第118話 『Stall』
事件現場の公園で聞き込み捜査をしていた佐川は、零との通話の最中、偶然にも三人と遭遇したことを告げた。
しかし電話の向こうの零は、さして興味がないような反応だった。
そういえば数時間前には、伊波さんは零くんと会っていたはずだ。
なのに、伊波さんも何も言わなかった。
あの駅前の喫茶店で見た二人の間には、重苦しい空気がただよっているように見えた。
事件とは別件ということか……
そう思いながら、彼らの後ろ姿を眺めていた。
怪我の功名というやつか、その手がかりは不意に訪れた。
聞き込みのために立ち寄った事件現場の公園で、同行していた若い捜査員がポケットから、いくつかの写真を落とした。
近くにいた子供たちがそれらを拾ってくれた。
「おお、ありがとう」
「あれ? このお姉ちゃん知ってるよ」
ひとりの子供がそう言い、そこに居た五人の子供たちが集まってきた。
「本当に? このお姉ちゃん、どこで見たの?」
「うんとね、もっと黒い格好してたけど、あの辺の草の生えたところにいたよ。ぼくらもボールがそこに入っちゃったからさがしに行ってて……」
「オレ、この人になにかさがしてんの? って聞いたら、別にって言って。その時はアメとガムもらった。そのあとも2回くらい見た。だよな?」
「うん!」
五人とも頷いたところでフィクサーに電話を入れたのだった。
「零くん? 顔色が良くないようだが、急にどうした?」
高倉は、佐川との通話の後の零の様子が気になっていた。
「いえ、別に何でもありません」
「佐川はあの事件現場になった公園に行ったんだよな?」
「はい、目撃者が見つかったそうなので、これから証言を取るそうです」
零の返事はどこか上の空だった。
まあいい。
後で詳しく佐川に聞けばいいだろう。
そう思って改めて零を見る。
今日、駅前の喫茶店で伊波さんに会ったそうだか……
「零くん、昼メシはどこで食べてたんだ?」
「あまり食欲がなかったので、コーヒーで済ませてしまいました」
「それは良くないな。ちょっと署に戻る前に何か食べよう。実は俺は食いっぱぐれててな。腹が減ったし、付き合ってくれ」
「わかりました」
「ところで、コーヒーはどこで?」
「あ、ちょっと駅前の喫茶店に入って」
「そうか」
彼がそれ以上言わないということは、伊波さん のことは伏せるつもりらしい。
こちらも零くんに話を詰めるより、伊波さんから聞いたほうがよさそうだ。
高倉は零と一緒に、絵梨香の自宅ポストに投函されていた “黒い紙” に張られていた切り抜き文字について調べていた。
元々新聞を取っていなかった田中が、3週間前から急に取り始めていたことも不自然であったし、既にどの文字を引用しているかも警察は突き止めていた。
あとは、それが田中の仕業である断定をするための裏付け調査をするために、二人は新聞販売店に来ていた。
記録を調べてもらうと、前払いで一ヶ月分払っていた。
電話で住所が告げられ、普通は集金という形で購読料を回収にいくが、購読料をわざわざ前もって払いに来た人物がいるという。
その時に対応したバイトの青年は販売店を辞めていたので、何とか捕まえて訪ねて行き、証言をとった。
自宅で寝ていたその元従業員に聞く。
支払いに来たのは女性だったと証言した。
「相当高さのあるヒールをはいてたけど、多分小柄だな。ロングヘアーでサングラスもかけてて……」
持っていた小田原佳乃と絹川美保子の写真を見せるもピント来ない感じだった。
「もっと派手な感じで……赤いバッグから金を出してました。なんかガチャガチャ着けてて……」
零が高倉と目配せをした。
高倉が佳乃のバッグを撮影したものを見せる。
「あこれこれ! くまのギラギラした青の……色合いがキツいなって思ったから、覚えてて。間違いありません」
捜査会議場に戻ると、そちらにもいくつか情報が入ってきていた。
事件の寸前『
