第3話 ひきつったぎこちない笑顔と約束と

 今日も生徒を帰宅させるための帰りの鐘がなる。

 あれから何日か経って前山さんは毎日、放課後の図書室に来ている。

 もちろん、今日も。


 鐘の音にカウンターの下に本を置いて見上げる――その先には窓枠に座る前山さん。

 薄い方のカーテンがなびいて彼女の姿が薄くなった。まるで本当に存在が薄くなったように。


 帰りの鐘の鳴り終わりに合わせるかのように閉じていたつり目がちな瞳が開き、夕日を反射する。

 綺麗な黒髪と違って色素の薄い瞳は光が入ると不思議な色彩に変化した。

「ふぁーもうそんな時間かー」

 のびとあくびを一つしてから、やっとこちらに視線を動かす。


 基本的に前山さんは私の読書の邪魔はしない。

 まるで目の動きを見ているかのように私の視線や気持ちが本から逸れた時に話し出すだけ。

 それは天気だったり、窓から見える花や景色と言ったとりとめのない話。

 そして最後に必ず

「あーごめんごめん。読書の邪魔しちゃったね。わたしのコトは気にしないで続き読んで」

 と優しい笑顔を向けて来るのだ。

 クラスでは見せない笑顔は同性ながら可愛いと思ってしまう。

「じゃあ、帰りましょっかねー」

 窓枠から立ち上がり前山さんは奥の窓から順に閉じて鍵を閉めて最後に厚い方のカーテンを閉め始める。

 五つある窓の途中で窓の手前から同じように戸締りしている私と向き合う。

「戸締り終了。さっさと帰りましょー」

 優しい笑顔にドキドキして視線を外してしまう。なんだろう。最近そんなことが多い気がしていた。

 気づいているのかいないのか前山さんはカウンターの方に歩き出した。

 追いかけるようにカウンターに鞄を取りに行く。

 管理簿に必要事項を書いて――誰も来ないので必要事項以外に何も書くことはないけれど――二人揃って職員室に図書室の鍵を返しに行く。

「いつも図書委員の仕事、ありがとうございます」

 おじいちゃん先生がしわしわで目が隠れてしまう笑顔で管理簿と鍵を受け取ってくれる。

「えっへへー私は何にもしないで寝てるだけですけどねー」

「図書室の本の埃を払ってくれているのを先生はちゃんと知っています。もちろん寝ているのもね」

「ぐはぁーおみそれしました」

 まんざらでもないように毬乃さんは照れ笑いしながら敬礼する。

「ふむ、綺麗な敬礼ですね。身近に自衛隊の方でもいらっしゃるのでしょうか」

「えっ、えーと、そうですね。前の学校で映画が好きな子がいて一緒にマネしてるうちに癖になっちゃいました」

「仲が良かったのですね。うんうん、仲が良いと言うのはとても良い事です。度を越さなければ」

 ぴくっと僅かに毬乃さんが身じろぎしたのを私は見逃さなかった。

「先生のおっしゃるとおりだと思います。ホント」

 うつむいた毬乃さんは静かに珍しく丁寧な口調でつぶやいた。その姿がなんだか苦しそうに見えて

「鍵も渡したし一緒に帰ろう、毬乃さん」

 普段なら言わない言葉が口をついた。

 ばっとこちらを見た前山――毬乃さんは、あからさまにほっとした表情――と言うより泣きそう。

「せんせー、ちーちゃんに誘ってもらったので一緒に帰ります」

 そしてまた敬礼。

 それから私の手を取って走り出した。


「帰ろー、帰ろー、帰ろー」

 変な節で歌いながら歩く毬乃さんに手を握られたまま昇降口まで小走りする。

 上履きと靴を交換していると

「あのさ……」

 靴箱を見つめたまま毬乃さんは口を開いた。

「さっき職員室でさ……助けてくれたんだよね、ありがと」

 節目がちに私を見る毬乃さんは、転校してから見たことの無い、ひどくひきつったぎこちない笑い方をしていた。

「うん、まあそうなのかな。いいから帰ろう、毬乃さん」

 毬乃さん、ともう一度口に出して名前で呼んだ私は恥ずかしくなって先に昇降口に歩き出した。

「ちょっと顔赤いぞー」

 グラウンドまで出て毬乃さんを待つ私に後ろから声がかけられる。


 熱かった顔がより熱くなるのを感じて早足で歩き出す私を後ろから毬乃さんが追いかけてくる。

「からかった訳じゃないんだ。ごめん。なんでもすぐ口に出しちゃうんだー、わたし」

 横に並んで歩き出して、そう言った毬乃さんは舌を出す。

「でも助かったのは、ほんと。いま…前のガッコの話をされると、ちょっとツラい……」

 何も言えなくて砂利道の通学路を歩きながら沈黙が続く。

