第114話 『We're In The Same Boat』

このところ、秋のブライダルフェアに向けての打ち合わせが、立て続けに入っていた。

絵梨香が今日訪れたのは『ギャレットソリアーノ』

サマコレの打ち上げでも使った会場で、海沿いのロケーションの素晴らしいレストランだった。


ここは『ファビュラス JAPAN』創設の時から 付き合いのあるレストランで、ファビュラスの 代表取締 藤田かれんと親しく交流のある、ここの女店主と打ち合わせを重ね、新しく映像を 駆使した演出で、ブライダルファッションイベントを開催することになり、その担当を任された絵梨香は、希望に胸を膨らませていた。


打ち合わせを終え、女店主と挨拶を済ませ、絵梨香は店の中を見回した。


あの打ち上げの日……


サマコレ会場からモノレールに乗って、ひときわ騒がしい車内を、微笑ましく見ながら駅に降り立ったとき、よろめく私を助けた人が、彼だった。


彼の首筋に アートメイクを見つけた時の、あの衝撃は今でも覚えている。


あの時は、騙されたような、そう、憎らしいよな……それに近い感情だった。

私を助けてくれた、その手の大きさにドキッとしたのは覚えている。


この会場にやってきた時の、彼の辟易とした空気感……思い出すと少し笑える。


あの時は変な人だと思ったけど……

変わってないのかなぁ。

元々そんなフラットな人なんだって、今はわかる。


やったらモデルの人に女の子に囲まれて、華やかだった。

あんな綺麗な人達にいっぱいベタベタ触られて、何とも思わないのかしら?

そんなことを考えながら店を出る。


レストランの外の石造りの塀が目に入った。

確かここに、長い足を持て余すように組んで、彼が座っていた。

しばらくじっと見ていたいような……

それこそ彫刻のようなシルエットだった。


胸がクッと熱くなった。

あのときの私はどういう感情だったのだろう。

今とは全く違うけれど、でもなんだか安心できるような、そんな気持ちだった筈だ。


会場を離れて海沿いの道に差し掛かると、意外と強い風が吹いていた。

耳を澄ますと波の音が聞こえる。

絵梨香は吸い寄せられるように、海の方へ足を向けた。


漆黒の海が時折夜景に照らされてキラキラと反射し、そびえ立つ巨大な吊り橋は圧倒されるほど迫力があった。

そしてその吊り橋を彩る七色のイルミネーションはその形を際立たせ、絶妙なグラデーションで美しさに満ちていた。



「おい、そっちは駅じゃないぞ」


その言葉に、ハッとして振り向く。


「レイ!」


あの時も彼は、そう言った。

でも今よりも、もっとぶっきらぼうで、少し冷たくて……


「うん、分かってる。ちょっと海が見てみたくなって……」

絵梨香も同じ言葉で返した。


「“どうせ真っ暗だ”って、俺はそう言ったよな?」


「ええ、でもそう言いながらも、あなたは付いて来てくれたわ」


絵梨香はあの時と同じように、零の前を歩いて、海の直ぐ側まで行ってみる。


手すり越しに、レストランと同じ景色が見えたが、生で見る大きな吊り橋の迫力は圧巻だった。


「すごい! やっぱり綺麗……」

吊り橋に掲げられたイルミネーションは、七色に変化しながら、その形を際立たせていた。


あの時よりもずっと近くに、零の体があった。


彼は自分のジャケットをふわっと絵梨香の肩にかけた。

また覚えのある同じシチュエーションに、絵梨香がふわっと笑う。


「また同じだと、思った?」

そう言った零が彼女の手を取った。


ぐっとその手を引っ張って、彼女を胸の中に抱いた。


「もう、同じじゃない」


絵梨香は頷いた。


「あの時見た海はホントに真っ黒で、見てたら吸い込まれそうで怖いって思ったわ。でも、今は怖くない……あなたがいるから。あなたが私を捕まえていてくれるから」


「エリ」


そう呼ばれることに、体の芯から幸せを感じた。


じっと彼を見上げる彼女の頬に手を添え、ジャケットの上からぐっと体を引き寄せ、零はかぶせるように、口付けた。


そのシルエットは映画のように美しく、七色のイルミネーションが二人の頬を染めた。


強く吹きつける風から、彼女を守るように肩を抱きながら、二人は見つめ合い、唇を重ねた。


零のエスコートで、絵梨香は大きな車に押し込められる。

彼女の肩にかけていったジャケットを着て、左側のドアから体を滑らすように乗り込んだ零を、絵梨香はじっと見ていた。


「なに? じっと見て」


「同じ場所に来たけど、あの時のあなたと今のあなたは、本当に同一人物なのかなって?」


「それを言うなら、俺も一緒だよ」


「え?」


「こんなにイイ女だったかなって思って。あの時は微塵も思わなかったからな」


「ひどい! まあ周りはモデルだらけだったし、じゃあそのモデルを収穫すれば良かったんじゃないの!」


「あれ? まだ根に持ってたのか?」


「根に持ってなんかないわよ!」


笑い出す零に、絵梨香はプイと窓の方に体を寄せた。


耳の近くで息が聞こえて、慌てて振り向くと、そこに零の瞳があった。


「今は、お前しか見えない」


零は絵梨香の髪に手をやると、ぐっと力を込めて頭をホールドした。


そして顔を傾けて、長い指でそっと唇に触れる。


瞳を確認して微笑むと、今度はもっと強く彼女の唇を奪った。


「さあ帰ろう」


そう言ってアクセルをふかす。


パノラマの景色と『ギャレットソリアーノ』を後にする。


「ねえ、あの時ね、まぁ……後から思えば、なんだけど……」


「ん? 何のことだ?」


「さっきの『ギャレットソリアーノ』での打ち上げの後なんだけど……何か、やたら怒ってなかった?」


零は溜め息をついた。

「怒ってない、呆れてたんだけど」


「え? どうして?」


零はもう一度溜め息をつく。


「やっぱりそうなんだよな。お前って」


「どういうこと?」


「男にナンパされてただろ?」


「ナンパ? いや、スタッフさんが喋りかけてきただけだから」


「俺はあいつらの会話のやり取りを、すぐそばでたまたま聞いてたから……まあ、女子にはわかんないもんなのかな?」


「何て言ってたの?」


「今夜、どの子を持ち帰るかって、吟味してたぞ」


「え!」


「あの新人の『ファビラス』のスタッフの子なんて、ちょうどいいってさ!」


「何がちょうどいいの!」


「モデルだと気後れするし、ああいうタイプが 意外とイイんだってさ」


「何がイイのよ!」


「俺に言わせるの?」


絵梨香が顔をパッと下げた。


「そういう変なこと、言ってたんだ」


「そうなんだ……」


「いったい誰のこと言ってるのかと思ってさ、そいつらの行動気にして見てたら、連行されていくお前を見て、呆れたよ」


「なんで呆れるのよ!」


「やっぱりなって……隙だらけだから」


「そういうの……自分ではわからないわ」


「だろうね。危なっかしくてしょうがない」

 

「それで話しかけに来てくれたんだ?」


「まあ、苦渋の策だな。俺を囲んでたモデル達も“きょとん”だよ」


「それはすみませんでした! せっかくハーレム状態だったのに!」


「怒るなって!」


そう言って零は絵梨香の左手を取った。


少し冷たい、繊細な手に包まれた。

それだけで、胸が高鳴るのが感じられた。

彼のほうを向くと、優しい微笑みが投げかけられた。

自分も笑い返す。

吐息が、熱い……


本当の恋なんだと、自覚した。


零はオーディオのボタンを押した。

すぐさま、そこから美しい歌声が聞こえた。


“いつか、生であの歌声を聴きたいと思っていたのに、あっさり亡くなってしまった無類のシンガー”


彼女の甘く切ない歌声を聞きながら、何も見えない海沿いの道を、二人きりの空間で過ごす ことに、喜びを感じた。



「本当はあそこで飯が食えたら良かったんだけどさ。晩飯、食べてないんだろ?」


「ああ、でもさっきあそこのオーナーさんが いくつか試食をさせてくれて、お腹すいてないかも」


「実は俺も高倉さんが捜査員達にさ、寿司の大盤振る舞いをして、無理矢理いくつかつままされたから」


「そうなんだ? 何かいいことがあったの?」


「ああ、捜査が大幅に進んだ」


「すごいね! フィクサー大活躍か!」


「その言い方はやめろよ!」


零は絵梨香の頭を、指でピンと弾いた。


「痛っ!」


子供みたいに悪びれもせず笑う、その顔を見て、またキスしたくなる衝動を抑える。


「じゃあ……ちょっと雰囲気のある大人の空間でも行ってみますか」


絵梨香が真顔になった。 


「なんか、やらしいこと想像してない?」


「な、何言ってるの! 普通、女の子にそんなこと言わないよね! 全く、デリカシーがないんだから! そこは前から変わってない!」


零が笑った。

「ほら、もう怒るなよ。素敵な店があるんだ。

まあ、俺は運転があるから酒は飲めないけど、前から連れて行きたいなって思ってたんだ」




「ここって……」


零に手をひかれて、センター街の裏路地を入っていく。


「もうちょっと西に行けば、あの因縁の『 ミュゼドキュイジーヌ』があるね?」


この前、蒼汰と行ったと言いかけてやめる。


今ここで、その名前を出したくないと……思ってしまった。


雑居ビルの地下に足を踏み入れる。


『Moon Drops』月の雫か……素敵な名前ね。

落ち着いた空間の中に、楽器がまるでディスプレイされたかのように並んでいて、スポットライトを浴びながら佇んでいる。


出迎えた女性が零を見て言った。


「あらあなた、何度か来てくれてるわよね?」

 

「覚えててくれてました?」

 

「そりゃあ、こんなイケメン忘れるはずないわ」


彼はどこに行ってもそう。

女性の注目の的……

この店には、いったい誰と来たんだか……

ふとそんな気持ちがよぎった。


「いつも一人で来てくれるから、もしかして、私目当てかな、なんて思っちゃったわ。あら、冗談よ! こんな素敵なカノジョがいるんだから!」


「彼女、ここの店のオーナーなんだ。自身もピアニストだ」


店主は二人をステージの正面の席に案内した。

丸いグラスに浮かんだキャンドルが仄かに揺れて、二人の顔を照らす。

お互い同じ思いで炎を見つめた。


絵梨香が笑い出した。

「7階まで階段で上がったのって、初めてかも」


「誰だ? “富士山に登頂した気分だ” って言ってたのは。大げさだよな?」


「だって大変だったんだもん」


「そう? 部屋の中に入ってからの方が大変だったのでは?」


零の艶かしい視線にドキッとした。


ふたりに飲み物を持ってきた店主が言った。

「今日は生演奏が入ってないのよ。ムーディーな夜を演出してあげれなくて、ごめんなさい。そうだ! もしよかったら、私がピアノを演奏するから、リクエストして。なんでも弾いちゃう」


そう笑顔をこぼしながら、ドリンクを置いて、彼女は軽やかな足取りで立ち去る。


「じゃあ、乾杯しよう」


「乾杯?」


「どうした?」


「あなたはには、まだ私の知らないことがいっぱいあるわ。そのたびにドギマギして、不安になったりするのかなって……」


「それはダメなことか? 知らないことがいっぱいだ、俺もそうだ。それはこれからもっと色々なことを知ることができるって事だ。それで十分楽しいじゃないか」


「……そうよね。あなたは自分がそうやってミステリアスな人だから、余裕もあってそんな事言えるけど、私は隠し球も何もないのよ。ドギマギさせられてばっかりで、なんだか不利だわ」


「不利も有利もないだろう? 一緒にいれたらそれでいい」


「そんなカッコいいこと言うけど、そういう言葉って、なんか永久に続くのかなって……不安になっちゃうじゃない。その不安定な中に恋愛の醍醐味を見出すなんて、少女漫画だったらあるけど、私はもっと安定した思いって言うか……確かなものっていうか……そういう中に身を置きたいタイプなんだと思う……」


テーブルの下で、零が絵梨香の手を握った。


「不安なんだな……俺も一緒だ」


絵梨香は黙って頷いた。


二人の中に同じ苦悩が流れて、しばらく沈黙が続いた。


零は少しでも絵梨香の心の負荷を反らすために、更に指先に力を込めた。


第114話 『We're In The Same Boat』

             ー終ー

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