たまたま、街中のライブビューに映り込んだ小田原佳乃がスマホを耳に当てるタイミングと、田中紀洋の携帯に追跡不可の連絡先からの入電が一致し、画像を解析すると、佳乃の口元にボイスチェンジャーらしいものが映っていた。
その報告を受けた零は立ち上がって言った。
「これらはただの事実関係にしか過ぎません。
例えば、鏡面ボトルに映り込んだ映像から、その薬物名を断定する
零が、そう話す間に電話が入り中座していた高倉が戻ってきた。
いつになく神妙な表情の高倉を、佐川は二度見する。
零が、話し終わったと同時に、高倉が立ち上がって言った。
「すまないが、我々は少し退席させてもらう。会議は進めておいてくれ。佐川、任せていいか?」
「あっ、はい」
「じゃあ続けて。零くん……ちょっといいか?」
二人は会議室を後にした。
地下の資料室に連れてこられた零は不可解な顔をしていた。
「高倉さん、会議にあげられない資料でもみつかったんですか?」
「ああ、その通りだ……」
そう言って端末を開いた。
「田中の所持品から古い携帯電話が出てきて、そこに入った記録メディアに大量の盗撮写真があった。余罪も含め調べるつもりで、それぞれの身元を洗っていたんだがな。因みにこれが当時の田所佳乃だ」
6年前の佳乃は、ロングヘアーで清楚なイメージだった。
高倉はその端末をまた零から受け取って、いくつかの写真を先送りした。
「いずれも大学生くらいの女性を映した盗撮らしい。大量の写真の中に……ある写真を見つけたんだ」
高倉が手を止めた。
そして、苦渋の表情で、それを零の前に差し出した。
「こ、これは……」
「俺も驚いた。ただの偶然だろうが。やがて会議で開示することになるが、捜査員たちの前でいきなり出すことは出来ないから……それで君に先にな」
零は言葉を失ったまま、端末を両手で持ったまま立ち尽くしていた。
「零くん、会議は、どうせあと20分程度で終わる予定だからもう出なくていい。今日はこのまま帰っても構わないから」
そう言って、足早に資料室を後にした。
早くひとりにしてやりたかった。
扉を閉めた高倉は、ぐっと目を
零の姿が見えなくなって半日が過ぎた。
さすがに佐川もその異変に気付いて、高倉に事情説明をもとめた。
「ええっ! 零くんの亡くなった婚約者の写真が……田中の携帯から見つかったんですか! でも、彼女を殺害した犯人は別にいて、そしてもう死亡したと聞いていますが」
「ああ、そうなんだが……どう処理するかは零くんに任せるつもりだ。いずれにしても、それが見つかった事実を彼は受け止めなきゃならないだろう。だったら先に知らせておくべきかなと思ってな」
「そうですね……それで、零くんは?」
「あれから資料室にこもってるみたいだな。屋上にもいないし、外出もしていない」
「何か調べる気なんですかね?」
「そうかもしれないな。この事件の関連性がないとわかっても、彼にしたら目が離せない事実だからな」
「そうだ、さっき零くんと話しした時に、何か違和感はなかったか?」
「ああ、たまたま伊波さんと相澤さんと江藤くんが通りかかって」
「え? あの道を上がったのか? 珍しいなあ。いつも彼女がいる時は迂回してたはずだが」
「そうですね。でも3人で通りかかったんで、そのことをちょうど電話してた零くんに言ったんですけど……何かよそよそしい反応で」
「なるほど。お前、昼間に伊波さんと零くんが駅前の喫茶店にいるのを見かけたって言ったよな? それについて伊波さんは何か言ってたか?」
「いえ全く。ゆっくり会話もしてないですからね」
「そうか、分かった。まあ、しばらく会議は 俺たちの方で回そう」
「わかりました」
零は捜査とはまた別に、独自に田中と今は亡き婚約者との接点を調べ始めていた。
いくつかの写真が撮られた場所や日時と、背景に映り込んだものや人物の解析をおこなっていた。
