第4話 捨てられたバラの花束④

 女のなかで手榴弾が弾け、粘液と爆風が腹の穴から吹きだした。風は手榴弾の破片をまとって屋根を殴りつける。空中のソレッラにも爆風は容赦なく襲いかかる。とっさに顔の前に右腕をかざしたが、破片は腕を貫き右目に直撃した。


 視界が乱れる。ソレッラは受け身をとることもままならず石畳に叩きつけられた。右肩がガクッという音を発し、鋭い痛みが生じる。かばうようにしてそろそろと起き上がった。脱臼したかもしれない。


 右肘から下は軋むばかりでほとんど動かなくなっていた。三年前に失って以来、ソレッラの右腕は義手になっている。壊れるとわかっていて盾代わりに使ったものの、愛着のある右腕を失うとなるとさすがに落胆した。


 目に当たった破片は手で払うとすぐに落ちた。右腕を貫通したことで威力が削がれた状態であったことと、反射的に目を閉じられたおかげで眼球を傷つけずに済んでいた。視界の半分は真っ赤になっていたが、まぶたが切れているだけなので数分も経てば収まるだろう。


 見上げると、屋根から一枚、二枚と赤い瓦がずり落ちてきた。滑っていく瓦は隣接する瓦を巻き込み、連鎖的に崩落を引き起こす。砂ぼこりをたてて落ちてきた大量の瓦は、一瞬にして地面に鋭い破片の山を築き上げた。


 むき出しになった屋根の上から女が見下ろしている。


「今更こんなものが効くとでも……」


 だが、軽蔑的なまなざしで吐き出した言葉は続かない。「うっ」と苦しげなうめき声が聞こえ、女がむせた。全身を激しく痙攣させて喉を押さえている。女は身体からふらふらと力を失い、しゃがみこんだ拍子に足をすべらせた。女は無様な恰好で宙に放り出され、頭から瓦の山に突っ込んだ。


 がしゃあ、と瓦が割れる音とともに息の詰まったような悲鳴が聞こえた。脇腹に瓦の破片が刺さっている。女は瓦の山の上でだだをこねる赤ん坊のようにジタバタともがき、腹の穴から凄まじいにおいの粘液をぶちまけた。瓦の山を崩しながら、女吸血鬼は身を起こした。激昂しているものの、顔は真っ青で覇気がない。


「はぁ、はぁっ。あれはただの手榴弾じゃないね……いったい、なにを仕込んだの」


 女の苦痛に歪んだ表情を見据えながら、ソレッラは「鉛ですよ」と穏やかに答えた。


 鉛は体内に入ると血液に影響を及ぼし、嘔吐や貧血などの中毒症状をもたらす。人間であればゆっくりと進行する場合もあるが、吸血鬼にとっては猛毒になるようだ。初めて使った対吸血鬼用手榴弾は期待以上の効果をもたらしてくれた。


「ふふ、毒の爆薬なんて聞いたことがないわ」


 女は息を詰まらせて咳きこんだ。喉から泥のように固まった血の塊が落ちる。


「うう。お腹が痛い、気持ち悪い。あたしの血が流れていく……」


 女の両目から涙があふれた。頬を伝った雫は女が吐き出した血のなかに落ち、色を薄めていく。


 吸血鬼の「血」は命そのものだ。人間の命が心臓や脳を含む肉体すべてであるように、吸血鬼の命は血液。たとえ身体を砕いても吸血鬼は死なない。ただし、血液を肉体からすべて抜き取ったり、血液に作用する毒を摂取すると致命傷になる。


 この女吸血鬼も今まさに毒の苦しみを味わっているのだろう。少し憐れに思われたが、一歩間違えば殺されるのはソレッラだった。


 さて――ソレッラは携帯を取り出した。二度目のコール音が鳴りやむ前に電話は繋がった。


「はい、アドルフォです」


 型通りの生真面な応答があり、ソレッラはほっとした。


「ソレッラです。リッチと盗品のほうはどうですか」

「ちょうど車に積んでいるところです。さっき爆発音がありましたが、姉貴は大丈夫ですか?」

「ええ、なんとか。それより、積み終わり次第車をこちらに回してください。吸血鬼の死体を回収します」

「えっ! そ、それどうやって運ぶんですか」


 アドルフォの面食らった顔が脳裏に浮かぶ。


「人間と同じやり方で結構です。下準備は私がしておきます」

「了解しま――え?」


 アドルフォが突然言葉を止めた。沈黙の向こうから部下たちの騒ぐ声が聞こえる。


「どうしたんですか?」

「あ、いえ、今死体を積んでいて――」


 突如部下たちの騒ぎ声が悲鳴に変わった。ガッビアーノのほうから銃声が聞こえ、電話の向こうの銃声と重なった。


「どうした? な、なんだこの女は!」


 ガサガサという雑音がした後、硬い音が鳴ったと思う間に電話が切れた。銃声はまだ聞こえている。ソレッラは肩が痛むのも構わずパブ「ガッビアーノ」へと走り出した。

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