目に楽しそうに笑っている。
ちなみに、ブルド・ボアは皮だけになっていた。
ただの猪なら村の皆で食べられるのだが、魔獣の肉は毒を含んでいることが多い。なので皮や牙などの部位だけを取って、あとで帝都まで売りに行く予定だ。ブルド・ボアの黒剛毛は良い防具の素材になるので人気がある。
「嬢ちゃんの怪我が治ったら、その金で快気祝いをするって訳だ。楽しみにしてろよ」
「おじさん! それは秘密だって言ったでしょ!」
「あ、そうか。わりぃ、うっかりしてたぜ」
「もう。お姉ちゃんを驚かせようと思ったのに」
ルヴィスが唇を尖らせ、棟梁がぺこぺこと頭を下げる。そんな様子を、周りの大人達は微笑ましく見守っていた。
ヴィレッサが助け舟を出そうかと迷ったところで、「おい」、と声を掛けられた。
「その杖、使い心地はどうだ?」
なにやら眉根を寄せて不機嫌顔をしているカミルがいた。ヴィレッサを見て、すぐに目を逸らす。手を腰の後ろに回して落ち着きなく身をよじっている。
「うん、助かってる。カミルも作るの手伝ってくれたんだって?」
「べ、べつに、大したことはしてねえよ! それよりも……えっと、ありがとうな!」
「? ブルド・ボアのことだったら、たまたま上手くいっただけだから」
「そんなことねえ! ヴィレッサはすげえよ!」
カミルはいきなり大きな声で力説した。
思わぬ反応に、ヴィレッサは目をぱちくりさせて一歩退いてしまう。
「あの時、俺は怯えてて何もできなかった。なのにおまえは必死に頑張って……」
「それが普通だと思うけど……」
「本当なら、男の俺が守らなきゃいけなかったんだ。でも俺が弱いのは分かった。だからもっと強くなる! もっと体を鍛えて、魔術だって練習して、ヴィレッサを守れるくらいに。それで、俺が強くなったら―――」
一気にまくしたてたカミルだが、急に沈黙した。顔が紅潮していって、耳まで真っ赤に染まる。
「あのな、強くなったら、その、一緒に、ずっと、なんて言うか……」
何を言おうとしたのか、その反応が語っていた。
強くなったら結婚してくれ―――とか。まあ、思春期の男の子にはありがちな想いだ。カミルはまだ九歳なので早熟だとも言えるが。
それにしても、とヴィレッサは平静な顔を取り繕いながらも戸惑ってしまう。
幼馴染。小さな頃の結婚の約束。
そんな言葉から始まる物語に、ヴィレッサも魅力を感じないでもない。
ただし、自分が当事者でなければ、という条件がつく。
どこから見ても可憐な幼女のヴィレッサだが、内面となると少々異なる。幼女らしからぬ知識のおかげで、意識もそちらへ傾いていた。
大人びている、というだけでもないだろう。
いずれにしても、恋愛なんてものは遠くに感じられる。
もはやこの時点で、ヴィレッサはカミルの告白を拒絶する意志を固めていた。申し訳ないと、同情に似た感情も覚えるけれど、不誠実よりは良いと思える。
友達でいましょう。私じゃ貴方を幸せにできない。ごめんなさい―――、
八歳児には似合わない台詞を準備しつつ、深呼吸をして時を待つ。
だけどカミルの行動は予想を裏切った。
「っ~~~~……これ! やるよ!」
背中に回していた手を突き出す。そこには小さな木製の櫛が握られていた。
少々荒い作りだが、漆塗りなのか綺麗な光沢を纏っている。細かく彫られた花模様が可愛らしい。丁寧に作り込まれているのは、カミルの手についた無数の傷が語っていた。
これを拒絶するのは、さすがにヴィレッサでも気が引けた。
「ん……ありがとう。大切にする」
受け取った櫛を胸に抱えて、ヴィレッサは頬を緩める。柔らかな笑みは自然と浮かんできた。嬉しかった。
純粋に。友達として。
「身だしなみには気をつけろよ。おまえは、えっと、可愛いんだから―――」
「ちょっと! 何してるのよ!」
カミルが懸命に吐き出した台詞は、割り込んできたルヴィスの声で掻き消された。
「告白なんて許さないわよ! お姉ちゃんは、私のお姉ちゃんなんだから!」
「ばっ、ち、違うよ! なんで俺が、コイツなんかに!」
「コイツですって? 口の利き方に気をつけなさいよ、カミルのくせに!」
