第124話 『Hospitalize』

病室の零は、バツが悪いのも手伝ってか、波瑠が入室しても作業をやめようとしなかった。


「こんな部屋に閉じ込められて病院着を着せられているだけでも、充分ストレスを感じていますよ。……波瑠さん、朝からわざわざすみません」


その謝罪の言葉だけが、零の本音のような気がした。

波瑠は茶番劇に付き合う。


「全く! 聞いてあきれるな。大の男が栄養失調だと? どうせ食べてもないし寝てもないんだろ。人間ってのはな、1日1日年を取ってるんだ。劣化してんだよ。お前の感覚が何歳で止まっているのか知らないが、お前だってもう20代後半なんだろう。いつまでも若いと思うなよ」


零は自嘲的に笑った。     

本人は分かっているのだろう。

倒れた原因が栄養失調でないことも それを俺がわかって話していることも。


零はまたPTSDを起こしていた。

波瑠はこの病室を訪れる前に、先に天海院長に面会し、零が倒れた時の状況を聞いていた。


さて、この素直じゃない男を、どう料理しようか?


「もう気分は戻ったのか?」


「……はい、今はもう」


「正直、ビビったんじゃないか? これまでも何度も自分でかわしてきたんだろうが、それが通用しないくらいひどい症状が出たって事なんだろ? 違うか?」


「はい、そうです」


「零……」


「波瑠さん、すみません。ご迷惑おかけして」


「バカだなぁ。そんな言葉は要らないよ。自分の感情を無視するから、心にしわ寄せが来るんだ。謝るなら自分の心と絵梨香ちゃんに対して謝れよ」


零がバッと顔を上げた。


「なにも我慢するな。心を解放しないとこの病気には勝てないぞ。気になってるんだろ? 絵梨香ちゃんのことが」


零はまた力なく俯いた。


「昨日の夜、お前が車に乗ってるところを、蒼汰が偶然目撃したんだ。さすが親友だな、アイツはお前の異変に気が付いてたよ。すごいだろ? 車で走り去るお前を見ただけでだよ。アイツ、すぐ店に戻ってきてさ、いきなり俺の携帯使って絵梨香ちゃんに電話したんだ。俺は最初なんでそんなことするのがか解らなくてな。蒼汰が電話しても絵梨香ちゃんは出なかったんだそうだ、それがどういうことを意味するのかアイツは一瞬で察したんだろうな。結局、連絡は繋がったが、絵梨香ちゃんは蒼汰と会おうとしなかったから俺が会いに行ったよ」


「……波瑠さん」


「もちろん彼女が詳しく話すはずない。だから何があったかは俺の想像でしかないけど……お前が拒否ったんじゃないのか? 蒼汰のことを考えると気持ちが前に進まなかったか?」


零は俯いたまま、何度か首を縦に振った。


「バカだなお前は! そんなことしても誰も幸せにならないって、わかってるんだろう? 彼女を傷付けるとわかっているのに、お前自身がコントロール不能になったか。まあ……でなきゃお前もここまで落ちてないわな」

   

波瑠は零のそばに寄って、その肩に手を置いた。


「もう、お前は限界超えてたんだな。辛かったろう」


零の顔に、初めて苦悩が浮かんだ。


「全く……最初からそんな顔しろよ。お前も……」


“お前も絵梨香ちゃんも似た者同士だ”

その言葉を、波瑠は飲み込んだ。

今の零には、昨夜の彼女の気丈に見せかけながらも痛々しいほど苦しみを抱えていた姿など、伝えられなるはずもない。

波瑠は昨夜ドアが閉まる寸前に座り込んだ、絵梨香の影を思い出していた。


二人の中には同じ思いがある それなのに……


「零、カウンセリング受けたらどうだ?」


零は深呼吸するかのように息をついた。

「天海先生から、聞いたんですね」


「まぁな、お前の言い分もわかるけど」


そう言って波瑠はソファーに腰を下ろす。


「だけどな、お前みたいに忙しい人間は、無理矢理にでもそういった機会を作った方がいいんだよ。何もかもをカウンセラーに吐露する必要はないさ。ただ自分にそういう疾患があるってことを実感する時間を持つことに意味がある。でなきゃ忙しさにかまけて、また放置したまま心を削ぎ落としかねないぞ。そういったことの歯止めっていう意味でさ、俺はカウンセリングの時間を持つべきだと思う」


