第140話 『この事件の全貌』
朝の早い時間。
いつもの喧騒が行き交う大通りに面した『RUDE BAR』には、その時間には当たり前のように「CLOSE」のプレートがかかっており、静かな佇まいを見せていた。
本来は施錠されている筈のその扉に蒼汰が手をかけると、簡単に開いた。
そしてその奥には、人知れず男達が顔を揃えていた。
かつて『捜査会議室』に見立て集まっていた、店の奥のボックス席。
その傍らにまだ置いてあるホワイトボードが、その名残を著していた。
四人の男達が久しぶりに頭を突き合わせて座る。
あの頃にはもう一人、そこにいつもパソコン画面を見ながら座っていた男に、それぞれの思いを馳せる。
その男から、二人にこの事件の真相をちゃんと伝えてほしいと要請を受けていた高倉は、やや緊張気味な面持ちの波瑠と蒼汰を前に、口外しないようにと一言添えて誓約書を差し出した。
波瑠と蒼汰がそれぞれサインをすると、高倉は佐川が手渡した資料を閉じたまま、神妙な面持ちで話し始める。
「では始めましょう。この事件の真相を……六年前に起こった、きっかけとなる事件から順を追ってお話ししていきます」
「小田原佳乃はいたって優秀な学生だったんです。大学受験を機に田舎から一人出てきて、浮わついた学生生活を送るでもなく、教授からも高く評価を受けるほどの模範的な学生で資格も多く取得しており、彼女なら大手企業の就職も間違いないと周囲も認識していました。順風満帆だった六年前のある日、事件に巻き込まれる……強姦事件に遭ったんです」
二人は同時に視線を落とす。
「就職内定をもらった矢先、研修に行く前夜に被害に遭い……当時の資料も見ましたが……顔も殴られていて酷かった……もちろん捜査は行われましたが、本人の証言以外、犯人に繋がる物証は出てこなかった為に、我々警察も不徳の致すところですが……迷宮入りしてしまったわけです。本人は当然、研修どころではなくそのまま入院し、そんな事情を訊いて「彼女の回復を待つ」と言った企業側に対して、自から辞退を申し入れました。失意からでしょう。そしてそんな不幸に輪をかけて……そろそろ退院という時に妊娠が発覚、中絶を経て精神的に病んだ彼女は転院し、そこにまたしばらく入院することになったんです。そこで……ある出会いがあった」
二人は今度は同時に顔をあげた。
「そう、臨床心理士としてその病院にも来ていた絹川美保子です。絹川は、西園寺グループの子会社に勤めるエリート社員の父のもとで優秀な学生としてに育ち、医師を目指していました。それが彼女が高校の時に、その父親が突然リストラに遭い、それを機に精神を病み、最終的に自殺したことで経済的にも社会的にも転落した絹川は医者になる夢を諦めざるを得なくなった。心に闇を抱えながらも人の役に立つことを心の拠り所として歩み始めていた彼女が、ここで小田原と出逢ったことが、その人生を大きく変える結果になったとも言えるでしょう。絹川のカウンセリングを受けながら、小田原は次第に回復に向かっていた。退院の目処がたった矢先、突然小田原の母親が亡くなったんです。葬儀には絹川も参列した記録がありました。帰る場所もなくなった小田原の身元を絹川が引き受け、マンションで一緒に暮らし始めました。このタイミングで母方の親戚と縁組みし、名字を今の小田原に変えています。身に起こった数々の不幸を断ち切って新しいスタートを決心をしたのでしょう。しかし、とにかく仕事を探そうと必死で就職活動をするも、当初内定が決まった業種レベルに今の自分では全く歯が立たないことに愕然とし……それでも職種を変えながら気持ちを切り替えて、絹川の家から面接に通う日々が続き……ある日、面接に行った会社で犯人らしき人物を見つけたんです。葬儀社『想命館』です。直感で判ったと言っていました。注意深く見て額に傷があることに気付いて確信したようです。田中の方は彼女が自分が襲った女性だとは全く気付いておらず、嫌な目付きで上から下まで舐めるように見てきたと言っていました。ほどなく内定の知らせが来て『想命館』で働くことに。のうのうと普通の生活を送る犯人が許せなくて、小田原は田中への復讐を生きがいにしようと考えました。一方その頃、絹川美保子も勤め先の病院で運命的な出会いをしていたんです。その病院でたまたま受付に足を踏み入れたときに、絹川はその名前を聞いた。西園寺章蔵氏、父親の精神を
