第22話 徹夜と膝枕と
家に帰ると玄関には腕組をしたお母さんが待っていた。
「ただいま……」
「あンたが遅いって事は毬乃ちゃンがらみなンだろう。なに、また喧嘩でもした?」
鋭い。でも遅い時はいつも毬乃と一緒だからそう言われるのは当たり前か。
「けんかとは…ちょっと違うかな……あっ、遅くなってごめんなさい」
最初にしなきゃいけないことは謝ることだった。私は頭を下げた。
「毬乃が思ってることと私が思ってることが違ってて、話し合ってたら遅くなりました」
「それは今日中に話さないといけないこと? お母さンたちとの約束を破っても?」
「う…ん。明日から毬乃が…話してくれなくなりそうだった…から……」
私と話さなかったら誰と話すの……毬乃は自分から一人ぼっちになろうとしていたんだ。いたくないって言った場所で。どんな気持ちで言ったかと思うと悲しくなる。
うつむきそうになった私は顔を上げて、ちゃんとお母さんを見てもう一回言った。
「うん、絶対。今日話さないとだめだった。じゃないと毬乃が一人ぼっちになるから。でも約束を破ったから、罰は…何でも…受けます」
そう言いながらも、お母さんの罰が怖くて声が小さくなってしまう。
お母さんは走らないと間に合わない時間に帰って来るように言ったり、帰宅後の外出禁止や学校が休みの時に普段させない畑仕事とかを罰にする。
「はぁぁ、まったく」
音がするんじゃないかってくらいにお母さんが頭をかく。
「約束を破る理由の一つが毬乃ちゃンだって、あンたは理解している?」
「うっ、あ……」
意味が分かって私は頭が真っ白になった。
「分かったみたいだね。今のあンたには毬乃ちゃンに会わせないのが、一番簡単で一番の罰になるンだよ? なンでもって言ったけれど、お母さンがそうするって言ったらできるの?」
どうしよう。謝ればいいなんて簡単に考えていた。ばかだ、私。
「と、まあ。娘を同級生に取られた気持ちになって、焼き餅を焼いているお母さンの意地悪はおしまい」
「いじ…わる?」
「そう、意地悪」
そう言えば最初から名前で呼ばれていなかった。
「でもね、ちえ。約束を破っていることは忘れちゃいけないよ」
「はっ、はい」
「だから、できる限り一度は家に帰って来なさい。電話のところのメモ帳に遅くなると書いておくこと。理由も欲しいけれどそれは状況次第で良い。意地悪もしたから今回の罰はそれで許してあげる」
「…お母さんが甘い」
毬乃の余計なことをしゃべっちゃうのが移ったみたいに私は口に出してしまう。
「なに言ってンの。お母さンはいつだってあンたに甘いよ」
「おーい、まだか? 御飯冷めちゃうぞ」
リビングからお父さんの声がする。またお父さんがご飯を作ってくれたんだ。
「ほらさっさと着替えてくる。お父さンも待ってるから」
笑いながらお母さんはリビングに入っていった。
ほっとした私は、急ぎ足で――廊下を走ると怒られる――自分の部屋に向かった。
夜、寝る頃には左胸のズキズキは小さくなっていた。
昼のことを思い出して胸元に手を置いてつぶやく。
「毬乃が私に恋してるんだって……」
口に出すと恥ずかしくてうれしい。
明日、顔に出ないか普通にできるか、ちょっと心配。
今日の四辻でのこともまた教室でこそこそ言われるんだろうな。毬乃が気にしているようなら、お昼に話をしよう。うん、そうしよう。
大丈夫。今日だってちゃんと話をした。身体だって触らせてあげた……あげた? 違う。触りたいって言った毬乃の気持ちが嬉しかった。私も同じに触りたいって思った。
胸に触られてドキドキした。
変だ。毬乃のことを考えるとドキドキするけれど今までのドキドキと違う。
こんな気持ち初めて……胸の奥の方がきゅうってする。
寝なきゃって思いながら毬乃の顔を思い出してはドキドキしてを繰り返していたら朝になってしまった。
「おはよう…」
横になっていられなくて朝ご飯とお弁当を作ろうと思って下に行くとお母さんがいた。
「ひどい顔してるよ。眠れなかったの?」
お母さんがいると言うことは、まだ畑に行っていないか朝ご飯に帰って来たのか……
寝不足でぼんやりした頭で時計を見る。まだ大丈夫だ。
「お母さん達は朝の作業に行くから。寝ても良いけれど準備だけはしておきなよ」
「はぁふぅわい」