波瑠はまた零の肩に手を置いて、微笑みかけた。

零の表情が少しほぐれた。


「わかりましたよ波瑠さん。さっさと受けます。受けないと、天海先生も退院させてくれないかもしれませんしね」


「それはありうるぞ。なんせ、天海先生もやり手だからな。お前も結構、手の内読まれてるわけだし?」


「波瑠さんをここに投入するだけで、既にやり手ですよ」


「甘いな! お前の敵は天海先生だけじゃないぞ。俺をここに回し入れたのは高倉刑事だ」


「……なるほど」


零はようやくソファーの背もたれに体を任せて 力を抜いた。


「波瑠さん……すみません」


「お前にもようやく、みんなの思いが分かるようなったか」


零は頷いた。


「絵梨香ちゃんのことは、しばらくは俺と蒼汰で見守るよ。だからお前は心配せずに、自分の心の処理を優先的にしろ。社会復帰することがお前が1番早く立ち直る方法なんだろうからさ」


病院を出て自宅に着いた時に、蒼汰から連絡が入った。

無事にランチタイムが遂行できたようだ。

昨日泊まった蒼汰は、今日は店に寄らずこのまま帰宅すると言った。

安堵に混じって少し疲労も感じられる声だった。

傷心の彼女を前にして、相当頑張ったのが想像できる。


「ご苦労さん、蒼汰、零には俺から連絡をいれるから心配するな。絵梨香ちゃんは頼んだぞ」




翌日、高倉警部補から波瑠のもとに電話があり、零が復帰して早々に会議に出ていると告げた。


きっと昨日あれからすぐにカウンセリングを受けて、それをたてに、退院することを天海院長に直談判したのだろう。


入院が短期間ということもあり、波瑠はそのことを蒼汰にも絵梨香にも告げないことにした。

零もきっとそう望むだろうと思った。


それから絵梨香は毎日『RUDE BAR』に来るようになった。

傍らには蒼汰がいる。

ほんの数ヵ月前の平穏な日常にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。


もう秘密裏に後をつけるようなこともなく、絵梨香と蒼汰は会社の前で待ち合わせて、一緒に電車に乗って、一緒に駅から歩いて川沿いの道をまっすぐここに来る。

事件すらもなかったかのように。


毎日、他愛もない話をして、懐かしい昔話もして……それに関しては話題に事欠かない年月と絆が二人の中にはある。


彼女の人生の中で、零のいない時代の話を切り取ってコラージュしながら、おもしろおかしく、きりのない話をしては笑い、時間を埋めるように過ごしている。


そんな一週間が過ぎ去った。

彼女は零に電話をしていないだろうし、連絡を受けてもいないのだろう。

一人になる時間をなるべく短くしようとして、余白のない会話を続けているように見えた。


そのうち絵梨香は、会社から定時に帰る生活から残業する日々が増えてきた。


蒼汰が自分が迎えに行く条件として、絵梨香を仕事主体の毎日に戻してやってはどうかと、由夏に提案したらしい。

二人の思惑通り、彼女はそれを快く請け負って絵梨香は積極的に仕事にも打ち込めるようになったようだ。


高倉刑事からもらった電話で聞いた限りでは、零も順調に事を運ばせているようで、捜査自体ももはや佳境に来ていると、彼の言葉も幾分高揚しているようにとれた。幸いなことに入院したことも捜査員たちに知られることもなく過ごせているらしく、そういう意味で零の心的不安は低減されているだろうと思った。