蒼汰が静かに言った。
「絵梨香……ですね」
「ああ」
「それで役者が揃ったということですか。いや実際には小田原は、もっと前から絵梨香の事を知っていたと、あの拉致された時に……」
事件当時の絵梨香を思い出してか、悲壮な表情を浮かべた蒼汰の肩に波瑠がそっと手を置いて、再び高倉の方に顔を向けた。
「前々から電車や近所で見かけたことのあった相澤さんが、零くんと居る所を見た事で、小田原は新たな計画を思い付いたんです。相澤さんと関わりを持とうと考えた小田原は、相澤さんを尾行しマンションを突き止め郵便物を盗み、そしてその情報を匿名で田中に流しました。もうこの頃から相澤さんを襲わせるチャンスを狙っていたようです。彼女に恨みはないが幸せそうな相澤さんをやっかんで、田中への恨みを果たすコマにしようと考えた。田中が実行したら、その現場を押さえて更に田中を追い詰めるネタにするつもりだったそうです。相澤さんの勤め先を調べて業務内容を知った時、小田原は更に大きな計画を思い付いたんです」
「それが生前葬……」
「はい。そして『想命館』の広報を通じて早急に『ファビュラスJAPAN』と関わる計画を立てます。その計画の中には、それまで小田原の指示で西園寺章蔵氏との関係を作り上げてきていた絹川美保子も巻き込んで、復讐をひとつの舞台にまとめようとしたんです。そして生前葬という一大プロジェクトを立案、相澤絵梨香さんが担当するように『ファビュラス』にも条件を出していました。『ファビュラス』に依頼するためのプレゼン資料も確認しましたが、かなりな出来だった……短期間であれほどの仕事を確立させられるんですから、もともと能力のあるというところが見てとれました。それまで年月をかけて復讐劇を果たすために章蔵氏と親密な関係を築いてきていた絹川も、ようやく結婚にこじつけるところまで来た。そこで、小田原と絹川両者は知り合いだということを伏せて『想命館』の担当者と生前葬のクライアントの婚約者という形で舞台に立つことにしたんです。そして小田原は、田中に相澤さんの活動時間帯や行動範囲まで事細かに情報を流すことによって、ヤツが興味を持つように仕向け、相澤さんを『想命館』に呼びつけて来訪したタイミングで実際に対面させて更に田中をまくし立てた。そんな小田原にも予想外のことが起きました。相澤さんと絹川の復讐相手が知り合いだったことです。小田原はそれを『ファビラス』に商談に行った際に対応した相澤由夏さんから聞かされて知ったそうです」
その名前が出たと同時に、波瑠が深い溜め息をつく。
「由夏さん……悔やんでました。見抜くどころか疑いすら
「確かに……由夏姉ちゃん、“人を見る目には自信があったのに……” って、落ち込んでたね」
佐川が口を挟む。
「相澤由夏さんが従姉妹であることを知った小田原は、なにかと由夏さんとコンタクトをとるようになって、絵梨香さんの行動を把握しようとしていましたからね」