「なんだよその言い方! おまえの方こそ―――」
すぐにも取っ組み合いを始めそうな二人を、周りの大人達が慌てて引き離す。それでもしばらくは罵り合いが続いて―――、
「……こういう時は、嬢ちゃんが止めるべきじゃないのか?」
「ああいうのは苦手だから」
棟梁の影に隠れながら、ヴィレッサは嵐が過ぎ去るのを待った。
たまには我が侭を言ってもいいかも知れない。
ふと思いついたヴィレッサは、シャロンや村の大人たちに頼んで栗の実を採ってきてもらった。コロムと呼ばれるそれは近くの森に生えている。普段は茹でるだけで食べているものだ。甘味はあるが渋味もあるので、村ではあまり好まれていない。
そこに、一手間を加えてみた。
「あまぁ~い!」
味見をしたルヴィスが天にも昇りそうな表情をする。
ヴィレッサが作ったのは、異世界で言うマロンクリームだ。しっかりとアク抜きをして、茹で時間も整えて、渋味を消し去っている。丁寧に作られたコロムクリームは、砂糖を加えなくても充分な甘さが引き出されていた。
「ん! これは凄いわね。帝都でも食べたことのない味よ」
「まあ、一応はオリジナルだから」
「もう一口! あぁ、やっぱり美味しいぃ~……」
幸せそうな二人を見て、ヴィレッサも満足げに笑みを浮かべる。
けれどこれはまだ前座に過ぎない。我が侭を聞いてもらうための呼び水だ。
「先生、これを使ったお菓子って食べたくない?」
「何か考えがあるの?」
「卵と小麦粉と牛乳はあるでしょ。あと、砂糖か蜂蜜があれば作れるんだけど……」
「蜂蜜ね。任せなさい」
ぐっと拳を握ると、シャロンはすぐさま修道院を飛び出していった。
甘味の魔力、恐るべし。
そう、本当に恐ろしかった。
言い出したヴィレッサが、ちょっと後悔してしまうくらいに。
小一時間ほどして帰ってきたシャロンは、大きな蜂の巣を抱えていた。
しかも、三つも。
「軍嵐蜂
ガルラント・ビィ
がいて助かったわ」
「なにその恐ろしげな名前は?」
「人間の赤ん坊くらいに大きな蜂の魔獣でね、普通の蜂を飼い慣らす習性があるの。見掛けたら絶対に近づいちゃダメよ。針や毒を飛ばしてくるだけじゃなくて、集団で城壁だって噛み砕くんだから」
「なにそれ怖い」
そして、それを平然と狩ってくるシャロン先生も怖い。
ヴィレッサは頬を引き攣らせながらも、お菓子作りを再開した。シャロンとルヴィスが期待に目を輝かせているので、もはや失敗は許されない。
でも、美味しいものを作るには時間が掛かるのだ。
「えっと、今日は蜂蜜作りだけで終わると思うけど?」
「「えぇ~、そんなぁ~」」
二人して泣き出しそうな顔をする。だけど無理なものは無理だ。
どちらが子供なんだか、とヴィレッサは呆れ混じりの笑みを零す。
「色々試さなきゃいけないんだよ。お祝いしてくれる日までには間に合わせるから」
「うぅ~……でも仕方ないか。楽しみに待ってるからね」
「そうね。残念だけど、ここは我慢しましょう」
ひとまず引き下がった二人だったが、やはり完全には諦めていなかったらしい。大きな壺にたっぷりと注がれた蜂蜜が、毎日少しずつ減って、お祝いの当日には半分ほどしか残っていなかった。
そして、シャロンとルヴィスはちょっと太っていた。
「二人とも、お腹の弛みとか大丈夫?」
「な、なんのことかしら?」
「お、お姉ちゃんは時々、意味の分からないこと言うよね!」
そんなこんなで、宴の日が訪れる。
仕事を終えた夕刻、村の全員が広場に集まり、酒と料理が振る舞われる。ヴィレッサの快気祝いという名目だが、皆で騒いで楽しい時間を作るのが大切なのだ。
辺境の開拓村というのは、本来は厳しい環境にある。シャロンは頼りになるが、魔獣や夜盗の脅威は多少なりとも存在する。過去には幾名もの犠牲が出た事件もあって、自警団は訓練を欠かしていない。
その脅威を忘れることはできないが、一時でも紛らわし、明日への活力に繋げられる。だから皆の無事を喜び、魔獣の襲撃を退けたことを祝うのだ。
ヴィレッサとしても、大勢に心配を掛けたお詫びと感謝を伝えられる良い機会だった。