ドアチャイムが鳴る。

まだ陽の高い 外の光が眩しくてそのシルエットだけがあるの目に映る。


「いらっしゃい、絵梨香ちゃん」


彼女はヒールのかかとを鳴らしながら 階段を降りてきた。


「波瑠さん、こんにちは」


「ははは、まだ “こんにちは” って感じだな。絵梨香ちゃん、今日はやたら早くない? 珍しいね」


「あ……人と会う約束したから定時で上がらせてもらったの」


「蒼汰は知ってるの?」


「蒼汰は会議で抜けられないから、メッセージだけ残してきた」


「じゃあ……一人でここまで?」


「うん。久しぶりに」


「そっか、まあ……子供じゃないんだしな」


「そうだよ」

絵梨香は笑った。


いつも心配をかけまいと、ここしばらく彼女は明るい態度で過ごしている。

そうしているうちに本当に明るい心が芽生えることだってある。

人と会うというのは珍しいが、そういうことをしようと思う心の変化は、きっと大事なことだろうと思う。


「待ち合わせ前にわざわざ来てくれたんだ?」


波瑠は、絵梨香がオーダーしたノンアルコールカクテルを彼女の前に置いた。


「ええ、この近くで会うことになってるから」


「そうなんだ? 地元の人か! そんな友達がいたんだね。今度ここに連れておいでよ」


「……それが、できたらね」

彼女の顔に少し緊張が走ったように見えた。


「ん? できたら?  それどういう意味?」


「ううん、なんでもないの」


そう言いながら半分近くをグラスを傾けながらグイっと飲む。


「やっぱりお酒にすればよかったかな?」


「絵梨香ちゃん、なんか変だよ? どうかしたの?」


絵梨香はまっすぐ前を向いたまま続けた。


「波瑠さん、誰にだって感情に任せたことで、してしまう過ちってあるよね?」


「ん? どうしたの、急に」


「間違ったことを “間違った” って認めれば、罪って軽くなるのかな?」


「ん……抽象的すぎてよく分からないけど、その罪の大きさにもよるんじゃないか? 取り返しのつく罪と、そうじゃない罪もあるだろうし」


「そうよね……」


「どうしたの? 『月刊 fabulous』に新しいエッセイでも書くの?」


「あ……そうそう!  新しいコラムのテーマを探しててね」


「なんだ、そういうことか。“罪” とか言うから、びっくりするじゃない」


「ごめんなさい」


絵梨香はもう一度グラスをあおった。

カランと氷の音をたてて、空になったグラスを握りしめながら、指先を見つめている。


「知らず知らずのうちに、人を傷つけたり、寂しい思いさせてる事って……あるんだね」


「どういうこと? それもまた新しいテーマ?」


「ううん、これは自分にとってのテーマかな」


「今日はなんだか、感慨深いな。絵梨香ちゃん、何かあったの?」


「少し……怖いのかも?」


「怖い? どうしたの? 何か困ったことがあったら、何でも言ってくれないと! 約束だろ?」


「ありがとう……いつもそうやって、みんなが私を守ってくれてた。そんなぬくぬくした環境で、私は人の気持ちに気が付かずに甘やかされて生きてきたみたい。その結果知らないうちに誰かを傷つけてるようなことがあったなんて……」


「絵梨香ちゃん、何のこと言ってるの? 何かに悩んでるんだったら、打ち明けてくれたらいいじゃない!」

 

「ありがとう波瑠さん。でもね、私だって自分で解決したいこととか、あるのよ。自分の足で立たなきゃ、自分の存在価値がわからなくなる時がある……特に今みたいな宙ぶらりんな時はね」


彼女の心は行き場を探して、さ迷っているんだろうな。


零とのことも解決しないまま、愛しい人に会えないどころかその名前も口にしない毎日のなかで、声にならない悲鳴をあげているのかもしれない。


そう思いながら、再び絵梨香に目をやる。

絵梨香は、波瑠に笑顔を返す。

精一杯の強がりの微笑みを。


そしてスッと真顔になった絵梨香は、おもむろに立ち上がった。


第124話 『Hospitalize』ー終ー

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