返事と一緒にあくびが出てしまって気の抜けた声になる。
「朝ご飯に帰って来た時に寝てたら起さないからね」
にやっと笑ってお母さんは出て行った。鍵を閉める音と車の扉が閉まる音と走り出す音。
全部を聞いてから二階に戻ろうとして階段に座る。徹夜ってこんなに眠くなるんだ……
「ちえっ、遅刻するよ! 起きな!」
ゆさゆさと揺らされてパッと目を開けた。目の前にお母さんがいる。
「やっぱり。寝ていると思った。早く着替えて学校。まだぎりぎり遅刻しないから。急ぎな」
ぱちーん。とりあえず立ち上がった私のお尻をお母さんが叩いた。
「ほら急げ急げ」
ぼんやりする頭で着替えて昨日のうちに今日の授業の準備してある鞄を持って階段を下りる。
「お弁当はこれね。毬乃ちゃンの分もあるから」
渡されたお弁当を持って玄関へ行くとお父さんもいる。
「車で送って行こうか?」
「だめだめ。緊急時以外は車の送迎禁止」
後ろからお母さんが否定する。
そうしないとみんながみんな車で送り迎えするから収拾がつかなくなると言うのが学校の理由。
入学前の説明を私も覚えている。
「ありがとう、お父さん。行って来ます」
徹夜のせいだと思うぼんやり頭で私は家を出て走り出す。
何度か休憩を挟んで学校に着いた私は、もうひとがんばりと走り続ける。
「おはようございます」
廊下でおじいちゃん先生を追い越しながら挨拶をして教室に飛び込む。
自分の席についても息が荒いまま、でも間に合って一安心。
起さないって言ったのに起してくれたお母さんありがとう。呼吸を整えながら心の中で感謝した。
私が走って来た以外の問題は無く朝の会が終わって授業が始まった。
ちらちら毬乃がこっちを見ているけれど、うなずくのが精一杯。
自分では大丈夫になったと思っていても徹夜が響いていた。
授業中の私の回答に笑いが漏れるというのはそういうことなんだと思う。
真面目な私が真面目にボケていると、とられていたようだった。
最初の休み時間になると毬乃が目の前に来てくれた。
まだ眠そうな私のまぶたを毬乃がくいっと広げる。まわりでどよどよと声がするのは私の手が出るんじゃないかって期待と興味が半分半分だと思う。
「寝てないの?」
「眠れなくって。はっきりしてるつもりなんだけど、私おかしなこと言ってる?」
「うん。せんせーが笑うくらいに。とりあえず、お昼までがんばれー」
それだけ言って毬乃は席に戻ってしまう。
毬乃の言うとおりにお昼まで、がんばるしかない。
その後は様子がおかしいと思ったのか先生から指されることはなくって変な回答はしないでお昼を迎えることができた。
2人しかいな木陰のベンチで私は毬乃に膝枕をしてもらって眠っていた。
食べるよりも、とにかく寝たくて毬乃にお弁当を渡して足を借りた。
「…10分前だよー。起きないとおまじないの刑だよー」
学校ではしない約束と思ってぱっと目を開けたつもりでも、ゆっくりしかまぶたが開かない。
「ねむいぃ…」
「寝かせてあげたいけど、サボるとちえの方が困るし……」
「いい。怒られ……」
だめ。寝不足で授業に出なかったなんて。寝不足の理由が言えない。それに昨日の今日なんて。今度こそ毬乃に会っちゃだめって言われる。
「けど、あとちょっとだけ」
起き上がってベンチに座りなおして毬乃の肩に頭をあずける。
「お昼どうするの?」
「食べない。時間ないし」
ぺちぺち顔を叩いて私は立ち上がる。
「午後の授業がんばる」
「うう、がんばれのおまじないしたいけど…学校禁止令が出てるからできない…がっくしー」
横を見ると毬乃がわざとらしく肩を落としている。
「私だって一緒なんだから、我慢して」
「ほへ?」
不思議そうにする毬乃にもう一回だけ言う。
「一緒だから我慢して」
「えー、それならこそっとしちゃおうよー」
不満そうに口を尖らせる毬乃を無視して私は教室に急ぐ。
一回してしまうと我慢できなくなりそうで自分が怖いから我慢我慢。
とりあえず席に戻る前に顔を洗わなきゃ。ちょっとは目が覚めるといいけれど。
顔を洗っても効果は、ほんの数分で最後の授業では、机におでこをぶつけてみんなに笑われた。
最近の私は、自分の気持ちとは逆に目立ってばっかり……
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