第10話 碧いアネモネ②
翌日、ソレッラは愛車アバルトにヴァニアを乗せて、海に沿った道を走っていた。空は晴れ渡っていたが、今夜は雨が降る予報だった。ハンドルについているボタンを操作してボリュームを上げると、ちょうどニュースが始まったところだった。キャスターの神妙な声が流れてくる。
「現在、ニューヨークにて吸血鬼対策委員会『CVC』の総会が開催されています。今後の人間と吸血鬼、両者はどのように共存すべきなのか。注目が集まっています。
吸血鬼との契約は現在CVCによって厳しい制限がなされていますが、吸血鬼と人間を見分ける方法は非常に難しく、個人レベルでの規制は困難な状況です。また、吸血鬼に関係する犯罪も後を絶ちません。一ヶ月前、日本で発生した無差別殺人事件は世界中に悲しみをもたらしました。犯人の男は事件を起こす数週間前に吸血鬼との契約を破棄しており、CVC日本支部での経過観察中でした。契約破棄による副作用は契約者の精神や身体に多大な悪影響を及ぼすとされていますが、まだ副作用を抑えるのに有効な方法は見つかっていません」
ソレッラはため息をついた。人間社会から見れば吸血鬼はどこまでも異質な存在なのである。共存への道とは、つまるところどのように吸血鬼を排除しかつ利用していくかという意味で使われている。
ヴァニアのように小さい頃から吸血鬼の存在を感じながらすごした人間ならまだしも、伝説や逸話でしか聞いたことのない人間が思い描く吸血鬼は曖昧なものだ。吸血鬼が実在することは今や世界中に知れ渡っているが、生物の一種としてではなく恐怖や忌避の対象として見る者は確実に存在する。
吸血鬼と人間の橋渡し機関であるCVCが設立されたことによって、ようやく吸血鬼は人間と共存する希望を見出しつつある。だが、人間のほうはまだ吸血鬼という存在を手に余らせている、というのがソレッラの感覚だ。
時刻は午後二時過ぎ。ソレッラの携帯が鳴り、無線で繋いでいるカーナビにボタンがポップアップする。先代から繋がりのある情報屋からの電話だった。
「チャオ、ソレッラ。愛しのコリーンちゃんから連絡ですよ」
コリーン・ギデンズは若いアイドルのような高い声で得意げに切り出した。
「チャオ。今日もご機嫌そうですね、なにか情報が掴めたのですか?」
コリーンは電話の向こうでふふん、と鼻を鳴らす。
「ええ、それがなんと! ボフミラって吸血鬼はCVCの臨時研究員をしてるってことがわかっちゃいました。健康診断も偽造して『人間』として組織に勤めているようなのですよ~」
部下の死体を操った吸血鬼の名はボフミラ・ネトリツカ、女性、三十七歳。二日前、パパヴェロ大学医学部に所属する医学博士ということがわかり、ソレッラは大学への潜入を試みようとしていた。
「では血液サンプルの盗難事件は、CVCにとっては身内の犯行でしたか……」
「そういうことです。悪い吸血鬼に付け込まれないように、CVCの構成員名簿はほとんどが非公開です。特にボフミラは吸血鬼の吸血行為が人間の血液に及ぼす影響や、吸血鬼の『血に宿る魔力』を研究しているのですから公開できるはずがないのです」
喜々としていってから、コリーンは急に声色を変える。
「……ただ残念ながらモニカのほうはわかりませんでした。CVCの構成員でないことは確かですが。私がわかんないってことは、山奥で隠遁生活でもしてるんじゃないですか」
「まさか、修道女でもあるまいし」
ソレッラは少しだけ吹きだした。だが、相手は真剣に受け取ったらしい。
「世間で居場所を失った人が逃げ込むような教会もありますから案外そうかもしれませんよ。もしくは、姿かたちを変えられる能力を持っているとか」
「そうですか……」
ソレッラが肩を落としているのを知る由もなく、コリーンはさっさと会話をまとめあげる。
「では、取り急ぎお伝えしたかったことはボフミラのことだったので今日はこれにて。今後ともご贔屓に!」
