第122話 『Crying All Night Long』

蒼汰が『RUDE BAR』から出て、大通りに向かって歩き始めた時、桜川の交差点からタイヤの音を鳴らしながら一台の車が荒々しい運転で北上して来た。


その車のナンバーにも運転手にも見覚えのあった蒼汰は不穏な空気を感じ、急いで絵梨香に電話をしたが、何度かけても出ない。


蒼汰はもと来た道を戻り『RUDE BAR』の階段をかけ降りた。


驚いた顔をした波瑠にスマホ借りて、絵梨香に電話する。


たった2コールでその電話に出た絵梨香の声は、いつになく怯えているようで、通話の相手が蒼汰だと知れてからは返事もなく、ただただ重い空気だけが伝わってきた。


「なんで何も言わないんだ? 絵梨香」


「……」


「とにかく、今から行くから!」


「……ううん」


「なに? なんて?」


「……いい」


「なにが? とにかく、今から行くから」


「ダメ……」


「なんでだよ!」


「……来ないで」


「は? 来ないでって……いや! 何が何でも行く! だってさ……何かあったんだよな……そうだろう絵梨香」


「お願い……来ないで、蒼汰」


波瑠が蒼汰から携帯を取り上げた。


「もしもし絵梨香ちゃん、波瑠だけど。いくら拒否ってもさ、蒼汰が引き下がると思う? そうだろう? だったら……そうだな、蒼汰の代わりに俺がそっちに行くっていうのはどう? 明日休みだよね? 遅くなっても構わない? あと30分くらい。 嫌じゃない? あ、もちろんわかってるよ。蒼汰のことが嫌なんじゃないのは。うん、わかった。じゃあ伺うね」


スマホを耳からはずした波瑠は、じっと見つめていた蒼汰の肩に手を置いた。


「俺がちゃんと話し聞いてくるから、お前は今日はさ、先に俺の家に行っとけよ。な?」


そう言って波瑠は、蒼汰に自室の鍵を渡した。



波瑠が『カサブランカレジデンス』の7階に降り立つ。

そのドアはすぐに開いた。

絵梨香はその隙間から申し訳なさそうに波瑠を見る。


「……どうぞ」


波瑠がそうリビングに通されると、そこには香ばしいコーヒーの香りが立ち込めていた。


「挽き立てだね」


「ええ、すぐ淹れるね」


“いいから座って”ってと、そう言いかけて波瑠はその言葉を飲み込んだ。


何かしていないと落ち着かない様子だった。

面と向かって話ができないのだろう。

いつになく彼女は、そわそわしている。


キッチンに向かう、その背中に声をかけた。


「……零が来ていたんだろう? 蒼汰が零の車を見かけたって言ってたからさ」


絵梨香が返答に困るのは見てとれるので、そのまま話を続ける。


「心配させるような言い方は、あまりしたくないんだけどさ、蒼汰がその零の車を見た時に…… 何か感じたらしいんだよね。あいつらはさ、無二の親友だから、そういったちょっとした行動から、見たくはなくても心の中が見えることがあるみたいだ」


「……どんな……」

背を向けたまま絵梨香が言った。


「ん? なに?」


「彼は……どんな様子だったって、蒼汰は言ってた?」


「うん、やっぱり蒼汰が気にするぐらいだから、いい顔をしてなかったんだろうな……」


カップを二つ持って顔を曇らせたまま、ソファーに近づいて来る絵梨香を、いたわしく思いながら続ける。


「別に話したくなかったら話さなくてもいいんだ、でも絵梨香ちゃん一人では抱えきれないんじゃないかなと思ったから……蒼汰もそう思ったから、強引にでもここに押し掛けようとしてたんだろうしな」


うんうんと頷く絵梨香の顔を覗く。


「零と……喧嘩でもしたの?」


絵梨香は首を振った。


「……ほとんど、会話はしてないの」


淹れたてのコーヒーを波瑠の前に置いて、絵梨香はぽつりと言った。


カップに指を伸ばして、香りを確かめる波瑠がほんの少し言葉に迷ったことを察して、絵梨香は一つ大きく息をついて話し始めた。


ギャレットソリアーノに彼が迎えに来てくれたこと。

その後行った、Jazz Bar『Moon Drops』で、少し零の態度がおかしいと感じたこと。

その後は逃げるように帰ってしまったこと。

そしてそれからは、数日に渡って連絡もなかったこと……


「その『Moon Drops』での電話ってさ、絵梨香ちゃんは零に“誰から”って聞いたの?」


「誰からって……っていうより、そういえば私の方から “高倉さんから?” って聞いちゃって……そしたら零が “そうだ” って言ったわ」


「そうか……ごめん、それは俺なんだよ」


「え、そうなの? でも……別に波瑠さんから電話あったこと、隠す必要なんて」

 