「そして予想外の偶然はまだ続きます。犯行を実行する生前葬の当日、参列者の中に零くんがいたこと、しかも西園寺家の孫であることを知って……小田原は言っていました、“これは運命なんだ”と。取調室で零くんを相手にそう話しているのを、俺も鏡越しに見ていたんですが、それはもう……恍惚とした表情で話していました。“これは神が不幸な自分にさしのべた手なのだと思った” と。“私は間違っていない” そう強く思うことで、小田原自身、自分に暗示をかけていたように思いました。そんな中、生前葬が近づくにつれ絹川が難色を示し始めた……他の方法にしようとしきりに言ってきたそうです。怖気づいた絹川を小田原は脅迫という形でマインドコントロールしました。『想命館』で口論していたのもそういうことだったのでしょう。小田原がブライダルアテンダントに熊倉圭織という絹川の高校時代の同級生を雇ったのも、絹川の行動を事細かに報告させ監視する為だったそうです」
ここで初めて、高倉が資料に手をだした。
「実際の西園寺章蔵氏殺害の真相なんですが……決定的な死因はドライアイスによる、いわゆる窒息死、鑑識の結果を待つまでもなく、数少ない遺体の現状から零くんは気付いていましたが、細かい検査結果でも立証されました。ただ犯人の特定となると少し難しく、予測の範囲を越えられない点もあります。もはや死人に口なし、ドライアイスを使って手を下したのは田中だと、小田原は今でも言い張っています。確かにあの状況下では、脅迫されていた田中でも小田原本人でも犯行は可能、決定的証拠は当事者の証言の他にありません。ただし、章蔵氏の遺体から睡眠作用の高い抗うつ剤『C16H14ClN3O』の成分が多量に検出されていることから、服用させた人間が誰なのかというところが唯一の手がかりとなるわけなんですが……これもまた田中が居ないことで時系列の断定が難しくなっています」
隣の佐川が大きく溜め息をつき、これに注目した皆にひょっこり頭を下げた。
それほどに、捜査員総出の仕事も難航しているのが見てとれる。
「小田原は絹川に対して、自分が章蔵氏に手を下した事にして、それをもとに絹川を脅し、お互いが接点のない者を殺し合う “交換殺人” を強要しました。そして絹川に田中を殺させる前に、田中に最後の仕事をさせようとした。それが相澤さん強姦未遂事件です。多少のリスクはあれど、田中が殺害された場合に相澤さんも容疑者に加えることができると、半分は保険のつもりで、あと半分は彼女を陥れたくてやったそうです」
思わずテーブルに置いた握り拳に力が入ってしまった蒼汰は、そっとその手を膝に下ろして隠した。
「そして、相澤さんの事件を使って、あわよくば自分が被害に遭った六年前の田中の犯行も浮き彫りにしようと考えた。これが社会的話題になれば警察にも復讐を果たせるという期待もあったと言っていました。その事について小田原は「もしすべてうまくいっていたら、田中も死なずに済んだかもね」と笑って言っていましたよ。小田原は警察や世間に、六年前の事件とそれに伴った自分の哀れな人生を知らしめたかったのでしょう。まあ実際は、捜査に零くんが加わっている以上、そんな小田原の浅知恵が通用するわけがないですから『想命館』でも事情聴取が進んで、追い詰められた田中が口を割る可能性も高まってきていたので、焦っていた小田原はあえて自分が被害にあった河原を選んで、そこで殺害を実行するように絹川に指示した。もう最後の望みだったと言っていました。田中には「六年前の事件の決定的証拠がある」とその現場に来るように通達し、もちろん身分を隠したまま呼び出したそうです。田中は結局、最後までその相手が小田原だとは知らずに死んでいったんです。絹川の証言では、事切れる時まで「お前のことなんて知らない、お前じゃない」と言っていたそうです」
高倉が指を組み替えながら、ゆっくり蒼汰の方を向いた。
「当初、小田原は田中の死を確認したら海外に高飛びするつもりだった。なのにそうしなかった理由は……蒼汰くん、君の存在にあったみたいだよ」
「え……」
その意外な言葉に、蒼汰は高倉を見つめ返した。
第140話 『この事件の全貌』ー終ー
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