第130話 『Break Away From Hostage』
どうしようなかぁ……素敵な男たちの苦しむ顔、見たくなっちゃった。簡単よね? この子を傷つければいいんでしょう?」
佳乃が包丁を持った腕を振り上げた。
「やめろ! やめてくれ!」
絹川が絵梨香の前に立ちはだかった。
「やめなさいよ」
「は? なんの真似? まさか美保子さんまでこの子に心奪われたとか? それとも同情心が沸いちゃったのかな? 6年前のあの事件の時に私に抱いたような気持ちみたいな?」
「私だって、医療従事者の端くれよ、消さなくてもいい命は助けるわ」
絹川の言葉に、佳乃はフンと鼻で笑った。
「よく言うわ。なによ、美保子さんだって田中を殺したじゃないの」
「それは……本当に襲いかかってきたからよ。身の危険を感じたから……」
「へえ、だから入念に殺したんだ? スタンガンで眠らせてからナイフを突き立てるなんて、むしろ冷静な行為にも見えるけど」
「とにかく! 佳乃ちゃん、この子を死なせるのは違うと思う」
「何をまともぶった事を言ってるの、美保子さん、もうここまで来たら取り返しつかないわよ? だったら、一気に恨みも晴らして清算しちゃいたいわ」
「だから、恨みを晴らす相手はもう死んだじゃない! 佳乃ちゃん、あなた何を履き違えてるの!」
「うるさい! とにかく今はこの女を痛め付けるしかないの!」
そう言って佳乃は、包丁を持った手を大きく振りかぶった。
「やめろ!」
蒼汰が叫んだ。
『RUDE BAR』の四人も同時に声を上げる。
「佳乃ちゃん!」
声をあげた絹川美保子が、振りかぶったその手を頭上で掴んだ。
「美保子さん! なんのつもりよ!」
「……この人、章蔵さんと私の幸せを心から願ってくれてた……この人と話してたら、私と章蔵さんとの明るい未来を少し想像できる瞬間があったの。亡くなる前にも……一目会わせてあげたかったって……ずっと心に引っ掛かっていたわ。この人は善人よ……殺しちゃダメ」
「ほら! あなたまで! この女にほだされて……もういいわ! もう……あなたも要らない!」
そう言って佳乃は更に大きくその手を振りかぶった。
その瞬間、椅子から絵梨香が立ち上がって、美保子を突き飛ばし、佳乃の体を覆った。
「佳乃さん……やめて……あなたらしくない……」
意識朦朧の絵梨香は、両手を佳乃の首に絡め、必死に抱きついて、その動きを阻止した。
「なにしてんのよ!……離しなさいよ! あんた、殺されたいの?!」
「佳乃さん……私は……」
途切れる声に、ぞんざいな物言いで、佳乃はその腕をほどこうとする。
蒼汰が画面に向かって大きな声で話し始めた。
「お前、絵梨香コラム、読んでないのか?」
「は? コラム? ああ、『月刊 Fabulous』のことかしら? そういや今月号は読んでないわね。今まで欠かしたことないのに」
「絵梨香はそのコラムに今回、お前のことを書いてたんだ。人間の
「そんなこと……そ、そんなきれい事で私のこれまでの事を清算できると? そんな……」
「佳乃……さん」
絵梨香はほぼ意識のない状態ながら、うわ言のようにその名前を呼び続けて、必死で佳乃にしがみついていた。
「なにしてんの! あんたバカでしょ! 私があんたに何したと思ってんのよ!」
絵梨香はかすれた小さな声で言った。
「佳乃さん、ごめんなさい」
「……ほんとにバカ! あんたって……」
そう言いかけた時、佳乃の首にかかっていた絵梨香の手がスルッとずり落ちた。
「絵梨香!」
蒼汰がそう叫んだと同時に、完璧に意識を失った絵梨香が、崩れるように倒れた。
その絵梨香の体を、佳乃が咄嗟に身を呈して抱き止めた。
手から離れた刃物を、絹川美保子が遠くに蹴り飛ばしたと同時に、高倉が高らかな声を上げる。
「突入!」
雪崩のように踏み込んできた捜査員達が、一斉に佳乃を押さえつけるのを確認して、零と高倉が階段をかけ上がった。
波瑠に支えられている蒼汰に視線を送り、お互い頷くと、『RUDE BAR』から走り出て、大通りを渡り、多くのパトカーと救急車が横付けされたカサブランカレジデンスに入っていった。
何人もの捜査員目配せをしながらも、エレベーターを待つ時間がこれほどに長く感じられたことはないくらい、心は焦っていた。
部屋にはいると、零はすぐさまソファーに寝かされた絵梨香の側に走り寄った。
ほどなく到着した蒼汰と波瑠は、絵梨香に寄り添いながらも傷やバイタルを確認しながら救急医と話し合っている零を確認すると、呆然としながら捜査員に拘束された佳乃の前に行った。
「江藤さん……」
そして佳乃はうつむき加減で笑った。
「私も詰めが甘いわね。やっぱり負け組は負け組のままね」
絵梨香がストレッチャーに乗せられているのを横目で見ながら、蒼汰は佳乃に言った。
「ちゃんと人間らしいことできたじゃねえか。絵梨香を助けたろ」
