第133話 『Hospitalize』
波瑠が由夏の分も含めた飲み物を買って病室に戻ると、そこは活気すら感じるトークルームと化していた。
由夏が振り向いて言った。
「ああ波瑠くん、良かった! 大声で笑ってたから、看護婦さんが怒りに来たのかと思った」
そう言っていつになくテンションが高いまま、また絵梨香に向かって旅の珍事を話す由夏の背中を見つめる波瑠に、蒼汰が同じような温かい表情で視線を送った。
波瑠は頷いてそれに笑顔で答えながら、それぞれに飲み物を配る。
ほどなくして絵梨香の母の千香子も交えて、ガールズトークが始まったところで、蒼汰と波瑠は一旦退室した。
中庭は日差しが高くなりつつも初秋の風がそよいでいた。
「全く安静にしていない患者だな。本当に無理はしてないのか?」
「大丈夫だよ、オレ、疲れてるように見える?」
「いや」
「だろ? そりゃまだ痛みはあるけどさ、表面的な傷だから、そのうち忘れちまうさ」
「じゃあ、内面的な傷の方はどうだ。お前の心に刺さったままの……」
「波瑠さん」
「蒼汰、あれから零とは……」
「波瑠さん」
蒼汰は波瑠の言葉を遮った。
「波瑠さん、オレがここに搬送された時の状況、覚えてる?」
「え、ああ……救急車でか?」
「そう。あの時、ナイフが刺さったまま固定されてさ。自分で見てても、なんとも壮絶な光景だったよ。なんであんなことされるのか、知ってるよね?」
「そりゃ、あそこでナイフを抜くと出血が止まらなくなるからだろ」
「そう。今のオレの心境と同じなんだ」
「え……」
「痛くても刺さったまま、止めておきたい気持ちがある。零はそれを無理やり抜こうとするけど、頑張って抗ってるオレがいるんだ。波瑠さんはせめて、オレの味方でいてよ」
「蒼汰……」
「波瑠さん、零がアメリカに行くって言い出したんだ」
「アメリカ? どういうことだ?」
蒼汰はこの中庭で、昨日零から聞かされた事を波瑠に話した。
「零はもう、絵梨香の前にも現れないつもりだと思う。波瑠さん、どれほど絵梨香が悲しむことか……そんな絵梨香をオレが支えられるのかって……不安なんだ。ナイフが刺さったままの、心の弱ったオレがさ……」
「お前はお前の心のままでいちゃダメなのか?」
「絵梨香の心の所在がどこにあるのか知ってるのに無頓着になれるほど、オレも割り切れてないからさ」
「でも、お前……」
「決意表明するよ。波瑠さん、オレは絵梨香の“最高の幼馴染み”になる」
「蒼汰……」
そう言いながら波瑠が肩に置いた温かい手に、蒼汰も自分の手を重ねた。
もう少しここに残ると波瑠に告げて、蒼汰は木漏れ日がキラキラ反射したベンチにゆったりと座った。
スマホを取り出すと、通知があった。
「もしもし、佐川さん、すみませんすぐ出られなくて。電源、切っていて……」
「いいっていいって。江藤くん、相澤さんの意識が戻ったから話を聞くことになった。今から女性捜査官をつれてそっちに行くよ。事情聴取だ」
ほどなくして佐川と女性捜査官が到着し、佐川を含む全員が病室を出た。
蒼汰は佐川を連れて階下の自分の病室に向かった。
「で、零の様子はどうですか?」
「ああもう、それはそれは躍動的と言うか……どちらかと言うと一心不乱になっているイメージだな」
「絵梨香が意識を取り戻した報告は受けているんですよね」
「もちろんだよ、だからこうして女性捜査官をつれて来たわけだし」
「その時の様子は?」
佐川のため息が小さく聞こえた。
「それが……業務的というか 一切感情をあらわにしていない」
「何だよ、それ……」
蒼汰は忌々しげに呟く。
「零のヤツ、躍起になってるんでしょうね」
「ああ、捜査官達も零くんと相澤さんの間柄は、ある程度はわかっているから、逆に不自然に思っている連中もいたよ」
