第131話 『To Visit』

蒼汰の病室のノックが三回鳴った。

返事をすると、ドアを開けた高倉を押し退けんばかりに佐川が部屋へ飛び込んで来た。


「江藤君! 大丈夫? びっくりしたよ。高倉さん、すぐに教えてくれないんだもん。まさか君が刺されてるなんて!」


「おいおい! 騒がしいぞ」


高倉が制するのもきかず、佐川が更につかつかと蒼汰に歩み寄った。


「ご心配かけてすみません……でも大丈夫です」


「安静にしてなきゃいけないのに無理やり現場に行ったんだって? なんか零くんに似てきたんじゃないか? 君もすっかり破天荒になっちゃってさ」


そう茶化す佐川に、蒼汰は苦笑いをみせる。


高倉はうんうんと頷きながらも、少し神妙な顔を崩さないでいた。


「事件のこと、大分わかってきたんですか?」


「ああ、今は零くんが中心になって取り調べを行っている」


「零は……本部に戻ってるんですか?」


「ああ。自分が仕切るから君に会いに行ってやってくれと言われたよ」


「そうですか……」

蒼汰は絵梨香が居るこの病院を後にした零の心情を推し量った。


「小田原佳乃は……どうなるんでしょうか?」


「そうだな、これから入念な取り調べが行われる。ある意味彼女ももう開き直ってるから、何でも話すんじゃないかと期待しているってとこもあるけどな」


「そんなにうまくいくんでしょうか?」


「小田原佳乃は零くんを指名してきた。きっと腹をくくったんじゃないかな」


「事件の概要がかなり見えてきたんですよね? 教えてもらえますか?」


「構わないけど、傷に障らないか?」


「大丈夫です。さっき零には振られたので、その話は聞きそびれてしまって……」


その言葉尻に、高倉は蒼汰の顔を見つめた。「じゃあ君も? 別の話を……」


高倉はそう言いかけて、ちらっと佐川を見てからまた蒼汰に視線を戻した。

「じゃあ、捜査について……今わかっていることを、君に話すよ。零くんの代わりにね」



ベッドから 半身を起こした 蒼汰を囲むように 佐川と椅子を並べた高倉が話し始めた。


一通り概要を聞いていた蒼汰が問いかける。


「結局、小田原佳乃と絹川との接点は、小田原の6年前の事件の後の担当カウンセラーが絹川だったって事から始まったんですよね?」


「そうだな。本来カウンセラーとしてカウンセリングを行うのは絹川の方なのに、最終的には 小田原に誘導されてたみたいだ。まだはっきりとした証拠は揃っていないが、零くん曰く、絹川にせよ、相澤さんを襲った田中にせよ、二人とも小田原佳乃にマインドコントロールされていた可能性があるそうだ」


「田中も……ですか?」


「ああ、田中の所に相澤さんの写真や郵便物を送りつけていたのは小田原佳乃だ。田中の悪い手癖は身をもって知っているわけだからな。相澤さんに興味を持たせて、その後は自分の6年前の事件のことをゆすりのネタとして、田中を自由に動かしていたらしいんだ。もちろん匿名でね。社内ではあくまでも同僚として素知らぬ顔をしていたらしいが」


「じゃあ……本当に田中に襲わせたのが小田原佳乃ってことなんですか」


「まあ、形の上ではそうなるな。ただ、マインドコントロールは立証し難い。どこまでそれが犯罪として認められるかは、今後の自白次第だな。絹川美保子に対しても、小田原佳乃の立場は殺人教唆なわけだから、絹川がいくら証言したところで、結局殺人犯の言うことだから信憑性に欠けると判断されてもしょうがないな」


「じゃあ、西園寺のじいさんの件はどうなんですか?」


「これも……本当に難しいんだよ、立憲が。ただ、俺も驚いたんだが、零くんは最初からその路線で、独自に調査していたみたいなんだ」


「え? ちょっと待ってください。その路線ってどういうことですか?」


「交換殺人だ」


「交換殺人……」


「そう。お互い利害関係のあるものに直接手を下さないし、アリバイも作れる。だから疑いはかからない。その手法で、まぁ本来は二人の間柄は隠すつもりだったから、接点のない二人という設定で交換殺人を行えば、事件は迷宮入りすると踏んだんじゃないか」


「なるほど」


「それにずる賢いことに、小田原佳乃は実際には西園寺省三氏に手は下していない」


「と言うと?」


「最終的に西園寺省三氏に手を下した……いわゆるドライアイスを注入したのは田中だ。だからこの件も殺人教唆だな。ただ、証言する人間はもう死んでいるわけだしね」


「……長くなりそうですね」


「ああ、まったくだ」


高倉は大きく息をついた。


「絹川は?」


「今は君のその傷、傷害でひとまず勾留してるが、まあ、あのビデオ通話内で田中の殺害を認めているようなもんだから、本件での逮捕はじきだろうな」


高倉が背広のポケットを探った。

「電話だ。おおかた本部からだろう。絹川について何か分かったのかもしれない」

そう言って病室から出ていった。


それまで口を閉ざしていた佐川が、蒼汰に更に近づいて話し始めた。


「あのさ……相澤さんは、その……零くんと……」


目を合わせた蒼汰の表情を見て、佐川は慌てて言葉を取り繕う。


「いや……あのビデオ通話見てたらさ、小田原佳乃を挑発するための零くんの演技がやたらリアルに見えちゃってさ……うちのフィクサーは役者にもなれそうだなぁナンテ思ったりして」


