第119話 『A True Friend Stabs Me In The Front』


波瑠との電話を終えた零は、さっき閉めたノートパソコンを再び開く。

画面には、いくつかの写真が並べられていた。

そこにはかつて愛した人が、微笑んでいたり日常的な風景の中で自然に振る舞っている写真がちりばめられていた。


目にしたのは何年ぶりだろう。

まさかこのフォルダを開く日が来るとは、思ってもみなかった。

しかも捜査の一貫として、などとは……


分かっている。

今、俺がやっていることは、何にも繋がらないと……


かけがえのない失われた命……

自分の中の思いは行き場もなく、成す術もないまま、ただがむしゃらに何かをつかもうと手を伸ばしているだけに過ぎない。

仮に何かつかめたとしても、それが指の間から砂のようにすり抜けていくと……

分かっているはずなのに、手を伸ばさずにはいられない……


そして、胸に痛みを感じる。

エリ……

彼女ことを思うほどに、その痛みがどんどん増してくる。


突然ext内線電話が光り始めた。

それを使うのは、おおかた執事の松山だろうが、彼もめったにそれを鳴らさないはずだ。

なので緊急性のあることなのだろう。


「はい」


「零さま、お客様です。お通ししても」


「ええ」


松山が相手の名前も言わず、しかも、直接自室に通すのは、近しい人間……


このシチュエーションはかなり久しぶりだったそれこそ数年前……


そう思っているうちにノックが三回鳴った。


「はい」


当時のように、ぶっきらぼうに言う。


思い通りの顔が入ってきた。

当時と同じように、秋山の代わりにトレーに乗せたコーヒーカップを持って、同じルートでソファーまで進み、テーブルにそれを置いた。


しかしお互い、当時のような表情ではなかった。



ソファーに腰を下ろした蒼汰は、話し出した。


「久しぶりにここに来たけど、なんとか迷わずに来れたな」


「蒼汰……」


「松山さんもさ、全然変わってないじゃん。むしろ若返ったっていうか? 何かやってんじゃね?」

 

「……蒼汰」 


「なんだよ、うるせぇなぁ。ここに居んだろうが?」


「蒼汰、俺は……」


「謝ったり、しないでくれよな。零」


「蒼汰」


「絵梨香と話したんだよ。 “オレが気が付かないとでも、思った?” ってさ」


零がハッと顔を上げた。


「わかってたんだ、こうなること。多分、こうなるずっと前からな。オレの存在が、お前たちを苦しめてることも……」


「ちがう!」

零は腰を上げかけた。


「違わねぇよ、でなきゃオレもずっと恐れてたりしないだろ? だからって覚悟ができていた訳じゃない、だから、いざあの海沿いの駐車場にお前の車を見たときは……そりゃ心が荒れちまったけどさ。零に嘘を言っても仕方ないから言うけど、二人の影が寄り添うのを見てさ、ほんの一瞬だけど、“零が誰かを愛して抱きしめる日が来て良かった” なんて、変な感情が流れたりしてさ……それくらい、オレは零には幸せになって欲しかったからさ。支離滅裂なんだけどな。手放しで喜んで、それこそ酒盛りでもせんばかりに祝福してやりてぇけど……ごめんな、まだ無理そうだ」


「悪い、蒼汰……言葉が見つからない……」


「へぇ、“フィクサーは恋愛がニガテ” ってか? コメディドラマのタイトルみてぇだな。笑えねぇか。でも、来てよかったよ。お互い顔見て話さなきゃ、不自然に時間だけが過ぎて 耐えらんねぇぐらいのぎこちない毎日を送るとこだったからな。オレらずっと伴走してきたじゃん。酒飲むのも遊ぶのも、事件を捜査するのも。たった数日離れただけでオレは、なんか 気持ちが宙ぶらりんになったぞ。シャーロックホームズを失ったワトソンの心境だな。オレから それまでも取り上げたりしないでくれよな」


蒼汰はそこまで言うと、組んだ指先をじっと 見つめてから目を瞑った。

そして大きく息をくと、すっと立ち上がって、カーテンのない大きな窓の方に向かって歩き出した。


「ここからの眺めってさ、西園寺家の部屋から見える景色と少し似てるよな。今は何も見えないけど、草木のさわさわした音、好きだった。でも今は少し不安になる。最近は嵐ばっかりだったからな。零、そんな胸騒ぎをさ、もう終わりにしたいんだよ。お前の心が乱れるとさ、 結局そのしわ寄せをこうむるのは、絵梨香なんじゃないのか?」


零はソファーに項垂れたまま言った。


「俺は……エリを不幸にしかしないんじゃないかって、そう思えてならない」 


「ほぉ、“エリ” ね。そう言われるとオレらよりも、もっと前からお前たちのストーリーが始まってるような気になっちまうな。だったら尚更、絵梨香を不安にさせるな。お前がオレに遠慮して踏み出せないなら、それはオレが絵梨香を不幸せにしてるって事になるんだぞ。そんなのは、まっぴらごめんだ! オレのせいにすんなよな、絶対に。オレに遠慮はいらない」


そう言って振り返った蒼汰は、ソファーの方向へ歩きかけて立ち止まった。


「何だ、アレは?」


そしてパソコンが開いたままの机へ歩み寄った。


「これは……」


そう言ってパッと零の顔を見た。

青ざめた表情の蒼汰に向かって零は立ち上がって 言った。


「蒼汰、それは捜査の……」


「聞いたよ。絵梨香を襲った犯人が零の婚約者の写真を所持してたってことは。独自に捜査してるんだって? ろくに寝もしないで。だけどお前さ、こんな時間にこんな精神状態で、しかもこんなにガチで彼女の写真を見てるなんて……そりゃみんな心配するはずだな」


「え……」


「手の内をバラすとさ、高倉さんと佐川さんに相談されたんだよ。それから波瑠さんとも話した。オレだってさ、お前に会うのすら勇気がいる状況だろ? だけど、会わなきゃなって思いながら体が動かなくてさ、だから相談されて背中を押されたって感じなんだ。それでようやくここに来られたってわけ。知ってても、この写真をの当たりにするとな……なんて言っていいかわかんなくなるな、苦しくて」


「……わかってるんだ、俺も。自分のやってることが、何も成さないことを」


「そっか……でも、それでもお前が動かずにはいられない気持ちはオレにだって分かるよ。彼女とお前の関係をすぐそばで見てたんだから。だけどさ、ひどいこと言うように聞こえるかもしれないけど、絵梨香には関係ないだろう? そこでお前の気持ちが揺らぐのか? 違うだろう。そりゃそうなんだろうけどさ、だけど絵梨香が知ったら、どんなに苦しむと思う? 想像してみろよ、永遠にお前の心の中にいる勝てない相手に対して、絵梨香がどう思うのか。そんな残酷な思いをさせたいのか?」


零は首を振った。

「正直、どうしていいかわからないんだ」


蒼汰は零をまっすぐ見据えた。


「零、それをオレに吐露するのはお門違いだ。男としてちゃんとけじめをつけて、そして……一秒でも早く、絵梨香と向き合ってやってくれ。オレが言えるのはそれだけだ。邪魔したな、帰るよ」


「蒼汰、今日は……」


「何も言うな。オレの気持ちも考えろよ、色男イロオトコ! じゃあな」


蒼汰は後ろ手で手を振って、そのまま振り向かずにドアを閉めた。


第119話 『A True Friend Stabs Me In The Front』ー終ー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る