第125話 『To Be Missing』

今日はいつになく早い時間に『RUDE BAR』に来ていた絵梨香は、波瑠に “友達と待ち合わせている” と言った。


今日はなんだか少し、彼女の雰囲気が違うように感じる。

明るく装っていても、その言葉の端々から滲む苦しみの感情が、徐々に高まってきていることが見て取れた。


あれ以来、零とも連絡を取っていないのだろう。

彼女の精神状態は良くないところまで、来ているのかもしれない。

自分と向き合う時間が長すぎて、あらゆる思考がマイナスに作用しつつあるのではないか。


絵梨香の発する言葉一つ一つにそう感じていた波瑠は、ますます心配になっていた。

友達と会うのも気分転換になるのなら悪くはないのだろうが、こういう時は蒼汰のカラ明るい会話が実に救いになる。


「とりあえず蒼汰が来るまで待ってみたら?」


そう言った波瑠の提案に、絵梨香は首を横に振った。


「ううん、もう待ち合わせの時間だから」


「そうか……誰と?」


波瑠の問いには答えずに、彼女は腰を上げた。


「じゃあ私、行くね」


「ああ……いってらっしゃい。絵梨香ちゃん、食事にいくんだったらさ、終わってからその友達つれてここに……」


「波瑠さん」


「ん? なに?」


「がんばれって……言ってくれない?」


「……どういうこと?」


「あ……ちょっと背中を押して欲しくなっただけ。ごめんなさい、変なこと言って……じゃあ」


階段を上る絵梨香に、波瑠が声をかけた。


「絵梨香ちゃん、がんばれ!」


絵梨香は振り向いて笑顔を見せた。

「ありがとう!」


「でも絶対一人で抱えちゃだめだよ。無理しないって約束して! お願いだ。心配だから!」


絵梨香はまたにっこりと笑って、ドアの向こうに消えた。




そしてそれから……

絵梨香の足取りが、途絶えた。




蒼汰が店に駆け込んできたのは、その3時間後だった。


「波瑠さん、今日、絵梨香来た?」


「ああ。早い時間に少しだけ来たよ。蒼汰、そんなに慌てて……どうしたんだ一体?」


「いくら連絡してもかからないんだ。最初は出ないだけだったけど、今度は電源をおとしてる。念のために人の携帯電話借りてかけてみたけど、やっぱり出ない。今、家の前を通ってきたけど、電気もついてなくて、真っ暗なんだ」

 

「絵梨香ちゃん、友達と待ち合わせてるって言って出掛けたぞ」


「友達?」


「ああ、この近所で待ち合わせてるって言って。“蒼汰にもメッセージ残した” って言ってたけど」


「いや、絵梨香は今日一度もオレには連絡してきてない」


「えっ! そうなのか!」


「普通だったらオレも、たった数時間連絡かつかないくらいでこんなに大騒ぎはしないよ。ただ、今日は不自然なことばかりなんだ」


「不自然なこと?」


「ああ……絵梨香は他にも嘘をついてるんだ。オレが会社ファビュラスに電話したら、スタッフに “江藤蒼汰さんから連絡があったら、今日は出先から直帰だって伝えてほしい” って言ってたらしくて。逆に由夏姉ちゃんには、オレと食事に行くって嘘を言ったらしい。実際には外に打ち合わせにも出てないし、定時に退社してるんだ」


「なんだそれ。由夏さんにまで?」


「ああ、もうそれって確信犯だよな? オレを牽制したってことか? オレに知られちゃマズイ相手と会ってるって……ことなのか?」


「絵梨香ちゃんらしくないな。確かに、話し方も不自然だったけど……」


「分からない! 本当に誰かと待ち合わせをしてるのかどうかすら、わかんなくなるな……」


夜が更けていっても、何度電話しても連絡は つかず、時折蒼汰が見に行っても、絵梨香の家の電気も消えたままだった。


「くそっ、繋がらない! どこに行ったんだ!」


時計を見る。11時を回っている。

「いくらなんでも遅すぎる!」


その時ドアチャイムが鳴って ドアが開いた。


一斉に見上げたふたりの前には、明らかに絵梨香とは違ったシルエットが見えた。


「零!」


暗くてその表情は見えなかったが、大きなストライドでこちらにやってくる零の姿から、ここに来た理由が見てとれた。


「彼女から連絡は?」


波瑠は首を横に振った。

「零、どうしてここへ?」


「由夏さんから連絡をもらいました」


零は次に蒼汰の顔を見る。


「零、絵梨香と連絡がつかないんだよ。家にも居ない。絵梨香は、オレにも由夏姉ちゃんにも波瑠さんにも嘘をついて、誰かに会いに行ったらしいんだ……なぁ零……どうしたらいい」


零は一瞬、くうを仰ぐと息を整えて言った。


「ここまでのいきさつと、本人の言ったことを、なるだけ忠実に聞かせてください」


蒼汰は由夏から聞いたことを、波瑠は絵梨香がこの店を出る寸前までの彼女とのやり取りを事細かに話した。


「この近くで会うことになってるって言うから、最初に聞いたときにはてっきり地元の女友達だと思い込んで話をしていたんだけどな。ただそんな友達がいたなんて聞いたことがなかったし、今度ここに連れておいでって言ったんだ。そしたら絵梨香ちゃん、少し顔をこわばらせて “それが、できたらね” なんて言って……」


