第116話 『Can You Deduce In This Story?』

『ギャレットソリアーノ』で自分の車を目撃した蒼汰の話を、波瑠から聞かされた零は、自分で思っていたより何十倍も大きなダメージを受けていることに気付き、動揺していた。


絵梨香を自宅に送るも、部屋にも上がらずに逃げるように車に戻ってきた零は、その重圧に耐えきれずにまた過呼吸を引き起こした。


なんとか耐え抜いて、絵梨香のマンションの死角に車を止めたことにホッとしながら、零は波瑠にメッセージを送る。


波瑠からは短く “明日会えるか?”とだけ メッセージが帰ってきた。




翌日の昼下がり、波瑠は駅前のカフェにいた。

「零、わざわざ呼び出して悪いな。忙しいんだろ」


零は首を横に振った。

「……波瑠さん、あの後……蒼汰は」


「ああ……散々吐いて、動かせないぐらい潰れたから、しばらくソファーで寝かせたよ。まあ、一時間くらい寝たら復活しやがってさ、そっからはいつも通り、俺んちに泊まるって感じ。でも」


「でも」


「酔いが覚めてからあいつ、お前の話も絵梨香ちゃんの話も一切しなかった。仕事の話と、後はもっぱら由夏さんのネタで俺をいじるっていう、空明るい不自然だらけの蒼汰だったよ」


零はうつむいた。


「付き合い始めたんだな、絵梨香ちゃんと」


「……まあ、実質そんな感じです」


「嵐の中、ドラマチックに始まったか。お前たちの恋愛が」


「……波瑠さん」


「ああ、悪い。別にやっかんでるわけでもないし、茶化してるつもりもないよ。正直、なるべくしてなってると思ってるし」


「そうですか……」


「ああ、人が悪いと怒られるかもしれないが、多分、お前と絵梨香ちゃん、本人が気づく前からお前たちの気持ちは分かっていたと思う。こうなることも予想ができた。でもそれは、俺だけじゃないんだなあ」


零が顔をあげる。


「まぁ勘違いから始まったとはいえ、由夏さんもそう思ってたと思うけど、一番それを敏感に感じて、そして恐れていたのは……蒼汰だよ」


「俺は……酷いことをしているんでしょうか」


「そりゃ、絵梨香ちゃんが蒼汰の一番大事な 人だってことは、周知の事実だ。だけどさ、人の心は物じゃないから、誰かの所有物にはならない。絵梨香ちゃんの心は絵梨香ちゃんのものだし、その絵梨香ちゃんがお前を選んだのなら、絵梨香ちゃんの心がお前のものになってもしょうがないさ」


波瑠はコーヒーカップを手に取り、零にも促した。


「蒼汰だってわかってるんだけどさ、うん、多分痛いほどわかってる。あいつは自分よりも前に絵梨香ちゃんの幸せを強く願ってる。そんなあいつが絵梨香ちゃんの邪魔をする存在になんて、なりたいわけがないんだけどな」


「俺は、どうすれば……」


「お前の気持ちも分かる。お前にとって、蒼汰はかけがえのない存在だ。唯一無二、本来なら女より大事かもしれない。そんな一生ものの宝物二つ、目の前に並べられて “このうちのひとつを選べ” なんて残酷なことを言われてるような気になっているかもしれないが、それを一つ選んで一つ捨てるようなことのないように、ちゃんと話して理解してもらうんだ。時間をかけてでもするべきなんだと思う。お前こそ、本当に幸せにならなきゃいけない人間だ。どれほど辛い思いをしてきたか……だから本当は、手放しでお前に訪れた愛を応援したいよ。でもかたや、そこに悲しむ人間が現れるんだから、お前ほどでないにしても、俺も混乱してる。でも本来、恋愛ってそういうもんだから、何をもって応援するかは、俺にもわからないけどな」


波瑠がポケットを探りだした。


「お、絵梨香ちゃんから電話だ。お前にもかかってたんじゃないか? ちょっと出て来るな」


波瑠が退席して、零は自分の携帯を確認してみた。

絵梨香からはメッセージも着信もなかった。 彼女は待っているのだろうと思った。

きっと、心を痛めながら、そして逃げるように帰っていった自分に対しての不安と戦いながら……



波瑠が帰ってきた。


「この後、会うことにした。 地元に先に戻っても、また駅で偶然を装って遭遇するのは……さすがに不自然だろ? まあ、お前みたいに黙って後ろつければいいのかもしれないけど……絵梨香ちゃん、不安そうだったからな」