「高倉さんは何と?」
「かなり心配してる。ああなったら零くんを止められない。何か……行き急いでいるような、そんな印象を持ったって、言ってたな」
「やっぱり……」
「蒼汰くん、心当たりあるのか? 実は、高倉さんもそんなニュアンスのことを言っていて……何のことなんだ教えてくれないか」
蒼汰は佐川に、零のアメリカ行きの話をした。
「え……じゃあ……うちのフィクサーは、いなくなるのか……」
「そのつもりで早く事件を解決にしようとしているのかもしれません」
佐川が一瞬だまりこくった。
その沈黙から、隣にわざわざ目を向けなくても、彼がその肩を落としたことが垣間見えた。
佐川は根っからのフィクサーフリークだ。
佐川の携帯電話が鳴って、その沈黙は破られる。
「あ……事情聴取終わったみたいだ。これから相澤さんの病室に行くけど、君も来る?」
「いいえ。オレは退院の準備するんで」
佐川はつとめて明るい声を出した。
「そっか。じゃあまた『RUDE BAR』で会おう。あ、怪我人を酒の席に誘っちゃだめか? また高倉さんに怒られちゃうな」
「大丈夫ですよ。もう患者じゃないですから」
「そういや、伊波さんは?」
「波瑠さんはずっとそばにいてくれてね。今、店の仕込みで一旦戻ってますけど。 退院時間に合わせてまた迎えに来てくれるそうです」
「そう。頼もしい兄貴だな」
「まあ、今ここにいる兄貴も頼もしいですけどね」
佐川は照れくさそうに笑った。
佐川がドアの向こうに消えると蒼汰は呟いた。
「本当にそう思ってますよ。佐川さん」
女性捜査員による事情聴取が終わって一人になった絵梨香は、差し迫るような息苦しさに胸を押さえていた。
意識朦朧だったとはいえ、強引に拘束され、腕を切りつけられた恐怖と絶望は、体に染み付いて離れない。
端末の向こう側にいたはずの零の気持ちを考えると、また胸が苦しくなってくる。
彼が今何をしているか知りたくて、彼の声を聞きたくて、彼の視線に捉えられたくて……
いくらそう思っても、彼はここにいない。
もう……そばに来てくれることはないのかもしれない。
初対面の女性捜査官に、零のことを聞くこともできず、ただ事実を淡々と話すだけだった。
何度となく零のことを聞こうと、湧き上がるその思いを押さえつけるのに、必死だった。
廊下で事情聴取が終わるのを待っていた由夏が 病室に入ってきた。
胸を押さえている絵梨香を見た由夏は慌てて駆け寄る。
「どうしたの! 具合が悪いの?」
絵梨香は黙って首を横に振った。
「じゃあ、どうして!」
「……なんでもない。話してたら、ちょっと思い出して……怖くなっただけ」
「それってまたPTSD起こすんじゃあ……天海先生、呼んでこようか?」
「いいの。もう落ち着いてきたから」
「無理しないの! これから現場でもあるあの家に帰るのよ? どう? 本当に帰れる?」
絵梨香は動悸が上がっていくのを隠せずに、また前のめりに胸を押さえた。
ナースコールしてほどなく、天海院長が心療内科医を伴ってやって来た。
婦長がバイタルチェックを始めると、天海は由夏の側にやって来た。
「これからここでカウンセリングを始めるよ。由夏さん、絵梨香ちゃんが悪化したのは事情聴取のすぐあと?」
「ええ、病室に入ったら胸を押さえてて……」
「そう」
カウンセリングが始まったと同時に、天海は由夏をソファーに誘導した。
「由夏さん、大丈夫だ」
深く溜め息をついて
「いつも彼女と離れた場所で心配ばかりしてるんだろうけど、適切なカウンセリングをして、これから絵梨香ちゃんの状態を良好に保つから、大丈夫だよ」
「天海先生……よろしくお願いします」
「確か、今日中に空港に行くって言ってたよね?」