「どういう意味なんだろ?」


「俺も聞いたんだけど、“なんでもない” ってはぐらかされた。そういえば絵梨香ちゃん、ノンアルコールカクテルを飲んでたんだけどさ、“お酒にすればよかったかな” なんてことも言ってたぞ」


「絵梨香らしくない……変だな」


「それにさ、“誰にだって感情に任せたことで、してしまう過ちってあるよね?” って聞かれたんだ」


「なんだそれ? ずいぶん抽象的な……」


「それに……確か、“間違いを認めれば、罪は軽くなるのか” とか言ってたな?」


零が静かに言った。

「波瑠さんはなんと答えたんですか?」


「ん……“罪の大きさにもよる”って。“取り返しのつく罪と、そうじゃない罪もあるだろうし” って言ったかな」


「そうですか」


「あまりにも不思議なことばかり言うからさ、“それって『月刊 fabulous』に投稿するエッセイのテーマなの” って聞いたら、あっさりそうだって言われたよ。ごまかされちまったな」


「他に気になることは?」


「ああ、あった。“知らず知らずのうちに、人を傷つけたり、寂しい思いさせてる事って……あるんだね” って、なんか思い詰めた顔して言ってた」


「なんか深刻だな……誰のことだ?」


「これは “自分にとってのテーマ” って言ってたよ。ただ、そのあとに “少し……怖い” って言ったんだ。気になるだろ」


「怖い?」


「ああ、“みんなが守ってくれるから、ぬくぬくした環境で人の気持ちに気が付かずに甘やかされてきた” って。“その結果知らないうちに誰かを傷つけてた” とも言ってた……」


「くそっ! 何のこと言ってるか全然わからない!」


「あとは “自分で解決したい” とか、“自分の存在価値がわからない” とか……なんせ後ろ暗いことをやたら言ってたな。しかも最後に “頑張れって言って” って……そう言われたんだ」


「その相手に会うのにかなり勇気が必要だってことだよな? なんだよ! そうとうヤバい相手とか?」


「零! 黙ってないでお前の考えを話せよ! お前の頭なら解るんだろ!」


零はぎゅっと目をつぶり、顔を右手で覆う。


「零、どうしたんだ? まさか! ホントにわかったのか!」


蒼汰が零の顔を覗く。


「最重要参考人だ」


「は?」


「捜査員が総出で証拠固めに走り回ってる。任意同行の度にかわされてきたが、だいぶん追い詰めたんだ。あと一歩のところまで……」


「それってもしかして……」


「ああ、小田原佳乃だ」


「なに! あの女か!」


「それってここで捜査会議してた時に何度か聞いたことのある名前だよな?」


波瑠の質問に蒼汰が答えた。

「ああ、西園寺のじいさんが亡くなった事件の葬儀社の担当でもあるし、絵梨香を襲った犯人の同僚でもあり、あの事件当日、寸前まで絵梨香と会っていた。しかも、この辺りを騒がせたあの切り付け事件の被害者でもあるんだ」


「え? その女性がそんなに色々な事件に関わってるのか?」


零が俯き加減に話す。

「ええ、蒼汰にもまだ話してない事ですが……あの切り付け事件自体が、小田原の自作自演の疑いがあって調査していたんです。エリを襲った犯人には、6年前に小田原自身も被害に遭っていたことが判りました。復讐のためにあの葬儀社に就職したのかもしれないと、捜査をすすめていたところです。エリが襲われた直前、小田原が多量の睡眠導入剤をエリの飲み物に混入した疑いも、近々突き付ける予定で……追い詰められると思ったんですが、相手は先手を打ってきた……小田原が犯罪心理学の履修者だってことを……もっと念頭に置いておくべきでした……」


「絵梨香ちゃんだって、葬儀社に聞き込みを手伝いに行ったりしてただろ? なのに彼女はなにも知らなかったのか?」


「ええ、まだ証拠が揃ってない段階では口外できなかったので。不覚です……まさかエリに矛先が向くとは……話しておくべきだったかもしれません……」


そう言ってうなだれる零に波瑠が言った。


「いや、絵梨香ちゃんのあの口ぶりなら、もしそういうことがわかっていても、同じことをしたかもしれない。そういった決意というか……脅迫されていると言うよりも、自分のことを罪深いと思ってるような……そんな雰囲気だったから」


「絵梨香は小田原になんか言われたんだろうな」


「おそらく、小田原のストーリーに誘導されて自責の念に駆られるような心理状態に追い込まれたんだろう」


「じゃあ、なに? 絵梨香は誘拐されたってことになるのか!」


「拘束されているのかどうかがわからない……本人の意思で連絡を絶っているのか、もしくはそれを強いられているのかも……」


「どうしたらいい、零!」


零はおもむろに携帯電話を取り出した。


「零、どこにかけるんだ?」


「小田原佳乃だ」


波瑠と蒼汰が目を合わせる。


零がスピーカーに切り替えてテーブル置くと、ワンコールで相手が出た。


「わぁ! 来栖零さんから直々にお電話頂けるなんて、嬉しいなぁ!」


そのテンションの高い声とは裏腹に、『RUDE BAR』の3人の間には、張り詰めた空気が流れた。


第125話 『To Be Missing』ー終ー

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