第128話 『Body Is Tense』
「なんですって!」
スマホのむこうから、小田原佳乃と絹川美保子のもめる声が流れる。
そして乱暴にスマホを取り上げたようなガチャガチャという音が聞こえた。
「ちょっと、なにしてんのよ!」
そう叫ぶ佳乃の声が遠くなった。
スマホを手にして、絹川美保子が移動しているようだ。
思わずカウンターに近付いた零と高倉の目に、切り替わった画面の動画が映った。
「あ! これは……相澤さん……眠っているのか」
高倉が声を潜めて言った。
ベッドに寝かされた絵梨香の横には、点滴が吊るされていて、そのカテーテルが彼女の腕に繋がっていた」
「なにをしてる!」
いつになく声を荒げた零を、高倉は驚いて仰いだ。
「ちょっと眠らせてるだけよ。この方法の方が経口より安全なんだから。この人、夜中に過呼吸起こしたらしいわよ。佳乃ちゃんがあわてて電話してきた。対処法を教えたんだけど、またたっぷりあの睡眠導入剤を投与しちゃったみたいで、今度はまた電話かかってきて、死なないかって聞かれたわ」
そう言って笑いながら、絹川はスマホを絵梨香に近づけてその様子を見せた。その表情には疲れが色濃く刻まれていて、とても健やかに眠っているようには見えなかった。
「エリ……」
零は声にならない言葉を発した。
「だから、わざわざ早起きして来てあげたのに、あの江藤って人にくってかかられて、全く……ついてないわ」
もう一つの声が近いてきた。
「美保子さん、なにやってくれるんだか……もういいわ。どうでもいい! ねぇ、この子、起こしてよ」
「えっ? 起こしたら厄介じゃないの?」
「いいから、今すぐ起こしなさいよ!」
絹川はベッドの傍らにしゃがんでカチャカチャと音をたてた。
ガラスのぶつかり合う小さな音と共に、注射器を持った絹川が立ち上がる。
「おい! 何をする気だ!」
絹川はため息をついて、スマホを持ったまま絵梨香に近付いた。
彼女の手元の
ここから液を入れて覚醒させるわ。
「やめろ! そんなことしたら……」
「そうね。心臓に負担もかかるから過呼吸を併発すると厄介よね? でも大丈夫、この点滴にはたっぷりと精神安定剤を入れてあるから」
スマホの画面がかわった。
一瞬映った赤い爪から、それが小田原佳乃であることがわかる。
そしてベッド回りが見渡せるところに設置した。
「あら佳乃ちゃん、きれいにお化粧直してきたのね」
「うるさい! それで、その子、いつ起きるのよ」
「そんなに焦らないでよ。もうじき覚醒するわよ」
やがて、ベッドの方から大きく息を吸う音が聞こえた。
「ほうら、お目覚め」
声が聞こえた。
唸るような、言葉になっていない声だった。
「エリ!」
その声に反応して、佳乃が画面を覗き込んだ。
「もう、心配そうな声出しちゃって。なんか愛が溢れてる感じ」
そう言って絹川の方へ歩み寄り、ベッドの絵梨香を見下ろした。
「美保子さん、これで起きてるの?」
「あなたがたくさん薬を飲ませるからよ……もうしばらくしたら、少しは意識がはっきりする筈だけど。まあ、でもずっと朦朧としたままだと思うよ」
「それつまんないわね。美保子さん、この子座らせるわよ」
「え? もう……わがままなんだから、あなたは」
佳乃は、つかつかとスマホに寄ってきてそれを持ち上げた。
そしてリビングに出てくると、その真ん中に椅子を一つ置いて、そこに合わせてまたスマホを設置した。
遠くからガサガサと音がして、やがて画面には 俯いたまま、絹川と佳乃に両腕を持ち上げられた形で連れてこられた絵梨香が、その椅子に座らされた。
佳乃は、俯いたままの絵梨香の顎を取って、グッと上を向かせた。
「あら、絵梨香さん、早く起きてくれないと困るわ。あなたのことを愛してやまない来栖零さんが、今あなたのこと見てるわよ。とっても心配してるみたい」
