第2話 捨てられたバラの花束②

 状況は予想とかけ離れた方向に一変してしまった。「相手は人間だ」という前提がそもそも間違っていた。ソレッラは唇を噛み、改めて銃を構え直した。事前に得た情報にはなかった事実が眼前に突きつけられ、ソレッラは作戦を続けるべきか逡巡する。


 女は指先を口元に添えた。それから、なにかを口から出すと見せびらかすようにひらひらと手を振る。親指と人差し指の間に琥珀色の粒が挟まれているのを見て、ソレッラは「あっ」と声をあげそうになった。まさに散弾銃から撃ちだされたゴム弾だった。女はゴム弾を口で受け止め、取りだしてみせたのである。


「ん~、これ美味しくないねぇ。食べ物じゃないよね」


 女は首をかしげて、まるでコバエでも払うかのように指先でゴム弾を弾き飛ばした。


 ソレッラの背中を冷や汗が流れ落ちた。非致死性のゴム弾とはいえ、実弾と同じ速度で発射されている。ソレッラでもこんな芸当はできない。女は間違いなく身体能力に特化した吸血鬼だ。


こんばんはBuona sera、皆さん。まさかバレちゃうとは思わなかった~。せっかく秘密にしてたのにぃ」


 女はゆったりと部下たちのほうに歩いていく。品定めするように指を差し明るい声で笑う。


「一、二……こっちに五人。それからそう、一番近くに隠れてたあなたで六人」


 ソレッラは女に駆け寄り、銃口を後頭部に突きつけた。女が吸血鬼である限り致命傷を与えられないことは百も承知だ。ただし怪我をすれば当然痛いし、血が流れ過ぎれば動けなくなることもある。吸血鬼は基本的に不死だ――だがうなじから間脳を狙えば、身体を回復させるまで一時的に生命活動を鈍らせることはできる。にもかかわらず、女はなお笑みを浮かべていた。


「うふふ、久しぶりにお腹いっぱい食べれそー」


 喜々として呟く声を聞き、ソレッラは身震いした。女の向こうに見える部下たちは青ざめている。彼らもまさか吸血鬼と戦うことになるとは思っていなかったのだ。


 事態が動いたのは女が飛び出したときだった。ソレッラが反応するより早く、女は右手側に潜り込んだ。銃を持つ手の側に逃げ込まれると咄嗟に対応しづらい。ソレッラの攻撃範囲から女はするりと抜けてしまった。


 ソレッラとの距離が開くのを見極めたように激しい銃声が響く。短機関銃を構えたアドルフォが前に出て弾幕を張っていた。その間にゴム弾を装備していた二人も実弾に切り替える。一人が動いたことで、六対一の銃撃戦が始まった。


 女は身をかがめて鮮やかに弾道をかわした。石畳に当たって跳ねる弾丸のなか、身を翻して部下たちに襲いかかる。


 ソレッラも女を追う。慣れた感覚で照準を合わせ、トリガーを引く。発射されたひとつの弾丸は、風を切り裂き女の背中に命中した。コートに穴を開け、肩甲骨の間にみるみるうちに血痕が浮かぶ。


 ソレッラはさらに容赦なく弾を撃ち込んだ。吸血鬼を戦闘不能に追いこむには徹底的に身体を破壊するしかない。部下たちが撃った流れ弾が頬を掠めて飛んでいき、ガッビアーノの窓ガラスを粉々に砕く。


 致死弾に当たりやっと傷ついた女は少々バランスを崩したものの、すぐに体勢を立て直して舞うように振り向いた。女の脚がぐるりと円を描き、ソレッラの手元めがけてピンヒールが飛来する。ソレッラは左手でキャッチすると、威力を殺しつつ叩き落とした。女が眉をひそめてソレッラを見上げる。


「まさか、あなたも吸血鬼なの?」

「僭越ながら」


 ソレッラは女の胸にぴたりと銃口を向けたまま答えた。


「人間なんかに協力してるからびっくりしちゃった。それともそういう『契約』なの?」

「それはあなたには関係ありませんね」


 冷ややかにいい放つソレッラに、女は不満げな表情を見せた。


「じゃあ、せめて同胞のよしみで見逃してよ」

「たとえ同胞であっても、私にはなにより大切なものがありますので」

「あら……それは」女は再び首をかしげた。「余計に見逃してもらわないと困るわね」

「その悠長な態度には恐れ入りますね」

「違うわぁ、困るのはあなたよ」


 女はソレッラを馬鹿にするように笑った。


「あたし、強いの。銃なんかに頼るようじゃ話にならないわぁ!」


 いうやいなや女が飛び出し、ソレッラの鼻先に迫る。避ける間もなくみぞおちに拳を叩きこまれ身体が宙に浮いた。急いで受け身をとるが、隣家の石壁に叩きつけられ息が止まる。


 急いで体勢を立て直したソレッラはアドルフォに目配せした。アドルフォはソレッラの意図を汲み、他のメンバーとともにリッチの死体とアタッシュケースを回収する。


 女はギョッとした様子で振り返り、遠のく部下たちの後を追おうとした。ソレッラは背中を見せた女を軽く飛び越え、正面に回り込んで行く手を遮った。


「証拠品は渡しませんよ」

「やってくれるじゃない! それなら……」女は恍惚の表情を浮かべ拳を脇の下で深く構える。

「前菜はあなたにするわぁ。吸血鬼のミンチなんて食べたことがないけど美味しいのかな? ねぇ、どう思う!」


 地面が震えるほどの踏み込みで、瞬時に間合いを詰めてきた。女はさすが「強い」と豪語するだけのパワーがある。


 だが力任せの攻撃に何度も遅れを取りはしない。ソレッラは踝を軸に身体を半回転させ、振り上げられる拳を皮一枚で避ける。痛めた腹が軋みをあげるが、歯を食いしばり回転半径を小さく留める。


 ソレッラは大きく開いた女の横腹に銃口を押し当てた。狙うは肋骨の間。躊躇いなくトリガーを引く。深く長押しされたトリガーは銃の内部構造に一石を投じる。単発モードから連射モードに切り替わった短機関銃があらん限りの弾丸を女の身体にぶち込んだ。

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