第135話 『professors from college』
波瑠は、ドリブルのダンダンという音とバッシュの擦れるキュッキュッという音が響きわたるく体育館の中を眺めていた。
後ろから大きな手が波瑠の肩にかかる。
「よう! 久しぶりだな、波瑠」
「おはようございます。しばらくぶりですね健斗さん、またアメリカに?」
「ああ、ここんとこ海外出張が多くてな」
「CEO自ら出向くもんですかね? 好きで行ってるとしか、思えないですけど」
「あはは、周りもみんなそう思ってるだろうな。まあ、あながち間違ってないけど」
藤田健斗、日本最大手を争う “藤田コーポレーション” のCEO。
七年前、まだ20代でCEOに就任するまでは、若き准教授として、帝央大学の数学の教鞭をとっていた。
その頃の教え子だった波瑠は、学生をしながら健斗がオーナーである RUDE BARを任され、卒業する頃には健斗からオーナーの座を譲り受けた。
同時に、経営やマーケティングの勉強もすすめられ、一般社員に負けないほどのスキルを身に付けて今に至る。
“この人なしでは今の自分はいない” と、感謝と敬意に溢れた感情を抱きながらも、波瑠は彼の希望通り、昔と変わらない皮肉めいた言葉をいつも投げ掛けながら、健斗と付き合っている。
健斗の妻は、これまた日本最大手を争う『
絵梨香の従姉である、由夏とは大学時代からの親友で、同じく親友である葉月と3人で立ち上げたこの会社で、マスコミからも『ファビュラススリー』と称される程になった彼女達は、今や日本のイベント業界のトップを走っている。
そのかれんに、若かりし時に仄かに恋心を抱いていた波瑠は、今やその親友で専務の由夏に心奪われていることを、時折、この恩師にいじられている。
イタズラ好きで屈託ないこの社長は、容赦もなく平然とぶち込んでくるので、波瑠は苦笑いが絶えないながらも、その近い距離感に安堵していた。
「かれんさんはお元気ですか? この前、サマーコレクションの記者会見でテレビで見ましたよ」
「ああ、うちの奥さんも多忙でね。おかげですっかり“すれ違い夫婦”だ」
「健斗さんも十分多忙でしょ? いいんですか 今日は
「たまには息抜きもしたいからな」
「ずいぶんアクティブな息抜きですね」
「まあ、いいじゃないか。俺のチームだ。言っとくが波瑠、今日は優勝を目指すぞ!」
「本気ですか!」
「ああ、
「しばらくボールも触ってないのでベンチを温めときますよ」
「あ? ダメだダメだ! 社会人バスケなんだから、高校の部活とは違うんだぞ! 今日は学会で天海先生は欠席だからな、その分お前らにも活躍してもらわないとな」
「お前ら? 他にも誰か来るんですか?」
「ああ。お! 噂をすれば。来た来た!」
「え? 誰です?」
「強力な助っ人だ。ほら」
背後に向けられた視線に振り向くと、ダボッとしたウェアに身を包んだ男がスポーツバッグを肩にかけて、アンニュイな表情で歩いてきた。
「零!」
驚いた表情の波瑠に並んで、零は丁寧に挨拶をした。
「ご無沙汰してます、先生」
健斗は溜め息をつきながら笑いかけた。
「お前さ、いつまで俺のこと先生って呼ぶんだ?」
「あ、すみません」
健斗と目を合わせて笑いながら、波瑠はまじまじと零を見た。
「お前のそんな格好見るのは久しぶりだよ。それより、元気だったか?」
「波瑠さん、しばらくご無沙汰してすいません」
「いや、謝んなくていいけどさ、しばらく店にも来ないから。捜査に忙しいんだろうけどさ、俺も蒼汰も心配して……」
波瑠の言葉を最後まで聞かないうちに、零は話を切り替えた。
「すみません、遅れてしまって。もうアップ始まりますよね? 俺、着替えてきますね」
「ああ……分かった」
丁寧に頭を下げてから、
「なあ、アイツどうしたんだ?」
「え?」
「実はしばらく前に連絡した時にさ、なんかおかしいなと思って……それで今日誘ってみたんだけどさ」
「そうだったんですか。まあここしばらく色々あったんです。聞いてますよね? 由夏さんの従妹の事件のこと」
「ああ、絵梨香ちゃんだよな? かれんもずいぶん気にしてるよ。あの子は大丈夫なのか? 今はまだ出社してないって言ってたけど」
「ええ、零の活躍もあって、その大きな事件は解決しつつあるんですけどね」
「じゃあアイツ、また警察漬けか?」
「ええ、まあそれはいつもの事なんですけど……」
「なんだ? それだけじゃないって口ぶりだな。アイツ、心の問題でも?」
「まあ……」
「なんだ、やっぱりそうか。そんな気したわ。なあ波瑠、アイツ、昔みたいな発作が頻繁に出たりしてないだろうな」
「それが……何度かはありました。でも今は精力的に警察で指揮をとっていて」
「なるほど……やっぱりそうか。多難だな。まぁそれならある意味いい機会ではあるか……」
「え? なんのことですか?」
その質問に答えようとした健斗の視線が、また波瑠の背後に移った。
零が戻ってきたことを察する。
「なんだ零、まだまだ若い体だな。今日は手を抜くなよ!」
「こっちのセリフですよ」
零は表情のない顔のまま言った。
「ほぉ、言ってくれるじゃねぇか」
健斗はにやっと笑いながら零に近付く。
「あれ? なんだ、またお前背伸びたのか?」
「もともと先生より、俺の方が高いんで」
後ろで波瑠が吹き出す。
「なんだよ波瑠」
「だって健斗さん、言ってることが親戚のオジサンっぽいですよ」
「……波瑠、そういうこと言うなよ」
そんな二人のやり取りに、笑いはしないながらも、零は少し表情を柔らかくした。
試合を終えて、タオルで汗をぬぐいながらぞろぞろと体育館を出るチームメイトを、先にやり過ごしながら健斗は波瑠の横で呟いた。
「なんだ? 今日は零のヤツ、珍しくパワープレイが多かったぞ。荒れてるな」
「そうですね。必要のないファールを二回もするなんて……アイツらしくない」
アイソトニック飲料をそれぞれ自販機の前で飲み干した二人がゆっくり更衣室に入ると、零はもうほとんど着替えを済ませて、健斗の元にやってきた。
「今日は、すみませんでした」
「いいよ。結局お前のおかげで勝ったんだしさ。なぁ、たまにはいいだろう? こういうオヤジなクラブチームも」
「はい。また呼んでください」
「あのさぁ……お前、全然感情こもってねえこと、自分で気付いてないのか? まあいい。零、お前これから一緒に飯に行けるか?」
「すみません、ちょっと今日は……」
「なんだ、また警察か?」
「ええ」
「わかった。じゃあ今日はいいが、今週末に時間作れないか? 話がある」
「分かりました、連絡します。ではお疲れ様でした。波瑠さんも。失礼します」
二人に頭を下げて、零はまた
「波瑠……あれは重症だな。一体何があったんだ?」
その夜『RUDE BAR』で、二人は肩を並べていた。
すっかり客足も引いた頃、波瑠は階段をかけ上がって、扉の外に「Close」のプレートをかけた。
波瑠はカウンターではなく、健斗を奥のソファー席に促した。
「波瑠、話してくれるのか?」
「ええ」
飲み物を持ってきた波瑠は、健斗の向かい側に座って、これまで零の回りで起きた一連の出来事を健斗に話した。
第135話 『professors from college』ー終ー
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