「……すみません」


今度は波瑠が首を横に振った。

「蒼汰がギャレットソリアーノに行ったことは言わないよ。どうも絵梨香ちゃんが仕事中に、蒼汰からメッセージが入ってたみたいだ。それも何件も入ってたらしくてさ。そしてその後は、いくら連絡しても連絡が取れないって……それで心配して俺にかけてきたんだ。絵梨香ちゃんはまだ、蒼汰がこっちに帰ってきてること知らないから。それすらも蒼汰に口止めされてるから言えないんだけどな。絵梨香ちゃん、お前に連絡は?」


「いえ」


「そうか。不安なのに一人で耐えてるんだな。 お前が忙しいのを知ってるから、邪魔したくないと思ってるんだろうな。零、少しでも時間が出来たら連絡してやれよ」


「はい」


「今夜ももし、彼女がうちの店RUDE BARに行きたいって言ったら連れて行くし、帰る時はちゃんと送って行くから」


「すみません。お願いします」


「零、ごめんな。とりとめのない話しかできないのに呼び出して。ちゃんとした助言がしてやれたら良かったんだけど、察しの通り俺も恋愛下手でね。自分の方もうまくいかない」


波瑠はコーヒーを飲み干した。


「逃げに聞こえるかもしれませんが、ここしばらく捜査がかなり進展していて、蒼汰と話す時間も絵梨香と会う時間も取れそうにないです。それに関して、恋愛中にもかかわらずホッとしている自分がいるんです」


「うーん。蒼汰のことを思うと、絵梨香ちゃんに会うのを躊躇っている自分もいる?」


「はい……何かに理由をつけて、会わないようにしている自分がいるんです。この気持ちに流されることは……いけないことでしょうか」


「……零がそんなことを俺に聞くなんて、初めてだな。それだけ本気なんだ。お前はそれでなくても自分のことを追い詰めすぎるんだよ。恋愛においてまでストイックになるなんて、世の中の男にはできないことだぞ。零、何かに逆らおうとしなくていい。今お前が忙しくて彼女に会えないのであれば、それを無理して会っても何かねじれが起きる。自然にしていいよ。お前達の恋が自然に始まったように、運命が決まっているならば、自然にその形の方に向かっていくんはずだ」


「波瑠さん……ありがとうございます」


「つらいな零。でも願ってる。お前と絵梨香ちゃんと蒼汰の、その3人がうまく幸せに交わる点があることを、願ってる。出来ることがあったら、何でもするから。……長く引き留めちまった。ごめんな、相当忙しいんだろう。すぐ行ってくれ」



零が、捜査会議場に戻ると、動きを感じた。

高倉が足早に歩み寄ってくる。


「絹川美保子について、色々と調べが上がってきてる、一旦会議を開こう」


「ええ」




「まずは絹川美保子の情報から」


「はい、絹川美保子34歳。裕福な家庭に生まれ、父親は大阪大学卒のエリートで、西園寺財閥の一派、『西園寺商事』の出世コースをひた走るも、その父親がある日をさかいに会社に行かなくなったそうです。突然精神を病み、会社もやめざるを得ない状況になったため、美保子は大学の道を諦め、働きながら看護師の夜間学校に通い、父を助けたいと心療カウンセラーを目指して勉強するも、志半こころざしなかばで父は他界」


「絹川美保子は所属していたどの職場にも、高校以前の記録を詐称していました。我々も、介添人アテンダーの熊倉佳織がクラスメイトだったということをヒントに調べました。絹川は熊倉とは中学と高校が一緒、当時のクラスメイトに当たったところ、絹川から熊倉に対するいじめがあったと証言がとれました。中学から学校でのヒエラルキーが高かった絹川が、高校になり、傲慢さが増幅していた矢先に、突然父がリストラされたことによって、彼女の立ち位置も、大きく変わった。実際、最終的にはリストラではなく自主退職でしたが、その当時の絹川美保子は、“西園寺グループを恨んでいる” と周りに言っていたそうです。調べてみましたが、現在ほどコンプライアンスにうるさくない時代だという事もあり、会社側で調べても絹川の父が、本当はどのような経緯で辞めたのかは、わかりませんでした」


「当時すでに会長職にあった西園寺章蔵氏ですが、数多くある系列会社の中での、その末端のこと等はやはり知る由もなく、当時の章蔵氏のブレーンに聞いてみても “初めて聞く話だ” と言われました。絹川の父の当時の上司は、退職して海外在住なので調べる術もありませんでした」