「あの時はほんとに驚いたぜ。このちっこい体で、あの魔獣を押さえつけたんだからな」
「いやぁ、俺たちも夢でも見てるのかと思ったよ」
「まったく大したもんだよな。将来の旦那が可哀相に思えるくらいだ」
「おじさん、お酒くさい」
帝都で仕入れられた食材を中心に、ヴィレッサも手を加えた料理は好評だった。お酒の味は子供であるヴィレッサには分からないが、焼き鳥や煮込み鍋、果実の盛り合わせなど、普段よりも豪勢な食事に頬が緩んでくる。
ちょっとした隠し芸の披露会も催された。
「ヴィレッサ、光ります」
皆の反応は微妙だった。
「ルヴィス、歌います!」
大好評だった。
「「どちらがヴィレッサちゃんでしょうかゲーム!」」
髪型や服まで揃えたのに一発で当てられた。子供らしくないジト目でバレたらしい。
「さぁて、みんなの恥ずかしい過去を暴露しちゃうわよ」
阿鼻叫喚。何歳までおねしょをしていたとか、子供の頃にシャロンに愛の告白をしてきたとか、そんな過去を語られるのだ。
やっぱりシャロン先生は最強だった。
酒の飲み比べ勝負があったり、腕相撲で何人かが投げ飛ばされたり、
そうして宴もたけなわ、というところで特製コロムケーキが投入された。
「あまぁ~い! んもう、すっごい幸せ!」
「待った甲斐があったわね。あぁヴィレッサ、貴方を育ててよかったわ」
大きなホールケーキをメインに、小さなものを数十個。村の子供と女性には行き渡って大いに喜ばれた。一口しか貰えなかった男性陣が恨めしそうな顔をするくらいに。
ルヴィスの頬についたクリームを取ってやって、ヴィレッサも目を細める。
急に棟梁が昔の武勇伝を語り出したり、ルヴィスとカミルが口喧嘩を始めたり、女性陣と料理談議で盛り上がったり―――。
ああ。こんな時間がいつまでも続けばいい。
子供らしくない想いも胸に浮かべながら、ヴィレッサは無邪気に笑っていた。
やがて料理も尽きて、自然と解散する流れになってくる。いつの間にか眠ってしまったルヴィスを背負うと、ヴィレッサも修道院へ帰ろうとした。
シャロンの姿を探すと、村長となにやら話しているところだった。
「……モゼルド教会ですか。数年前でしたか、この村にも来ましたな」
「ええ。皇帝陛下から布教の准許を得て……以前は大人しかったらしいのだけど」
「目に余るほどに? 帝国への反乱など、なかなか信じられない話ですが」
「このヴァイマー伯爵領は、以前からヤツラを排除していたからね。だけど他の領地では実際に起こっていると聞いたわ。まだ小さなものでも、あちこちで……」
声を掛けようとしたヴィレッサだが、真剣な雰囲気を察して言葉を呑んだ。
そのまま眉根を寄せて耳を傾ける。
「下手をすると内乱になりかねないわ。排斥派貴族の不満が高まれば……」
シャロンが口を閉じ、振り向いた。ヴィレッサと目が合う。
別段、ヴィレッサは盗み聞きをしていたのではない。だけどつい気まずさを覚えて沈黙してしまった。
内乱―――形はどうあれ、戦争となれば辺鄙な村でも無関係ではいられない。自警団にいるような若者は、兵士として連れて行かれる可能性もある。
子供が気に掛ける話でなくても、知ってしまった以上、ヴィレッサは無視できなかった。
「村長、この話はまた明日にでも。そう心配することでもないわ」
「あ、あぁ、そうですな」
村長は柔和な笑みを作り直すと、ヴィレッサにも挨拶をして去っていった。
急に吹いてきた夜風に目を細めながら、シャロンもヴィレッサへ向き直る。小さな頭にそっと手を乗せた。
「言った通りよ。心配しなくていいわ」
「でも、内乱って……」
「頭のいい貴方なら分かるでしょう? ここは国の外れも外れ。おまけに私は領主様への顔も利くの。だから何が起こっても大丈夫よ」
綺麗な金髪を優しく撫でると、シャロンは「帰りましょう」と促した。
ヴィレッサは素直に従う。ほんの少しの不安は胸に留まっていたけれど、背中に感じるルヴィスの温もりの方がずっと大切だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます