事件の謎～その先にあるもの 《傍らに奏でるラブストーリー》

第141話 『事件の全貌～意外な真相』

高倉が指を組み替えながら、ゆっくり蒼汰の方を向いた。

「当初、小田原は田中の死を確認したら海外に高飛びするつもりだった。なのにそうしなかった理由は……蒼汰くん、君の存在にあったみたいだよ」

「え……」

その意外な言葉に、蒼汰は高倉を見つめ返した。

「拉致事件の時、小田原本人も言っていたが、君のことはずいぶん前から知っていたようだね。相澤さんを知るよりも前から。そんな君に近所で遭遇してから、君を追っているうちに、ほのかに羨望を抱いていた相澤さんと知り合いだと知って、ショックを受けた。君が彼女に向ける姿勢や態度が、心底羨ましかったと言っていた……そんなふうに相手を思いやれる君に、更に心惹かれていたんだそうだ。小田原は言っていたよ “それまで誰のことも好きになったことなんてなかったから、彼が心の拠（よ）り所だった” とね」

蒼汰は黙って俯（うつむ）いた。

『想命館（そうめいかん）』のロビーラウンジで話していた時の小田原佳乃の無邪気な笑顔が一瞬フッと頭によぎって、蒼汰はそれを慌ててかき消した。

蒼汰に目を配りながら小さく息を整えた高倉は、再び波瑠の方を向いて話し始めた。

「事件が進むにつれ、小田原は零くんに執着していきました。それは、彼の事情を知ったからなんだそうです。事情聴取を重ねる際に小田原は偶然、零くんについて警察官がこそこそ話しているのを耳にした。一般人である彼がフィクサーとして警察を動かしている影には、かつて彼の婚約が自分と同じような目に遭って、しかも惨殺されたという辛い事実があると知ったんです。それからは、零くんの心の中にある闇が自分の中に通ずるものじゃないかと考えるようになった。彼の能力に対する興味から一転、“自分なら彼の心を開いてあげられるんじゃないか”という思いが沸いてきたそうです。しかしその傍らにはまた、相澤さんがいて……蒼汰くんのことも合間って尚更彼女を憎らしく思い、どちらの心も自分の手に入らないのなら、いっそ傷つけたいと……それで相澤さんを監禁したそうです」

佐川が口を挟んだ。

「あの……江藤くん、大丈夫？」

「え……」

「さっきから呼吸が荒いよ。汗……かいてるみたいだ。気分、悪いのか？」

「あ……いいえ」

高倉は労わるような視線で蒼汰を覗き込んだ。

「一旦、休憩を挟もうか？　気が利かなくてすまないね。こんな朝早くから呼び出して、こんなぎちぎちの話されてもな……悪かったな、じゃあ今からは……」

蒼汰は首を振りながら体を前に起こして言った。

「いえ。高倉さん、続けて下さい」

「蒼汰くん……君も監禁事件の際は大怪我をしている。天海院長にも、心的外傷後ストレス障害の可能性もゼロではないから気を付けてくれと言われていたんだった……申し訳ない」

頭を下げた高倉に蒼汰は慌ててブンブンと手首を振った。

「いいえ、オレは大丈夫です。気を遣わせてすみません。オレなんかより……こんな大変なことに巻き込まれた絵梨香自身が、ああして前を向こうって毎日頑張ってて。今朝も……あんな笑顔を見せているわけですから……」

波瑠が静かに蒼汰の肩を掴み、その指先に力を込めた。

そして高倉の方に顔を向ける。

「続けてください」

「ええ」

そう言って高倉は体勢を整えた。

「あの時……監禁事件の日は、取り乱して蒼汰くんに切りかかった絹川ですが、その不安定な気持ちの中には心境の変化が顕れていました。章蔵氏と共に穏やかに過ごしているうちに、自分がしようとしていることは間違っているのではないかと、薄々気付き始めていた。そして実際に章蔵氏を失って、それは更に高まっていた。相澤さんの拉致は小田原の単独の犯行です。絹川は実際薬物投与をして監禁に手は貸したものの、相澤さんを保護する意思があった。小田原を制する発言も何度もしているし、実際に絹川が関わったことで相澤さんは致命傷を免れた可能性もあります。章蔵氏のボイスレコーダーが出てきて、章蔵氏自らが録音した絹川の証言を消していることや、新たに見つかった遺言書の中に絹川に対しても財産分与の提案が書かれていたことを聞いて、後悔の念に泣き崩れていました。そこまで想ってくれていた人を、もちろん間接的にでも殺害してしまったのですから……」