「絹川が過去に出入りした職場を調べました。介護士、カウンセラーとして、いくつか回っていた施設や病院などをあたり、同僚の話を聞きました。絹川と食事や酒を共にしたことがあり、その中で絹川が西園寺グループに対する恨み事を話していたのを聞いたことがあると言っていました。それを踏まえて熊倉佳織にも聞いてみたところ、高校時代は、"西園寺グループに必ず復讐する" と豪語していたと証言しています」


捜査員が走り込んできた。


「絹川が、ある病院にいたことが発覚しました!」

息を整えながら席まで戻り、話を続ける。


「絹川は現在は多資格保持者で、これらを習得するためか、ちょうど6年前辺りは、どこかの病院に専属で勤めるわけではなく、診療カウンセラーとして、幾つかの病院や施設を掛け持って、それぞれ月に何度か訪れる程度でした。そしてそのいくつかある病院の中でヒットしたのが、田所佳乃が強姦事件の後に通っていた『クリニック』だったんです」


「小田原佳乃と絹川美保子、この二人が繋がったんだな」


捜査員はどよめいた、佐川と高倉は零の読み通りになったことに驚きを隠せない。


「続けてくれ」


「はい。6年前以前の二人の接点は見当たりませんでした。その時期と重なるように絹川は、行っていた施設や病院を辞めて、まだ持っていなかった介護士の資格を習得。介護士の中でも医療行為を許されている立場で、合格率も低い難しい試験だそうです。その頃に小田原が『想命館』に就職。時期が重なります」


「その後、かねてから西園寺章蔵氏が通っている大学病院に、介護士 兼 他の介護士の指導をする立場として就職しました。資格を取った直後、絹川は他の病院も受けずに、この病院だけを受けてパスしました。当時の教授に話を聞くと、かなりな売り込みを受けたと言っています。この病院で働きたいという熱意を感じたそうです」


「当時の看護師の証言です。絹川美保子は真面目で厳しく、一目置かれる存在でしたが、西園寺章蔵氏に対する態度は格別だったとのことです。優しく微笑んだりスキンシップがあったりと、他の患者とは違う態度に皆が驚いていたと言っていました。章蔵氏に取り入ろうとしてるんじゃないかと噂にまでなり、一度、匿名で誰かが院長に密告をしたこともあったそうです。彼女の立場が悪くなるんじゃないかという声をよそに、以前と同じように接しているのを見て、多分章蔵氏の方から現状維持の要請があったのではないかと思ったそうです。それから程なくして彼女は病院を辞めたそうです。その後はどこへも就職せずに、章蔵氏の専属介護士をしていました」


「短時間でよく調べたな! 零くん、君からは何かあるか?」


「もともとそれは、西園寺章蔵氏への復讐が目当てだった。

小田原と出会ったのは恐らく偶然でしょう。

そこからその後2年で特別介護士の資格を取った……

小田原と出会ったことによって、計画内容が変わった……

何か、足らない……」


独り言のようにいくつか呟いた零は、立ち上がって言った。


「小田原佳乃の事件後の足取りを調べて、それをもとに二回目の任意の出頭を要請しましょう。あと、絹川、小田原の両者が接触したら、なるべく情報を多く下さい。もうひとつ、あくまでも事実確認と言う意味で、ですが、田中と絹川と接点も洗ってください。他にも何か情報が入ったらすぐ知らせて下さい」


「小田原はまた、時期尚早でも引っ張るのか?」


「ええ、エサはいたので、そのうち何らかの動きはあるはずです。まだ明らかになっていないことがありますし」


「わかった」


高倉は立ち上がった。

「一旦解散とするが、常時、情報は敏速に伝達願いたい。以上」


一斉に椅子の擦る音がする。



調書に目をやる零を見ながら、佐川は高倉を廊下に出す。


「なんだよお前、逆に怪しいぞ!」


「いえね、さっき買い出しに出たら、駅前の喫茶店に伊波さんと零くんが居たんですよ」


「伊波さんと?」

零の顔をちらっと見る。


「何も聞いてないけどな……なんでわざわざ伊波さんが来たんだろう?」


神妙な面持ちのまま、会議室に戻ろうとする。


「ちょ、ちょっと高倉さん! なんかわかったんですか?」


「いや、わからないよ。だがな、事件は大事な局面を迎えてるんだ、彼の捜査をサポートする。伊波さんには、後で連絡を入れてみるよ」


第116話 『Can You Deduce In This Story?』ー終ー

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