第126話 『Negotiator』
「じゃあ、なんだ? 絵梨香は誘拐されたってことになるのか!」
絵梨香と連絡がつかなくなって数時間、それまでのやり取りにも不可解な事が多く、拘束されているのか、本人の意思で連絡を絶っているのかもわからない状況が続いていた。
「どうしたらいい、零!」
零はおもむろに携帯電話を取り出した。
スピーカーに切り替えてテーブル置く。
するとワンコールでその相手、小田原佳乃が出た。
『RUDE BAR』の3人の間に緊張が走る。
「わぁ! 来栖零さんから直々にお電話頂けるなんて、嬉しいわ!」
テンションの高い声が、三人の気持ちを逆撫でする。
「こんな時間に電話してくるなんて! 特別に思ってくださってるとか? まさかね、田中さんの事件なら、私のアリバイは成立したはずでしょ?」
「相澤は? 相澤絵梨香はどこだ?」
佳乃が笑いだした。
「どうしたんですか? そんなに必死になって相澤さんのこと聞くなんて。あなたは彼女の恋人?」
「彼女は、どこだ」
「だから! どうして私に聞くのよ。来栖さん、あなたの方がよく知ってるんじゃないの? 毎日コソコソと絵梨香さんを尾行してたじゃない。私、知ってるのよ。あなたのストーカー行為。あはは、なんならポストに入ってた脅迫状もあなたの仕業じゃないの?」
零はチラリと横の二人の顔を見た。
「脅迫状の件は一般に公開していない。なぜそれを?」
二人が改めて零の顔を見返した。
小田原佳乃は言葉に詰まる。
「それを知ってるのは警察関係者と、あとは犯人だけだ」
スピーカーからは、少し離れた所からため息混じりに鼻で笑う声が聞こえた。
「彼女はどこだ」
声が近づいてきた。
「あーあ、もう! もうちょっと会話を楽しみましょうよ。こんな女の話なんて……しないでよ。台無しだわ!」
「そこに、居るんだな」
またしばしの沈黙があった。
長く感じるその数秒間を、三人は呼吸を整えながら待つ。
「やだ、なんかシリアスな空気だしちゃって。絵梨香さんとは一緒に食事して、その後にお酒を飲んでただけよ。彼女、寝ちゃったの。私はそれに付いててあげてるだけ」
「嘘だ」
「ホントよ。絵梨香さん、ここでスヤスヤ眠ってるんだから」
「信じると思うか? いったいどこに監禁してるんだ、言えよ!」
声を荒げる零に思わず目をやった二人は、その声とはかけ離れた表情の冷静さに、さらに驚く。
零が波瑠にジェスチャーでメモ用紙を頼んだ。
そしてそこに、蒼汰の顔を見ながら、文字を綴る。
高倉刑事 tel 事情を
エリ 小田原 携帯位置情報
そう書いて、蒼汰に手渡した。
蒼汰は、その紙をもったまま音を立てないように階上に上り、外に出た。
「いい加減にしろ! いったい何が目的なんだ! このままで済むと思うなよ。可能な限りの重罪にして刑務所に送り込んでやるからな!」
零から発せられる、しぐさや表情とは正反対の
荒ぶった言葉に、波留はそれが演技だとわかっていても圧倒されていた。
「ちょっと、なにそれ。私が何したって言うのよ? 犯罪行為には何一つ関わってないのよ!当然証拠もないんだから。そもそも、どうしてあなたって私をこうも犯罪者扱いするのかしら?」
「お前のしっぽは見え始めていた。絶対証拠をつかみ出す。そう思って躍起になって……追い詰めているのにあと一歩を越えられなかった。だが、今から越える。お前は彼女を誘拐した。これを基盤に別件逮捕する。そしてじっくり他の証拠がためをして、自白を促すように、取調室に招待してやる」
「あなた……おかしいんじゃない? それって職権乱用よね? いくら絵梨香さんに熱を上げているとはいえ、あなたらしくないほどの執着ね。だけど残念ながら、そんな事実はないわ。 だって本当にスヤスヤ寝てるだけよ。私はむしろ感謝されなきゃ」
「……本当なのか?」
零は今度は力ない声を出した。
「本当にそうならいいって……俺だって思ってる。そりゃ、お前を逮捕できる都合のいい状況だってのは分かってる。だけど俺はそれよりも、彼女が無事であればそれでいいと……思い始めている。心配なんだ……彼女のことが」
