第127話 『Abduction』

三人は『RUDE BAR』から出られたないまま、一晩を過ごした。

だだっ広く感じる店のなかで、思い思いの場所に身を置きながら、ただただ何らかの手がかりを待っていた。


零の携帯が鳴った。

波瑠も蒼汰も立ち上がって、零の側に歩み寄る。


「高倉さん、どうでしたか?」


零はそう言いながら、スピーカーに切り替えたスマホをカウンターの上に置いた。


「ああ、小田原佳乃の携帯は追跡できない端末だった」


「……そうですか」


「零くん、小田原との話、長引かせてくれたんだろう? 悪いな」


「高倉さんのせいじゃないですよ」


三人はうつむいた。


「そこは『RUDE BAR』?伊波さんと江藤くんも居るのかな」


波瑠と蒼汰が、スマホに向かって少し話をした。


「相澤さんの携帯の方は、GPSはオフだったんだが、Wi-Fiアクセスポイントや携帯電話の基地局情報をさかのぼって組み合わせてみたんだ。それで昨夜のその時間の位置を出したら……どうも自宅周辺みたいなんだよ。現に今は電波が出た状態になってる。もともと家にスマホを忘れていったんじゃないのか?」


「確かに、最初はかかっていて……一向に出なかった電話の電源が落ちたんです。それって単に家に忘れてきたっていう可能性もあるんですかね」


「いや、それはない」

零が言った。


「それなら今現在、電波を出していること自体おかしい。一度電池切れしたスマホを再び充電するのなら、その場にそれを行う人間が居て然りだ」


「そうか。ということは少なくとも絵梨香の スマホはカサブランカレジデンスにあるっていうことか」


「高倉さん、今現在も電波はありますか?」  

「ああ、おそらく。報告受けたばかりだからな」


「ありがとうございました」


「お互いになにか新しい情報が入ったら、連絡するようにしよう」


一旦高倉との通話を切った。


「ならカサブランカレジデンスに絵梨香の携帯はあるってことだよな? それって……」


三人は立ち尽くしたまま、それぞれ考えを巡らせた。


「零」

二人は顔を上げて零を仰いだ。


「ああ、そうだ。エリも小田原佳乃も、あのマンションにいる確率が高いとういうことだ」


「絵梨香は自宅に監禁されてるってことか!」


零はもう1度引き伸ばした写真を見た。


彼女の家だと想定して見直せば、確かにベッドサイドにあったテーブルの位置に覚えはあった。


あの日は……暗くて、寝室の枕や布団の柄は見えなかった。


写真を覗き込んだ波瑠が指さしながら言った。


「このサイドテーブルに少しだけ映ってる、これはなんだろう?」


零は自分のスマホを手に取って、送られてきた画像を指でピンチしながら拡大した。


「……これは」


思わずそう発した零の横で、それを覗き込んだ蒼汰が言った。


「……これ、零のハンカチだろう? 絵梨香が零に返そうと思ってここに置いてたんだろうな」


波瑠が言った。

「これで絵梨香ちゃんの家に、本人がいるって、確定できたんだな?」


「はい」


零がそう言った瞬間、蒼汰が走り出した。


「おい! 蒼汰、落ち着け!」


そう叫ぶ波瑠を振り返った。


「ちょっと見てくるだけ!」


そういって話も聞かず、バタバタと階段を上って出て行った。


波瑠が出口を見上げながらため息をついた。


「行ったところで、普通にインターホンで対応してくれるとは思えないけどな………零、ここからどうするんだ?」


「とにかくもう一度、小田原佳乃とコンタクトを取って確証を引き出したら、警察で包囲しようと思います」


零はもう一度高倉に電話をかけて今の話をした。

高倉は、零の指示があるまで捜査官を揃えて待機させておくと言った。


二人はとりあえず、蒼汰が戻ってくるのを待っていた。


「零、疲れてるだろう? 何日寝てないんだ?」


「それはなら波瑠さんも蒼汰も一緒ですよ。俺は慣れてますけど、二人にはきついんじゃないですか」

 

「絵梨香ちゃんが大変な時に、おちおち寝てられない。零、コーヒー淹れるよ。キューバ産のクリスタルマウンテンが手に入ったんだ、中々お目にかかれる豆じゃないぞ」


「ありがとうございます」


あたりに芳醇なコーヒーの香りが沸き立って、 優しくまとわりついてくる。

もし何もなかったら、清々しく朝を感じながらこの香りをたしなんだことだろう。

何もなければ……よかったのに……


蒼汰はああして心の赴くままに行ってしまったが、本当はじっとしていられないのは自分も同じだった。

彼女の身を案じ、心配で胸をかきむしりたくなるような……


カウンターに座った零の苦悶に満ちた表情を確認した波瑠は、黙ったままコーヒーを差し出した。


一口含むと、零が大きく溜め息をついた。


「こんな時でも……美味いですね」


「ああ、逸品だからね。そしてお前も生身の人間だ」


しばらく沈黙が続いた。


そして一杯目を飲み干す頃に、ようやく波瑠が口を開く。


「絵梨香ちゃんのこと、心配なんだろ」


零はおもむろに顔を上げて波瑠をじっと見つめた。


「走り出したかったのは、蒼汰だけじゃなくて、お前もそうだったんだろうな」


零は少し俯いた。


波瑠は腕を伸ばし、その肩を叩くとカップを 下げて2杯目のコーヒーを注いだ。



「ちょっと遅過ぎないか? 電話してみるか」


そう波瑠が呟いた瞬間、零の電話が鳴った。


画面を見た零は、目を見開いて慌てて電話に出る。


相手は少し余裕のないトーンで話し始める。


「……あのね」


零は息を整えてスピーカーに切り替えると、カウンターに置き、静かに話し始めた。


「どうした。彼女を解放する気になったか」 


すぐに返事はなかった。


ようやく口を開いた小田原佳乃は、いつになく緊張感のある声を出した。


「不測の事態よ。こんなつもりじゃなかったのに……江藤さんが……」


その意外な言葉に、二人は顔をを見合わせた。


「なに? 蒼汰がどうした」


「あの……江藤さんが、エントランスで……刺された」


「なんだと! 何を言ってる! どういうことだ!」


「もちろん私じゃないわよ、ここに今来た人が江藤さんに捕まって、振り払うためにナイフを

……」


「……それで、蒼汰はどこだ!」


「エントランスにいると思う。救急車は呼んでおいたわ」

 