 不思議だ。転校して以来、毬乃さんは人がいるところでは常に何か明るく話していた気がする。

 そして、ふと気が付く。知っている限り、この人が誰かと一緒に帰っているところを見た記憶が無い。


「あっ、ウチこっちだから」

 しばらくニ人で歩き続け、四辻で毬乃さんが立ち止まって指差す。

「また明日ねー」

 と手を振り、私の返事を待たずに歩き出した。

「そーだ!」

 くるりと振り替えりダッシュで間近まで戻って来る。

「良かったらさ。今度の休みの日に村を案内してほしいなーって。ダメかな?」

「広いだけで何もないよ……」

「いーのいーの。ちーちゃんに案内してほしいだけだから。あっ何か用ある?」

 口元に指を当てて考える。

 今度のお休みは家の手伝いは無いし予習復習も大丈夫。

 一番の問題はどこに案内するかで――もう行くつもりの自分にびっくり。

「えっと前山さん」

「えー苗字読みにもどっちゃうのー。さっきみたいに名前で呼んでよー」

「ちか、近いってば」

 頬を擦り付けんばかりに近づく毬乃さんと両手で顔が近づくのを防ごうとする私を通りがかりの人が見てクスクス笑ってる。

「ねーねーちーちゃんてばー」

「分かった、分かったから。毬乃さん、ちょっと離れて」

「ちぇー」

 口を尖らせた毬乃さんは渋々、本当に仕方なくといった感じで離れてくれた。

「で、で、休み方はどうかなっ? デートしよーよ」

 後ろに回した鞄を両手で持って中腰になりながらニコニコ上目遣いで見上げてくる彼女は、いつもと変わらない毬乃さんだった。

「大丈夫。家の手伝いも無いから」

「じゃあじゃあ待ち合わせ場所は――あれ? えっへへー分かるところ無いや」

 顎を人差し指と親指で挟んで小首をかしげていたけれど毬乃さんはものの数秒で考えるのを放棄してしまった。

 それもそうか。いくら何も無いって言っても逆にそれなりの広さはあるから。

 毬乃さんの分かるところ――

「待ち合わせは学校の校門にしましょうか」

「えー色気なぁーい」

 またも口を尖らせる毬乃さん。

「色気って…だって毬乃さん、神社とかプールの場所知らないでしょ?」

「それはそうなんだけどー」

「はい、待ち合わせ場所は決定。んと、待ち合わせ時間は1時――」

「待って待って、それは遅い。遅すぎるよー。学校と同じ八時にしよーよ」

「ええ?! うーん……十一時?」

「八時半で、お願い!」

 両手を合わせて拝まれてもなぁ。しかもこそっと片目を開けて、口元には微かに舌が出てるし。

「毬乃さん…舌が見えてる」

「べっ!!」

 あっ、きっと舌を噛んだ。口元を押さえたまま毬乃さんはしゃがみ込んだ。

 さすがに可愛そうなので立ち上がるまで待ってあげる。

「あー痛かった」

「自業自得です。それじゃあ待ち合わせ時間は十時に校門前。これ以上はオマケ無し」

「がっくし」

「ぶはっ!」

 本当に、がっくしと口に出した毬乃さんが両肩を落とした姿があまりにもおかしくて、こらえ切れずに私は吹き出してしまった。

「あははははは、が、がっくしって本当に言う人……初めて見た。あははは……お腹いたい……」

 きょとんと見上げる毬乃さんに笑い過ぎて涙が出て何も言えない。

 笑いすぎてお腹が痛くてしゃがみそうになるのを近くの壁に手をついて何とかこらえる。

「そんなにおかしかったかなー……がっくし」

 とまた毬乃さんが同じ仕草をして私を笑わせる。

 何がそんなにおかしかったのか自分でも分からないままに何度も同じ事をされて笑い続けた私の方が音をあげた。

「分かりました、九時! 九時の待ち合わせにするから、もう止めて!」

「やったー、ありがとー愛してる」

 抱きついてくる毬乃さんは本当に嬉しそうだ。ちょっと村の中を案内するだけなのに。

 待ち合わせ時間、早くして良かったのかな。

「デート、デート、デート」

 ご機嫌になった毬乃さんはニコニコと時折振り返って投げキッスをして家路についた。

 私も姿が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。

 だって姿が見えないところまで行くとまた戻って投げキッスを繰り返すから。

 戻って来るたびに小さく手を振り替えしていたけど、何かを察したのか投げキッスを最後に戻って来なかった。

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