「それがさあ……蒼汰がギャレットソリアーノに行って二人のことに気付いたって事を……俺がその電話で零に伝えたんだ。その時は、蒼汰は店に来て酔っ払ってたからね。あ……本人から聞いた?」


「うん」


「二人揃って来ることはないとは思ったけど、一応、店に飲みに来るなって連絡したんだ」


「そう」


「ごめんな……きっと零はその時に感じた罪悪感のせいで、その日はさっさと帰っちまったのかもな。あれから今日まで連絡なかったの?」


絵梨香は頷いた。


「捜査が忙しいって、この前佐川さんも言ってたでしょう、だから私も連絡するタイミングを失っちゃって。でも今日はついに、我慢できなくなっちゃって……ほんと一言だけなんだけど “会いたい” ってッセージ送ってしまったの。そしたら急に来てくれて、すごく嬉しかったんだけど……」


「ちょっと、絵梨香ちゃん!」


波瑠が焦ったように絵梨香の肩を支え、側にあるティッシュボックスに手を延ばした。


「え……」


絵梨香の目からとめどなく、大粒の涙が溢れ出していた。


「波瑠さん、どうしよう。すごく……苦しい」


そう言って、胸を押さえて前のめりにうつむく絵梨香の背中を、波瑠は優しくさすった。 


「波瑠さん……」


「なに?」 


「レイに……に言われちゃったの。“蒼汰を裏切れない” って」


「え……零がそんなことを……」


波瑠は息を飲んだ。


「……あいつが葛藤してるのは予想してたが、そんなことを言ったら蒼汰が悲しむなぁ。蒼汰はさ、自分から零のとこに出向いたんだ。昨日かな。それでちゃんと話をしたはず……なんだけどな。零の中ではどうしても蒼汰の気持ちが拭えなかったってことか……」


波瑠は絵梨香の身体をそっと起こして、ソファーにもたれさせる。


「ホント、男はバカな生き物なんだよ。悩むとさ、衝動的にとりとめのない行動を起こしたりする。そのせいで、好きな女を悲しませてるのに、そんなデリケートな自分をコントロール出来ずにいるんだな。もどかしいよ。君たちもみんながみんな、ちゃんとした思いがあるのに……それでもうまくいかないことがね」


絵梨香はもう涙を止めることが出来なかった。


「絵梨香ちゃん、ずっと泣きたかったんだろう? さすがにこうなって、蒼汰に話し聞いてもらうわけにもいかなかっただろうし、絵梨香ちゃんはずっと一人で……抱え込んできたんだな。辛いだろうに……」


波瑠は絵梨香の頭に手をやって、そっと優しく撫でた。


「絵梨香ちゃん、後から耳に入るのは良くないと思うから、今こんな状況だけど一つ話しておこうと思うことがある。いいかな?」


絵梨香はゆっくり顔を上げて、掴んだティッシュを顔に当てて頷いた。


「零に辛い過去があるのは……知ってるよね?」


絵梨香はまた頷く。


「ちょっと落ち着いて聞いてね?」

そう前置きをして、波瑠は話を始めた。

絵梨香を襲った強姦未遂犯が、生前に所持していた古い端末から出てきた数多くの写真の中に、零の婚約者の女性の写真あったことを。


絵梨香は驚いて顔をあげた。


「零も分かっているんだ。それを調べた事によって何が起きるわけでもなく、むしろ自分に余裕がなくなることで、絵梨香ちゃんにも寂しい思いをさせて負担をかけてしまうこともな。でも零は、無念の死を遂げた彼女の、事件の全貌を掴むのは自分しかいないって、そういう使命感に突き動かされてるんだ。見過ごすことはできないだろうし、見ないふりをしたところで 罪悪感がつきまとうことも、わかってるんだろうな。今は普通の捜査に加えて、誰の手も借りず独自にそっちの件も調べているらしい。蒼汰と向かい合ってちゃんと話が出来たのは良かったんだけど、その分の心の中のキャパシティが狭くなってしまったんだろうな。……大丈夫だよ、絵梨香ちゃん。これは一時的なものだ。俺はそう思うよ」


絵梨香は言葉は発せずに、何度も頷いた。


「俺も零に連絡してみるから。状況はちゃんと絵梨香ちゃんに伝えて、少しでも絵梨香ちゃんの不安を軽減させるから、だからちょっとは眠りなよ。夜は長いけどさ、夜明けが来ないことは絶対にないから。零の気持ちを信じて!」


絵梨香はまた涙をポロポロ流しながら、波瑠の言葉に頷いた。


第122話 『Crying All Night Long』ー終ー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る