「いや、本心も含まれてたと……思います」


「え? 江藤くん、それはどういう?」


「零は……絵梨香を愛しているんだと思います」


「……え、でも彼女は君にとって……」


「ええ、零はそれをわかっているから、絵梨香を遠ざけようとしていました。そして自分も絵梨香から離れようと……オレに気を遣って……」


「まさか二人は……」


「そうです。互いに想い合っている。それなのに……気を遣われるオレの立場も、考えてほしいですよ……迷惑だ」


「江藤くん……」


「あいつらがハッピーエンドを迎えられるなら、オレはこの際、喜んで身を引きます。でも……こんな事件に巻き込まれて、絵梨香だけじゃなく、零すらも混乱していて……どうすればいいか……正直わかりません」


「そうか……」


「佐川さん、今後、零はここには近寄らないと思うので、あいつの状況をオレに知らせていただけませんか?」


「……わかった。逐一報告するよ」


「ありがとうございます」


ドアが開いて高倉が戻ってきた。


「連行された直後から絹川美保子の家宅捜索をしてるんだが、絹川の家から西園寺章蔵氏の携帯電話が見つかったんだ。その中の音声データが意図的に消されているところまではわかってたんだが、その復元を依頼しててね。それが完了した」


「音声データ?」


「そう、庭師が目撃したと、西園寺家の家政婦から零くんに報告があって」


「ああ、西園寺家の中庭で、絹川が誰かと電話してもめていたのを庭師の人が聞いたっていう……」


「そう。その時間帯と、ほぼ一致した音声だった」


「相手は誰だったんですか?」


「いや、あくまでも絹川が受話器に向かって話しているのを、その近くでそれに遭遇した西園寺氏自身が、それを近い距離から録音してたみたいだから、相手の声は録れてない。西園寺氏は最初は普通に声をかけようとしていたのかもしれないなぁ……話の途中からの録音になっていたんだ」


「そうですか。その内容は?」


「ああ、再現音声を聞いたが、“やっとのことで今の生活をつかもうとしているのに” と、おそらく小田原を相手に話してるであろう内容だった。ただ、このデータが消されていたことを絹川は知らなかったと言っている。というより、録られていたことも知らなかったらしいんだ」


「どういうことですか?」


「音声を録ったのも章蔵氏だが、それを消したのも章蔵氏ってことだろう。零くんが裏付けを指示しているが、彼の見解、いやシナリオとしては、こうだ。章蔵氏がこの録音をきっかけに、最初は彼女が財産目当てで自分に近付いたのかもしれないと疑問をもった……そして彼女を調べていくうちに、彼女の父親が西園寺の傘下の会社でリストラにあって、彼女の家庭が崩壊した事実を知る。そして章蔵氏はそれを分かっていながら、すべてに目をつぶった。自らこの音声を消してね。償いの気持ちもあったのかもしれない。財産目当てであっても、今は自分と寄り添ってくれようとしてると……そう信じたかったのかもしれないってな。まさか殺されるとは知らずに……」


「……悲しい話ですね」


「ああ、そうだな」


蒼汰はうつむいた。



高倉と佐川が帰った後、蒼汰は看護婦の目を盗んで、足を引きずりながら絵梨香の病室へ向かった。


ノックして部屋に入ると、絵梨香の母、千香子が少しやつれた表情で蒼汰を出迎えた。


「おばさん……ご無沙汰してます


「蒼汰くん……いつもあなたに頼りぱなしで、ごめんなさいね」


「そんな……絵梨香を守れなくて、すみませんでした」


「なにいってるの。あなたのお陰で救出できたんだって、警察の人が教えてくれたわ」


そう言いながら蒼太の脚を見て、あわてて椅子を差し出した。


「ごめんね。絵梨香のために怪我したんだってね……座って」


蒼汰は差し出された丸椅子に、ゆっくり腰掛けた。


「しばらく見ないうちにあなたもすっかり立派になったのね。長らく会ってなかったものね。電話でしか話してないし。私の中では学生だった蒼汰くんのイメージしかなかったから……ちょっとびっくり」


千香子は小さく溜め息をつく。


「絵梨香のこともね、いつまでも子供だと思ってるから……だからこんなことになるのかな?」


蒼汰は大きく首を横に振った。

「違いますよおばさん。オレがちゃんと伝えるべきことを、曖昧にしか言わなかったから……すみません、驚いたでしょ」


「驚いたけど……でも分かってる。この子だって 私に心配をかけまいと、あまり言わないようにって、あなたに口止めしたでしょう。そういう子なのよ、この子は。あ……あなたの方がよく知ってるか」


蒼汰は絵梨香の顔を覗き込んだ。


「まだ意識……戻らないんですね」


「天海先生の話だと、じきに回復するって」


「そうですか! 良かった」


「あなたこそ、その足、大丈夫?」


「かすり傷ですよ。それこそ時間の問題です」


千香子は蒼汰に背を向けたまま話していた。 きっと泣いているのだろう……と、蒼汰はそう察した。


大きな息遣いをしつつ、小さく鼻をすすった千香子は、努めて明るい声で蒼汰に言った。


「ごめんなさい、気が付かずに。飲み物でも買ってくるわ」


「いえ、おばさん。今日はもう戻ります。オレもこの下の階に入院してるので、また明日に様子を見に来ますから。だからおばさんこそ、ゆっくり絵梨香と過ごしてください」


「ありがとう、蒼汰くん」


蒼汰はもう一度、絵梨香の顔をじっくり見た。


少し疲労感の帯びてはいるものの、顔色は随分回復してきているように思えた。


目をつぶっている彼女をこうして近くで見るのは容易なことだが、この目が開いてこの目が 零を探して左右すると思うと、胸の奥からざわざわした感情が、ぐぐっと沸き上がってくるのを感じる。


蒼汰は足を引きずりながらも、自分をまくし立てるように、その病室から離れた。


第131話 『To Visit』ー終ー

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