微かな溜め息と共に静かな沈黙が流れ、皆の中に事件の終わりのベルが鳴った。

高倉がスッと背筋を伸ばした。

「小田原と絹川は共に送検されて、まもなくそれぞれ身柄も移すことになります」

そう言って佐川に顔を向けると、再び二人を見据える。

「……これでほぼ、お話し出来たと思います」

波瑠が大きく呼吸してから静かに言った。

「ありがとうございました」

高倉の隣で頷いている佐川に、蒼汰が少し遠慮ぎみに尋ねた。

「あの……どんな様子ですか？」

「ああ、今は二人とも、すっかり精気が抜け果てたように、何事も客観的に話すようになったよ」

「あ……そうですか。えっと……零……は？」

そのぎこちない口ぶりから、蒼汰が聞きたかったのは零の様子だったことに、その場の全員が気付いた。

「あ……零くんは……」

少し戸惑ったようすの佐川を制して、高倉が再び話し始めた。

「実は……口止めされていたんですが……零くんが捜査本部を離れることになりました。来週です。伊波さんのお話を聞いて思ったんですが、恩師の藤田さんと話をしてから、発つつもりなんじゃないかと」

蒼汰と波瑠が視線を絡めた。

「……じゃあ零は、もうアメリカ行きを……決めたんですか」

「いや、はっきりとそう言ってはくれませんが……来栖警視の話していたニュアンスから、我々としてはそう認識しただけで。まあ、ああしてお兄さんからもご連絡を頂くくらいですから、本当のところは誰にもわかっていませんね。はっきり聞いたわけではありませんから」

「でも、アイツには西園寺家と来栖家の問題とか……」

蒼汰が乗り出して尋ねる。

「うん。来栖駿さんも、そこを心配されてたんじゃないかな。“弟は一人でなんでも抱え込むタイプなんでね”ってぼやいていたよ」

「高倉さん、零のこれからの行動を知る方法はないんですか？」

「いや、俺達もこのまま引き下がるつもりはないよ。今日戻ってからでも、零くんに直接聞き出そうとは思っているんだ。とにかく、何か分かったらすぐに知らせるから」

高倉と佐川を見送った二人は、また力なくソファーに腰を下ろし、何とも言えない心地で無言の空間を共有した。

頭に浮かんでは消えるあらゆる出来事……その時の状況や感情を鎮めるのに、二人とも少しの時間を要した。

波瑠が時計を見上げる。

「もう昼だな、腹減ったろ？　何か作るよ」

高倉と佐川が本部に帰ると、捜査員たちが待ち構えていたように顔を見上げた。

「遅かったですね」

彼らに口々にそう言われて驚く。

「え？　午後からの会議は零くんが仕切っているはずじゃ……」

「いえ、来栖零さんは今日は来てませんけど」

「は？　そんなはずないだろう！　昨日遅くまで残って書類の整理を……」

そこまで言いかけた高倉が、突然走り出した。

佐川も後を追う。

乱暴にドアを開けて、零に振り当てていた机に向かって走り寄った。

机の上には綺麗に書類が分類されて並べられており、引き出しには何も入っていなかった。

こじ開けるように慌ててロッカーを開いてみても、そこももぬけの殻だった。

佐川が書類の片隅に置いてあるIDカードの下に折り畳まれた紙切れを見つけた。

「高倉さん！　これ見てください！」

そう言って差し出された紙には、活字がびっしり並んでいて、分類した資料についての説明が事細かに記されていた。そして、最後にたった一言 “お世話になりました” という言葉が打ち出してあった。

「なんだよ……これ……」

思わず呟いた高倉の顔を見上げて、佐川が肩を下げてポツリと言った。

「そんな……これでもう……フィクサーとお別れなんですか？」

その力のない声に、高倉も佐川を見返す。

「いや……逃すもんか！　日本の警察を舐めてもらったら困る。そうだろう？」

頷き合った二人は、その資料を抱えて捜査会議室に戻り、零のメモを傍らに最終段階の会議を始めた。

会議が終わると、二人は示し合わせたかのように脇目もふらず零の机に向かい、捜査を始めた。

すべての引き出しやロッカーの裏の裏まで入念にチェックをしたが、何も見つからない。

「たったあれだけの言葉で僕らとはオサラバなんですか！ 寂しいっていうか……ヒドイですよね」

二人がガタガタと音を立てながら作業していると、ノックと共に入り口から大きな声で呼ばれた。

「あの警部補、来客ですが」

「え？　来客？」

「ええ、お二人にと」

二人は足早に会議室に向かった。

意外な人物だった。

仕立てのいいスーツに身を包み、背筋を伸ばして静かに佇（たたず）むその姿は、この場所にはあまりにも似つかわしくない。

その類（たぐい）の人物を身近で見たのは つい2週間前だったが……

二人は駆け寄って彼の正面に座った。

「松山さん！ どうしたんですかこんな所に いらっしゃるなんて！」

上品な初老の男性の前には、手をつけられていないコーヒーの簡易カップがあった。

気品漂うその紳士は、来栖家執事の松山。

以前、珍しく泥酔した零を本家に送り届けた際、二人は零の母に勧められて宿泊することになり、夜に朝に松山には世話になっていた。

「その節（せつ）は大変お世話になりました」

そう頭を下げた二人に、松山は柔らかかった表情を、少し引き締めてから言った。

「主（あるじ）のことで、お伝えしたいことがございまして、やってまいりました」

顔を上げて息を飲む二人に、松山は間髪いれず話し始めた。

「零様の……出発の日が決まりました」

「え！」

第１４１話　『事件の全貌～意外な真相』ー終ー