高倉はそういった情報を、本人ではなく、解析を依頼された鑑識から耳にいれて、零の行動を把握していた。
資料室のドアをノックする。
中から出てきた零の顔を見て、溜め息をついた。
「零くん……昨日も帰ってないだろう? 酷い顔だ、寝てないんじゃないか? 頼むから少しは体を休めてくれ」
「すみません高倉さん。もちろん捜査には迷惑をかけないんで、もう少し好きにやらせてください」
「でも……その前に倒れてしまうぞ」
「大丈夫です」
高倉と佐川は思い悩んでいた。
さらに翌日の夜の会議が終わると、二人は半ば強制連行のごとく食事に連れて出て、来栖家の邸宅に送り届けた。
どうせ帰宅させたところで、夜通し調べものをしたりするのだろうが、眠れる環境のもとでなら、いくぶん体力も回復するかもしれない。
執事の松山には、やんわりと事情を話し、協力を仰いだ。
その足で、高倉と佐川は『RUDE BAR』に向かう。
自室でパソコンを前にしている零に、波瑠からメッセージが入った。
電話ができる状況になったら連絡してくれという内容だった。
きっと自分をここへ送ったあと、二人して『RUDE BAR』に行ったのだろう。
高倉と佐川がそんな相談を持ちかけるほど、心配をかけていることについては反省しているが……
零は波瑠に電話をいれた。
「当たり前のことを敢えて言うぞ。零、お前の気持ちはわかるけど周りがみんな心配してる。 お前は主軸だ。お前が倒れたら元も子もないことは、わかっているな?」
「はい」
「頭の切れるお前には、俺も言いくるめられそうだからな、先に言い分を聞かせてくれよ」
「言い分も何もないです。客観的に見るならば 正直、とらわれているとしか言いようがありません。“当時のことについて、何かがわかるのかもしれない”、その気持ちが拭えなくて、翻弄されている……そんな状況です」
「でも零、口にはしたくないことだが……わかったところで」
波瑠が口をつぐむ。
「はい、今何かが判明したところで、彼女が帰ってくるわけではありません。俺も自分の気持ちをちゃんと代弁する言葉が見つかりませんし、所詮、言い訳にしか聞こえないでしょうが……それを解明するのが、俺の役割というか使命だと」
波瑠は大きく息をついた。
「確かにお前は彼女を心から愛していた。どんな思いをしたのかも、俺は分かっているつもりだよ。だが、あえて言わせてもらおう」
波瑠は息を整えるように、少し間をおいた。
「今、お前が愛し、お前のことを愛すると決めて必要としている絵梨香ちゃんを、置き去りにしていいのか? 偶然会ったから佐川さんから聞いたかもしれないが、絵梨香ちゃんはあれから蒼汰と対面したぞ。蒼汰も潔く話したらしい。これまでの思いも含め、ちゃんと受け止める覚悟をしたようだ。なのにお前はどうだ。あれから絵梨香ちゃんと連絡すらも取ってないんだろう? 彼女がどんな思いで、お前からの連絡を待っていることか……少しは考えてやれ」
黙りこくる零に、波瑠は幾分穏やかに言った。
「お前にとっての安らぎの場所が、早く彼女のもとになればいいな。 複雑な状況なのは分かっているが、そう願っている。みんな心配してるよ、零。高倉さんや佐川さんだけじゃない。お前の会議に出席している捜査員みんなも。それに蒼汰、そして絵梨香ちゃんも」
「波瑠さん……」
「複雑だろうな。でも今のお前にとって一番に必要なのは休息だ。でないと今のお前の頭じゃ 何も解決には導けない、実際そうなんだろう? 違うか?」
「いえ、そうです」
「だったら今のやり方を見直してみろよ。とにかく、少し眠ることだ。いいな! あと……絵梨香ちゃんに、連絡してやってくれな」
「すみません。ありがとうございます」
スマホを机に置いた零は、その場で力なく
第118 『Stall』ー終ー
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