その言葉に絵梨香が反応した。
「レイ……」
「そうよ絵梨香さん、彼が見てるわ。あそこでね」
絵梨香は重いまぶたを上げながら、恍惚とした表情でスマホの方に顔を向けた。
「……エリ」
また息のような小さな零の声を聞いた高倉は、 そこで彼の思いを悟った」
零の横で 彼のスマホに タブレットをかざしている高倉は 今のこの 映像 タブレットで撮影しながら全捜査員の端末に流していた。
時折マイクに口を近づけて指示を出しながら、ライブ映像を送り続ける。
零がメモ用紙に絵梨香君マンションの見取り図を書いた。
そして今彼女がいる位置に印を付け高倉に手渡す。
絵梨香のそばで、まるで主治医のように様子を見ている絹川美代子の逆サイドに小田原佳乃が立って、スマホの向こうの零を見据えた。
「全くもう! せっかく綿密に色々計画してきたのに……台無しだわ。あなたに勝ってみたかったのにな」
そういいながら画面に近づいてくる。
「いったい何のためにそんなことしてるんだ」
佳乃はうっすらと笑いながら、溜め息をついた。
「何のためだろう? わかんなくなってきちゃった」
そう言って後ろを振り返り、項垂れたままの絵梨香に目をやる。
「最初はそんなつもりなかったのよ。この子と会って、あなた達の動きとか情報をつかもうって思ってたのよ。もっと疑われてるって思ってた。だからあっさり家に上げてくれたのは意外だったけどね。話聞いてみたら、あなた、私に取り調べを繰り返してることも、この子には言ってないのね。私があなたにどこまで疑われてるのかも知りたかったのに、なんにも知らないんだもん、驚いたわよ。冷徹なオトコだっていうのは知ってたけど、ピロートークもナシなわけ?」
佳乃は声を上げて笑ってから、画面を覗き込んだ。
うって変わって攻撃的な表情の佳乃が再び話し始める。
「そしたらさあ、話が進まないくらい何回も何回もこの女の携帯に江藤さんから電話が入って……ムカついたのよね。なんでこの子だけがそんなにみんなに愛されるのよ。許せない! そう思って気が付いたら、この子をスタンガンで眠らせちゃってた」
零は大きく息を吸って呼吸を整えた。
「そのスタンガンは、田中に使用したものか。なぜお前が持ってる」
「処分するために美保子さんから回収したものよ、もともと私のものだったから、足がついたら困ると思ってね。それを使っちゃうなんて、衝動的にもほどがあるって、反省したわ。まあ、時すでに遅しだけどね」
「一体、何が目的だ」
「目的? この期に及んで、もはや目的なんかないわよ。ただ悔しいだけ。妬ましいわ、この女が」
「その感情は、蒼汰に対して……か?」
「そうよ。西園寺家の事件の日、廊下で偶然江藤さんに会って、あの時が初めてかな? ちゃんと私を認識してくれて話してくれたのは。優しかったわ。大変だねって労ってくれた。あの優しい笑顔が私だけのものだったらいいのにって、その気持ちがいっそう強くなった瞬間だった。だって……その数ヶ月前に、そこの通りで、私が腕を切られて血をながしてるのに、遭遇した江藤さんは私には目もくれずに、野次馬からかばうようにこの女の肩を抱いて私から離れて行ってしまったんだもん。ひどいわよね」
そう吐き捨てるように言うと、佳乃は思いつめたような表情で画面から、右のダイニングの方向へ消えていった。
カチャカチャと何かを漁るような音が鳴り、やがて佳乃は絵梨香のすぐそばに歩み寄った。
「佳乃ちゃん、あなた……!」
零も息を飲んだ。
その手には出刃包丁が光っていた。
さらに絹川が声を荒げる。
「佳乃ちゃん、気は確か? あなた、自分が何してるか、わかってるの?」
第128話 『Body Is Tense』ー終ー
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