「……なんだと……」


その後ろでかすかに声がした。

その声に佳乃は反応する。


「だから、心配ないって」


「何言ってんの! どうして江藤さんに切りつけたりするのよ!」


「……とにかく、そういうことだから!」

電話が切れてまもなく、店の外に救急車のサイレンが聞こえた。


二人は階段を駆け上がってカサブランカレジデンスを目指した。

マンションに横付けされた救急車の脇をぬって、二人はエントランスに駆け込む。


「蒼汰!」


救急隊員に抱えられている蒼汰に走り寄った。


「……ごめん、ちょっと……しくった」


「何言ってんだ! 大丈夫か」


波瑠が蒼汰に声をかけている間に、零は顔見知りの救急隊に状況を聞いていた。


ストレッチャーに乗せられた蒼汰に、零は言った。


「絹川美保子だな」


蒼汰は少し驚いた顔をしてから、息をついた」


「そうだ」


零は聡太の肩に手を置いて言った。


「すまん……お前にまで怪我させることになるとは」


「なに言ってんだ。オレが勝手に飛び出しただけだから……そんなこと考えてる暇があったら、絵梨香を救出する方法を考えてくれよ」


「分かった」


零は振り向くと、波瑠に言った、


「波瑠さん、蒼汰に付き添ってもらえますか」


「ああわかった。お前は?」


「俺は『RUDE BAR』で高倉さんを待ちます」


「わかった、俺も蒼汰が落ち着いたら店に戻るよ」


「はい、蒼汰を……よろしくお願いします」


波瑠が乗り込んだ救急車が出発すると、零はスマホを耳に当てながら『RUDE BAR』に戻った。


カウンターに到着する頃には、高倉に一通りのことを説明し終えていた。


「俺も今からそっちに向かう」


「はい、捜査官には直接カサブランカレジデンスを包囲するよう指示してもらえますか。圧力をかけるんです。さっきの電話では小田原佳乃にかなり動揺が見えたので」


「わかった、すぐ手配する」


ほどなく高倉が到着し、零はカウンターに置いたスマホから小田原佳乃に電話をかけた。


ワンコールですぐに出たが、声を発しなかった。


「聞いたか救急車の音。聞こえただろ? 7階にいても」


しばらく沈黙が続いてからようやく声がした。


「それで、江藤さんは……大丈夫なの?」


零は一つ息をついて言った。


「それはそこにいる絹川美保子に聞いたらどうだ」


佳乃がその言葉に黙りこくって、また沈黙が続いた。


後ろから別の声がした。


「だから……命に別状もないし、たいした出血もないって、さっきから言ってるじゃない!」


「ちょっと!」


そう躊躇った声が途絶えると、とたんに大きな声が聞こえた。


「もう! どうして江藤さんを刺したりするのよ!」


「だってエントランスに彼が飛び込んで  きて、ちょうど開いたオートロックの扉に入ってきそうだったから……動きを止めただけよ」 


「だからって刺すことないじゃないの!」


「飛び掛かってきたし、押し問答になったのよ、負けるに決まってるじゃない。だから、足にナイフを突き立てて、私は扉の中に滑り込んだのよ。大丈夫よ、そんなに出血だってしてないはずだし」


そこで零が口を開いた。


「そうだな、出血は少なかった。なぜなら刺したナイフを抜かなかったからだ。抜いたら出血することがわかっていたから、抜けなかったんだな。確かに、そのまま固定されて搬送されたよ。一つ依頼しておいた。江藤から抜き取ったナイフを警察の鑑識に回して、指紋を検出、照合してくれってな。まあ、結果を聞くまでもないな。絹川美保子。医療従事者はやっぱりお前だったか」


絹川が口をつぐみ、代わりに佳乃が話し出した。

「……なんだ、何でもお見通しだったのか。一生懸命隠してたのに、バカみたいね。さすがフィクサーね。ここまで来たらもうばれたって構わないわ。だってたいした罪になんてならないもの。ちょっとした悪戯をしたまでよ。私はだれも傷つけてないし、犯罪には値しないもの。ああ、美保子さんはアウトね。まぁそもそも……か?」


「佳乃ちゃん! あなたまさか……裏切る気?」


零と高倉はそのやり取りを静かに聞いていた。


「あのね美保子さん、来栖零にここまでバレたら、もう何をやっても無駄なのよ。S型、最上級に厄介な相手なの」


「佳乃ちゃん! 私がどんな思いであんなことをしたと……」


「そんなのお互い様よ、美保子さんだって結局お金と保身のために動いたんだから、私の責任じゃないわ」


「なんですって!」


スマホのむこうからガチャガチャという音が聞こえた。


「ちょっと、なにしてんのよ!」


そう叫ぶ佳乃の声が遠くなった。


第127話 『Abduction』ー終ー

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