小田原佳乃が笑い出した。
「すごい! そんなに惚れ込んでたの? 冷徹なあなたを骨抜きにするなんて、絵梨香さんもなかなかやるわね、さすがだわ!」
「なぁ、彼女に危害を加えないって約束してくれないか? そしたら俺は何でもする」
「それはなかなか嬉しい提案かな。いい加減、私の身の回りに警察がチョロチョロするのが、鬱陶しいなと思ってたのよ」
「分かった。手を引かせるよ。俺の権限で」
「すごい! あなたってそんなポジションなんだ?」
「だから彼女を、安全に返してくれ!」
「あのね、何度も言ってるけど本当にここでスヤスヤ寝てるだけよ。私は介抱してあげてる優しいお姉さん! それだけなのに」
「悪いが、今の俺にはその言葉だけで信じることはできない」
「ふうん、恋は盲目か! 来栖零にはそんなこと通用しないと思ってたのに。すごいのね恋愛っていうのは」
「……本当に、そこにいるのか?」
「いるわよ。起きてたら代わってあげるのに、残念」
「なぜそんなに寝入ってるんだ? 隣で普通の声で話をしてるのに、全く無反応で寝てるなんてありえない。本当はいないんだろう! どこに隠したんだ! どこに監禁してる!」
「あー! もう、また始まった、その妄想。 あなたって意外とめんどくさい男なのね。 ちょっとがっかりしたわ。でもまあ、可愛いかも」
「迎えに行くから、場所を教えてくれ」
「それはお断りよ! 私のプライベートに介入されるのが嫌だって話、さっきしたじゃない。あなただって警察の人間なんだから、簡単に 私の周りには踏み込まれたくはないわ」
「じゃあ叩き起こして、この電話に出してくれ! それで信じる」
「だから! 本当に寝入ってるんだって。なんか、会った時も元気なかったわよ。あなた達、喧嘩でもしたんじゃないの? だからそんな 熱くなってるの?」
「実は……そうなんだ。仕事が忙しくて彼女をないがしろにしていたから……」
「へぇー、そうなんだ? 今から恋愛悩み相談に切り替える? なんか私楽しくなってきちゃったんだけど」
「本当に彼女が無事なら、悩み相談を聞いてもらうのも悪くないね」
「ねぇ、本当にあなた、来栖零なの? 驚きだわ! 彼女はそういうあなたが好きなのかな? それとも普段の沈着冷静頭脳明快なあなたのことが好きなのかしら?」
「まだそこまで、お互い分かっている仲ではないから」
「あら、そうなの? かわいいじゃない! あなたのその新しい一面、私は好きになっちゃいそう! とはいえ、私は江藤さん一筋だけどね」
戻ってきていた蒼汰と波瑠が目を合わせる。
「お前だって好きな相手がいるなら分かるだろう? 心配で胸が苦しいんだ。前後不覚になるよ。冷静な判断ができなくなる。もし何かあったら即刻お前のことを、指名手配する」
「何それ! 完璧に血迷ってるじゃない。分かったわ、絵梨香さんのことが心配なだけなんでしょ? じゃあ……証拠を見せればいいのね」
零は二人の顔をそれぞれ見合わせた。
しばしのインターバルのあと、カチッという音がした。
シェードランプを点灯させたような音。
零の端末に1枚の写真が送られてくる。
そこには、意識を失ったかのように無表情のまま目をつぶる絵梨香の肩から上のアップの写真があった。
「ほらね、ちゃんと布団で寝てるでしょ?」
「手足を拘束してないだろうな」
「全く。疑り深いのね!」
零はテーブルに置いたままのスマホを操作しながら、その写真を蒼汰と高倉に転送した。
「ほんとだな。眠ってる」
「ほらね? 嘘は言ってないでしょ。もっと私を信じてくれてもいいのに」
「ありがとう」
「ヤダ! 来栖零にお礼言われるなんて! 嬉しいな」
零はまたメモ用紙にペンを走らせる。
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蒼汰はまた、音を立てずに外へ上がった。
「納得したよ。寒そうだから布団でもかけやってくれ」
「優しいんだ。なんか妬けちゃうなぁ。この可愛いお嬢さん、どうにか料理しちゃおっかな?」
