第139話 『Four Men In The Meeting Room』
「絵梨香、本当に一人で大丈夫か?」
玄関で靴に足を入れながら、蒼汰は心配そうな面持ちで絵梨香を振り返った。
そんな蒼汰に絵梨香は笑って答える。
「なぁに、そんな深刻な顔して。今までだって、蒼汰が買い物に出て私がこの家に一人だったってことなんて、ざらにあるじゃない」
「そうだけどさ……そのへんのコンビニに買い物に行くのとはわけが違うから」
「同じようなもんよ。大丈夫! 子供じゃないんだから。それに私だって一人の時間欲しいもん」
「え? まさかストレス溜まってたとか?」
「やだな、冗談だって! そんな過剰反応しなくていいから。蒼汰こそ社会復帰しなきゃ! 久しぶりの出張なんだから、色々な人と会って美味しいも食事して、目一杯羽を飛ばしてきてね」
「は? 何言ってんだ。いつもここで羽を伸ばしてるんだから、これ以上リラックスすることなんて……」
「はいはい! わかったから行ってらっしゃい」
「あ……いってきます」
玄関を出てから、ドアの隙間から絵梨香の笑顔が見えなくなるまで、蒼汰は手を振る。
エレベーターに乗る頃には不思議な気持ちに心を占拠されていた。
毎日彼女に見送られて仕事に向かうような……
そんな日々が、来ればいいのに……
そう気持ちが偏りそうになるのを、首を振って 打ち消す。
絵梨香はリハビリ中だ。
PTSDの発作も収まってきて、精神的回復を見せている絵梨香に、今回は天海院長の提案で、意図的に部屋に一人でいる時間を作ってみようということになり、蒼汰は出張に出る呈で絵梨香の部屋を出ることにした。
とはいえ何かあってはいけないので、あと数時間すれば、波瑠がさりげなくコンタクトする 手筈になっている。
それに今日蒼汰は一応会社に出社するが、実際は午後出勤で、実際にはこれから別件で人と会うことになっていた。
コンスタントに連絡をもらっていながらも、絵梨香の家からでは話せなかったので、その返信はいつも深夜の短い時間だけだった。
高倉警部補。
彼との付き合いはもう数年に渡る。
親友である零が、幸せの絶頂にいながらにして婚約者を失った、あの悲惨な事件……
あれからもう何年経っただろう。
そして零が警察の捜査に協力……というか、主軸になって関わるようになってからは、信頼のおける関係になっている。
今回、彼がその会合を開く提案をしたのは、今までのように、捜査協力に伴った情報共有というものだけではないだろう、きっと……
零のことについてだろうな。オレも聞きたい事だらけだ。
そう心の中でつぶやきながら、念のため駅の方に向かって、川沿いを下りて行った。
絵梨香が自分の後ろ姿をベランダから見ているかもしれないと思ったからだ。
ある程度の距離を下り、死角に入ったあたりで 右折を繰り返し、駅とは正反対の場所へ向かう。
そしていつものように、手慣れた調子でその扉に手を掛けた。
クローズドの看板を揺らして中に入ると、外の明るさで目がくらみ、一瞬暗闇の世界が広がった。
しかし、自分を呼ぶ声の方に目を凝らすと、周りがすーっと浮き立って、まるで何もなかったかのように、いつもの心地よい喧騒が身を包んだ。
「おはようございます」
視線に迎えられながら、足早に階段を下りる。
「おお、来たか」
頭を下げながら蒼汰は近付いていった。
「皆さんお揃いで。すみません、ボクが一番遅くなってしまって」
「そんなの構わないよ。君もうまく抜け出すのは大変だったろ? 相澤さんに嘘つかせてごめんな」
「いえ、それは……高倉さんも佐川さんも、わざわざこっちまで来て下さってありがとうございます」
「いいや、そらやっぱりお二人に話をするとしたらさ、元会議室のここしかないだろう?」
波瑠に促されて3人は奥のボックス席に移動した。
壁の隅にあるホワイトボードに目をやる。
ここが臨時の捜査会議だったのはついこの前のことだ。
なのに、果てしなく昔のような気もする。