ぷつん、と電話は呆気なく切れた。コリーンとの会話を終えると、車内には嵐が去った後のような静けさが訪れた。ソレッラはため息をつく。
バックミラーには、後部座席でうとうとするヴァニアの姿が映っていた。まだあどけない寝顔を見ていると、ソレッラは不安になってくることがある。
ヴァニアがまだ十五歳の少女なのだ。ヴァニアの頬はゆるみ、唇はうっすらと開かれている。気高い決意を抱いたような表情をつくる眉尻は穏やかに下がっていた。そのような表情からは、普段ヴァニアがどれだけ強く気高くあろうと振る舞っていることが推し量れる。
先代のカポが殺されてから三年間、ソレッラはヴァニアとともにファミリーの再興に励んだ。裏切り者の根回しはファミリーを二分したどころか、ヴァニアの側につく者は当初ほとんどいなかった。敵方の吸血鬼を倒した後、ソレッラは単騎もしくは少人数でのゲリラ的な襲撃を繰り返し、ヴァニアは作戦の立案と外部からの仲間集めに奔走した。その結果、裏切りを主導した幹部を粛清し、ソレッラたちはファミリーを取り戻した。
国外逃亡をした者まではさすがに手が回らなかったが、そのぶんソレッラは新しいファミリーの維持に努めた。
その結果、二人が得たのは思いもよらないほど穏やかな暮らしだった。
先代のカポの死をきっかけに非合法なビジネスからは手を引いた。かつての取引相手は大いに反対したが、当代のカポ・ヴァニアは「正義」のを掲げるファミリーになることを譲らなかった。今までの犯罪歴や薬物などの販売ルートをバラされるのを恐れた取引相手は、口封じのために新しいファミリーを叩き潰そうとした。ソレッラは敵がやってくるたび、ヴァニアの見ていないところで全員墓場に送ってきた。彼らの魂を回収する死神たちは大忙しだったに違いない。
「カポ、そろそろ着きますよ」
ハンドルを回しながらソレッラは声をかける。
カーナビには広大な敷地が表示されていた。門に近づくと車窓を開き、予め用意しておいた許可証を門衛に渡す。
「どうぞ、お通り下さい」
にこやかに見送る門衛は慇懃だ。末端の門衛にも教育が行き届いているのだろう。ソレッラは一瞥してそう評価した。ロンドン証券取引所にメイン上場しているベ・ラーゴ製薬の関係者であれば納得、といった様子だ。それもそのはず、この許可証はエラルド・リッチの死体から抜き取った本物を元に作られている。ソレッラは無事不正を見破られずに認証を突破した。
駐車場に車をつけ、ヴァニアに先んじて車を降りる。車をぐるりと回りヴァニアの座る座席の扉を開けた。ヴァニアは緊張した面持ちでソレッラを待っていた。
「カポ、お手をどうぞ」
ソレッラは指先を揃え、掌でヴァニアの右手を包んだ。ヴァニアを車から降ろし、地面に立たせようと導く。そのとき、ヴァニアの膝ががくんと下がり、身体全体が前につんのめった。ソレッラは咄嗟にヴァニアの正面に出て身体を抱きとめた。
息を飲むヴァニアに、ソレッラは穏やかに微笑みかけた。
「大丈夫です、カポ。深呼吸して私につかまってください」
「そうね、任せるわ」
ヴァニアはため息をつくと、深く息を吸って背筋をのばした。
この三年間、ヴァニアは人間相手に交渉や話し合いを行ってきた。失敗できない場面や張りつめた空気には慣れているが、さすがに吸血鬼相手は初めてのことで処理容量をオーバーしたのだろう。
それでもヴァニアは気高い姿を保とうとしている。戦いでも覇気で勝れば相手を怯えさせ、隙を作らせることも可能である。どんなに緊張していようが、自信がなかろうがヴァニアにできるのは堂々としておくことだ。部下として、ヴァニアの姿は誇りに感じる。
ソレッラは再びヴァニアの手をとると、足並みをそろえて歩き出した。たいていのことは一人でできるヴァニアであるが、初めての場所には白杖よりもソレッラの手を使ってもらった方がお互いに行動しやすい。こういった共同行動の呼吸は三年ですっかり馴染みのものとなった。
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