「おい! やめてくれよ!」
「あはは! なんだかおもしろいな! 私が来栖零をからかってるナンテ、最高!」
蒼汰が戻ってきた。
スマホの横に、大きく引き伸ばした絵梨香の寝顔の写真を並べる。
三人は目を皿のようにして、その背景にヒントがないかを探す。
「おい、これって……あ!」
思わず声を出してしまった蒼汰が口を抑える。
「え! ちょっと、今の何? 江藤さんの声に聞こえた。もしかして……そこにいるんじゃないでしょうね! ちょっと! 答えてよ!」
零は蒼汰に向かって相槌を打つ。
メモには “話して” と書いた。
「……ああ、さっきから聞いてる」
「江藤さん……」
「オレのいとこ、無事に返してくれるかな」
「ねぇ江藤さん、あなたは本当に絵梨香さんと いとこ同士ってだけの関係なの?」
「ああそうだ。それ以上でもそれ以下でもない」
波瑠はそう言う蒼汰の顔をじっと見た。
零の方に目をやると、無表情のまま、拡大した写真にだけ目を注いでいた。
「そこに来栖さんがいるから、そんなこと言ってるんじゃないんですか? 本当は絵梨香さんのことが、好きでたまらないとか?」
「確かに……そういう時期もあったかもな。でも今はすっかり切り替わった。本人の幸せを願うだけだ」
「本当に? じゃあ……」
「早く次の恋愛が訪れないかなって、思ってるとこだ」
「そうなんですね。 ヤダ、すごく江藤さんに会いたくなってきた」
「じゃあ会いに来れば? ただし、絵梨香も連れてきてもらうけどな」
「だから、彼女勝手に寝ちゃったんですって。こんなに重たいのに、背負って連れて来いとでも言うんですか?」
零は大きく息を
蒼汰に代わって、話し出す。
「もういいだろ」
零は先程とはうって変わって、低いテンションで切り出す。
「いったい何ミリ、飲ませた?『C16H14ClN3O』を」
相手は一瞬黙りこくった。
「化学式じゃわからないか? お前が彼女に渡したあの緑色の睡眠導入剤だ。いったい何錠飲ませた」
「なによ! 急に高圧的に」
「お前があの田中が引き起こした公園の強姦事件の直前に彼女の飲み物に薬を混入した証拠が上がった。近々それそれを土産にしょっぴく予定だった」
「そんな証拠あるわけない。言いがかりだわ」
「いや。ちゃんと見つけた。俺はジリジリとお前を追い詰める。どんな手で返してきたところで、絶対にな」
「どうしたの急に? あなた! そんな態度で、絵梨香さんに何かあってもいいの? 私はどんな手も下せるのよ?」
「今、確実に脅迫したな。しかも拘束してることを認めた。これは正当に犯罪に値する」
「だから……なによ急に! 恋愛相談、するんじゃなかったの?」
「茶番は終わりだ。今警察でお前の足取りを追っている。逮捕されるのは時間の問題だ。先に自分から出てきた方が得策だぞ」
「なんですって……あなたまさか、騙したの? さっきの恋愛話は……嘘なの」
「大嘘つきのお前にそんな風に言われるのも、どうかと思うが」
「許さないわ! 来栖零!」
そう言って電話が切れた。
「零、あんなに煽って、絵梨香の身に何か起こったりしないよな?」
「とにかく、場所の特定が最優先だ、画像の隅々まで調べて状況を把握する」
「零! 絵梨香のことは? あんな切られ方してさ、小田原がなんかしたらどうするんだ」
「時間勝負だ。エリが昏睡状態なら、簡単に動けない。何らかの別のアクションが起こればそこを突くし、動けないなら情報収集して突き止める」
波瑠は零の偽演的な変貌ぶりに、言葉を失ったままだった。
「さっきの話……」
「え? どうしたの、波瑠さん?」
「零のあれは、演技か? なんだか……」
蒼汰は溜め息混じりに言った。
「捜査の為なら何でも出来る。それがフィクサーだ。今日はもっぱら
そう言いながら、蒼汰はまた画像の中の絵梨香を見下ろした。
零はその場で高倉に電話をかけた。
「位置情報、どうでしたか? 絞れましたか?」
第126話 『Negotiator』ー終ー
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