絵梨香が小田原佳乃に監禁された日、端末越しに絵梨香が傷付けられるのを見ていたシーンが不意に頭に浮かんで、蒼汰は慌ててそれを打ち消した。
「飲み物持ってくるんで、始めててください」
そういって波瑠はカウンターに戻っていった。
こうして以前のように高倉と佐川の両者と向き合って座りながら、今は誰も座っていない隣のシートに目をやる。
いつもここには、パソコン画面を直視したまま、感情のない淡々とした声で静かに話す零が座っていた。
シートから目を離せずにいる蒼汰に向かって、高倉が静かに切り出した。
「君と伊波さんに、零くんの話をするつもりでここに来させてもらったんだけど……」
そういって佐川と目を合わせる。
佐川が代わりに話し出した。
「実はさ……昨日ね、零くんに “明日の朝ちょっと遅れてもいいかな” って、そう言っただけなんだけど……そしたらさ、君と伊波さんに ちゃんと事件の概要を話してきてもらいたいって、そう言われてね。僕は一言も二人に会うなんて言ってないんだけどさ、相変わらずフィクサーにはかなわなくて……どこでどうばれバレたのかわかんないけど、お見通しって感じでさ」
佐川は苦笑いのまま視線でバトンを高倉に渡す。
「そう。それで “高倉さんも行ってきてください” って逆に彼の方から言われちゃってね……参ったよ」
蒼汰もため息混じりに笑った。
「相変わらずですね、アイツは。捜査の方もそんな感じですか?」
高倉は、背もたれから体を起こして話し始めた。
「捜査は飛躍的に進んだよ。絹川美保子が全面自供したのもあるけど、当初手こずると思ってた小田原佳乃の自供が、零くん限定の取り調べを条件に意外なほどスムーズに進んだ。いろんな事件や事情が入り組んで始まった事件だったからね、センシティブな部分は女性捜査員に話をさせようかと提案したけど、小田原は全部拒否して零くんにだけ話したんだ。小田原が被害者だった過去の話に遡ってその解明も含め、全て零くん一人事情聴取して、そして手早く捜査員に指示して裏付けをさせてさ、ほぼ同時進行で解明させたんだよ」
頷きながら佐川が言う。
「零くん、またいつになく不眠不休だったよ。本当に……そういう時は彼はタフだよな」
高倉が指を組みながら、ちょうど飲み物を持って来た波瑠に視線を送ると、また蒼汰の方を向いて話し出した。
「ちょうどその聞き取りが一通り終わったあたりに彼が半日休むと言ったんで、てっきり休息を取ってくれてるのかと……思ったんだが」
波瑠に向かって、高倉が視線を送ると、波瑠はソファーに腰掛けながら、蒼汰の方を向いて遠慮がちに言った。
「実は……数日前に零に会ったんだ」
「え? そうなの波瑠さん? オレ、そんなの聞いてないよ」
「ああ悪りぃ……切り出すきっかけがなくてさ、話すと長くなりそうだったし、お前と会うのはいつも深夜か早朝だろう?」
「そうだけど……」
不服そうな顔をする蒼汰を高倉が優しい顔でなだめながら、同じように驚いた顔をする佐川の肩に手を置き、波瑠の話を促した。
「僕と零の恩師、蒼汰はわかるな? 健斗さんだ。その恩師がバスケの試合に誘ってくれたので、それで僕が行ったら会場に零が来たんです」
「え……アイツ、バスケの試合に出たってこと?」
佐川がハッとした顔した。
「あ、この前の零くんが会議を一回パスした……珍しいってみんなビックリしてたあの時……」
高倉が頷く。
「そうか……で、波瑠さん、アイツどんな様子だったの?」
「まあ……いつになくパワープレイが多くて、アイツらしくなく荒ぶった感じだったよ。でもバスケ終わったらまた無表情のまま帰って行った。恩師の食事の誘いも断ってね」
「そういや零くん、半日もしないうちに戻ってきてましたもんね」
「健斗さんが近いうちに零と話をするって言ってました。まあ先生からの話なんで、そこは断らずに出向くでしょうし、聞かれたことには答えるんじゃないかなと思いますが……」
「話って?」
蒼汰の質問に、波瑠はやや伏し目がちに答えた。