その言葉に、一瞬蒼汰を見つめた佳乃は、視線を落としてから、絵梨香の方を見た。
零が再度、絵梨香の脈を見ている。
「江藤さんも色々大変ね。あの子、あの長身のイケメンに相当惚れてるわよ。そしてあのイケメンも。江藤さん、どうするの? 親友なんでしょ?」
「俺の心配は無用だ。お前はお前の心配をしろよ」
「口が減らない男ね。無理しちゃって……」
「裏腹なのはお前も一緒だろ」
「あはは、そうかも!」
捜査官が佳乃を連行していった。
蒼汰はストレッチャーに近づいて、いたわるように絵梨香に目をやってから、零をじっと見つめた。
「脈は安定してきた。だがちょっと出血が多いな……輸血が必要なら厄介だ」
「お前はいつも頼もしいな」
「蒼汰?」
「いつも的確に絵梨香のこと助けられるお前がそばにいた方が、絵梨香は幸せかもな」
救護員がストレッチャーに手をかけた。
「このまま病院に搬送します」
「わかりました、同行します。この患者も、どうせ天海病院に戻らないと」
そう言って零は蒼汰を一瞥した。
病院に着いて、2人は廊下にならんで座っていた。
高倉は現場に残り、波瑠は蒼汰の入院手続きに席を外していた。
二人きりになるのは、零の実家以来だった。
そこに天海宗一郎医院長がやってきた。
「由夏さんは海外?」
「はい、ちゃんと連絡はしました。あまり詳しくは話せませんでしたが」
「心配だろうね。でも大丈夫、少し出血があったけど輸血するほどでもなかった。しばらく入院して療養してもらえば、元に戻るよ」
「良かった」
「PTSDは心療内科の権威が知り合いにいるから、彼を呼んで治療してもらう。今からしばらく点滴で寝かせるから、君たちもちょっと休んだ方がいいんじゃないか?」
「ありがとうございます、天海先生。よろしくお願いします」
蒼汰が大きく息を吐いて椅子に座り込んだ。
「良かった……」
「蒼汰」
ずっと言葉を発しなかった零が口を開いた。
「なんだ?」
「ちょっといいか、外で話しても?」
2人は中庭に出た。
「どうしたんだ? 零?」
「こんなの時に言う事じゃないかも知れないが……アメリカに行くことにした」
「アメリカ? なんだそれ? どうしたんだよ急に!」
「いや、急じゃない。ずっとそういう話があって……なかなか決心がつかなかった」
「向こうで何をやるんだ?」
「アトランタの大学で、犯罪心理学を」
「今更学生をやるのか?」
「いや、教授として招かれてる」
「は? なんだよ! いつのまにそんな勉強してたんだ?」
「論文を書いて……それが2年前に認められていて……大学側から呼ばれてたんだ」
「そんな話、初耳だ!」
「行くつもりがなかったから」
「じゃあどうして急に行く気になった?」
「いつでも行けたよ、急じゃない」
「いや違う! 心境に変化があったからだ。行かない決心をしたのも 理由があったはずだろ?」
「何が言いたい、蒼汰……」
二人の視線が絡み合った。
「オレの口から言わせたいか!……絵梨香だろ!」
零はおもむろに視線を落とした。
「あいつは関係ない」
「嘘つくなよ! 俺は親友だぞ! お前の気持ちに気づかないはずがないだろう」
「いや、ありえない」
「強情だな。でも残念ながら、絵梨香は正直だよ。それこそ、見てりゃすぐわかる。あいつの心は……お前のものだ」
「そんなことはない。あいつは、お前の……」
「零、お前はずっとそうやって自分に言い聞かせてきたんだろう? お見通しだぞ!」
「とにかく……俺はアメリカに発つ」
「そんな……お前、絵梨香を置いて逃げる気か?」
「逃げてるわけじゃない!」
「だとしたら、絵梨香の気持ちはどうするんだ!」
「蒼汰……今日でよくわかったんだ。お前がどれほどあいつのこと思ってるか、どれほどあいつのことを理解しているかもだ。俺は到底かなわない。俺じゃない、あいつのそばには、お前がいなきゃダメなんだ」
「なに言ってんだ。気持ちは理屈じゃないんだろう」
「もういい。この話は終わりだ」
「零! 待てよ!」
立ち去ろうとする零を蒼汰が阻止しようと立ちはだかった。
「うっ……痛て……」
「無理すんな蒼汰、もう病室にもどれ」
「待てよ! 零、どこ行くつもりだ!」
「俺はもうここにいる必要がない。エリには……彼女には、お前がずっとついててやれ」
「なに言ってんだ零、待てよ! 零!」
零は振り向かず、背を向けたまま立ち去った。
一人、足を引きずりながら絵梨香の病室の前に戻った蒼汰は、中に入ることが出来ず、廊下で立ち尽くしていた。
そんな蒼汰に、通りかかった婦長が声をかけてきて、病室に戻るように促した。
蒼汰は病室で一人、昨日から今日にかけてのあらゆる事に頭をめぐらした。
そして零の渡米についても……
ノックが3回鳴った。
第130話 『Break Away From Hostage』ー終ー
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