「ええ、夕方には発つ予定で……」
「そうか。なら、絵梨香ちゃんには今夜はもう一日入院してもらうから、安心して行ってきて」
「でも……」
「僕も居るし、蒼汰くんも波瑠くんだって付いてるから。彼女を一人にしないよ。ね?」
「……ありがとうございます」
ノックが3回鳴った。
「あ、蒼汰くんだ、僕が呼んだんだよ。ちょっと話聞きたくてね」
「そうですか」
「少し外で話してくる。由夏さんも自由にしてていいからね」
そう言って天海は病室を出た。
心配そうな面持ちの蒼汰に声をかける。
「ちょっといい? 来て」
2人連なって中庭に到着すると、蒼汰が待ちきれずにその背中に向かって聞いた。
「絵梨香に何かあったんですか?」
その言葉に、天海がくるっと蒼太の方を向いて、由夏から聞いた状況を話した。
「前もって言っておくが、彼女は身体的には快方に向かっている、それは本人も自覚してるだろう。ただ心の傷に関しては、見えない部分も本人の自覚がない部分も多いから、それで、今心療内科医の赤塚先生にカウンセリングしてもらってるんだ」
「そのPTSDは監禁事件のトラウマが原因でしょうか?」
「もちろん、それも無縁じゃないだろうな。その前に聞かせてくれ。零くんは? 今日も来ないのか?」
「あ……はい……」
うつむき加減の蒼汰の様子を見て、天海は息を整えた。
「彼女の心の穴、虚無感のような……彼女のなかにそんなモヤモヤが見えるんだが。蒼汰くん、ひょっとして……その穴は零くんなんじゃないのか?」
蒼汰は
「多分……そうです」
「そうか……」
天海も静かに下を向いた。
「……蒼汰くん、聞いてもいいか?」
「はい」
「彼から何か聞かなかったか?」
「え……まさか天海先生、ご存知とか? 零のアメリカ行きの話を……」
「ああ、今絵梨香ちゃんがカウンセリングを受けてる心療内科医は僕の先輩でね。彼の恩師がアトランタの大学にいて、その教授が零くんを呼び寄せようとしている張本人なんだよ」
「じゃあ、本当にアメリカへ?」
「ずっと良い返事がもらえなかったと言ってたがね。零くんは行くと言ったのか?」
「はい。そう言ってました」
「絵梨香ちゃんは……知ってるの?」
「いえ、知りません」
天海は大きく息をつく。
「絵梨香ちゃんに……関係があるのか?」
「本人は否定しましたが、オレはそう思っています」
「そうか……で、君はどうするつもりだ?」
「オレには……どうすることもできないですよ。そもそもそのステージに立ってないんで」
「蒼汰くん……」
「いいんです。オレは今まで通り何も変わらず、幼馴染みとして、絵梨香のそばにいます」
「そうか……」
そう言って天海は蒼汰の肩に手をやった。
「大丈夫ですよ、天海先生」
蒼汰は明るく振る舞う。
「それにしても……」
「ん……なに?」
「天海先生、話のやり取り聞いてて思うんですけど、天海先生はすっかり由夏姉ちゃんの旦那さん気取りですよねぇ?」
そう好奇な目で話す蒼汰に、天海は驚くも、少し恥ずかしそうな顔をした。
「いやいや、そこまで図々しくはないだろ? そんなふうに言われると僕も困っちゃうけどね」
蒼汰がニャッと笑う。
「強力なライバルが居ますよ!」
天海も笑いながら睨み返した。
「言ってくれるね」
「八つ当たりですよ、やっかみかな? すみません。でも……天海先生、大丈夫なんですか?」
「あはは、相手に不足はないよ。というより、彼はそうとう手強いけどね」
「お互い、苦労しますね」
「全くだ!」
2人は笑いながら肩を並べて、絵梨香の病室向かった。
第133話 『Hospitalize』ー終ー
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