「アメリカ行きの……話だろうな」
一瞬全員が黙りこくる。
「あの……その人、その教授が零くんにアメリカ行きを薦めてるんですか?」
やや遠慮がちに佐川が聞いたので、波瑠は少し表情を柔らかく構え直して答えた。
「いえ、天海病院の精神科医の恩師が、アメリカで権威ある現役の教授で、零が論文を発表した数年前から零にラブコールを送っていたらしいです。あ、それに健斗さんは元々は僕たちの大学の数学の教授でしたが、今はフジタコーポレーションのCEOで……」
波瑠が言い終わる前に佐川が大声を出した。
「え! あの“フジタコーポレーションの若き CEO” ですか? この前雑誌で見ましたよ! 元モデルなんでしょ? あ、そういゃあ東大出身の数学者とも……」
佐川の過剰反応に苦笑いしながら、高倉が言った。
「俺も昨日、伊波さんから零くんがバスケの試合に出かけてたって聞いてびっくりしたよ。なんせここしばらく、まるでアンドロイドと話してるみたいに彼から感情というものを受け取ることがなかったんでね」
横で佐川が神妙な表情を取り戻しながら深く頷いていた。
「まあ……小田原佳乃の話は正直、壮絶でね。感情を通常モードにしていたらとても受け止めきれないと言うか……それも解るんだが」
高倉の表情がもう一段暗くなったように思えて、波瑠が質問を投げ掛ける。
「まだ……何かあるんですか?」
「ええ……小田原の方はほぼ
「……そうですか」
「それがね、更にそれだけじゃなくて、西園寺家は今後継者問題も浮上しているらしいんです。章蔵氏の遺言が見つかってから、西園寺家と来栖家の中でも、何やら話し合いが行われてるらしくて……そこに関しては零くんが一度だけ 感情的な声色で通話してるのを聞いちゃってね。きっと彼は……一人で大きな悩みを抱えているんじゃないかなって、ずっと心配だったんですが、そこに来てアメリカ行きの話でしょ? 全くどう切り出していいやら……分からない状況なんです」
「高倉さん、零のアメリカ行きは確定なんですか?」
幾分固い声で蒼汰が聞いた。
「それは……俺にはわからない、本人しかね。なんせつい三日前に来栖警視からも、それについて問い合わせの電話が入ったくらいだから」
「駿さんから?」
「ああ。江藤君は知り合いなんだね?」
「ええ、中学の時に駿さんにはよく遊んでもらって。あの生前葬の事件の日に何年かぶりに 会って話をしました」
「そうか。警視は兄貴として心配してるようだったよ」
「でしょうね。ブラコンかと思うくらい零の事大事に思っている兄貴なんで」
「そうだな……」
一同がそれぞれの思いで自分の手元を見つめた。
重くなった空気を、高倉が手のひらを一つ打って一掃した。
「さぁ、今日はとりあえず! 事件の真相をお二人に話すということで零くんに依頼されたわけなので、それを果たしましょう」
高倉は確認するかのように二人の顔を交互に見た。
それぞれ頷いて応える。
高倉が合図するかのように佐川に視線を送ると、佐川は綴じられた資料を二人の前に差し出した。
「本来警察サイドとして、一般の方に内情を開示することは皆無なんですが……それを言い出したら、そもそも零くんっていう存在が成り立たない。そういう意味でも特例中の特例ですが……」
高倉の言葉に佐川が口を挟む。
「まぁ、フィクサーの依頼でもあるわけだし?捜査にもご協力いただいたんで、ここだけの話ってことでね!」
「はは、お前は言葉が軽いな。それでは今から話すことは、胸に納めて口外しないようにお願いします」
佐川のお陰で幾分和らいだ空気のなか、二人は差し出された資料の一番上に置かれた誓約書にサインを書いた。
「では始めましょう。この事件の真相を、六年前に起こったきっかけとなる事件から順を追って、お話ししていきます」
第139話 『Four Men In The Meeting Room』ー終ー
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